よくわからずに安保法制議論をしていた安倍総理と安倍総理がわかっていないことをわかっていた高市早苗

安倍元総理が核シェアリングについて言い出してからしばらくがたった。不思議な気持ちでこの議論を見ていた。実はこれはもう終わった話だからだ。当事者たちが何も理解していないまま安保法制議論が進行していたんだなあということがよくわかる。




あの安保法制議論が始まった時にはすでにこのブログは書いていた。集団的自衛を限定的に認めるという話だったのだが、そもそも日米安保も国連も集団自衛の枠組みなので「なんでそんな不思議な議論がまかり通るのか?」が理解できなかった記憶がある。おそらく憲法解釈を修正する中で「個別自衛だけは認められている」と解釈してしまった時の経緯に縛られてしまっているのだろう。

今回高市早苗さんがようやく「核シェアリングは無理ですよね」と言及した。そういう自衛隊法になっていないという説明である。これだけではよくわからないが「とにかく無理だ」と高市さんは考えていることになる。

おそらく同じことを立憲民主党あたりが言っても「だったら自衛隊法を変えればいいじゃないか」という話になったのだと思う、だが、安倍総理にかわいがられている高市さんだからきっと説得力のある話なんだろうなあと思う人が多いのではないだろうか。

高市さんはこのところ安倍元総理の顔を潰さないように「あれは研究が必要と言っているだけであって核シェアリングの是非を議論するという意味ではないんですよ……きっと」と軌道修正を図っていた。優秀な人のようだがどうも才能を別のところで疲弊させているような印象がある。

ただし、全く核を持ち込まないという立場でもないようだ、緊急時には持ち込みに応じられるようにしておくべきだと言っている。



なぜこの線なのか。実はこの議論はすでに2015年になされている。

  • 日米同盟を保持するためにある程度米軍と共同歩調を取らなければならない。
  • このためアメリカが集団的自衛の枠組みに日本が入るように持ちかけてきたら参加できるように法律を変えたい。
  • 逆に日本が独立して国を守ることもできない。なぜならば自衛隊はアメリカ軍によって片足を切り取られ義足をつけられている状態だからだ。
  • だから核シェアリングや敵基地攻撃のような議論はそもそも成り立たない
  • 日本には日米同盟追従しか道はないのだから日本は集団的自衛について議論しなければならないのだ

つまり議論の前提が高市さんがいうところの「自衛隊はそのようにできていない」というものだったために安倍総理は集団的自衛の一部容認をやったということになっていたのだ。もっと詳しくいえば自衛隊は米軍の補完勢力なので(米軍が駆けつけるまでの時間稼ぎのために部t気を持たせてもらっている)単独で核を分けてもらうことなど想定されていないわけだ。おそらく高市早苗さんは前提がわかっているからこそこのような軌道修正をしたのだろうと思う。一時持ち込みで「自衛隊の基地をつかう」くらいならありえるかもしれないが単独保持は今の前提では無理なのだ。

この一件から一つだけわかったことがある。だが、安倍総理はおそらく自分が何をやっているのかよくわからずにあの法律を議会に提出していたということだ。そしておそらく高市さんは安倍さんが前提をよくわかっていないということもわかっているのだろうと思う。

もう一つわかったのは高市さんがどんなに優秀だろうと安倍総理の顔色を伺わないと首相候補であり続けることはできないということだ。優秀な人よりも人気のある人にかわいがられている人の方が首相候補としてふさわしいとみなされてしまう。そして人気がある人というのはたいてい議論の前提がよく理解できていないが故に「自由な」発想ができる人なのだ。

誠に残酷な話である。

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