「電波行政」をキーワードにアンチが湧いてくる理由を考える

先日東北新社の電波行政をキーワードにカラまれた。面倒になってブロックしたのだがついでにアンチについて考えた。




日本の電波行政はかなりおかしくなっている。だが長年意思決定を先延ばしにしてきたために要因は複雑だ。遡ってゆくとかなり根本的な部分に行き着く。そもそも民主主義が成立するためには放送行政が政府から独立していなければならないという考え方がある。政府を健全に批判するジャーナリズムが必要だからである。そもそもここから考えなければならないのだがこれはかなり面倒くさい。

そもそも日本人がある程度の集団性志向を持っていて誰かが誰かを監視するという個人主義的な考え方に馴染みがない。放送と政府は持ちつ持たれつという考え方があり癒着が起きてしまう。さらに経済が斜陽していて国内資本が放送局を支えきれていない。かといって市民が放送を支えようという運動も起こらない。できたとしてもせいぜい「赤旗」規模だろう。つまり間が民主主義を維持できないほど日本の経済は傷んでいるのである。

根本原因を考えるのはかなり面倒くさい上にニュースは次から次へと流れてくる。さらに誰が意思決定者かがわからないために責任の所在がわからない。また何があるべき姿なのかということも想像できない。成功事例を知らないからである。

だから、誰に何を要求していいかわからない。

そこで不快な思いをしている人は仮想敵をを倒すことで「あたかも問題の解決をした」と思い込みたたがるのだろう。問題を解決することなしに問題を解決したというカタルシスが得たいわけである。そこでその話題を取り上げた人があたかも自分と敵対的な思想を持っているかのように思い込んだ上で突進してくる。

これがアンチの基本的なメカニズムのようだ。

こうした状況下では「わかりやすく問題を解決しようとすればするほど」アンチに絡まれることになる。人々はとにかく「攻撃する材料」を見つけようとしているからである。一時期池上彰叩きが横行した。池上彰さんはニュース解釈をしているだけのことが多いが、素材の選び方だけで攻撃されることがある。あえて問題のあるものを解説するとそれだけで「気に入らない」と叩かれてしまうのである。

状況がここまでエスカレートしてしまうと、そもそも問題を分解しようとしただけで絡まれるのだ。お互いにもがきあって溺れてゆくという悲惨な状況になっている。

ここまでは政治素人の我々レベルの話だがプロの世界でも同様なことが起きているようだ。

立憲民主党が「安倍政治を許さない」に堕ちていったのは党内がまとめきれないからである。彼らは例えば憲法第9条問題一つを取っても意見集約はできない。最近も長野の選挙区で今日佐藤との共闘をめぐってもめていた。だから、あえて外に敵を作って「政府が気に入らない」と言い続けている。

安倍総理大臣は自信たっぷりに「あたかも自分が森羅万象を統括している」ようなことを言い続けていたのでまだ攻撃がしやすかった。菅総理は単に問題をジャグリングしているだけで何も解決はできていないことがわかっているので攻撃しがいがない。だが、それしかできなくなってしまっている。

立憲民主党は自民党が辞めれば問題は解決すると言っている。おそらく彼ら自身もそれは信じていないのではないか。だが、いったんそう言いだした以上後には引けない。このまま誰にも支持されず同じ主張を繰り返すか、あるいは視点を全く変えて「一人一人の問題解決を目指す」政党にならなければならない。立憲民主党が「あなたのための政治」を目指す兆しはない。

「問題が解決できない」というのは分解すると

  • そもそも何が問題かわからない。
  • 問題はわかるが、何があるべき姿なのかわからない。つまりゴールが見えない。
  • ゴールはわかるがコストとベネフィットの整理ができないので決められない。

ということになる。実に様々なレベルがあるのだが、最後はやはり信頼の問題になる。

このため「やり方が悪い」から「責任者がやめなければならない」ということになってしまう。日本人は課題が分離できないと思うのだが、実は敢えてそうしている人も多いのかもしれない。

課題の抽出自体は簡単だ。問題を分解して扱いやすくすればいい。だが減点社会では意思決定した人が失敗した時の結果責任だけを取らされる。つまり意思決定のコストを一人で被ることになる。だから誰も問題を解決したくない。だから、そもそも課題を分離抽出したがらないということになる。こうして我々の社会は全ての意思決定を先延ばしするようになった。

結局、問題が解決しなかったときに結果的に責任を取らせるのではなく成果に報いなければならないということになる。社会主義的にコストを分担し、資本主義的に「リスクを取った人が儲けられるようにする」ことが重要なのである。

だがおそらく日本人は資本主義的にリスクを押し付け、成果だけは社会主義的に分配してもらおうと考えている。いわゆる自己責任社会である。自己責任社会では相手を攻め立てるだけのアンチが増えてゆき「だったら何も考えないでおこう」という人が増える。

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