自由の日という社会実験

イングランドで新型コロナウィルス関連の規制が撤廃された。イギリスでは自由の日と言われているが様々な評価があるようだ。この自由の日を見ていると日本の未来が見える。政府と国民が新型コロナを過小評価し「運が悪い人」の病気に誘導するという未来である。

菅政権にとって全ての政策は支持率を上げるためにある。金メダルは国威発揚につながり自分たちの支持率を高めるから意味がある。つまり、オリンピックが国威発揚につながらないのなら支援しても意味がない。おそらくパラリンピックは菅政権にとって意味のない大会になるだろう。同じように新型コロナ対策やワクチンで「ヒーロー」が生み出せないならこれも意味がない。

だから彼らはそこから撤退したい。動機は極めて明確である。

ではどうやったら政権は新型コロナ対策から撤退できるだろうか。

イギリス全体を見ると5月末ごろから感染者の急激な拡大が起きていた。これはデルタ株の影響とみられる。この感染拡大は7月中旬ごろがピークになっている。だが死者数はそれほど増えなかった。これがおそらく「ワクチンの影響だろう」ということになった。そこでイングランド地方の規制をなくした。つまり政府が規制から撤退してしまったのだ。これが「自由の日」である。声をあげられる人は反対したが大勢は黙認した。もう行動規制にうんざりしているからである。実際にフランス・イタリア・ギリシャでは抗議運動が起こっている。オーストラリアでも抗議運動が起きているそうだ。抗議運動は支持率にはよくない。




マスク

現在、日本でもデルタ株の影響で急激な感染拡大が起きて大騒ぎになっている。このブログでも「火事」の例えを用いている。

実質的に行動抑制に失敗していたイギリスやそもそもコロナ対策がほとんど行われなかったウガンダの事例から想像するとデルタ株の影響は数ヶ月でおさまると予想される。

為政者には二つの選択肢が出てくる。国民に恨まれつつ行動抑制するか、国民に迎合して行動抑制を解除するかである。知事会は自分たちの仕事ではないので「ロックダウンしてほしい」と要望している。恨まれるのは知事ではなく総理大臣だからだ。

ワクチン接種が進むほど死者数は少ないということがわかるはずだから「実はそれほど大げさなものではなかった」という揺り戻しの議論が起こるはずである。そもそも東京都民は政府のコロナ対策を信頼しておらず自由気ままに夏休みを楽しんでいる。東京の夏は大いに盛り上がっているがオリンピックがなくてもこうなっただろう。あとはこれを後押ししてやればいいのだ。「狂っている」と思われるかもしれないがボリス・ジョンソンがやったのはそれである。

イギリスでは対応が分かれている。イングランドは行動規制が撤廃されたのだが他の地域はそれに追随しなかった。ボリス・ジョンソン首相の茶番だとみなされているからだそうだ。ロンドン市長も公共交通のマスク規制を続けるという。イングランドが規制を撤廃すれば政治的にそれに反対する人たちが抵抗するという具合である。だがボリス・ジョンソンからしてみればそんなことはどうでもいい。「政権さえ守れればあとは勝手に規制をしてもらえばいい」くらいに考えているのではないだろうか。

日本で言えば恨まれるのは総理大臣ではなく知事ということにしてしまえばいいのだ。

自由の日が施行された翌週には新規感染者がピークアウトしたのでロイターは「自由の日を施行したにもかかわらず感染者はピークアウトした」と読み取れるような記事を出した。だがおそらくこれは間違っていた。その後また感染が再拡大し死者数もじわじわと増えたからである。Googleで国名+コロナ+感染者と検索すると直近の情報がわかる。

ただいくらボリス・ジョンソンが行動規制を撤廃したいと言ったとしても国民がついてこなければ意味はない。例えばドイツは地方の権限を中央に集中させて抑制に成功している。スウェーデンも今の所デルタ株の影響は抑えられている。立憲民主党のいうzeroコロナ対策は政府が信頼されていれば成功の可能性がある。

だがzeroコロナ対策を成功させるためには緻密なコミュニケーションが必要である。Newsweekでコラムを書いているコリン・ジョイスは比較的余裕がある人ほどzeroコロナにはまりやすいという。他人に犠牲を強いて経済を止めて安心を得ようとしているというのである。政府があまり信頼されていない国のzeroコロナ対策は政府批判と結びつき単に極端な主張を生み出すだけなのかもしれない。

医療従事者にとっては継続的な火事だ。感染していない人たちはできるだけ新型コロナ禍を過小評価したい。これが見えない災害と言われる所以である。自由の日についてQuoraで聞いたところ「死者数はそれほど多くなかった」という回答がついた。それはそれで構わないのだがコメント欄で話を聞くと「一定数の死者は出るがそれは経済を回すためには仕方がない」というようなことを言っていた。よほど訓練されていない限り対岸の火事に対して我々は倫理的な目が持てない。科学的にデータが読めることとそれをどう倫理的に解釈するかということは全く別のことなのだ。

日本政府には「前よりも死亡率が高くなかった」という理由で新形コロナ禍は自分たちのせいではないと主張したい動機がある。安心したい人たちがこの主張に乗れば自分がコロナウイルスに感染するまでは安心して過ごすことができるのかもしれない。

前回「野党は非現実的なzeroコロナ政策を撤回して実際の消火活動に専念すべきである」ということを書いた。zeroコロナ対策そのものは有効なのだが信頼されていない政党が言っても無駄だからである。だが立憲民主党・国民民主党共に支持率が上がらない中選挙のことで頭がいっぱいになりつつあるようだ。とても目の前の消火活動に専念する余裕はないのかもしれない。

イングランドの自由の日がどんな結果になるのかはわからないしボリス・ジョンソンがどうなるかもわからない。いずれにせよ、政府が国民保護に前向きでない国での規制解除が何をもたらすのかについて知ることができる壮大な社会実験になっている。

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