小選挙区制度の行き着いた先は「今度の総選挙はマジで選べる選択肢がない」だった

最近、政治以外の記事を混ぜて書いている。実は政治に対する関心が薄れてきているようなのだ。別のトピックの記事を混ぜると露骨にページビューが変わる。Quoraでも政治ネタの閲覧数は上がらない。「興味を持っても仕方がない」というネタになりつつあるようだ。にも関わらず「政治ネタはエキサイトしている」ように見える。論理的に考えると一部の人が熱中し多くの人が離反していることになる。




ドイツで総選挙が終わった。メルケル首相率いるCDUが外れる公算が強くなった。代わりに政権構想の軸になっているのは第1党の社会民主党である。投票率は高く前回並みの76.6%だったそうである。

歴代の投票率を見てみたが80%台に乗せた時期もあり極めて関心が高いことがわかる。ドイツの選挙制度は「できるだけ捨て票を作らない」制度になっている。無駄になる票を減らすために端数を拾って議員数を増やすなどの努力をしている。

ドイツは日本の55年体制に似た二大政党政治だった。穏健保守のCDUと工業地帯に強い社会民主党が二大政党を形成していた。ところがこの二大政党に魅力がなくなると企業を代表する自由民主党(FDP)とリベラル(環境とITに強い)緑の党が躍進する。そのほかに極右とされるドイツのための選択肢AfDという政党がある。反EUを掲げ民主主義が発展していない東ドイツ地域で人気があるとされている。

今回は社会民主党と緑の党が連立を組めば左派連合ということになる。だが実際には二つの党だけでは政権を安定させられない。そこで企業寄りの政策を実現するための自由民主党を入れることにしたようだ。選挙運動でも連立の枠組みについて議論されその後も政策合意について細かい報道がある。つまり少数政党を応援しても自分たちの投票結果が政権を変えるというチャンスがあるのがドイツの制度なのである。

確かに小選挙区制度は「対立軸が明確」な場合にはうまく機能する便利な制度だ。明確に二つに別れた政党が二つできればその中から選択肢を選べばいいからである。ところが近年のアメリカではこれが崩れている。政策議論が感情問題になる可能性があるのだ。

近年の不毛な対立はもともとはテレビ局が赤の州・青の州という対立を煽ったところから始まる。テレビ局が「破壊者トランプ」をスターにして持ち上げた。プロレスの興行と同じで悪役がいた方がショートして面白いからである。ところがトランプ候補は大統領選挙だけでなくアメリカそのものを壊しテレビ局を攻撃し規制するまでになった。つまり対立のための対立がわかりやすく先鋭化したことになる。政策論争が泥仕合に陥る可能性があるというのが小選挙区制の最大のデメリットである。

それでもアメリカはまだマシだ。様々な人たちがいるために考え方に違いが生まれるからだ。日本はそうならなかった。日本の国家社会主義的制度が制度疲労を起こすと「逃げ切れる人たちだけ逃げよう」ということになり小泉・竹中路線で優しい資本主義が放棄された。ところが新自由主義政策はそのままの形では実行されなかった。総理のお友達だけ「こっそりボートに乗せてあげましょう」というのが安倍・菅政権だったのである。

経済をシュリンクさせている。具体的に何が起こったのかを見てみたい。

本質的には労働者排除だった小泉竹中・安倍菅路線

小泉竹中路線は「全員が助からないなら誰を助け出そうか?」という模索から非理論的に生まれた政策だった。終身雇用を破壊してしまうと既存企業が痛むので新しい企業や中小のサービス業から非正規雇用に置き換えられていった。日本が生き残るためには中間所得層を切り捨てて「労働部材」に転換すべきであるというのがその政策の根幹だ。労働者が消費者であるという側面は意図的に見過ごされた。

その後安倍政権下で「未来投資会議」という会議が作られた。労働組合の代表者はおらず非正規雇用促進を喜ぶパソナの代表者を入れた。企業は労働者を部材化できるのだから「これで助かった」と思ったことだろう。だがそれでは都合が悪いので竹中平蔵さんは「学者代表」ということになっていた。会議設置の目的は「官民対話を促進する会議」という位置付けだったのだがその意図するところは明らかだ。正社員制度と終身雇用は維持できない。だから非正規を利用して逃げ切ろうというのが安倍政権の行き着いた答えだったのである。

