「政治好き」の政治議論がまったくあてにならない理由

岸田内閣が衆議院任期切れを目前にしてわざわざ解散した。これが何故なのか?と聞いてみた。実に様々な回答が寄せられた。日本人の政治理解がどの程度なのかということがわかって面白かった。

「社会」が信頼を失った上に情報量が爆発的に増えたので誰も人の話を聞かなくなってしまった。これが細かな分断を生みバベルの塔のような状態を生み出しているのだ。




まず正解から見てゆく。公職選挙法は「任期満了前の30日以内に選挙をやりなさい」と言っている。つまり10月21日前の30日以内に選挙をやらなければならなかった。ところがこれとは別に「解散したら解散後40日以内に選挙をやらなければならない」という憲法の規定(第54条)がある。

だから公職選挙法に第31条第5項には衆議院議員の任期満了に因る総選挙の期日の公示がなされた後その期日前に衆議院が解散されたときは、任期満了に因る総選挙の公示は、その効力を失う。と書いてある。

つまり「結果的に」任期満了における選挙プロセスが内閣の解散権で上書きできてしまう奇妙な規定になっているのである。ただこれは明らかに設計ミスである。

総理大臣の解散権は内閣不信任案への対抗策だ。そもそも任期が切れかけているわけだからそのまま総選挙になれば総理大臣は選び直しになる。だから「内閣不信任」が選択されるはずはない。議会が不信任を通さない以上内閣が解散権を行使することも考えにくい。普通に考えるとそうなる。

だが日本では解散権は当初から馴れ合いにより「不信任案なしで好きに決めていい」と解釈されている。さらに内閣不信任案も野党のパフォーマンスのために利用されており本来の趣旨が極めて分かりにくくなっている。とにかくありもののルールを利用して勝とうとする人が多く本来の趣旨を誰も気にしなくなってしまったのだ。

行き着いた先が「選挙時期をできるだけ後ろ伸ばしにするために解散権を利用する」という立法の趣旨をまったく逸脱した手法だった。加藤官房長官(当時も)「書いてあるからと言ってなんでもやっていいわけではない」と言っていたくらい奇妙な案だった。立憲民主党の枝野代表は憲法のバグと呼んで批判したが世論の反発もなかったので何となくこのスケジュールが通った。

ところが実際にはさらなる混乱が起きた。コロナウイルスの第6波が収まるまで選挙はやりたくないという菅政権は選挙をできるだけ後ろ倒ししたかった。菅総理は政権を維持できず「選挙の顔を変えて総選挙を戦おう」ということになった。賑々しく総裁選をやると結果任期前解散では間に合いそうにない。菅総理の流し雛はある程度効果があり自民党の支持率は上がった。

だが岸田総理の任期はそれほどあがらなかった。すると今度は側近たちが「賞味期限があるうちに選挙をやったほうがいい」と言いだした。だから一転して「選挙の前倒し」が起きた。後ろ伸ばしを画策した後で前倒しをしたので「戦後最短の解散時期」が生まれたのである。支持率低下と議席減を恐れた自民党側が場当たり的に対応していたところからかなり追い詰められていたことがわかる。

ところが実際に聞いてみるとこの経緯は全くと言っていいほど理解されていない。それどころか「政権」という偉くて頭がいい人たちがやっているのだから何か深い意味があるのだろうという権威主義的な思考が働きで様々な説明が後付けされてしまう。つまり脳内で勝手に合理化されてしまうのだ。

「ルールがある以上、それを最大限に生かして勝つのが当たり前である」という論調が支配的であり「立憲民主党の慌てぶりが見ものだった」とか「自民党には何か隠蔽したかったことがあるのだろう」などの説が飛び出す。譲歩は豊富だが文脈が確かでないために一人ひとりが正当化のための理屈を作って間を埋めるようになる。

最もひどい人は「天皇ではなく総理が主導権を持っているということをわからせるためにわざと解散を選んだ」と言っていた。さらに15日に何らかの動きが予定されていてそれを防ぐために14日に解散したという人まで現れた。本来は質問をこのブログにリンクしようと思っていたのだがここまでくると「晒し者」にしてしまうことになりかねない。リンクは諦めることにした。

「政治好き」な人たちはあまり新聞記事を読んでおらず分析もしない。今回は岸田総理が選挙を早めたというところだけが記憶にあり菅政権が引き延ばそうとしたということはすでに忘れ去られている。

しかしながら「勝ち負け」にはやたらと敏感でルールがあるならそれを使って何をやってもいいと考えている。また政権が勝つためには何をやってもいいことになっている。おそらくは自己責任社会が浸透し社会が信じられなくなった結果、Twitterなどで流れてくる情報を見ながら自分なりの世界が作られているのだろう。

本来ならばまず問題意識があり・その解決策が作られ・解決の設計思想を元に・具体的な対策が作られてゆくべきだ。だが日本人はとにかく目の前の勝ち負けに夢中になる。この結果、いくら政治議論を重ねても誰も解決策を導き出すことができなくなってしまうのである。

「社会は信頼できないので他人の話は聞かない」が「とにかく相手を出し抜いて勝たなければならない」というバブル崩壊後の自己責任社会が行き着いたのが現在の政治言論なのだろう。

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