一見強気だが実は煮え切らない朝日新聞のオリンピック中止論

公式スポンサーである朝日新聞が東京オリンピックの中止に言及したという記事を読んだ。朝日新聞の社説を読んでみたのだが、一瞬何を書いているのかよくわからなかった。そこで白い紙を取り出して論を抜き出してみたのだが「あれ朝日新聞ってこんなにひどかったっけ?」と思った。論文になっていないのだ。




  • 【事実】曖昧な予想緊急事態宣言の再延期は避けられない。
  • 【主観】オリンピック関係者はオリンピック開催に突き進んでいるように見える。
  • 【主観】IOCの言い方もなんだか独善的に聞こえる。
  • 【万人ウケしそうな価値観】もちろん選手も大切だが市民の方ももっと大切なのではないか。
  • 【曖昧な予想】多くの人が集まってまた世界に散ってゆくのだから何か危ないことがあるのではないか。
  • 【曖昧な予想】関係者は選手やコーチなどの行動は完全にコントロールできると言っているが、そうでない人たち(おそらくジャーナリストなどを言っているのだろう)もいるのではないか。
  • あとはやらない理由を探している……

おそらく朝日新聞の読者が好きそうなクオリティペーパーが中止に傾いていることから「バスに乗り遅れるな」とばかりに中止論に乗っているのだろう。公式スポンサーなのだから「やはり最終的にはやって欲しいと思っているんでしょう?」と言われることを恐れているのかもしれない。

科学的にもオリンピック対策が不十分であると指摘されてしまったのでおそらく今後日本政府は国際的な批判にさらされることになるだろう。だったら早めにバスからは降りたほうがいい。つまり朝日新聞はボールを菅総理に投げて逃げたのだ。

ポジションを決めてそのポジションにあった理由を(曖昧なものも含めて)並べている。この時にポジションに合わない論や根拠などは排除している。さらに排除できないものに関しては「そうは言っているが信頼できない」と書いている。

例えて言えば離婚を決めた妻が色々な理由をつけて離婚したがっているといった感じである。各論はそれなりに整合しているが全体の筋がめちゃくちゃである。だが「ああもう結婚生活を続ける意志はないんだな」ということだけがわかる。こういう人に反論しても無駄だし説得も聞かないだろう。そんな調子である。

これまで日本人の政治議論を見ていて「日本人に政治議論は無理だな」と思うことが多かった。いったんポジションを決めたらその枠組みの中でしか思考ができなくなってしまうからである。とにかく、ポジションに合った証拠だけを集めてきたり自分のポジションに合うように解釈することが多い。結論ありきという人が多いのだ。そして問題から逃げることができれば問題ごと忘れてしまう。

これを書き直したらどうなるのだろうかと思った。

  • まず、最初に表題(オリンピックを中止すべきか)を置く。
  • 次に結論を書く。
  • 価値観を決めておく
  • 価値観に沿って課題を検討する
  • 結果を書く。

「菅総理に中止を求める」と強い姿勢で書いているのでなんとなく強い主張のように読めるのだが、よく注意して読んでゆくと「自分たちの価値観の提示」や「優先順位の提示」のようなものは一切ない。代わりに「私たちが信頼している人たちはみんなそう言っている」とか「そういう主張をしているがとても信頼できない」と言っているだけである。

こうした姿勢は日本に特有なものではないかもしれない。ディック・パウンド委員はこう書いている。

パウンド委員は電話取材に対し、「批判の一部は政治的なポーズであることが明らかになるだろう」と述べ、「総選挙が今年10月か11月ということは、選挙での事後的な立場表明に向けバックスイングしているのかもしれない」との見解を示した。

東京五輪開催すべき、批判の一部は「政治的なポーズ」=IOC委員

おそらく欧米でも先を見越して有利な方に乗って置くという人が多いんだろうなあと思う。

では「お前は賛成なのか反対なのか」ということになるのだが、オリンピック開催には反対だ。もちろん無事に開かれる可能性もあるだろうが、問題が起きた時に極めて強い国際的批判が起こるだろう。このコストが読めなくなった。

既に述べたように医学雑誌に中止が最も安全な選択肢かもしれないと言われてしまっているので政府は「問題を予見できなかった」とは言えない。政府は無限責任を取らなければならないがIOCはそれほど政府のことを尊重していないようである。彼らは自分たちのイベントが無事に開催されればそれで良いと考えている。

  • オリンピックでクラスターが起き「東京変異種」が世界中のワクチン未摂取区域に蔓延する。

というようなことがあった時に批判に耐えられないだろうし、これを防ぐための方策をIOCは受け入れないだろう。

くだんのディック・パウンド委員は文春の取材に対して「総理大臣も一個人」と言っている。日本の有権者が選んだ行政の最高責任者だがオリンピックという正義の前では単なる一個人に過ぎないと言い放っているわけだ。政府なんかないに等しいのだからIOCはやりたいことをやるのだといっている。おそらく彼らはそうするだろう。これは日本の国家主権に対する重大な挑戦だ。とても笑って許されるような話ではない。

仮に菅首相が『中止』を求めたとしても、それはあくまで個人的な意見に過ぎない。

IOC重鎮委員が独占告白「菅首相が中止を求めても、大会は開催される」

元々の原因は日本政府の説明不足にあるとは思うのだが、一旦こうした構図ができてしまった以上、もはや平和の祭典だと笑って許容するつもりにはならない。尊重してもらってこその「おもてなし」である。

朝日新聞は「公式スポンサー」として販促にオリンピックを利用してきた。タイトルがいかにも毅然とした書きぶりになっていてもこの程度の反対論しか書けないのも当然だ。彼らもまた推進者だった自分たちの総括はしたくないのだ。

その意味では朝日新聞らしいといえばらしい気はする。

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