派閥の談合で次の総理大臣が決まるのは仕方のないことなのか?

自民党の総裁選が終わった。当初「この文章を書き始めた時点ではまだ誰が総裁になるのかは決まっていないのだがおそらく岸田文雄さんが順当に当選するのだろうなあと思っている」と書いたのだが、やはりそうなった。岸田・高市連合が作られ、改革派の河野候補を潰した。さらに次世代に投資をという野田聖子候補はほとんど無視された。次の選挙は清和会・宏池会の二大派閥連合になりそうだ。地方分配には興味はあるが未来投資にはそれほど意識が向かない上に大きな政策変更や改革はできないという政権である。




党員党友票では河野候補が一位だったが議員は全く違った動き方をした。つまり、党員の意見は参考程度だった。時事は「中と外の温度差」と書いている。さらに一般有権者は外からこのお祭りをぼんやり眺めているしかなかった。

だが、これはおかしいのではないかと質問すると「日本は大統領制ではないからこれは仕方がない」とか「日本も首相公選制を取り入れるべきだ」という意見しか出てこない。

これだけではあまり面白みがない。そこで今回はドイツの事例を参考に選挙制度と派閥連合について考えてみたい。つまり「本当にこれは仕方がないことなのだろうか」という質問である。

ドイツで総選挙が行われた。ドイツは長らくCDUとSPDという二大政党が支配的だった。今回の総選挙でメルケル首相の個人的な人気に支えられてきたCDUは今回大敗し、SPDが第1党になった。だが自動的にSPDが首相を出すということにはならない。実はここから連立交渉が始まる。SPDもまた大勝しなかったからだ。

BBCの図表を見て、ドイツは小選挙区と比例代表の二本立てになっていると思い込んでしまった。

だがWikipediaを見ると仕組みはとても複雑だ。まず一人二票となっている点は日本と一緒だ。

だが、比例の票配分を小選挙区に割り当てて「余分の議席」が得られる仕組みになっているそうだ。つまり比例の割合が強くなっている上に厳密な意味では小選挙区制ではないのである。

このためBBCの図表は「少なくとも」598人と書かれている。実際の議員はこれより多くなる。

小選挙区制度だと負けた候補者への票は全て捨て票になってしまう。それを防ぐために考えられた仕組みと言えるだろう。

また比例でも5%以上の得票がないと議会に代表を送れないので少数乱立にはならないのだという。なかなかうまく考えられている。

実際の得票結果はこんな感じだったそうである。

  • SPD:206
  • CDU/CSU:196
  • 緑の党:118
  • 自由民主党:92
  • AfD(ドイツのための選択肢):83
  • 左翼党:83
  • その他:1

上位二つの政党が横並びになっている。これが既存政党だ。さらにその下に4つのだいたい勢力が同じような新興勢力がある。日本でいうと自民党クラスの政党が2つの政党がある。AfDは主張が極端で連立の交渉相手になるとはみなされていないようなので、公明党に当たる政党が3つあるということになっている。

左翼党を除く左派連合ができればそのまま314票になる。過半数になりそうだが比例の配分によって議席の数が変わる。半端の票を全て結果に反映させようとするため定数を犠牲にしている。これでは過半数に届かない可能性が高くしたがって左派でない政党をどこか入れなければならない可能性も残る。

ドイツの選挙制度を見ていると「できるだけ捨て票を少なくして民意反映を優先し政党に妥協を迫る」内容になっている。どのような経緯からこうなっているのかはわからないのだが民主主義は民意があってこそだという強い社会的了解があるのだろう。代償は連立交渉がうまくゆかず再選挙になる可能性があるという点だろう。

同じ議院内閣制の国であってもここまで選挙制度が違っているというのは驚きだ。ドイツの政治家ははできるだけ民意を汲み取ろうとし、日本の政治家は逆にできるだけ排除しようとする。

ここまで見てくると日本の制度が現状にあっていないことがわかってくる。総裁選の各候補の主張を見るといかにも政策が違っているように見えるのだが実際には総理大臣がやりたいのは何かという願望を聞いているだけである。

実際には「安定と地方への分配を期待する」地方出身の国会議員が岸田候補を応援し、新興宗教的右派の安倍元総理大臣が推している高市候補と連合を組むことになりそうだ。安倍前総理のプッシュにたじろいだ議員も多いようだ。つまり党内談合と重鎮の意向で政治が決まってしまう。

政策ベースで決められているわけではない上に岸田候補が否定してきたアベノミクス型新自由主義政策を否定できなくなるだろう。つまり誰でも総理大臣になった瞬間に「自分がやりたかった政策」を妥協する必要が出てくる。妥協を迫られるという意味では同じことだが後援者は国民ではなく党内の重鎮だ。つまり、憲法では民主主義が規定されているが党則と選挙制度によって「国民排除・重鎮専制」になってしまっているのが日本の政治なのである。

つまり国民の無関心と不介入が選挙制度の前提になっている。これが最も悪く出るのは政治家の間に汚職が蔓延したことがわかった時だろう。自浄作用が働かず政権政党が離反されることになる。国民が気に入らなければ自民党そのものが否定されるというリスクを抱えている。

つまり国民の無関心と不介入が選挙制度の前提になっている。これが最も悪く出るのは政治家の間に汚職が蔓延したことがわかった時だろう。自浄作用が働かず政権政党が離反されることになる。国民が気に入らなければ自民党そのものが否定されるというリスクを抱えている。この時国民は細かい説明は聞かないだろう。国政に関与する訓練を普段から受けていないからである。

実務上は「これくらいの犠牲を伴うが日本が前進するためには是非必要だからこれをやらせてくれ」と訴える機会がなくなってしまうという問題もある。今回の総裁選のプランはバラ色だったが負担に関する話は一切出なかった。これでは思い切った改革はできない。

野党に至ってはさらに悲惨な現状がある。小選挙区制度なので事前に調整をしないと政権が狙えない。つまり中道右派から左派までの幅広い勢力を結集しなければ勝てない。ところが立憲民主党の支持基盤である連合には共産党を嫌っている人たちがいる。

ついに、連合は路線対立に陥り新しい代表が決められなくなってしまった。ポスト神津の会長に立候補者がおらず中立の女性会長を立てて収めようとしている。連合は路線対立については認めておらず「女性活躍の機運が高まっているからだ」と説明している。だが連合が立憲民主党と共産党の選挙協力の可能性に動揺していることは明らかである。

さらに立憲民主党は枝野代表が個人的に立ち上げた政党なので枝野さんに変わる代表が出てこない。最近江田憲司さんがテレビによく出てきている。この人はマスコミと会話ができる人だ。一方枝野代表は弁護士なので主張を崩せない。

左派の政治家によくありがちなことだが「この人と会話しても仕方ないな」と思われてしまうのである。社民党を潰した福島瑞穂さんと比べるとわかりやすい。おしゃべりで頑なな弁護士とだんまりで頑なな弁護士というぐらいの違いしかないのだ。

おそらく立憲民主党もマスコミと会話ができる代表を決めたほうがいい。だが、内輪の権力闘争で首班を決めているのでそれができない。

共通するのはどちらも民意を反映していないという点である。民意を反映していないので選挙結果の読み合いをしながら結局のところ誰が好きで誰が嫌いかという内輪の議論に落ち込んでゆく。結果として思い切った政策変換もできないし自浄作用も働かない。

結果的に普通の有権者は政治に興味をなくして「誰がなっても同じだ」と考えてしまうのである。

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