立憲民主党代表選挙に期待したいが「それを他人に勧められない」というジレンマ

立憲民主党の代表選挙に期待している。

55年体制時代からあまり自民党が好きではなく新世代の政党に期待していた。民主党が出てきたときは「これでやっと日本もまともになるのかな」と思ったこともある。

これが裏切られたと感じたのは2009年の「マニフェスト選挙」だった。地元の選挙本部でマニフェストがまともに語られることはなく「これはきっとまずいことになるのだろな」と感じた。民主党政権は3年で瓦解した。しかしそれ以降もうっすらと期待し続けている。




しばらくは一人で勝手にブログを書いていたので特に他人の目を気にすることはなかった。これが変わったのは行きがかり上Quoraで「政治のスペース」を担当したからだ。もともとQuoraにはブログ機能があったようだが公共性を加えたスペースというコミュニティ機能に変えようとしていたようである。

あくまでもテスト運用なので他者の目を気にしなければならなかった。そこでやや中立に書いているうちに「民主党の主張をそのまま代弁すると偏っていると思われかねないな」と感じるようになった。政治のプロでも記者でもない人間が単にニュース記事をシェアするだけというスペースだがなぜかフォロワーが6,000人を超えた。政治・時事情報のまとめにはそれなりの需要がある。だがリベラルには需要がない。社会に余裕がなくなっていて他人の面倒を見るどころではなくなっているからかもしれない。

このコミュニティをうまく宣伝に利用してくれる人が出てこないだろうかと期待していたのだがそういう人は現れない。内向きな日本人は自分の主張を一方的に主張して立ち去る人が多い。ムラの外で否定されることを恐れているのだろう。

今回「立憲民主党の代表選挙に期待しているのに他人に勧められないのはどうしてだろうか?」と考えた。おそらく理由はこの内向きさにあるのだろうと思った。立憲民主党は実際にはムラの集合体であり政党になりきっていないのだ。

だがその内向きさがどう作られているのかがわからない。

今回の注目ポイントは何と言っても共産党や社会党との連携である。立憲民主党の党内には懐疑的な人が増えているようだ。これに離党組(左派から離反して自分たちについてくれることを期待する)長島昭久さんのような人が加わる。左派離れを警戒する人たちもたくさんいて「立憲民主党の右傾化」を心配している。

リベラルはこの「右傾化」の動きを心配していたようだ。

最初に代表候補として名前が出てきたのは小川淳也さんだった。Twitterでは維新への接近を心配する動きが出ていたが経歴を調べてみると実は選挙区内では共産党との政策連携を成功させて当選したという議員のようだ。所属するグループは最大会派であるサンクチュアリだ。だが「支援者を集められないのでは?」という風評になり出馬表明が出遅れた。

ここで「なぜ出遅れたのか」を真剣に考えればよかったのだがそこを考えないでいたところ代わりに出てきたのが国民民主党出身の泉健太さんだった。

Wikipediaにはまだ派閥情報ができていない。急ごしらえだったのだろう。泉健太さんは北海道出身だが立命館大学に進みそのまま福山哲郎さんの秘書になったとのことだ。つまりこの中では社会党の影響を受けてない「生え抜き」の一人である。

対するリベラル勢力は党内をまとめきれなかったようである。後になって東京新聞で「立民代表選に泉、逢坂氏出馬表明 最大グループ、擁立方針に転換」という記事を見つけた。日付は11月16日だ。リベラル勢力は市民運動系の「菅直人グループの西村智奈美さん」で統一しようとしていたようだ。だが結局は自派閥から代表を出すことに決めたと書かれている。

サンクチュアリはもともと社民党から逃れてきた人たちが「止まり木」として作ったグループだそうである。「赤松グループ」という名前にはなんとなく聞き覚えがあるが今は「近藤グループ」と呼ばれているそうだ。

赤松広隆さんは政界を引退しており影響力はないはずなのだが、なぜか実質的オーナーとして機能しているようだ。逢坂誠二さんはニセコ町長として実績を上げたのち衆議院議員に転身した。町の職員だった時代に社会党系の自治労に参加した経歴はあるそうだが社会党の国会議員になったことはないようである。この時はその程度の認識だった。

