5月10日は菅義偉さんが壊れた日

朝から衆参で国会中継をやっていた。たまたま蓮舫代表代行が質問をしているところを見たのだが「菅総理が壊れゆくところ」を目撃することになった。ということで5月10日は菅さんが壊れた日である。

蓮舫代表代行の様子がまず何処か違っていた。普段からきつい印象がある人だがこの時はどちらかというと宿題をやらない子供を諭すような様子になっていた。まず現状認識を問い、そこから「ワクチンだけでなくスクリーニング検査も充実させないとダメですよね」というところにつなげてゆこうとしてい他のではないかと思う。だから序盤は単に前提を共有すればいいのである。共通基盤がありそこから議論が展開する。当たり前の話である。

だが菅総理大臣の様子が何かおかしい。「緊急事態宣言は人流抑制に力点が置かれている」ということを説明ができなくなっていて意味不明な原稿を読むだけだった。さらにワクチンさえ行き渡れば……と口走る。

さらにオリンピックに話が及ぶとますますわけがわからなくなる。オリンピックところな対策の優先順位を聞いたからである。これはあとで「質問に答えていない」と報道されることになったのだがおそらくは、それぞれの問題の関係性が把握できず優先順位が立てられなくなり「質問そのもの」が理解できなくなっているのだろう。この辺りで場内がざわつき始めた。これがのちに「菅総理壊れる」としてTwitterで拡散した。




問題の構造自体は簡単である。おそらく安倍総理時代の菅官房長官は問題点を全て把握しその解釈も全部決めて情報をコントロールしていたのだろう。ところがこれができるのは菅義偉さんがプロジェクトマネージャーだったからである。複数のプロジェクトを所管していたのだろうがそれぞれのプロジェクトは単体で成立していた。

総理大臣はプロジェクトマネージャーではないので全体を把握しなければならないのだが「菅総理大臣」はプロジェクトをそれぞれ独立に扱い、全てを自分でコントロールしようとする。そこに想定外のことが積み重なりシナリオが管理できなくなると全体の優先順位が立てられなくなりフリーズしてしまうのだ。

こうなったらコーチが「菅選手退場」を宣言しなければならない。だが菅選手は菅監督が起用している。だから退場できなくなっているのである。

このため例えば「オリンピックと一般の国民の命のどちらが大切なのか?」という質問に答えられない。それぞれ別々の事象だからだ。だから「オリンピックはバブルになっていて安全である」と言い続け「高齢者のワクチン接種はうまく進む」と言い続けてしまう。つまりプロジェクト単体の話に終始してしまう。

ゲームの全体像が見えなくなっているため、折れたバットを振り回し「塁にさえ出られれば点数が取れるんだ」という状態になっている。

これまで、総理大臣をオーケストラ指揮者に例てきたが、監督がバットを持って打席に立っているようなものだと言い換えてもいい。打者は「ここでホームランを打たないと負ける」とばかりにとにかく目の前のボールを打とうとしている。

安倍総理は「菅総理の菅官房長官はいない」と言ったが、実はこれは逆である。「菅選手」を管理する「菅総理」がいないのだ。優秀な選手だったがゆえの苦悩だろう。

48億円の無駄のところでも見たのだが、菅総理とその側近が当事者としてプロジェクトを抱えてしまうと周りにいて専門知識を持っている人たちがプロジェクトから撤退してしまう。傍観者となった彼らは予算も与えてもらえないので「問題が解決しなくても仕方がない」ということになってしまうのだ。後に残るのは顔色を読むことに長けた人ばかりで全く何の役にも立たない。バッターボックスに選手が居座っている限り別の選手がバットを振ることはできない。早く退陣させるべきである。

マスコミはそのような取り上げ方はしなかった。二つの極端な切り取られ方をした。1つは「蓮舫代表代行が絶叫する」シーンの切り取りだ。これは実に絵になる。総理大臣は国民の命よりオリンピックを優先していると切り取った人たちもいるし、逆に蓮舫代表代行が感情的に総理をいじめていると切り取った人たちもいる。日本全体が問題解決よりも「誰が正しくて誰が悪い」というマインドセットに支配されている。出口が見えないからだろう。

もう一つの編集は蓮舫代表代行と菅総理の答弁をうまく切り取ってあたかも質疑応答が正常に行われているかのように仕立てたものである。アナウンサーの原稿の尺に合わせるとこうなってしまう。

いずれにせよ、プレーイングマネージャーとして国難に挑んだ菅総理はついに全体の優先順位が立てられなくなり国会で壊れてしまった。誰かが羽交い締めにしてでもやめさせなければならないと思うのだが野党が躍起になればなるほど意地になって今のプランに固執してしまうという悪循環に陥っている。

今の日本に最も必要なのは、塁に出る見込みのない菅選手の肩を優しく叩き「あなたは負けたのだからももうバットを振り回さなくてもいいのだ」と諭せる人だろう。後継は誰でもいい。優秀な人材はたくさんいるのだから、それを俯瞰できる人の方が良いのではないかと思う。選手として優秀だった人は自分のやり方に固執する。できるだけ凡庸なリーダーを選ぶべきなのかもしれない。

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