安倍前総理不起訴について思うこと

検察が安倍前総理の不起訴を決めたそうだ。例によって検察のリークが報道として伝わってきた。何がいけないのかという線引きがないために空気を読んで話を進めようとしているわけで「気持ち悪いなあ」とは思う。そもそも、安倍前総理が「いや知らなかった」を信頼したとのことだが「はいそうですか」では検察なんかいらないだろう。そもそも、国民は何かあったときにしか騒がないのだからあらかじめ説明しながら進めても全くの無駄である。




思い返すまでもなく総理と菅官房長官は国会で一貫して「やましいことはやっていない」と答弁してきた。実際に何を言ってきたのかと調べてみた。わざわざ回数まで数えた人がいるらしい。煩悩の数よりちょっと多い118回だったそうである。国民は「あ、なんかやったんだね」とは知っている。ただ騒ぐのが面倒なだけである。

安倍氏が国会で「事務所は関与していない」「明細書は無い」「差額は補塡していない」の3点について、少なくとも118回繰り返していた

「事実と異なる」答弁118回 桜を見る会で安倍前首相

国民がこれを気にしないのは自民党政権に対して総体的に悪い感情を持っていないからだろう。「日本人も変わらなければならない」と言い続けてきた民主党政権と比べるとうるさいことを言わない安倍政権の方が心理的に楽だったのではないだろうか。

現在自民党の支持率は下がらず菅総理大臣の支持率だけが下がっているという。菅さんだけ変えればなんとかなると国民は思いたい。それが一番面倒くさくないからだ。コロナウイルスが消え去るまでおそらく何人かの総理が流し雛になるはずである。総理を変えてもコロナはなくならないからだ。

そもそも「なぜ桜を見る会の饗応がなぜいけないのか」という議論は全く起こらない。これも考えるのが面倒だ。公職選挙法には金権政治をなくし政策ベースで候補者を選べるようにしようという精神があるはずだ。だが実際の議論はそうではなかった。リクルート事件で政治家や官僚ばかりが儲けているというやっかみがあり国民感情を納得させるために政治資金規正法が改正された。ところが心象ベースで「自民党はとにかくいやだ」というこになり政権交代につながってゆく。とにかく論理的に考えるのは面倒なのでざっくりとした心象で全てが決まる。

「なぜいけないのか」という議論がベースにないために形式的な議論にしかならない。形式的な議論にしかならないから形式的に見なかったふりをすると起訴できなくなってしまう。これからは大手を振って全ては秘書のせいにできることになった。

では政治家はなんでもやりたいことができるのだろうか。どうもそうではないらしい。ますます空気を読む必要のある時代になった。

愛知県西尾市の市議ら18人が「慣例的な忘年会」をやったところ世間から叩かれた。反省会だったと言っているがミニスカートの女性がお酌をしてまわったそうで、西尾市の先生たちはコンパニオンがいないと反省できないようだ。コンパニオンを感染対策だという人もいれば「旅館を助けるためにやった」と言い訳する人もいた。「私は悪くないわかってくれ」というわけで説明責任も心情的に進み背後にロジックが全くない。結局、謝罪なのか釈明なのかよくわからない会見だった。

結局「お騒がせ」したことが会見の理由だったようだ。国民の側はコロナで我慢しているのだから誰かを叩きたい。その意味では西尾市議たちはおそらく格好のサンドバッグになってしまったのだろう。国民としては「誰かが叩ければ」それでいい。むしろ叩かれてくれてありがとうというべきなのかもしれない。

心情で漠然と許したり怒ったりしているうちはいつまでもこんな状態が続く。いけないことはいけないのだから安倍前総理はきちんとこの件を総括して責任をとるべきだし菅総理もそれをきちんと求めるべきだ。

菅総理は「「桜を見る会」追及再び 首相「事実と違えば私も責任」」とは言っていたが、おそらく責任は取らないのだろうなと思う。国民はこれを咎めることはないだろうが、叩きたいときには心情で叩くことになるだろう。

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