来年の種籾を食べる日本人

先日来、電通の過労死問題について調べている。本来ならば将来の変革の種になる人材を1年で使い潰してしまった愚かな会社の話である。つまり電通は種籾を食べているということになる。

同じような話はいくらでもある。例えば国は基礎研究の予算を絞って応用にばかり力を入れる。子育てには予算を付けずに今お金になりそうな箱物の建設を急ぐ。どれも、将来の種を今食べ尽くす類の話なのだが、不思議と国民の間も政府にもさほどの危機感はないようだ。

日本が農業国なので「種籾を食べてはいけない」というような教訓があってもよさそうだ。だが「来年の種籾を食べてはいけない」という意味のことわざや教訓はこの国にはない。

一方、飢饉の際に「種籾を食べてしまった」という話は多く伝わっているようだ。伊勢神宮には種籾石というものがあり、奉納するときに飢饉があり種籾まで食べてしまったという話が伝わってい。それ以上の説明がなく「飢饉になるほどなのに信仰心があって偉い」ということなのか、それとも別の意味があるのかはよくわからない。

それとは別に藩全体が飢饉に陥り無収入になった結果として、農民たちが籾まで食べてしまったという話がある。悪天候や虫の害などが影響しているようだ。日本には米と麦の他に代替作物がないので種籾まで食べ尽くすという事態が起こるわけだ。ネットで義農と呼ばれる人が「自分は餓死したが籾を守った」という話を読んだ。社会的なセーフティネットはなく、個人のモラルに頼ってしまうということになるようだ。その時藩主は農民に米を与えず、吉宗から罰せられたそうだ。

二宮金次郎の「報徳思想」の中には倹約してためた余剰を社会に還元する推譲という考え方が出てくるが、それ以上の体系にはなっていない。少なくとも統治やマネジメントのレベルでは「将来のために還元せよ」というような思想はない。武士階級には倹約という考え方はなく、将来取れる年貢を担保にして無制限に借金するというような財政がまかり通っていた。農民は余剰分を搾取されてしまうので、江戸後期になって生産性の向上はみられなくなった。

ここから見えるのは「自己責任」と「モノカルチャー」という伝統である。社会全体で助け合うという気持ちがないうえに、みなが一斉に同じ行動をとるので、困窮が社会全体に広がってしまうのである。

社会的なバックアップガないのに、なぜ日本人は滅びなかったのだろうという疑問が湧く。悪天候というものが5年続くことはないわけで、社会的な教訓を得る前になんとか天候が回復し、農業生産が再び回復したという経緯があるのかもしれない。ある地域で種籾を食べつくしてもよその地域が生き残ったということもあるのだろう。裏を返せば、今年の分を食べても来年また生えてくるという恵まれた自然環境の結果なのだ。

これが砂漠で生きていて十分の一税を発明せざるをえなかった西洋の人たちとは違っているのかもしれない。

現在日本は種籾を食べ始めているのだが、政治的リーダーたちは以外と「どうにかなる」と考えているフシがある。中にはオリンピックや万博などを誘致し続ければ景気は回復すると考えていそうな人たちもいる。日本の衰退は構造的なものであって、シクリカルな変化ではなさそうなのだが、そう思えないのも、反省しなくてもなんとかなった過去の経験があるからなのかもしれない。

 

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