ネトウヨがリベラルの活動を熱心に監視する「自警団活動」に執心するのはなぜなのか?

社会はなぜ左と右にわかれるのかを読み始めた。現代はThe Righteous Mindという。正義という意味だそうだがやや否定的で独りよがりのニュアンスがあるという。かなり長い本でしばらく読む気がしなかったが3つの本をまとめた体裁になっているので拾い読み感覚で読むと面白い。とりあえず最初の部分だけを読んだ。




政治的議論にイライラしている人には面白い本だと思う。例えば、安倍総理は素晴らしいとか、トランプ大統領は最高だとか、アイヌ民族などいないと考える人を説得するのがなぜ無駄なのかということがわかる。

第一部の基本コンセプトは人間の合理性と感情の関係である。これを像の乗り手と像に例えている。合理性は巨大な像にまたがったちっぽけな存在にすぎないし、感情によって判断を下している。基本的に理性はそれを正当化する役割を果たしているのだ。だが、人間は象使いが像をコントロールしていると思いたがる。つまり合理性が感情を支配しているように感じたがる。

感情がなくなれば人間は正しい判断ができるようになるのか?ということになるが、そうならないそうだ。アントニオ・ダマシオの研究では感情をつかさどる脳の一部が壊れてしまった人は知性に問題がでなかったとしても簡単な意思決定ができなくなるそうだ。

このことから感情は合理性のトリガーになっているのだろうと考えられているという。

何かを見たり聞いたりした時には必ず何らかの身体反応が出る。つまり嫌悪感を感じたり好ましいと感じたりしている。人はこれを記憶しておきいつでも即座に引き出せるようにしている。これが感情である。そしてその感情に説明を加えるのが合理性の基本的な役割である。

政治的議論を行う上で「人は感情を捨てて冷静になるべきだ」という言説がある。人は合理的であるべきだが日本人は感情に支配されすぎるというようなことも書いて来た気がする。だが、これはどうやら間違いのようだ。

人はどう生きるべきかという「イデオロギー」がないと政治的な意思決定ができない。つまり主観や感情は合理性の基になっている。だが、その感情の赴くままに合意性を働かせて過剰な正当化を行うのも間違っている。象使いは小さな存在ではあるが像をコントロールして好ましい方向に導く力も持っているし、像に流されてしまう象使いも大勢いるだろう。

人間の合理性はあまりにも感情に忠実なため自分に都合の良い説明を採用することが多い。思考の負荷を減らすために言葉やコンセプトに「好ましい・好ましくない」というマーカーをつけてゆく。こうして思考に使うリソースを節約しようとするのである。

本の中にドリュー・ウェステンという人がfMRIで共和党支持者と民主党支持者の脳はを調べた逸話が出てくる。アメリカの政治が「赤と青」に二極化し始めたころの研究である。

この実験では(例えば)共和党支持者にわざと彼らが嫌いな結論を持った逸話を与える。すると彼らの脳波が激しく反応するそうである。面白いのはその後だ。この彼らが嫌いな結論を覆す結果を与えると開放感が得られるそうである。

ひとたび被験者が脅威から解放されると、脳の主要な報酬中枢の一つとして知られる、腹側線条体が活性化し始めた。

社会はなぜ左と右にわかれるのか

社会はなぜ左と右にわかれるのかには書かれていないのだが、最近持っていた「自警団がなぜ敵対勢力の言論活動を監視するのか」に関する謎が解けたと思った。例えば「トランプが良い人である」という結びつきを獲得した人は合理化のために「トランプが救世主である」という情報を集めるようになるであろうということはすぐにわかる。彼らの合理性は彼らの感情を補強する材料を読みたがるからだ。

ところがそれと同じくらい「トランプが悪人である」という情報も読みたくなるはずである。これを読むことで彼らの脳内で警報が鳴り解放された時に脳内に報酬物質がでる。実際にはドーパミンが出るそうだ。本はこれを麻薬中毒患者に例えている。同じドーパミンが放出されるそうである。

おそらく日本にいる熱心なトランプ支持者は反トランプ的な言説が「論破される」ことでドーパミンを得ているのだろう。理性が感情に仕える奴隷に過ぎない人たちにとってはその理論が論理的に破綻していても別に構わない。とりあえず彼らの脳に出ているドーパミンは本物だからである。つまり彼らは依存症状を起こしている。

おそらく韓国政府の「反日的な言動」に人が惹きつけられるのもそれが強い嫌悪感を与え続けてくれるからだろう。嫌悪感が強ければ強いほど「韓国政府がそのせいで窮地に陥っている」という情報から強い快感が得られるようになる。

こう考えると、彼らを合理的に説得するのは単に時間の無駄であるばかりか彼らに依存物質を与え続ける行為だということがわかる。つまり「トランプに関する陰謀論などない」と否定して回る人は、彼らに餌を与え続けているということになる。

これはおそらく陣営を変えても同じことが言えるのであろう。「安倍政治を許さない」と言っていた人たちもおそらく「安倍なるもの」に強い嫌悪感を持っているが故にそれに惹きつけられていたのだ。「菅政治を許さない」とならないのは菅義偉という人がそれほど人々の感情に訴えかけるメッセージを発信しないからだろう。感情的な要素が少ないためにそこから得られる報酬物質が単に少ないということになる。

これまで「政治的な議論が問題解決に寄与しないのはどうしてか」と思ってきた。単に依存症患者を増やしてきただけだっただけなのかもしれない。

人が感情から解放されることはないと考えると本来的に人が持っているイデオロギーを合理性で躾けるというのが正しいあり方なのだろうと思う。ところが日本人はイデオロギーを持つことを「政治的に偏っている」と考えてしまう。だから根源的な感情を無視し、結果的にか感情の奴隷になってしまうのである。これは皮肉なことである。

政治的な議論で感情の奴隷になりたくない人はぜひ社会はなぜ左と右にわかれるのかを読むべきだと思った。

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