自己責任・他罰社会のおかしなおかしな憲法議論

共同通信に気になる記事があった。コロナ対策が行き詰まりを見せる中で憲法に緊急事態条項を入れたいと考えている人が過半数いるという記事だった。二つのことを考えた。まず第一に「他罰主義・自己責任社会」についてである。そして次に過半数の恐ろしさを感じた。だが、ある指摘をされておかしなことに気がついた。




まずアンケートについておさらいをしておく。全国の18歳以上の男女3千人を対象に実施して有効回答は1839だったそうだ。数としてはそれほど多くはない。タイトルは「コロナ対応へ改憲「必要」57%」となっていて世論が緊急事態条項・改憲に前のめりになっているような印象を与える。ミスリードといえばミスリードだが最近は「読んでもらってナンボ」なのでこうした煽り気味のタイトルは実は珍しくない。

憲法記念日なので憲法について考えましょうということなのだろう。

コロナの議論にはよく「お店がマスク着用を指示しても聞いてくれないので行政が取り締まるべきだ」という議論が出てくる。どちらかというと「自分はちゃんとやっているが他人はやっていない」という認識が強い。不心得な他人はお上から罰せられるべきであるという他罰傾向の人が多いのだ。

一方で、困っている人を助けてあげたいという人はそれよりは多くない。これが自己責任社会である。飲食店が困ったとしても飲食店を職業として選んでいるのだから自己責任だから公費でそれを助けるのはいかがなものかということになる。

自己責任他罰社会だと「社会はどっちみち助けてくれないから自分でなんとかしなければならない」ということになる。これが現在の縮小社会を作っている。自分だけが備えればいい、あとは知らないという社会である。戦後すぐ生まれで公共に対する価値観が混乱していた時代に育った人たちの価値観なのではないかと思う。

一人ひとりが協力すれば大きなことができるはずだ。だが協力が抑制されると社会全体が成長できなくなる。企業は投資を控え個人は貯金を溜め込む。社会的ストックが死蔵される。最近のコロナ対策では協力が得られないばかりに感染拡大が止まらないというようなことも起こる。我々は戦争の呪いを受けていると言って良い。

だが、グラフを冷静に見ると実は補償をすべきだと言っている人も多いのだから、補償などすべきではないが他人を罰するために政府に強い力が必要と思っている人は実はそれほど多くないはずである。だが「補償」に関しては意見が分かれており「どちらが正しいかわからないから決められない」ということが起こるかもしれない。結局「少数の極端な人」の意見が世間一般の声のように響いてしまうのである。

この記事のタイトルは実は少数の人に過剰反応してしまっており、結果的にそれが多数であるというような間違った印象を与えている。

問題が複合的になればなるほど「極端な少数者」が大きな影響力を持つという可能性があるということになる。「民主主義は怖い」と思った。

この話題を持ち出して見て、最後にあることを指摘された。実は円グラフの下に「今すぐ憲法を変えるべきなのか」という質問が出ている。憲法を変えるべきだという人は実はそんなに多くない。聞かれたから「他人は信頼できない」という意見を披瀝しているだけの人が少なからずいることがわかる。

さらに憲法に強い関心を持っている人は1/4程度しかいない。興味がないというとバカっぽく見えるので「なんとなく関心がある」と答えている人が多いのである。

まとめると、よくわからないし面倒なことは考えたくないが、意見を求められたら「他人を抑圧しライバルを牽制する方向に答えておく」人が最も典型的だということになる。成長なきゼロサム社会に鍛えられた根っからの「村思考」が増殖しているのだろう。

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