Wikipediaの記述を見ると西村智奈美さんはサンクチュアリ前代表である赤松さんの支持が得られなかったため菅直人さんらを頼ったという書き方になっている。大学の非常勤講師などをやりながらボランティア団体の事務局長もやっていたという経歴でありこの人も社民党臭がない。我々から見ると社民党も市民団体も同じように思えるのだがおそらく左派の中には箸の上げ下げのような些細な問題に関して我々の流派のようなものがあるのだろうか?と感じた。

小川淳也さんは彼らとは違っていて東京大学から自治省に進み国会議員になっている。普通に考えればエリートだが「社民党」的には血筋が悪いと考えられてしまうのかもしれない。党の外から見ると不思議な感覚だが、左派には左派の価値観というものがあるのかもしれない。

表向きは「右派対左派」という対立に見えるのだが党首候補は共産党共闘の是非について表立った発言はしておらず対立構造が見えてこない。さらにいえばグループさえ曖昧な状況だ。

評論家の大濱崎さんが党内の派閥をまとめているが実力者たちが個別に作ったグループが重層的に存在するだけで政策団体にはなっていないようである。実力者とされているのは赤松広隆(旧社民党)菅直人(総理大臣経験者)・重徳和彦(総務省官僚出身でトヨタ労組との関連が強い)・小沢一郎(自民党幹事長経験者)・野田佳彦(総理大臣経験者)・岡田克也・細野豪志(現在は階猛が代表)などだ。

ここまできてもまだ状況がつかめない。ただ読売新聞の記事をきっかけにして事情がわかった。キーになるのは赤松広隆さんだ。Quoraで質問があったのでサンクチュアリについて調べた。

1996年の初めての小選挙区選挙では社会民主党から大量の落選者が出た。ハフィントンポストによると彼らの「面倒を見る」ために作ったのがサンクチュアリだそうだ。小選挙区制の導入や村山政権下の路線対立で党内が混乱し大量の造反者が出ていていた。このため社会党から名前が変わった社民党は大量の落選者を出した。村山富一さんは民主党への合流を模索するがネガティブなイメージがつくことを恐れた当時の執行部はこれを拒否する。それが排除の理論である。

赤松広隆さんはもともと学生活動家上がりで党内左派だった。社会党の末期と社民党離脱当時は他党と連携して政権を取るべきだと主張し右派として扱われていたようだ。一人ひとりであれば受け入れるという排除の理論に従うふりをしたが実際には落選者の面倒を見ることで党内にグループを作ったのだろう。その後、民主党内では再び左派になる。

他の実力者が総理を目指したのに比べると赤松さんは表に出てくることが多くなかった。このため「派手な失敗」をすることもなくグループは2021年まで生き残った。赤松さんは政界を引退したが今でも代表選に口を出している。

小川さんや西村さんに反対したのは「世代交代」が起こるのを懸念したからなのかもしれない。逢坂さんは社民党から出馬した経験こそないが町役場職員として自治労所属の経験がある。つまり社会党的にはこちらの方がエリートなのだ。

おそらく立憲民主党の代表選の裏側にあるのは依然個人のつながりを重視した村落的な結びつきであり、選挙の洗礼を経ずに生き残った社会党である。仮に彼らが自分たちの政治に自信を持っていれば党を作って選挙に出ればよかった。だがおそらくあまり自信がなかった彼らはそれをやらずに民主党という集まりの中に隠れる道を選んだのだろう。それはそれで生き残り戦術としてはアリなんだろうなと思った。だが、おそらくそれが立憲民主党に漂う内向きさの原因になっているのではないかと思う。

つまり、政策をベースにした議論ではないから日本の政治を近代化してくれる政党の誕生など期待できない。さらに我々有権者には全く関係のない話なので他人に勧めようもないということになる。

なんとなく「期待しつつも他人に勧められない」理由が言語化できたのはよかったなあとは思ったのだが、あまり救いのない答えを導き出してしまったなと感じた。

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