菅政権の批判記事が閲覧数的に盛り上がらないわけ

安倍政権・菅政権と政権に批判的な記事を書いているのだが政権交代に伴って大きな変化があった。閲覧数が下がったのである。このところ政治以外の記事を混ぜているのはそのためだ。こうすると閲覧数が戻るのだ。なぜこうなるのかを考えてみた。




最初に思ったのは「つまらなくなったから」ということだ。そもそも「最初から面白くなかった」というのはある。それは認めつつ考察して見た。

安倍政権は人気があったので安倍政権が気に入らない人たちはアンチ化していたはずだ。だが菅政権は世論から叩かれているのでことさら「いじめても」あまり面白くない。不謹慎ではあるのだが世論というのはそんなものである。だが、この説明はなんとなくダイレクトではない。つまりすんなり落ちてこないのだ。

次に当事者として醜い問題を見たくないからだという仮説を考えて見た。このところQuoraの政治スペースは好調である。日本と関係がないトランプ大統領の話題で閲覧数が「爆上がり」した。おそらく政治課題というのは問題解決目的ではなく別の目的で利用されているのだろうということがよくわかる。あまり自分たちの醜い側面は直視したくない。これはおそらく欧米も同様で他国の人権や環境の問題で盛り上がっていたりする。

安倍・菅政権はNHKを人事で脅かし記者クラブ利権を使って気に入らない一部の記者をいじめてきた。こうしたマスメディアコントロールが世論形成に大きな役に立っているのだろうと誰もが思っている。今回も読売新聞が政権に親和的な擁護記事を書いているのだから世論はすぐに元に戻りそうである。

だがそうはならない。時事通信の世論調査によると内閣支持率はついに34.2%にまで下落した。

菅政権と安倍政権は似ているようだが大きな違いもある。安倍政権時代には政権に批判的なことを書くとコピペ反論が戻ってきていた。大元になる反論がありそれを暗記した人たちが攻撃をしかけてくるわけである。現在トランプ大統領に対する擁護論にはこのコピペ反論が多い。このコピペこそが我々がネトウヨといってきた人たちの特徴である。

ところが菅政権にはこれがない。心理的に反発する人はいるが言語化されないのだ。

おそらく安倍政権時代には安倍総理のメシトモがいてコピペ元となっていたのではないかと思う。菅総理のメシトモは経済界でアイディアを持っている人だったりするのでネトウヨのメシトモがいない。だから下支えがないのだ。この二極構造を知らず識らずのうちに利用てしてきたのが安倍政権だったのだろう。SNS時代だからこその「戦略」だが再現できなかったところを見るとたまたまだったのかもしれない。つまり工作員などいなかったのだ。

菅官房長官ら官邸メンバーが関与してきた表のメディアコントロールは今でも行われているようでニュースウオッチ9の有馬キャスターが標的になったという報道がある。マスメディアコントロールは残ってもネット・シンパが消えるとネット上には批判の声しか残らない。マスメディア側もこれに気がついていないようで東京新聞の望月記者は情報発信の不味さが原因であるというような分析を出している。発信が得意な人たちからは言語化が苦手で匿名性の高いSNSは見えないのだろう。これが日本版のサイレントマジョリティである。

おそらくアンチ政権の人たちの数は変わっていないはずだ。安倍政権から菅政権に変わっても日本学術会議いじめのようなことは起こっている。「菅官房長官が総理大臣になって改心した」とはとても思えない。

そうなると閲覧数が減った理由が見えてくる。おそらく一体感を得るために反政権的とみられる言論を監視していたサイレントマジョリティがドロップしたのだ。つまり、減ったのは自警団の数だったことになる。自警行為はそれだけ楽しいものなのかもしれないし、自分の心情を代弁してくれる人の存在をありがたがっているのかもしれない。

こう改めて考えてみるとインフルエンサーにとって会食がどんなに重要だったのかということがわかる。彼らにとっては権力と一体化するというのは特別な体験だったのであろう。

おそらく、ビジネス上政権に近い発言を続けるポジショントーカーは残るだろうが、心情的な政権との一体感を感じていた人たちは減るはずである。一部はトランプ大統領支持に乗り換えたようだ。おそらくトランプ祭りの閲覧数の中にも自警団がいるのだろうなと思う。

安倍政権と違って二階幹事長に近い菅総理は中国と派手に対峙してくれそうにない。トランプ大統領ももうじき過去の人になりそうだ。心配しても仕方ないのだが自警団活動をしていた人たちはどこにゆくのかが少し気になる。

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