対価を払わない客 – 日本人のフリーライダー気質

先日来、セブンイレブン「事件」について考えている。セブンイレブン事件とは個人的に体験した問題でネットを騒がせたものではない。この事件を処理するなかでいろいろな人と話をした。共通するのは、異常を見て見ぬ振りをしたいという感情だ。何かの間違いであればよいのだが、10000万に1つくらいは本当にまずい案件が含まれているかもしれない。いったんそれが露見すると、マクドナルドのケースのようにかなり取り返しのつかない問題が起るのだろう。

中の人たちはなぜ異常を見て見ぬ振りをするのだろうか。アルバイトの人たちにはそもそも権限がないし、責任を取る筋合いもない。社員たちの管理が行き届かないので、シフトリーダーが実質的に店を仕切る「無責任体制」で店を回していることが多いようだ。

しかし、社員側はもっと複雑だ。1時間ほど店にいたのだが、お客というものがこんなに横柄だとは思わなかった。一方で近所の顔なじみの客というのもいるようだ。「営業さん」の飯塚さんはこういっている。

経営相談員の仕事はお客とお店側の調整なのですが、たいていの店のクレームは店に処理してもらっています。それはたいていの場合店のオーナーのポリシーによるものだからです。

クレームの内容についてはよくわからないのだが、お客の要求に対して店が応じられないということがよくあるのだろう。安心・安全に関わる問題ばかりではなく「店の態度が気に入らない」とか「ちょっとしたサービスに応じてくれなかった」というクレームが始終寄せられているのではないかと想像した。

中にはアルバイトの人たちがちょっと目配りしていればよかったということもあるのだろうが、権限がないのでそうしたことはできない。しかし、かつてあった万屋のような近所との台頭な付き合いもないので対等に話もできない。「客だったらこれくらいやってもらって当たり前」という人が多いのだろう。

セブンイレブンは商品ラインナップしか決められないが、クレームの多くはサービスに関するものなのかもしれない。こうした「解決するはずのない」問題に振り回されるうちに「もう、どうでもよくなってしまう」のではないかと考えることができる。

消費者は「サービスは無料で提供されるもの」という意識を根強く持っている。それにうんざりしていた企業側がPCデポのような「サービスを有料にして提供する」という姿勢に共感したものと思われる。しかし、それは日本人が持っているような「誠心誠意尽くしてお客様に喜んで頂く」というような類いのものではなかった。やはり、堕落した社員とあまりやる気のないアルバイトによって運営される詐欺まがいの行為に堕してしまったわけである。

しかし、PCデポが人件費(彼らが勤務している空き時間の人件費を含む)を賄うためには「ショートカットを3つつくって3,000円」というような価格でなければ維持できないのも確かだ。PCデポの客はできるだけ安いお金でパソコンを買いたい人たちなので、そもそも成り立たない商売だったのだろう。アップルのように「最新のサービスにはお金を惜しまないし数年で新しいものに買い替える」という人たち向けの並のプレミアムサービスをプレハブだてでやっているのだ。

このように考えてくると、背景には、日本人の複雑な貸し借りと助け合いに基づいた地域共同体が「サービス産業」によって代替されつつあるという姿が見える。しかし、サービスと支出のバランスがとても悪い。同じような問題は福祉政策でも起っている。地域や家族が支えてきた介護や保育が「サービス産業化」することによって様々な問題が出て来た。

国はなんとかして地域や家族をサービスの担い手として使いたい方針なのだが、これは2つの理由でうまくいっていない。1つは全産業が人を使い倒す方向(いわゆるブラック化だ)に動いており、かつての担い手にボランティアの余力がないこと。もう1つはかつての無料の労働が当たり前すぎて、その構造を誰も研究していないということである。知らない物は復活させることができないのだ。

で、あれば「サービスとその対価」のバランスを取って行くしかないと思える。それは多くの日本人にとっては苦手な分野ではないかと考えられる。