繰り返しになるが労働者が消費者になるという側面は無視されている。企業も政府も「日本は縮小傾向にある」という考えで頭がいっぱいになっている。そう思えば思うほど切り離しの議論が横行する。

思想が現実になってしまうのである。

この会議は菅政権では成長戦略会議と言われ「菅政権が独自色を出し始めた」などと言われていた。だが竹中平蔵さんは残り「日本は企業が倒産しにくい」というのが持論のデービッド・アトキンソンさんが入っていた。つまり小さな企業も維持できなくなったので古いものは壊そうということになったのだ。「燃やしてしまえばなんとかなるだろう」と考えたのかもしれないがコロナに忙殺されこの会議が活躍することはなかったのが不幸中の幸いだった。

いずれにせよ「企業だけ逃げよう」と言う主張は経済規模を小さく縮小させるだけであった。海面が上がってきたので高台に逃げた。逃げ遅れた人たちは溺れかけている。だがなぜか高台はどんどん小さくなり「次に誰を落とすのか」ということになっている。これが今の日本の政治経済の実態である。

おそらく当初は生き残った企業が地方だけでも助けてくれるのではないかという期待があったのではないかと思われる。それが安倍総理の言うトリクルダウンである。企業が自民党を支え自民党が国家予算を地方に流すと言う図式だ。だが実際にはそれは起こらなかった。そこで岸田政権は安倍すが路線を放棄し「温かい民主主義」を訴えて擬似政権交代を起こした。

後がなくなった立憲民主党

今回の特徴はパソナの竹中さんを切って連合の芳野会長が「総理のお友達会議」に復帰したことである。つまり立憲民主党と「正社員」の取り合いをしているのだ。実際に予算編成権を持っている岸田内閣と単なる野党に過ぎない立憲民主党の間の勝負はすでについている。トヨタの労組も自民党との直接対決を避けて愛知10区から候補者を引き上げた。

岸田政権は新しい資本主義実現本部という会議を作り経済団体の代表と連合の代表を招き入れたが分配の原資はない。だから「限られた資源を誰に回そうか」ということになるだろう。うまく行けば正社員だけは助けてもらえるがサービスセクターの多い都市部は引き上げてもらえない。全ては勝利のお友達の胸先三寸で決まる。そしておそらく「お友達」を限れば限るほど経済は縮小し「次に誰を海に落とそうか」と言う議論になるだろう。

今回、総理のお友達会議に連合の芳野さんが入った。排除されていた労働者代表が取り込まれたことになる。これはこれでよろこばしいことだが連合は立憲民主党と依存しなくても済むようになる。つまり立憲民主党はもう後がない。連合と正社員労働組合が与党に取り込まれてしまった以上枝野幸男代表には共産党などと組み新しい支持母体を探す以外の選択肢がないのだ。

有権者をできるだけ排除してアンダーテーブルで政策が決まる

日本型の政治には二つの特徴がある。形式的には普通選挙なのだが実際は「できるだけ有権者を排除したい」のが日本型である。だから有権者は政策と選挙にはそれほど関心がないが政争には大いなる関心を示すようになる。それに応えようと最大野党も政権批判を先鋭化させ使い潰されてゆく。立憲民主党がいくら「政権を目指していますよ」と言っても活躍するのは辻元清美さんや森ゆう子さんのような人たちだけである。支持者たちは立憲民主党がどれだけ悪し様に政権を攻撃してくれるかにしか期待しなくなる。

同調圧力が強く正解に縛られるので日本人は同じような発想しかできない。にも関わらず勝負に夢中になりルールを曲げてまでも勝とうとする。すると結果的に多くの有権者は政治から離反する。少なくとも日本人にとって小選挙区制度は最悪の組み合わせだといえる。

一部の優秀な議員がしがらみにとらわれない良いアイディアを持っていたとしてもすべて捨て案になってしまう。結局のところこれが現状維持に収斂してゆき視野狭窄を生むのである。小選挙区制を導入した人たちはすぐに制度を変えられないにせよ間違いは認めるべきであろう。

Google Recommendation Advertisement