アジトという言葉はどこから来たのか?

日本語に由来不明のアジトという言葉がある。最近では「イスラム教過激派のアジト」というように「地下に潜伏している人たちの基地」というような意味合いになっている。この言葉がどこから来たのだろうかと検索してみるとウィキペディアには「英語のagitating point」の意味であるとかロシア語のагитпункт(アギトプンクト)が略されて伝わったと書かれている。

だが英語でagitating pointなどと言っても通用しない。辞書にも英語のagitating pointの意味であると書かれているものものあるそうだ。そして、戦前からすでに潜伏先のような使われ方をしていたという。




色々調べてみると実際にагитпунктという言葉が最初に使われたのは1919年のことだそうだ。日本では対象自体に当たる。ソ連では宣伝局という意味合いだったようである。

機械翻訳によるとロシア語のWikipediaにはこう書いてある。

  • アギトプンクトはソ連の政治教育機関。
  • 政治宣伝センターとして1919年5月13日の労働者評議会と農民防衛の決議によって都市と鉄道駅に設置された。
  • ソビエト政府の行動と目標を国民に説明することになっていた。
  • 大祖国戦争の前と最中に重要な役割を果たした。

ロシア革命は1917年に始まり1922年にソ連が成立するまで続いた。つまりこの時にはすでにソ連の宣伝ポイントは「地下組織」という意味合いはなかったことになる。日本の共産党は非合法だったのでおそらく「地下潜伏先」という意味合いが生まれたのはおそらく日本に入ってからであろう。

この言葉は警察発表を伝える報道機関によって広まったのではないかと思う。警察は今でも「過激派アジト発見にご協力を」という使い方をしているし、マスコミもそういう伝え方をすることがある。

警察は今だに共産勢力を過激派だという印象をつけたい。だから禍々しい響きを利用しわざわざアジトという言葉を使い続けている。この延長でイスラム過激派の潜伏先という意味でもイスラム過激派のアジトという言い方が好まれる。アジトという言葉を使うことで潜伏している人たちが悪役であるというイメージを含ませることができる。アジトは便利な言葉だ。

面白いことにこの言葉がどこから誰によって持ち込まれたのかということはよくわからない。政党としての日本共産党は自分たちが「暴力集団であった」という前史をあまり語りたがらない上にまとまった資料も残されていない。

さらにロシア語でもагитпунктの由来もよくわからない。アギト・プンクトという響きから、もともとはドイツ語由来なのではないかと思われるがагитпунктがドイツ語であったという説明をしている文献は英語では見つけられなかった。

マルクスも元々はドイツ出身でありレーニンもドイツに亡命していた時期がある。つまり誰かがドイツ語由来のこの言葉を持ち込んだとしても不思議はない。同じようにドイツ語からもたらされた言葉にGewaltがある。「暴力」という意味だそうだが共産党宣言を訳す時には「強力」と訳されることがあるそうだ。これも日本で共産党が暴力集団だったという前史を隠すために加えられた工夫であると考えられる。

共産党用語にはBourgeoisieのようなフランス語が多いそうだが、なぜか反体制的な意味合いの言葉としてはドイツ語由来の言葉が好まれるということなのかもしれない。そしてソ連でもそのドイツ語由来であるという出自は隠されていたようである。共産主義の「科学的な思想」と「暴力的な活動」は表裏の関係にある。

Gewaltも日本語では暴力用語になっていて「ゲバ棒」という言葉で知られている。最初のゲバ棒は1967年に登場したという。つまりかなり新しい用語であるとわかる。闘争を示す内ゲバ・外ゲバという言葉もあるが共産主義者の専門用語だったのか警察が広めたのかということはよくわからない。

アジトという言葉は韓国にも伝わっている。日本には共産主義者が持ち込んだのでソ連とつながりが深いとされる朝鮮民主主義人民共和国の共産主義者たちが独自に「宣伝機関」という意味で広めたとしても不思議はない。

ところが아지트はナムウィキによると「北側当局者たちの潜伏先」や「北当局と戦う人たち」の潜伏先という使われ方をしてる。つまり日本とそれほど用法に違いがない。日本統治下でもたらされた可能性も捨てきれないということになる。

文字通りのアンダーグラウンド用語はどこからきたのかがよくわからないものが多い。例えばゲリラはもともとスペイン語で「小規模の戦争」を意味するそうだ。各地の抵抗勢力が使っていた言葉が様々な国に輸入されそのまま定着してゆく。

韓国のアジトに潜伏していた人たちをなぜかパルチザンという。元々は満州や朝鮮半島などの抗日勢力のことを意味していたという。パルチザンの由来は古く1550年ごろにイタリア語を経由してフランス語に入った。意味合いはPartyと同根で「党派主義者」という意味である。こちらは「外国の支配に抵抗する愛国者」というような意味合いがある。

このような抵抗運動用語は主にヨーロッパ各地で作られたものが形を変えて各地に伝わっているということがわかる。

民主主義には体制転覆がつきものなので「暴力的である」ことが必ずしも悪いことであるとは言い切れない。フランスやアメリカの革命は火器と暴力によって成し遂げられたものなので「共産党が暴力革命を志向していた」からといって危険思想だとみなすならば民主主義もすべて危険な思想ということになってしまう。

市民革命を経験した国々では現在でも政府に対する市民の抵抗権が認められている。ドイツでは戦う民主主義として理論化されているそうだ。逆に、香港の民主主義運動への抵抗を見ているともともとは抵抗権の元に成立したはずの共産党政権が民主主義的な抵抗運動を制限したりするということがあることもわかる。

議会制民主主義を獲得できた国は抵抗権がそのまま温存されるが使われることはないのだが、そうでない国は力を使って抵抗運動を押さえつける必要が出てくる。つまり出自ではなく、その後どのような問題解決の手法を獲得できたのかということの方がより重要なのである。

Google Recommendation Advertisement