新型コロナワクチンはリアルトロッコ問題になった

TBSのニュースを見て「あっ」と息を飲んだ。新型コロナワクチンを接種した直後に亡くなった人がいるという。しかも130名を超えているそうだ。だがTBSの報道は極めて抑制的だった。この問題はリアルトロッコ問題になったのだなと思った。




走って来る列車(トロッコ)がある。多くの人が乗っている。線路には人が縛り付けられている。ポイントを切り替えれば人は助かるがトロッコに乗っている人は崖に落ちてしまう。さてどっちを助けるべきか?というのがトロッコ問題である。

この問題に接した多くの人は「そんなのは選べない」という。合理的に考えると一人の人を犠牲にして大勢を助けるのが良いということになるのだが、それは一人を犠牲にしろといっているのと等しいからである。

では現実はどうか。

新型コロナワクチンを多くの人が期待している。「これで孫に会いに行ける」とか「重症化しない」という安心感がある。また経済が助かるならワクチン接種は進めるべきだという意見もあるだろう。

さらにワクチンにはかなり強硬な反対派がいる。子供にワクチンを接種する予定だった伊根町には抗議の電話が殺到したそうだ。ワクチンの弊害を伝えることでこうした強硬なワクチン反対派を勢いづかせるのではないかという不安もあるだろう。

さらに官僚はワクチンに反対意見を表明しにくい。菅総理の頭の中は「早くワクチン」という声がこだましていることは誰の目にも明らかである。だからここでワクチンに慎重な情報発信をするというような選択肢は持ち得ない。

社会全体としてはワクチン推進しか選択肢がなさそうだ。では都合の悪い情報は全く隠蔽してしまってはどうか?

情報を隠蔽しているという批判が来れば大変なことになるだろう。だから厚生労働省は次のように説明している。つまり情報はたくさん上がっているがよく分からないので今のままで進めると言っているのだ。

  • ワクチン接種の後に亡くなった方がいるというのは知っている。
  • だが因果関係は証明されていない。
  • ワクチンで死者数が優位に増えたという知見もない。
  • だから意思決定には問題がない。

彼らは情報を森に埋める作戦に出た。細かい文字で「今回の対象期間(5月30日まで)に、139例の報告がありました。その後6月4日までには、さらに57件の報告がありました。」と書いている。これを踏まえてマスコミも「一応伝えましたからね」と言っている。5月あたりから死者が出ていることは報道されている。NHKを見たところ5月に二件の報道があった。

厚生労働省はずっと「調査中」とか「情報がないからよくわからない」と言い続けるのだろう。そしてマスコミはそれを伝える。ある種の共犯関係にある。

TBSの報道は統計情報ではなく個別事例に注目している。だがワクチンを止めろとも言えないので「政府が加速させるワクチン接種。接種との関連が不明のまま亡くなる人がいることも事実です」と結んでいる。最終的には自己判断で打ってください。伝えることは伝えましたよということなのだろう。

よく考えてみればワクチン接種を薦めることと問題を究明することは二律背反しない。この二つは別個の問題と考えた上で不測の事態を減らすか、あるいはリスクはあるが公共のために我慢してくれと説明するという選択肢がある。

おそらくコロナ禍が落ち着いた後で見直しが入ることは間違いがない。厚生労働省もマスコミもその時にワクチン被害に加担したと批判されることを予測している、そして矢面に立たされることを恐れているのだろう。

日本人にとって責任を取るということは社会的に抹殺されても仕方ないという運命を受け入れることだ。だから誰も責任を取りたがらない。

ベネフィットが大きいのだから「全体的にワクチン接種を進める」という大方針は間違っていないのだろう。だが、死者を分析すればなんらかの共通点が見つかるかもしれないというのも事実だ。科学的に考えれば集団免疫が重要なのだからリスクがある人を含めた全員がワクチン接種をする必要はない。

前のめりの菅総理の前では「情報を分析して発表しましょう」と言える人はいない。その意味では間違いなく菅総理による人災と言える。我々はワクチン接種というトロッコ問題に接している。実際のトロッコ問題では助かる人が多い方を容易に選んでしまうだけでなく犠牲者を無視する行動に出てしまうのだということがわかる。つまり意思決定した後で合理化をしてしまうのである。

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