非武装中立という夢物語はどのようにして生まれたのか?

非武装という概念と中立という概念がある。それぞれ別のことを意味するのだが日本では非武装・中立・平和主義として一緒くたに語られることが多い。また一緒くたに語られるので、議論の中では「スイスのような中立国は武装しているのだから非武装中立を唱える人たちは全てデタラメである」というような反論も普通にみられる。また立憲民主党はこうした主張を排除できず政権政党化の弊害になっている。

そもそも色々な議論をする前にどうしてこうなったのか?ということを考えてみたい。市民を取り込むための方便が次第に運動そのものを縛るようになったという事情がある。




検索したところ「再考・非武装中立論:日本社会党と朝日新聞」というPDFを法政大学のウェブサイトで見つけた。Googleってなんでも出てくるなと思った。朝日新聞にはあまり興味がないので社会党のところだけを読んだ。

かいつまんでいうと非武装・中立というのは要するに「アメリカと同盟するのが嫌だ」「今の自衛隊は嫌だ」という話らしい。ドキュメントの時系列をまとめた上で補足を追加した。

  • 1951年に全面講和(ちなみに日本が選択したのは西側諸国との間の片側講和だった)・中立堅持(日本が選んだのはアメリカとの同盟だった)・軍事基地反対・再軍備反対という平和四原則が出される。つまり社会党の平和というのはほぼ「アメリカなき日本」という意味である。ただ、これに反対して現実路線を強調する人たちもいた。
  • 1955年に左右合同して、護憲・民主・中立が提示された。右派はこれに反対していた。
  • 1964年までに右派が民社党が脱退してしまう。そのまま左派色が強いこの理念が固定してしまう。純化した社会党は安保脱退と自衛隊の再編を目指すようになる。
  • 1973年にはどの政党も政策を盛んに明確化するが、共産党は武装中立(アメリカとの同盟からの脱退)であり、公明・民社党がむしろ社会党に近かった。左派政党はソ連型の社会主義国家を作るためにアメリカとの同盟関係から抜けて便宜的に非武装中立を目指し、国民のコンセンサスが得られた段階で新しい社会主義体制が軍隊を新しく編成するというようなシナリオを用意していたらしい。その後この構想は成り立たなくなる。1989年にベルリンの壁が崩壊して同盟先がなくなってしまうからである。だが「アメリカが嫌だ」という人たちは残った。
  • 公明・民社はキャスティングボートを握り政権と協力する現実路線を目指すようになり、社会党と理念が相違してゆく。ただ、公明・民社・社会の連立構想はあったようだ。
  • 1994年に村山富市が政権の首班になるために自衛隊違憲論を取り下げる。ところがなぜか自衛隊合憲だったはずの右派が脱退しのちに民主党に合流した。社会党は再び政権から遠ざかるとなぜか違憲論者が社会党に残り、結果的に衰退した。一方で現実路線を取るようになった公明党が社会党に変わって自民党と連立するようになる。

例えばスイスは平地にある大きな国に支配されたくないというフランス系・ドイツ系・イタリア系・その他の山岳住民が作った国である。同盟は組みたくないので自分たちの身は自分で守る必要がありきちんと武装をしている。今でもEUには加盟していない。このため周囲の厄介ごとには巻き込まれないが自分たちの安全は自分たちで守る必要がある。

日本はアメリカの同盟を前提に独立し国会の承認を得ずに自衛隊の前身組織を作ってしまったために「とにかく目の前にあるアメリカの同盟から逃げ出したい」と思っている人たちがいる。Quoraで質問したところ、吉田政権当時から日本のスイスを目指せという論があったそうだ。占領時から「アメリカと日本が同盟すること」を阻止したい人たちが内外にいたのだが、そのまま東側の話を持ち出してしまうより、イメージが良いスイスがモデルとして選ばれたのだろう。日米同盟脱却も「平和」という文脈で語られるようになる。その後アメリカは朝鮮戦争やベトナム戦争にはまってゆくのでこの評価には一定の説得力があった。

こうして、非武装中立・東洋のスイス・平和という図式がなんとなくセットになって定着した。

理念的にはソ連と接近して「日ソ同盟」のようなものを作りたかったのだろうが、同盟を組むべきソ連が解体してしまった上に中華人民共和国も事実上共産主義を断念し「専制体制の資本主義化」してしまった。このため組むところがなくなってしまったわけである。社民党は「自分たちはヨーロッパ型の社会民主主義ですよ」などと宣伝していたが、日米同盟からの脱却という理念の総括まではしていなかったように思う。もちろん彼らには彼らの言論の自由があるが、支持するかしないかもまた国民の自由だ。

平和的非武装中立というのはソ連と同盟したかった人たちが方便として用いた嘘だったわけだが、あまりにも日本人の心情に合致してしまった。最終的にこの嘘から左派が抜け出せなくなってしまったというのが左派の国防理論だった。

嘘から脱却できなくなったデメリットは何か?という答えを探すのは容易い。

有権者は自民党の政治のやり方を変えたいと考えることがあり野党に期待をする。ところが野党の側に少なからずもはや実現不能な同盟脱却論を持った人たちがいることを知っている。これでは代替政党として期待できない。

もともとリベラル系保守政党だった民主党はそれだけでは成立し得なかった。自民党の派閥争いに負けた彼らは当初「左派や市民団体は利用できる」と考えたのだろう。だが、結果的に振り回される形になっている。もちろんこうした人たちを「排除すべき」とは思わないのだが「もはやこうした話は成り立たないのですよ」と説得するべきなのではないかとは思う。そのためには歴史を知る必要があるが、今の左派政党を支えている市民団体はほぼ高齢者クラブだ。おそらく説得は難しいだろう。

「戦争は汚いから関わりたくない」という素直な庶民感情を取り込んでしまっているところに成功の要因がありそれが支持者の高齢化に伴って失敗の原因になっている。公明党にも似たような歴史があるので憲法改正議論を嫌がる。現世利益を追求している間はいいのだが憲法議論になると総括していない過去と向き合わざるを得なくなるからである。街中に貼られているポスターには山口代表が勝ち取った現世利益の一覧がわかりやすく表示されているが安全保障に関する話はあまり書かれていない。

Google Recommendation Advertisement