子供達の成績も家庭の経済状況も全部政府が把握しないとシゴトができないと主張し始めた岸田政権

じわじわと石油の値段が上がり続けている。政府は石油価格対策を二つ準備している。余剰分の国家備蓄の売却と元売りへの補償である。これだけを見ると「政府もいろいろやっているのだな」という気がする。だが評判は芳しくない。




最初の国家備蓄売却は噂としてはあったもの日本政府からは発表されてこなかった。市場が混乱することを警戒するのだろうかと思っていたのだが、蓋を開けて見ると「国際協調の一環としてアメリカ合衆国から発表される」ことになった。アメリカの情報解禁前に日本から発表するわけにはいかなかったのである。

国家備蓄の解放は市場への強いメッセージになる。だが今後の情報をコントロールするのはアメリカということになるだろう。これでは日本政府が国内の石油価格についてどう考えているのかということはまるで見えてこない。当然「値下がり効果は未知数」などと報道されることになった。

そのあとの追加報道では「放出は数日分でスケジュールは未定」だそうである。日経新聞は「一線を越えた動き」として産油国に喧嘩を売るような動きだと懸念している。実効性には乏しいが象徴的にはかなりのインパクトがある。バイデン大統領の軽率な動きが対立を激化させるというのはこのところお馴染みになりつつある構図でもある。ああまたかという気がする。

次の政策はさらに問題がある。それが元請け補償だ。国民民主・維新連合は「トリガー条項の解除を」と訴えてきた。これは東日本大震災の財源(実際には何に使われているのか定かではないが)として財務省に抑えられている。そこで政府は元売りに補助をしますよと言っている。とにかく財務省は一度掴んだものを手放したくない。

現在立憲民主党は代表選挙に忙しくメッセージを出していない。代わりに産経新聞や日経新聞が反対している。確かに元売りはこれに従って原油価格を安くするかもしれない。だが、日本の石油流通はかなり複雑である。

地方には困窮した中間業者がおりその下には「もう廃業しようか」というガソリンスタンドがある。「これまで自分たちが痛んでいるのだからまずその損出を回復したい」と考える人たちがいても仕方がないし、彼らを責めることもできない。

さらに「政府は自分たちの仲間だけを優遇しているのではないか」という懸念もある。だがそうは書けない。そこで日経新聞は「実効性や公平性を疑う声も多く競争環境がゆがむ恐れがある」という書き方をしている。

確かに安倍政権以降「自公政権はおトモダチ優遇である」という声はあった。だが、実際にはもっと深刻なことが起きているのではないかと思う。

日経新聞はこう続けている。経産省は業界団体と連係して給油所での小売価格が抑制されているか監視する考え。それでも小売価格は給油所が自由に決められ、強制力はない。

これを理解するにはいくつかの予備知識が必要である。オイルショックの時の通産大臣だった中曽根康弘の自伝を読んだことがある。通産官僚と徹夜で大きな表を作り資源配分計画を作ったそうだ。これが美談として語られている。当時の日本の経済は通産省役人がかろうじて把握できる程度の大きさだったのだろう。さらに日本の主だった産業と官僚が顔が見える距離でつながっていた。

つまり高度経済成長期と同じことが成り立つなら「この政策には実効性がある」と言える。

もはやこれが成り立たないということを痛感した事例があった。それがアベノマスク騒ぎである。コロナ対策で人々がマスクを買い求めるようになると中国との貿易通路が混乱し一時的な品薄が起きた。すると、それが値上がりを期待した業者による買いだめにつながった。不安になった一般消費者もマスクの買いだめを起こす。国内からマスクが消えた。

そこで焦った政府はマスクを作る。ところが普段仕事を地方自治体に丸投げしている政府は自分たちで仕事をすることができない。

「こんなものは誰も使わないだろう」なというような小さなマスクが全国に配られた。分配計画も杜撰なもので結果的に多くのマスクが売れ残り備蓄だけで多くの費用が浪費されることになった。

ここから日本経済は日本政府の限られた人数の役人が把握できるような大きさではなくなっているということがわかる。だが「統制」にこだわる政府は苦い現実を決して受け入れようとはしない。そこで「経産省が直々に価格を監視する」と言い出した。だが手足がないので「業界団体にやらせる」と言っている。

これはマスク騒ぎの時の「地方自治体だのみ」やオリンピックの時の「電通だのみ」とまるで同じ方針である。おそらくこれはマスクやオリンピックの時と同じやり方で失敗するだろう。

さらに日経新聞が指摘するように日本は「そもそも統制社会主義経済」ではない。だから国家が石油価格を完全にコントロールすることなどできない。こうした「限界」が責められるようになると自民党の人たちは「人権を制限して国家の統制力を強化しろ」と主張することになる。「基本的人権が悪い」と言い出すのだ。

無能な人ほど他人のせいにしたがる。

同じような発想が政権の中に蔓延しているようだ。こども政策がうまくゆかないのは国家に情報が上がってこないからであると言い出した。先日、こども庁の設置が先送りされたばかりである。「話を聞きすぎる」岸田政権は官庁間の縄張り争いを整理できなかった。代わりに浮上してきたのが「新しいデジタル公共事業」であるデータベース作りだ。

政府は家庭の経済状態や成績などをすべて把握する巨大なデータベースを作ると言い出した。子供の成績を集めて後でどう悪用するつもりかと左派リベラルが騒ぎ出すことがあらかじめ容易に予想できる。

おそらく官僚は「手放すことは悪」で「引き入れることは善」と考えているのだろう。こども政策がうまくゆかないのは官僚が無能だからではなく「ライバル省庁が情報をよこさないからだ」と言い出したのだ。

だが、実際にはこうしたデータベースができたとしても状況は改善しないだろう。実際に働くのは児童相談所の職員だったり学校の教師だったりするわけである。彼らに権限がなく予算も与えられていない現状で中央に情報だけ集まってきても官僚は限られた人数では何もできない。逆に「誰でも見ることができる」となれば確実に個人情報が流出する。

仕事ができない人ほど情報を欲しがるという典型事例がまた一つ生まれたことになる。何も学ばないで「データがないからだ」とか「人権ばかり主張するわがままな人が多いからだ」と言い続ける反省なき政府の迷走が続く。

岸田政権が続く限り日本がこの状態から抜け出すことはできないだろう。

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