豊洲移転問題と関東軍

peekいつものようにアクセス解析を見て驚いた。突然アクセスが跳ね上がっているのだ。何か炎上したのかと思い緊張した。

色々調べるとミヤネ屋で「豊洲市場移転チームの技術屋は関東軍だ」という説明があり、関東軍がなんだかわからない人が調べたらしい。テレビの影響って怖いなあと思った。YouTubeを見ると確かに関東軍という見出しになっているが、関東軍についての説明はほとんどない。

関東軍とは

関東軍は「専門家が暴走した」比喩として用いられる。満州の防衛を担っていた陸軍の組織で、関東とは満州のことで、日本の関東地方とは全く関係がない。関東軍が有名になったのは、第二次世界大戦は陸軍が勝手に起こしたもので、天皇も国民も知らなかったという説明に用いられるからである。

関東軍が中国大陸で「暴走」していた時期はちょうど大恐慌の時代に当たる。政府は経済運営に失敗したが政争に明け暮れており解決策を提示しなかった。陸軍本部も東京で内輪の出世競争をしていた。そこで現場は「どうせ、東京には中国大陸の事情はわからない」と考えて、勝手に中国の要人を殺し、戦線を拡大した。

しかしながら、東京側は陸軍を罰せず、作戦を追認した。国民の圧倒的な支持があったからだと言われている。当時の大手新聞社もこれを煽ったのだ。国民が支持したのは軍部が戦線を拡大したことで日本の景気がよくなったからだ。中国大陸に植民地ができたことで需要が喚起され、余剰の労働力が吸収された。この結果、日本の景気はいち早く回復した。

しかし、この回復は出口のない戦略だった。中国の利権獲得を狙ったアメリカと衝突して外交的な緊張関係に陥る。資源輸入を制限され国民生活は窮乏する。結局日本は挑発に乗る形で真珠湾を攻撃し、第二次世界大戦ののちに中国利権を失った。

関東軍と豊洲移転チームの違い

関東軍と豊洲移転チームには共通点がある。本部が無能でありプロジェクトを管理する能力がない。別の事象に夢中になっていて現場に関心もない。現場には特有の危機感があり、リソースはないが問題を解決する能力を持っている。すると、状況をよく考えずにプロジェクトが始まってしまうのだ。いわゆる「出口戦略」がないので、いずれ状況は破綻する。専門家には多様な視野がないからだ。

一方で違いもある。関東軍は「勝手に暴走した」わけではない。もちろん最初のきっかけは暴走なのだが「結果を出した」ことで政府や国民の信任を得ることになる。国内の政治は二大政党による政争だったのだが、戦時体制に組み込まれ「一致団結」する道を選んだ。これが後になって翼賛体制と批判されたが、当時は「話し合いではないも解決せず行動あるのみ」という空気があったのである。

楽譜の読めない人を指揮者にしてはいけない

豊洲移転問題の要点は「楽譜の読めない人を指揮者にしてしまった」ことにある。当時の東京都政の喫緊の課題は予算の膨張を防ぐことだった。石原都政は銀行経営に失敗しており、都の金を使っって後始末したばかりだったからだ。

有毒物質を産出していた土地で食べ物を扱うわけだから「100%の安全」のために万全の対策をとれば金がいくらあっても足りなかったはずだが、石原慎太郎は判断の間違いを認めず、現場になんとかさせようとした。

そこにコストカッターと言われる市場長がやってきて「どうせお前達は無駄ばかりしているのだろう。費用は削れ。でも安全は確保しろ」などと言われれば、現場はどう思っただろうか。その中でもできるだけのものを作ろうと思った善意の人はいたかもしれないが、微妙で技術的なことを言ってもわかるはずはない。

これは作曲家が「若者に受けてSNSで爆発的にヒットするが、万人に理解される音楽を作れ。ただし楽隊の編成は最低限にしろ」などと言われているようなものだ。いろいろ作ってくるかもしれないが、発注者は音楽にさして興味がない。クライアントに言われたことを調整せずに垂れ流しているだけだからである。煮詰まった作曲家は三味線だけで演奏できる演歌を作って持って行く。しかし、発注者は楽譜が読めないので何が書いてあるかわからないのだから「知らなかった」と言って受け取ってしまう。クライアント会議でお披露目した席で「私は騙された」というのかもしれないのだが、それは作曲家が悪いのだろうか。

冒頭に書いたように「関東軍」は、現場が勝手に暴走した際に使われることが多いレッテルだ。含みとしては「議会と都知事は悪くなかった」という総括であり、実際には何も解決していない。しかし、豊洲の場合には図面や契約書には嘘はない。すべての報告は技術的には上がっている。これを「理系が暴走した」と説明してしまうのは、ものすごく乱暴だ。そもそもの原因は「予算はないが100%の安心安全を目指した施設を作れ」という都側の指示なのだ。

ただ日本テレビも番組制作プロダクションが何か問題を起こしたとき「私たちは知らなかった」などと言いそうだなあとは思った。いつも「予算はないが、クライアントが満足できて視聴率がどーんと取れるものを作れ」などと言っているのだろう。そこでプロダクションが安全管理を怠っても「プロダクションが暴走した」などといって済ませてしまっているのではないだろうか。

これをあろうことか「理系(関東軍)の暴走」という表現をしている。「理系」とは一般人にわからないようにわざと難しいことばかりいっている人という意味なのだろう。一般人は難しいことを理解しなくてもいいし、無理難題は専門家に押し付ければいい。日本人が理系離れするのは当然かもしれない。

先の第二次世界大戦の教訓は関東軍の暴走を国民が黙認したことにある。遠く離れた土地の出来事なので多くの国民は「自分には関係がない」と考えて黙認した。戦後も多くの日本人はこれを軍部の暴走と総括して反省しなかった。プロセスには関心を寄せず長期的な視野も持たず、単に結果だけをみて一喜一憂している。日本人だけの悪癖だとは思わないが、同じような失敗が繰り返されていることは間違いがないだろう。