バガン朝に見る、功徳の現世利益

NHKでミャンマーのバガン遺跡についての番組をやっていた。バガン朝は治世を安定させるために仏教を用いた。仏塔や寺院の建立には公共事業の役割があったそうだ。王は集めた税を仏塔建立のために資金に当てる。そうすることによって仕事が生まれ、格差が是正される。すると社会は豊かで平和になるので結果的に治世を安定させるのに役立つわけだ。

仏教では利他的な行為は功徳と考えられる。現世での利益はないかもしれないが、次の世ではより平安に近づけると考えられているのである。

現代の感覚から見ると、あるかどうか分からない来世のために功徳を積むことは合理的ではないと思うかもしれない。しかし、「与える」ことによって社会が安定し、自分も助けてもらえると信じることでより大きな安心が得られるのだ。

富を蓄積するのにはいろいろな理由がある。その中で最も大きいのが恐怖心だ。相手より大きくて強くなければ潰されてしまうという怖れがあると富が手放しにくくなる。富んでいるからといって、必ずしも心の平安が得られるとは限らないのだ。

今の日本にはこうした怖れが蔓延している。企業が投資をせずに内部に富を蓄積するのは「何かあったら大変だ」と考えているからだろう。こうした信念体系はバブル崩壊後に徐々に育まれ、リーマンショックを経験したあとさらに強固になった。銀行が投資を渋った時代もあり、自己資金を持っていないと誰も助けてくれないという気持ちもあるかもしれない。

企業は利益を確保するために、正規労働者の雇用をやめ、非正規やパート労働力に頼ることになった。このため、消費が冷え込む。また、法人税を取られては利益確保ができないから、政府に対して消費税に依存するように熱心に勧めている。

こうした信念は結果的に消費市場を冷え込ませる。売上げが上がらなくなり、給与を下げて利益を捻出せざるを得なくなる。こうしてさらに消費市場が冷え込む。将来の利益確保の見込みが得られなくなる為に、投資をして発展しようという気持ちにならない。投資は単に富を手放すことになってしまうからだ。その富は誰か他の人によって退蔵されるだろうし、転落した企業を助けてくれる人は誰もいないだろう。

富を貯め込む行為は「利己的だ」といえる。利己的であることは必ずしも悪い事ではないが、結果的に自分の首を絞めているというのもまた確かなことだ。消費市場を破壊するというのは、持続可能な田畠を捨てて焼き畑農業に戻るようなものだと言えるだろう。政府は企業の競争力を増す為に法人税を減税したいと言っているようだが、消費市場が破壊された国に進んで進出する企業などあるはずがない。世界にはいくつも「タックスヘイブン」と呼ばれる国や地域があり、安い法人税だけが目的ならそうした国に流れて行くだろう。こうして子供が育てられないほど余裕のなくなった国はやがて内部から崩壊するかもしれない。

そもそも、退蔵されている紙幣は富ではない。「信用」を書いた紙切れである。さらに、国債を売った金を当座預金に積み上げているが、こちらは紙切れですらない。単なる、データのやり取りだ。

日本の宗教が社会に対して何をしているのかと考えるとさらに暗い気持ちになる。宗教組織の中には「わがままな他人や外国が正当な日本人を苦しめている」と考えている人たちがいる。女性が家族にしばられていた時代を懐古し、人権は個人をわがままにするだけだと考えているようだ。こうした組織に支えられた政治家たちは、彼らが喜ぶような言動を繰り返し、さらにはそうした考え方を信じ込むようになる。こうした日本の宗教が持っている考え方は、いっけん利他的に見えるのだが、実際には他人の権利を制限し成功をやっかんでいるだけだ。ある意味では「利己的な社会」の気分を反映しているものと言えるだろう。

理想的に見える「利他的」な社会だが、持続はなかなか難しいようだ。NHKの番組では取り扱っていなかったが、バガン朝はその後、寺の勢力が強くなって衰退したそうである。その後内紛から元の侵入を招き、滅亡してしまった。またバガン朝には寺社に付属する奴隷も職人として働いていた。格差が少ないからといって平等な社会だとは言えなかったようだ。

番組だけを見ると「格差がなく理想的」に見える社会だが、その持続は必ずしも容易ではないということも分かる。

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