広報官に女をあてがっておけばそれで満足だろう?と考える菅政権

会食官僚処分が続いている。総務省に続いて農水省でも処分者が出るという。官僚たちは「政治家から怒られなければ何をやってもいいのだ」と考えていることがよくわかった。同時に政権にとっては使用人の身分なので政権が勝手に切ってもいいということになっているのだろう。

いずれにせよ官僚の志が日本を引っ張ってきたという時代は遠い過去のものになったと言って良い。

一方で守られた人もいる。「会食を断らない女」として有名になった山田真貴子広報官である。すでに総務省を退職しているため処分の対象にならなかった。給与を自主返納し国会での審議にも応じた。反省しているとは言っていたようだが「うまく誤魔化した、乗り切った」と考えているのではないだろうか。




官僚に志があるのなら「心を入れ替えて頑張ってほしい」と思うのだが、このような調子ではサンドバッグになっても致し方ないかなと思える。

世論がこれで納得するかしないかは読みきれない。世論は機嫌が悪ければ八つ当たりの対象として政権政党を叩く。おそらく最初に叩かれるのは菅政権ではなく地方議員であろう。北九州市議会選挙に加えて大分市でも自民党の現職市議が3名落選したそうだ。動揺する議員たちが出てきそうだ。

この中で気になった発言がある。あまりにも前時代的なのだが、おそらく言った当人はそうは思っていないのではないかと思える。

「今後とも職務で頑張ってほしい。女性の広報官として期待をしている」と語った。

菅首相、山田広報官に続投指示 長男の接待関与を陳謝

つまり「女性であれば誰でもいいんでしょ?」と言っている。裏を返せば日本の女性は「女性」というラベルでしか見られていないということになる。女であるからという理由で出世競争から外され女であるという理由でポジションに添えられる。「数さえ揃えておけばいいのだろう」ということになってしまう。

しかしこれが菅義偉総理の感覚なのではないか。現在72才だそうだ。

村社会を暮らす日本人は「自分ごと」と「他人ごと」を明確に区別している。自分ごとに関しては様々な計算が働くのだが他人ごとに関しては恐ろしいほどに鈍感である。こうした認識のズレが森元会長の「いわゆる女性蔑視発言」につながった。そして同じ感覚を菅総理も共有している。

こうした村落的な共感能力の欠如が老化による衰えなのか生来的なものなのかはよくわからない。だいたい60才前の人はもはやこういう言い方はしない。政権選択・交代というよりも世代交代してもらったほうがいいのかもしれない。

もちろん「会食官僚」たちも50代だったりする。山田真貴子広報官が60才になったばかりという年齢だそうだ。「私はシステムに守られている」という意識が共感能力の欠如をより顕在化させると考えることはできそうだ。こうした人たちが淘汰されるためにはやはり一度政権が大きく変わる必要があるのだろう。

もちろん立憲民主党などの野党に任せても満足がゆく政治にはならないかもしれない。それでも今のままでいるよりはましなのではないかと思える。だがおそらく重要なのは世代交代であろう。

もちろん、世代交代が全ての問題を解決するわけではない。この雰囲気は実はバブル期によく似ている。あの時の政治家たちは未公開株の問題に揺れていた。自民党は後手後手の対策を出すのだが効果は出ず最終的には細川政権誕生につながった。

細川護熙さんが1938年生まれで故羽田孜さんが1935年生まれだそうだ。1990年代の政権交代時の主役もまた50代だったのだが、彼らが政権に定着することはなかった。2009年の民主党政権の主役は60代前半だったがやはり定着しなかった。つまりこの年代の人たちがシステムを変えてくれるわけではない。単に老廃物を押し流すくらいのことにしかならない。

現在の問題は「たかだか」7万円会食である。ちょっとしたワインを開けただけでそれくらいの接待になってしまうそうだ。同じような構造があり似たような経緯を辿りそうだが、昭和・平成から令和に至る過程で我々の経済はかなりみみっちいことになっている。

総括なき政治はこうして縮小・劣化コピーを繰り返しながら延々と続くのかもしれないと考えるとかなり暗澹とした気持ちになる。だが、それでも前に進まないよりはマシなのかもしれない。

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