保守主義者にとって多様な価値観はなぜ大切なのか?

現在、ポスト菅の総裁選が行われている。「多様な価値観」に対する理解が欠如しており日本がこのまま成長から見放されたトラックを進むのは確実なように思われる。今日は多様な価値観はなぜ大切なのかを考える。

多様性はなぜ重要なのかと問われるとおそらく多くの人が「欧米では主流の考え方であり」「一人ひとりの生き方が許容されるべきだ」からと答えるだろう。

「ではなぜ文化環境も歴史も違う欧米で主流の考え方を受け入れなければならないのだ?」と問われた時にうまく答えられる人はどれくらいいるだろうか。特に新型コロナ対策などでは一人ひとりの生き方を尊重しているようには思えない中国の方がうまく言っているようだ。だったら多様性など重視しなくても良いのではないだろうか?




現在、自民党の総裁選に見られるのは次の三つの価値観である。正確には「各候補を支えている価値観や考え方」と言って良いかもしれない。

  • 貧乏人や時代にキャッチアップできない人が日本をダメにしている。彼らを切り捨てればよい。この新自由主義的な考え方を推進しているのが河野太郎候補である。福祉制度と社会保障制度は消費税にリンクさせる一方、法人税減税で企業を福祉・社会保障制度の枠組みから離脱させようとしている。これは小さな政府的思考である。
  • アベノミクスによればどうやら経済は成長しているらしい。だが地方ではそんな話は聞かない。これは分配が足りないからだ。この考え方を推進しているのが岸田文雄候補である。伝統型の日本の保守だと言っているが、どちらかと言えば田中角栄以降変質してしまった分配型保守に過ぎない。つまり何が成長を生み出していのかという見識がない。
  • 日本の成長は中国や韓国に盗まれたので彼らがいなくなれば日本は再び成長するであろうと考えているのが高市早苗候補だ。

共通点がある。

  • なぜ日本が成長しなくなったのかがわからない。
  • だが自分とは違う何かが邪魔しているという確信がある。
  • それを取り除けば全てがうまくゆくだろうと信じ込んでいる。

日本を一つの生態系と考えた場合成長を生み出すのは何らかの活気である。活気には動きがあり取り止めがない。この取り止めのなさを一つの方向にまとめると大きな力を生み出すことができる。そして天然資源に乏しい日本の場合この活気を生み出しているのは分厚い中間層だ。実はこの中間層の取り止めのなさこそが多様性なのである。

日本経済は多様性の確保によって復興を遂げた。これが最初に見つかったのは闇市だった。下村治は戦後の闇市を観察し「軍部によって押さえつけられていた多様性が再び芽吹いてきている」ことを発見する。これを一つの方向に向けたことで日本は再び成長のトラックに復帰した。これをパッケージとしてまとめたのが所得倍増計画だ。

多様性がない状態というのは生態系に活気がない状態だ。だからいくら政治が頑張ってもそこから動力を取ることができない。なのでまず多様性を確保して育てるところからやり直さなければならない。これが自民党に全く欠如している視点である。

実際には何が日本の成長を阻害しているのか。例えばパート労働者としてしか期待されていない女性の労働力などの例を見ると、生産性が低い大企業が女性のポテンシャルを抑えてつけていることがわかる。45歳定年制という発想もあった。若いエネルギーは大企業成長の薪にして燃えカスになったら労働市場に放逐しようという感が替え方である。

森に例えるとわかりやすい。森には大きな気が茂っていて極相林が形成されている。極相林と言っても杉のように人工的に形成された林であり多様な森でない。そして杉林は伐採されていないため足元に光が当たらない。だから新しい芽が成長してこない。何らかの理由で杉が売れなくなると伐採のために人手を割くこともできなくなる。するとますます林は荒れ「緑の砂漠」状態になる。竹が周囲を多い住宅地に進出してきて空き家の床から新しい竹が伸び住居を破壊する。

経済の成長は草木の生育に例えられる。草木にはそれぞれ花芽をつける時期がある。そしてその花芽が生育することによって実になる時期も決まっている。できるだけ多様な森を作ることが国家経営の目標である。多様性確保は社会を活性化させるための手段であり目的ではない。ましてや欧米でやっているかっこいい政治だから真似しなければならないというものでもない。

将来花芽がつきそうな植物を「邪魔だから」として切ってしまえば実がつかなくなる。河野太郎候補の言っている新自由主義はこうした花芽がつきそうな植物を伐採しようとしている。杉が売れればいいがその保証もない。水を与えない植物のヒョロヒョロしているからといって「それは価値のないものである」として切り捨てて「立派で背が高い杉があるからもっと上に伸ばせ」と言っているのが河野流の政策と言えるだろう。

岸田流の考え方は全く逆である。確かに地方にも花芽はあるかもしれない。だが実際には茂り過ぎていてもう商品価値がなくなった産業林を温存しているだけかもしれない。こうした樹木は適度に伐採しないと下の地面には日が当たらない。岸田候補の発言にはどんな森や林を育てたいのかというビジョンがない。

高市候補に至ってはこうした構造そのものがよくわかっていない。日本が若い森だったのは一面が焼け野原になり全ての地面に日が当たり水が行き渡るようになったからだ。だから日本は成長していた。だからその時に売れる産業を育てることができたのだ。ところが大きすぎる企業体が冒険を避けるようになり日本の成長は阻害された。ところが高市候補を支持する人たちはこうした事情をことごとく無視しており「中国や韓国が盗んだ」と言っている。

多様性には本来「エコシステムを多様化しておき変化に強い環境を作る」という意味合いがある。多様性を確保するためには時には刈り込みも必要であり長い時間待つことも必要だ。

意外に思えるかもしれないが「日本を森や林」に例えると何が産業を成長させるのかということが可視化できる。

実は東洋には古くから十干・十二支という植物の成長と環境をまとめた考え方がある。十干は環境(木・日・水・土・金(栄養分))を表していて、十二支は植物そのものの成長過程を示している。物事には適機があり終わりもあるという考え方である。干支の考え方は極相を良しとせず中庸を好む。この考え方がそのまま使えるとは思わないのだがこれを研究し学ぶのが本来の日本型の保守のあり方だった。政治的には敵対していても実は共通の師匠がいて東洋哲学について学んでいたという政治家もいたことだろう。

保守政党と自認している政党は立憲民主党も含めて全てこの考え方を忘れている。日本の保守は東洋哲学的な考え方を忘れてすっかり変質してしまった。おそらく戦前の東洋哲学を学んでいた人たちが昭和の末期になくなり継承者がいなかったのだろう。だから日本にはまともな保守政治家がいなくなってしまったと言えるのかもしれない。

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