社会正義という言葉に激しい拒絶反応を示す日本人

先日来「社会はなぜ左と右にわかれるのか」を読んで、道徳と合理性の関係を考えている。作者のジョナサン・ハイトはアメリカで暮らすユダヤ人なので合理性というものに深く立脚している。このため「合理性を脱却して道徳判断も加えた政治的判断を行うべきである」という主張に本の大部分を費やしている。これがあまり響かないのはおそらく非東洋系の日本人がそもそもそのような見方をしないからだろう。日本人にとっては当たり前のことを言っているだけなのだ。




ジョナサン・ハイトは普段個人主義的に判断をしている人が集団的な判断を下すために用いるものを「道徳」だと言っている。一般的な道徳の定義ではなくまた日本人にとってはいうまでもないと思える解釈である。

前回、保守とリベラルという軸を日本にも当てはめてみた。日本のリベラルもケア(共感)と公正という価値観には強く反応するようだ。ここまではジョナサン・ハイトがアメリカ政治について観察したのとさほど違いはない。忠誠・神聖・権威のような道徳概念には否定的なことが多いというのも似ている。似た傾向はあるようだ。

日本のリベラルが安倍政治は許せないという時「お友達だけを優遇すること」や「記録を隠蔽して嘘をつく」ということを公正さを欠くからという理由で嫌う。ところが日本の保守層は自分の損得が明確に計算できる部分についてのみ道徳的にも合理的にも正確な判断を直感的に下しているようだ。ただそれ以外の分野には特に関心がなく視野もぼやけている。

新型コロナウイルスが蔓延すると彼らの中の優先順位は変わった。「日本人」としての帰属意識を重要視していた曖昧でいい加減な道徳的判断が消え「損得」を冷静に判断をする人が増えるわけである。自分ごとと他人事の構成が変わったことで支持率は急落したが、そこには何らのためらいも感じられない。

これについて調べてみようと軽い気持ちで質問をした。SNSを使って匿名で発言することは「ずるい」とされることが多いので、公平さの指標として利用しようと思ったのだ。つまり匿名で質問することが公正と見なされることがあるかを聞こうとしたのである。

SNS上で匿名で発言することが社会正義にかなう場合があるのか?

これが「プチ炎上」した。公正でないという言葉は難しそうなので「ずるい」という言い方にした。これは反発されるかもしれないと思った。だが、当初の予想と全く違っていて反発されたのは「社会正義」というワードのほうだった。

Quoraは基本的に実名制のSNSなので匿名発言が非難されることが多い。最初の二つの回答はここを先回りして「匿名がずるいと非難されることは知っているが」と匿名制の弁護をしている。その時に「正しい意見というのは誰が言っても同じはずである」と言っている。これは個人がどう「公正」を考えるかではなく、集団としての「正解」の概念だ。集団で正解が決まっている問題ならそもそもSNSで議論する必要はない。

次の人は社会正義というのはテロリストかクレーマーの言説だといっている。アメリカ人が平気でJusticeという言葉を使うのと全く対照的でつまり個人で主張を持つ人は危険極まりないと言っている。

その次の人は「社会正義とずるい」という連想から感情的な反発を見せているのだろう。そのあとの説明は像を結ばなくなってしまっている。

さらに漫画を使って「SNSで匿名の意見表明をすることをずるいというのは何事か」と反発しさらに次の選択肢の社会正義という言葉も「曖昧でよくわからない」と言っている回答もあった。この質問は二つの選択肢を与えて質問しているわけだが、これを別々の主張ととらえどちらにも反発を覚えているのである。

三人はある程度冷静に自分の意見表明をしている。SNSは所詮役に立たないので直接行動すべきだと言っている人や「また個人としては構わないが集団に利用される可能性もある」と警戒する人もいる。

最終的に匿名で個人の感想を言うのは構わないのだが、集団に及ぶ社会正義と言う言葉がでてくると却って警戒されると言う人がでてきた。つまり問題の二者択一構造が間違っていると言う。おそらくこれが最も冷静な回答だ。おそらく誰かが集団の正解を偽装しようとして匿名を装うのだと言っているのだろう。

日本人は学校で「とにかくこれが正解だから」というものを暗記させられて個人の考えを表明できない文化である。社会人になる前の儀式としてSNSを封鎖する人も多い。就職担当者に「個人の意見を持っている扱いにくくて危険な人物である」と目をつけられないようにするための予防安全措置である。だから日本の社会人はそもそも匿名でなければ自分の意見が表明できない。何かを変えたいならなおさらである。

アメリカ人が過度の合理性や個人主義からの脱却に戸惑うように、日本人は集団主義の脱却に苛立っている。そしてそれを怒りとして感じるのでますます政治議論が荒れる上に自分の意見を代弁してくれる陰謀論に心酔してしまうのだ。

ここに他者に対する警戒心(例えばだれかが世論を操ろうとしてるとか質問に偽装して主張を埋め込もうとしている)などが加わるととてもではないが自分の意見など表明できなくなる。Twitter議論が荒れる原因だ。

アメリカの政治は二極化していていると言われる。「社会はなぜ左と右にわかれるのか」では、共和党は人々の道徳心に訴えているからアル・ゴア、バラク・オバマに比べて共和党の方が訴求力が強いとしていた。つまり個人主義社会から見て集団主義の方が訴えかける力が強いと言っていた。

たしかにジョナサン・ハイトの主張はその通りではあったのだが、その行き着いた先が情動にのみ訴えけるトランプ大統領だった。ドナルド・トランプはアメリカ政治を陳腐なリアリティーショーに変えてしまい、国会議事堂襲撃事件を引き起こすまでになる。この現象だけを見るとアメリカの集団としての道徳保持力にはかなりの問題がある。集団は個人の中に眠っていた破壊衝動を呼び覚ましてしまっただけである。

一方、日本人は小さな集団の中では比較的合理的に判断できるのだろう。また日本の集団主義は抑圧的に働くので暴力性が陰湿な言葉でのいじめとして出現することはあっても暴力に発展することはすくない。

アメリカと日本を比べてると両極端だなあと思えることが多い。アメリカ人の集団主義には問題があり日本人は個人主義になりたくても慣れないと言う苛立ちを抱える人が多いのだ。

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