実はすでに外資に侵食されているフジテレビと行き詰まる日本の放送行政

本日のテーマは菅総理大臣の長男がきっかけに露見した電波行政における日本政府のガバナンス不在である。実はフジテレビの実質の外資比率は32%なのだそうだ。これは総務省も知っているのだがたいした問題にはなっていない。




先日、東北新社で外資規制違反があった。もともと総務省は「法律にグレーゾーンがあり」という説明していていた。つまり「違反かどうかよくわからない」と言っていたのである。ところが総理大臣の息子が関与しており政権批判に利用されるようになると「申請の仕方が全体としてまずかったため」という理由で法律の不備を議論しないままで免許を停止することになった。これで問題は解決したはずだった。

この時にどちらともなく出たアイディアが「子会社に継承させればいいのでは?」という指導だった。ただこの時点ではなぜそんなアイディアが出たのかということまでは議論が進まなかった。

ところが今度はフジテレビでも同じような問題が見つかった。今度は「もうすでに解消しているから」という理由で免許停止は行われない方針だという。フジテレビという大きな放送局が「些細な違反」で停止になってしまうのは確かに社会的影響・経済的影響が大きすぎる。

問題は二つある。東洋経済の記事を元に整理する。

一つ目は監督官庁である総務省が違反している会社が申告してこない限り違反に気が付けないという点である。二番目は違反状態を監督官庁がらみで隠蔽した上で状態を元に戻せば政府には情報が上がらず国会が気が付けないという点である。

つまり、官僚は放送局を管理できておらず国会は官僚を管理できない。この状態が堂々とまかり通っている。窃盗をしても泥棒自身が申告してこなければ気が付けないし、見つかる前に棚に戻しておけば罪にもならないというような状態である。

ところが実はこれは問題の本質ではなかったようだ。東スポが「各テレビ局はホールディングカンパニーを通じて外資を受け入れている」と書いている。つまりフジテレビを子会社化することで「外資ロンダリング」をしていたのである。これは公開されていて与野党議員ともに知っている事実らしい。

つまり総務省の出したアイディアには元ネタがあったのだ。もし仮に地上波もやっているのだからオタク(東北新社)もどうか?という提案があったとしたら、それはもう墓場まで持ってゆかなければならないだろう。総務官僚の更迭・大臣の更迭だけでは済まない。

日本の企業は日本のテレビ局を支えられなくなっている。だが外資が報道を乗っ取るのではないかという不安もある。このために官民で編み出した方法がホールディングカンパニーを通じてロンダリングするといういわばごまかしだったことになる。誰もが知っていて黙認してきた。

日本の放送行政は事実上崩壊しているのだが野党が政局に利用する以外の目的でこれが問題になることはない。与野党共に政権維持と奪取だけだけが自己目的化している。だれも統治とマネジメントには関心がない。総務官僚出身の立憲民主党議員も複数いるので「知らなかった」ということはないだろう。だが誰もこの問題を追及しなかった。

この話はおそらく「それでも外資は規制すべきか」という議論になる。感情的には「外資は規制すべき」という話になるだろうが「では一体誰が残りの金を出すのか?」という議論で皆黙り込んでしまうことになるはずだ。リスクは怖いがコストは支払いたくないとなった時にどことからともなく出てくるのがじゃあごまかしてなかったことにしてしまおうというアイディアである。

週刊文春はえらいものを掘り出してしまった。

この危ういバランスをかろうじて保っていたのが総務省の一部の官僚だったことになる。また立憲民主党の追及議員も子のスキームの元ネタを知っていて触れなかったのだろう。だから、結果的に総務官僚の胸先三寸で放送行政が支配されることになってしまっている。では「これはいいことなのだろうか」ということになる。

話はここで展開する。NHKがクローズアップ現代プラスを停止するかもしれないという個人ブログが話題になった。ジャーナリストやリベラル系の識者たちがTwitterで騒ぎ始めNHKは抗議の意思を示した。

ここでわかったのは「籾井勝人ショック」がまだ収まっていないということだった。安倍総理時代にアポイントされた籾井勝人元会長が「 政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかな」と言い放ちその後も放言が止まらなかった。籾井会長が退任してもこうした漠然とした不安が残っているのだろう。

NHKは政府の広報機関ではなく独自の報道機関だと位置付けられている。これはGHQの方針だった。大本営発表をそのまま垂れ流すNHKの報道姿勢が戦争の原因になったと考えたGHQは政府から報道機関を切り離し「電波監理委員会」をおいたとNHKのウェブサイトにある。つまりGHQは自由な報道こそが民主主義を担保すると考えたのである。同時に企業が報道を支える形の民間放送も作られた。つまり日本の民放はそもそも民主主義を健全に発展させるための装置として作られた。

Wikipediaの電波監理委員会の項目を見ると、その後も独立した電波行政管理機関の設置が議論されていると書かれている。だが、電波利権は郵政省の管轄として温存されてきた。中央省庁の改変に伴って総務省の部局となり現在に至る。

安倍政権の中途半端な人事介入のためにクローズアップ現代はリベラルにとって最後の砦扱いされている。TBSでいうところの「報道特集」のような感じだ。こうなるとNHKはクローズアップ現代を店じまいしにくくなる。だが、よく考えて見るとクローズアップ現代以外でも政府を批判する番組を作っていいはずだ。おそらく「NHKは政府批判をしなくなっているのではないか」という疑念がありクロ現が「象徴」として扱われるようになっているのだろう。

NHKは政府広報に徹して民放が政府批判を担当するという手もある。ところが民放は外資なしには成り立たなくなっている。独自の民主主義は守りたいがコストは支払いたくない、いや経済に余裕がなくコストが賄えないという情けない状態にある。

それにしてもどうして複数の問題が癒着してしまったのだろうか。それは誰にもわからない。

確かに言えるのは「その時々に問題を議論して解決してゆけばよかった」ということである。問題を先延ばししている間に様々な問題が癒着し一つのタールボールを形成している。これが漠然とした不安を生み、現場のジャーナリストたちを不安な気持ちにさせている。

色々な要素が複合的に今の曖昧で不安な状況を作り出していることがわかる。

  • 日本人が本当に自由な言論や民主主義を守りたいと思っているのかがよくわからないし、そのためにどこまで負担を増やす準備があるのかもわからない。日本経済は放送局を支えられなくなっている。
  • どのような電波行政のあり方が日本式の民主主義を守るのかという議論ができていない。議論できたとしてもそれが実行できる保証はない。
  • 総務省は利権を確保したが実際に電波行政を統治できていない。また実際の権限はない。したがって根拠を曖昧にしてごまかすしかない。さらに官僚を統治しているはずの国会議員にも見識がなくどうすべきかということが決められない。

こうした漠然とした不安が一つの形を結んだのがクローズアップ現代の存続問題だった。だが改めて考えて見ると「クローズアップ現代」の放送枠を死守したところで日本の民主主義とジャーナリズムが安全に確保されるわけでもない。単に象徴として扱われているだけなのである。クロ現を守ったから日本の民主主義が守られたと言いたいだけという人もいるだろう。

問題の本質はもう見えない。繰り返しになるが様々な問題がそれぞれ癒着してタールボールを形成しているからである。

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