習近平国家主席はなぜ世界各国との間に軋轢を生んでいるのか

私が管理しているQuoraのスペースでこんな投稿があった。台湾は清が征服した。清は満州系の国家だ。だから台湾が中国の一部であるというのは無理があるという。

こういう投稿には中国系の人から「清の後継国家は中華人民共和国であるから云々」という反論がつく。そして解決しないままで終わりになってしまう。このスレッドもなんだか噛み合わないままで会話が続き気まずい感じで終わっている。

介入しようかなと思ったのだが面倒になってやめてしまった。スペースでは自分のブログは宣伝しないことにしているのでこの投稿を紹介することもないわけだが一応整理しておきたい。キーワードは「一つの中国」という幻想である。




まず中国とは何かという点である。唐は鮮卑系だったという話がある。つまり中国というのは漢民族だけが作った国ではない。もっと言えば中国という連続した国はない。だが、世界史の教科書には中国史があるし代々の中国系の王朝も「自分たちは中国の伝統を引いている」と主張する。

中国には「正史」というものがあるのだ。正史は征服した王朝が自分たちの統治を正当化するために作った歴史である。中国は「正史」によって一体にまとまった社会・歴史概念である。

ヨーロッパにはローマ・カトリック教会があり教皇が各王朝を正当化してきた。中国にはこうした聖的な権威がないので自己申告で正当化していた。一番強い人たちが歴史を書く資格があったのだろう。彼らが話している言語がいわゆる中国語であり中華文明だが現代の中国語は清の時代に清の影響を受けて大きく北方化していることも知られている。連続はしていても変化し続けていると言える。

だから、唐が鮮卑系で清が満州系の王朝だったからといって「中国国家」でないとはいえない。彼らは社会的・言語的に同化しているし、歴史的にm正史の一部となっている。

血統が王朝を定義するという説を導入するとデンマークもノルウェーもグリュックスブルク人の国ということになってしまう。グリュックスブルクはデンマークからドイツに割譲されたシュレスビヒホルシュタインにある郡の名前だそうだ。イギリスも同様である。もともとフランスに占領された時点でフランス人の国になったといえそうだがそんなことを言う人もいない。ちなみに現在の王朝はザクセン=コーブルク=ゴータ家が改名したウィンザー家だが、次代からはグリュックスブルクの血の入った王朝になるそうだ。

ではこの議論は中国側の勝ちなのだろうかということになるのだがそうはならない。中国人のつくるお話が独特だからだ。彼らの理屈によるとこんなお話になるようだ。

清という悪い国があって、そこの人民が立ち上がって共同して作ったのが中華人民共和国である。その間に日本軍や蒋介石軍(つまり中華民国のことだ)もあったのだが、最終的には人民が勝利した。もう蒋介石軍もいないので中華人民共和国が中国の真の後継者なのである。人民万歳!

少なくとも大陸の中国人とお話をするときにはそれに合わせてあげないといけない。彼らは理屈を大切にするのでこれ以外のお話を聞くと怒り出し訂正しなければと躍起になってくる。それは普段温厚で知性のある中国人でも同じことである。「理」には正解がある。これだけは譲れないという一戦があり勝つまで議論を吹きかけてくる。これは日本人の保守よりも手強い。日本人保守は心情的に納得できれば細かい理屈は気にしないのだが、中国人はきっちりとツメてくるのである。

だがよく考えてみれば中華民国という国は今でも残っている。たんに中華人民共和国が大陸を力で簒奪しアメリカ合衆国などが追認したに過ぎないとも言える。アメリカとしても一つの中国原則にはさほど興味がない。単に貿易ができればいいがそのためには外交関係があったほうが便利である。結果的に共産党が勝ったのだからそれを認めたほうが色々便利だろうと考えているのであろう。

中国はこだわっているが西洋は気にしないという程度のフィクションなのだが国連が認めてしまったことで正当性が追認されてしまったということになる。日本もこの流れに追随して中華民国との外交を断絶してしまった。

一つの中国原則というのは政治・外交的には中国には国は一つしかあってはいけないという主張だそうだ。中国側の主張によれば中華民国も同じことを言っているということなのだそうだが問題はそこではない。そもそも「中国という概念上の存在」があり「それを清から正当に引き継いだ」というためには「中国は一つでなくてはならない」ということになる。

おそらくこれが核心的利益の正体なのだろうと思った。そういう理屈にしないといろいろ辻褄が合わなくなる。だからそれはなんとしてでも守らなければならないと考えるのが中国人なのだ。

この結論だけを見ると今度は「中華人民共和国の統治に正当性がない」というような結論が得られそうである。

そもそもある国を別の国を正当に引き継いだとはどういうことなのか。日本は江戸時代に不平等条約を結ばされた。これを回復したのは明治政府である。つまり明治政府は江戸幕府の法的な義務を引き継いだ。そればかりか国民への債務も引き継いだそうである。つまり法的関係の継続性が重要である。国際社会はこれを「継承国家」という概念で整理しようとしているようだが必ずしもうまくいってはいないようである。Wikipediaの記述に頼ると第二次世界大戦後に議論され始めたそうだが今でも明確な定義はないそうだ。

西洋は自分たちの権利が守られるかということを重要視するので「誰がその国の正しい歴史を書く」かなどということに興味はなさそうだ。だが中国人にとってはそれが大問題である。だから我々西側の人間には彼らの核心的利益という考え方が良く理解できない。

しかし中国人にとってみればとても大切なことである。この正史を書きたいというのが習近平国家主席の野望らしい。別の人からは習近平が仕掛ける「清朝」歴史戦争というコラムを紹介してもらった。2003年に清史を書くプロジェクトがスタートしたらしいが習近平国家主席がこれを利用したのだという。

このコラムでは彼の考えに合わない外国の研究者が攻撃されていると書かれている。これが中国人の面白くまた理解し難いところである。つまり歴史の見方は多様であってはならず権力者が支配しなければならない。そして自分が支配していることを議論に勝つことで力で証明しなければならないと思ってしまうのだ。

つまり彼らにとって「理」とは勝つか負けるかの戦争なのである。実際にこの彼らの「理」を基にして台湾(中華民国)を国際機関から排除し、共産党の統治に反対する少数民族メンバーを排除し、香港に愛国心を押し付けている。ある種の狂気さえ感じる。

だが面白いことに彼のこの考えは教養のある中国人からも支持されている。つまり彼らにとってナショナリズムの行き着く先は彼らが考える「理」が勝利した世界と言えるだろう。

おそらく中国が世界の異物になっている原因はこの辺りにあるのだろう。他の国は通商ができればその国の政府がどのように正当性を組み立てているかなどということは気にしない。結局過去の約束を誰が守ってくれるかということだけが重要だからだ。

例えばアメリカ合衆国はよその国に民主主義は押し付けるが自分たちの民主主義の理念は自分たちが解決するべき問題だと考え他国の承認を必要としない。

だが中国だけはそうではない。彼らが考える世界の理屈に相手が合わせてくれないと考えると大声で反抗を続けるのである。

今回色々と調べてみて「普通に中国人と接するときには政治と歴史の話はしないほうがいいな」ということがわかった。「理」が彼らにとって重要だということはわかるが、それに付き合う義務は我々にはない。遠巻きに見ているのが良さそうである。

唯一疑問が残ったのは台湾の人たちがどう考えているかである。世代交代を起こしていて意識としては随分と変わってきているのではないかと思う。ただ、台湾人は大陸人のように声高に主張はしないので彼らが何を考えているのかはわからないままだった。台湾には言論の自由があり実利的に物事を見ているのだろうと思う。

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