友達でもないのにツイッターで話しかけてはいけないのか

面白いツイートを見つけた。背景はよくわからないが、プロのライターさんで雑誌がバックグラウンドだと思う。知らない人から「ちょっと調べればわかる」ことに関する指摘が来るのが嫌らしい。普段から余白のあるツイートをしているので、それに突っ込んでくる人がいるのだろう。

余白があるということは知的だということなのだが、現在のツイッター事情には合わない。現在のツイッターは自分の主張を叫ぶ人たちばかりになっており、知的な余白を残す余裕はない。昔の雑誌というものに知的な余白があったのかという点はよくわからないのだが、今よりはおおらかだったのかもしれない。

もう一つ感じたのは雑誌とネットの違いだ。雑誌は送り手側と受け手側が分離しているが、ネットはそうではなかった。ゴーファーあたりから使い始めた人は、掲示板の割と平等な仕組みが新鮮に映ったはずだ日本人は文脈依存だがそれほど上下格差が強くないので、ネットの平等な仕組みに居心地の良さを感じた人も多かったのではないかと思える。

個人的には葉巻の掲示板を(HTMLベースで)運営していたのだが、すぐにファンとお店の人が集まるコミュニティができビギナー、ベテラン、業者が交流していた。バーチャルとリアルのつながりもあり、掲示板を作ったということで美味しいワインを飲ませてもらうこともあった。

ネットは「リアル世界で知り合いだから気安く話しかける」などという文化ではなかったが「知らない人だからよそよそしく対応する」という文化でもなかった。

例えば葉巻という趣味はクローゼットの中のスノッブな趣味で、社会的には認知されていない。例えば上席が開示してしまうと「部下に押し付けた」ことになりかねない。ネットは好きな人だけが見ればいいわけで、社会とは違う文脈が選択可能だった。

逆に言えば社会では「好きでなくてもお付き合いしなければならない」ということが多かったのだと言える。

リアルとバーチャルを組み合わせるという文化(つまりはネット広告だ)もアメリカから持ち込まれた。例えばある葉巻会社は原宿にあるお店が新装開店するという案内を送ってきた。しかし、日本人スタッフにはぴんと来なかったようだ。日本人が集めた人たちは「自分たちのつて」で選んだリアルコミュニテイの人たちで、ネットの「見ず知らずの人たち」に訴求するという発想はなかった。ワインと葉巻の会を主催したのも香水などを扱っているマーケティング会社で、これも外資系だった。日本人はリアルのコミュニティから抜け出すことが本質的にできないのである。それだけコンテクストに依存しているということになるだろう。

最終的に日本ではバーチャルとリアルが窮屈に結びついてしまうことになった。最初に窮屈なつながりを目にしたのはあだ名でつながり合うmixiだった。職場の人からほのめかすように誘われたが「なぜと匿名でなければならないのか」意味がわからなかった。この結果、日本には3つのコミュニテイができた。

  • 匿名のままつぶやきに近いことをいい合う掲示板。リアルな空間に影響を及ぼすことを恐れていて防波堤を作っている。
  • リアルのつながりがそのまま持ち込まれたLINEのような空間。
  • 現実世界を反映しつつ正義がぶつかり合う世論。

リアルとバーチャルが強く結びついてしまうのはなぜなのだろうか。これはバーチャルでの関係性によってリアルが侵食される(つまりリアルでも同じ行動を取らなければならなくなる)と感じるからではないかと考えられる。つまり日本人は2つ以上のコミュニティを持てずに全てを同期しなければならないという前提を置いているということになる。例えばプライベートと仕事空間は別という気持ちになりにくいということだ。

さらに、相手に意見をされるということはそれに対する態度を決めなければならないという思いもあるのだろう。個人主義的な文化では「あなたはそう思っているのね、でも私は違うの」で済んでしまうのだが、日本人は「言霊」を置いてコミュニケーションが現実に影響を受けると考えている。

これは言葉だけではなく視線でさえも起こりえる。挨拶をすると目を背ける日本人が多いがこれは視線がその人を侵食すると考えるからだ。アメリカの場合は挨拶か笑顔が返ってくる。これはアメリカ人が礼儀正しいからというよりは、挨拶には防衛の意味もあるからである。視線を送ったからといってそこで関係性ができるということはありえない。

最近ではマンションで子供に挨拶をしないという申し入れがあったことが話題になった。これは日本人が挨拶=世界への侵入だと考えるからだろう。挨拶はたんに敵意のなさ(つまり攻撃しないという意思表明)に過ぎないという文化もあるのだ。

コンタクトが瞬間に関係性を作るという事例は他にもある。日本の電話機には「迷惑電話撃退機能」が付いているものがある。機械の声で「最初に名乗るように」と依頼してくれるボタンだ。もし名前を名乗らなかったり、売り込み電話だったりすると別のボタンを押す。すると丁重なガイドが流れて電話が切れるのである。論理的に考えるとボタンを押すのも「あんた誰だ」と聞くのも同じことなのだが、悪く思われたくないという気持ちがあるのだろう。

コミュニケーションが成立した瞬間に文脈が発生するということになる。これがいろいろな軋轢を生んでいるのだろうと考えることができる。

 

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