ついに「血塗られたオリンピック」に……

ついにJOCから犠牲者が出た。JOCでお金を扱っている経理部長という役職だったそうだ。これは日本の分水嶺だ。たくさんの「誰か」の欲望のために一人が犠牲になっても構わないと考える社会を生きて行くか、それとも個人が犠牲になることは許されないと多くの人が立ち上がる社会かである。JOCの山下会長は「詳細はわからない」と繰り返したそうである。自浄作用は期待できないだろう。




東京オリンピックまで45日というタイミングである。おそらくテレビはあまりこの問題を取り上げたくないだろう。テレビ局もこれまでの「民意優先モード」から「お祭り優先モード」への切り替えを狙っているはずである。経済が冷え込みビッグイベントと大手の広告収入に依存するテレビ局はこの動きに水を差すような報道はしたくないと考える。だが、これがネットを活気づける。色々な仮説が飛び交っていた。

TBSもその一つだ。安住紳一郎アナウンサーをメインパーソナリティにして日曜の朝からオリンピックへのカウントダウンをやっていた。このままメインMCになることが決まっているそうである。最近では橋本聖子会長が出演して「悩みながらも実現のために頑張る」という姿勢を打ち出したばかりである。

皮肉なことにTBSが一致団結してオリンピック推進に動いているわけではない。報道特集がオリンピックの人件費が膨らむカラクリについて取材をしていた。内容は「政府は民間契約には守秘義務がある」という理由でこの人件費について説明していないが、どうもかなりずさんな請求が横行しているようだという内容だった。広告代理店の経費内訳が提示され「人件費が高額である」というようなことをやっていた。

その中に匿名の男性が出てくる。経理に詳しいようだ。オリンピックは公費助成を様々な形で派遣事業大手や広告代理店に流してきたことは確かなようだ。だが、普段厳しく税金の使い道を管理している職員たちから見るとこのずさんな経営実態は許し難いものだったようである。放送があってから亡くなるまでの時間が短かったこともあって(日曜日を挟んで3日以内の出来事だった)つながりがあるのではないかと言われている。TBSがこれをどのように処理するのかが注目される。

繰り返しになるが、報道特集は誰を取材したかを知っている。この人が誰だったのかを明かしてしまえばおそらく多くの人に迷惑がかかることになるだろうが、明かさなければおそらくこの案件は闇に葬られかねない。難しい判断だ。

「赤木俊夫さんと似ているな」と思った人もいるだろう。上層部の人たちの欲望のために実務を押し付けられ心理的な圧迫を感じて亡くなってしまったということがあったとすれば状況は似通っている。

赤木さんは遺書まで残していたが「精神状態が悪かったのだろう」として当初は大きく取り上げられなかった。今でも決して注目されているとは言えないが詳細にドキュメントを残していたこともありその実態は次第に明らかになりつある。

JOC内部で今頃「経理部長のドキュメント探し」が行われているかもしれないなと思うとちょっとぞっとする。おそらくもう「人の所業」ではないからだ。

まだ明らかになっていないことが多いこの事件だが一つだけ明らかになったなと思うことがある。菅総理がオリンピックに固執する理由である。

JOCにはラミーヌディアク・パパマッサタ・ディアク親子に資金を還流させたという疑惑がある。この疑惑が報道されるとJOCは竹田会長を退任させて沈静化を図った。一部では資金捻出に菅総理(当時官房長官)の働きかけがあったと噂されている。決して菅総理が私利私欲のために動いたわけではない。むしろ上から命じられてなんとかする役割を果たしたに過ぎない。

安倍総理と森総理は師弟関係なので話ができる。だが菅総理は弟子の使用人なのだから森総理には進言できない。そして森総理とIOCがつながっていると考えると「使用人の分際」でIOCに働きかけをすることなどできないだろう。つまり菅総理にはIOCは止められない。だからディック・パウンド氏は「菅総理の思惑などオリンピックの開催には影響がない」と言い放つことができたのかもしれない。

おそらく政治・JOC側はこのお金の後ろ暗さを知っているはずだが「寄付をした」当事者は自慢げにこのことを吹聴して回っているのだという。確かにこの人から見れば単に有り余るお金を寄付しただけである。

セガサミーの会長から森喜朗元招致委員会・組織委員会会長が代表理事を務める財団にお金が渡ったことはデイリー新潮の取材でわかっている。セガ・サミーの会長は「アフリカ人を買収するのに金がかかるから少し融通してくれ」と菅官房長官に頼まれたと吹聴しているそうである。のちに一国の総理になる重要人物から頼りにされたのだ。自慢したくなる気持ちはわかる。

単なる個人のホラ話かもしれず証明のしようもないのだが、当事者たちが自分の手を見ればその手が何で汚れているのかというのはわかりそうである。

手がべっとりと汚れた人から見れば「俺がここまで自らの手を汚してやったオリンピックをコロナごときで潰されるわけにはゆかない」と思うのは当たり前だ。こうなると菅総理がなぜ魂が抜けたような目で意味不明な国会答弁を繰り返すのかということに合理的な理由が見つかる。

確かに「代わりがいない」とか「どうなるかわからない」という不安な気持ちになるのはわかる。だが、これ以上「一部の人たちを肥え太らせるために真面目な人たちが犠牲になる世の中」にはノーと言ったほうがいいのではないかという気になる。確かに直視したくない不愉快な事件だ。さらに疑って見て「実は違っていた」ということになれば告発した人たちが非難される可能性もある。だがもし仮にここで疑っていたようなことが起きていたとしたら、おそらくそれはどんどんエスカレートすることになるだろう。

オリンピックが終わった後に「実はあの祭典は血で塗られていました」ということがわかった時、我々はどんな気持ちでそれを受け入れればいいのか。

私にはわからない。

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