なぜ洋服にはマニュアルがないのだろうか

先日来、いろいろ不満があり洋服について書いている。その不満の源泉は「自分が分からない」という点と「何をどう着ていいのか」が分からないという点だ。自分については自分で観察するしかないわけだが、洋服についてはメーカー側の責任も大きいのではないかと思う。

それについて考えているうちに「なぜ洋服にはマニュアルがないのか」と思った。

もともとの男性服にはマニュアルが必要なかった。スーツには芯があり、体型を補正する役割を果たしていたからだ。パターンが決まってしまえばシェイプが固定される。いわゆるセンスを決めるのはシャツとネクタイの色だけだった。

ところがスーツから芯が取り除かれ、カジュアル化が進むと体型がそのまま露出するようになった。さまざまな由来を持った服があり、それを組み合わせるという「コーディネート」という考え方も出てきた。これを取り入れるのがファッションだということになった。

現在は、デザインの豊富さに対応するか、単純化するかという二者択一を迫られており、時代は確実に単純化に傾斜している。色は単純化しており、モノクロ、インディゴ、茶系くらいが売れ筋のようだ。模様も、無地、チェック、横ボーダーだけだ。

特徴のあるアイテムが売れないのはなぜだろうか。特徴があるので着まわしができず「コスパが悪い」とみなされる上に、デザインが過剰になる「リスク」があると考えられるからだろう。つまり、デザインはリスクになりつつあるのだ。

これとは別の議論がある。売る側の商習慣の問題だ。売る側は新しい製品のプロモーションには熱心だが、アフターフォローは行わない。売り上げにつながらないアフターフォローは金にならないからである。

その上、メーカーは新しさこそすべてというメッセージを出している。発売日を過ぎるごとに価格は減衰してゆく。そこで消費者は洋服は秋刀魚か鯖のようなものだと考えるようになる。去年の洋服は腐った魚のようなものでまったく価値がない。だから、それに対する情報はない。

状況を整理すると、消費者の下には毎日のように新製品と価格低下の情報が流れ込む。しかし、そこに掲載されている服はどれも似たようなものばかりである。そして、一度買ったものをどのように着てよいかという情報はないのである。

「ファッション雑誌があるではないか」という話はあるのだが、ファッション雑誌には消費者が持っている商品そのものの説明はない。だから、製品のマニュアルをつけて出せばよいのだ。マニュアルには買った商品のデザイン上の説明と着方が書けばよい。多分、重要なのはどのようにワードローブを展開してゆくかという処方箋なので、すべてのアイテムにマニュアルをつける必要はない。キーになるアイテムだけである。

マニュアルはリスト獲得の手段にもなる。消費者にアイテムを登録させて、毎月着方についてのガイドを出せばよい。これによりユーザーのワードローブを把握することができる。

「今でも毎日メールマガジンを出しているのに、マニュアルなど作っている時間はない」という反論もありそうだが、アパレルメーカーの情報発信は明らかに過剰だ。これを減らしてアフターフォローにまわすべきなのである。

いろいろと書いたが話は単純だ。世の中はファッションから定番化に向かっているのだから、消費者が持っている服をどれだけ活用してもらえるかという情報化が重要だ。アパレル産業は洋服を売っているわけで、必ずしも流行をつくらなければならないわけではない。

その上、現在は明らかに情報過多な状態にあるのだが、競合他社はどこもアフターフォローを行っていないのだから、ここだけ情報過疎の状態にある。

考えようによってはこれ以上の好機はないのではないだろうか。つまり、洋服を売るのは多分思っているよりも簡単なのだ。