責任を取らない人が生きのこる – 日本政府とみずほ銀行の意外な?共通点

みずほ銀行に関して日経新聞の二つの記事を読んだ。みずほ銀行と日本政府には共通点があるなと思った。責任を取らない人がトップに居座り結果的にユーザーに大迷惑をかけるという構図である。ではなぜこうした構図が生まれるのだろうか。考えてみた。




一つ目の記事は「みずほ、10年改革は振り出しに 外圧頼み「魂」入らず」である。

みずほ銀行は2011年の東日本大震災の直後に給与振り込みなど100万件超の入金が遅延する大規模障害を起こしているそうだ。ところが三社が合併してできたみずほ銀行はお互いのトップが「相手が失敗していなくなってくれること」を願っていて一体となった改革ができなかった。ライバルが消えてくれれば自分の都合のいいように改革ができるのだからそれまでは下を向いてじっとしていようということなのだろう。

2013年には反社会勢力への融資問題が発覚した。当初は「担当者どまり」とされた反社融資が、実は取締役会の資料に記載されていたことが判明したという。結局金融庁が入り委員会設置会社が設立された。こうして誰も責任を取らない企業に外圧が入ることで「誰かが改革してくれるだろう」という機運が生まれる。

2018年にもATM障害を起こした。今回と同じようにカードなどが吸い込まれる事故が1,800件も発生したそうだがこの時は発表さえされなかった。そして頭取が変わるというタイミングで同じような事故が起きて一気に表沙汰になった。当事者がいなくなった組織では最終的にマスコミネタになるところまで騒ぎは拡大した。

敵失文化では失敗から学ぶどころかそもそも失敗を共有することすらできない。成果を上げられない状態で主導権を握るには相手が失敗する以外ない。失敗したら容赦なく責め立てて椅子から引き摺り下ろすのである。

これが日本政府に似ている。野党は与党の敵失を狙っていて与党も悪夢の民主党政権などといって「民主党よりもマシ」ということを売り物にしてきた。お互いに罵り合いにしかならず政府は情報を隠蔽するようになった。日本政府では誰も学ばなくなった。

成長しなくなり成功事例がなくなった日本では同じようなことが色々なところで同じような問題が起きているのだろう。

外から見ると明らかなのだが、当事者たちには「何が問題なのか」が全く見えていないようだ。それがわかる記事がある。「みずほ、ほつれる縦糸と横糸 カンパニー制で責任曖昧に」という記事カンパニー制の導入について書いている。

誰もが敵失を期待する中でみずほ銀行が選択したのは企業風土を変えることではなく組織改変をすることだった。銀行や証券会社の中に「機能別のカンパニー」を作り収益責任もそこに負わせることにした。つまり銀行や証券会社を壊さずに「事業部」も立ち上げたのだ。

こうしたやり方そのものは珍しいものではない。マトリクス経営と書かれているが流行りのやり方である。NRIは「マトリクス組織は、組織機能の高度化に伴い、複数の目的を同時に達成しようとする意図を示した組織形態といえます。」と書いている。経営環境が複雑化た現在では経営環境が変わるたびに組織を改変していては間に合わない。Quoraで教えてもらったところによるとP&Gのようなグローバル企業では現地法人のようなエンティティとは別に製品別の組織を作り「縦糸と横糸」にしているそうだ。マトリクス組織の起源はおそらくグローバル適応にあるのではないかと思う。いずれにせよ既存組織とは別に事業部を作って目の前にあるチャンスに果敢に挑戦すること自体は間違ったやり方ではない。

日経新聞の記事を読むとあたかもマトリクス経営によって報告が遅れたというような書き方になっているが、最後の一節はこう締めくくられている。

みずほは再発防止の一環で、専務と常務の廃止など組織の見直しを盛り込んだ。「上と現場の距離を縮める」(坂井社長)狙いという。ただ現在の組織体制は過去の障害や不祥事を経てめまぐるしく変えた末にたどり着いたものだ。過去20年の歴史は、企業風土の改善は組織の構えを変えれば実現できるほど容易でないことを示している。

みずほ、ほつれる縦糸と横糸 カンパニー制で責任曖昧に

つまり組織だけ変えても企業風土が変わらないと意味はないですよねというまとめになっている。

冒頭で触れたようにこの「敵失を狙う文化」は恐ろしいほど今の議会政治に似ている。野党立憲民主党は与党自民党の敵失を狙っている。また自民党も悪夢の民主党政権などと言い自民党を悪し様に罵ってきた。成果を上げられなくなった組織では敵失に頼るしかなくなってしまうので執行者はできるだけ情報を表に出さず説明もしなくなる。

最終的に制御不能な失敗が起こるまで傍観が続くことになるだろう。例えばウガンダ選手団のチェックを誰もやっていなかったことが話題になった。これも誰かが責任を取ってくれるだろうという傍観体制が招いた悲劇だった。野党が関係者を呼んで聴取するまで当事者たちはこの傍観体制に気づいてさえいなかったようだ。選手団は一転濃厚接触者扱いになった。

企業の場合事故が起これば顧客の離反が起こる。ところが国には代替主体がないため「却ってしがみつき」が起こるという違いがある。安倍政権・菅政権のような説明しない内閣が生まれる背景にはこの敵失文化がある。また自民党の派閥の中にも同じような気風があり「失敗から学ぶ」ということが行われなくなっているのだろう。

みずほ銀行の失敗と今の政治状況は恐ろしいほど似ている。我々は失敗から学び前に進むことができなくなっているのだ。ウガンダ選手団の事例からわかるようにおそらくこれは災厄レベルの問題を引き起こすことになるだろう。

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