コンランとモリス

Terence Conran on design – テレンス・コンランデザインを語るを読んだ。コンランはデザイナが製造・販売・マーケティングなどに深く関与すべきだと主張している。これはコンランの個人的な体験から来ているようだ。

コンランは仕事を探すがなかなか認めてもらえない。デザインは選ばれた人たちだけのものであってはならないと考え、手軽に手に入るデザイン家具を作る。手軽に買える代わりにお客が自分で組み立てるというコンセプトは販売店には受け入れられなかったので、自分たちで店を作った。1964年のことだそうだ。コンランはデザイナは単にデザインするだけの存在ではなく、社会的に重要な役割があると考えている。

コンランがこう考えるのはイギリスが階級社会だからかもしれない。職人階層は自分たちの役割を明確にしておく必要があるわけだ。

ウィリアム・モリスはコンランよりも100年前に同じようなことをやったデザイナー出身の実業家だ。出身も同じような実業者階層だった。有名なのはテキスタイルや壁紙のデザインだが、それだけでは飽き足らずフォントまでデザインした。モリスの知識は多岐にわたる。庭を観察してイギリスならではの植物をデザインに取り入れる。染色に精通し、限られたコストで効果的に染色する方法も知っていた。ウィリアム・モリスも自分たちで会社を作りデザイン論を語り、アート・アンド・クラフトという運動を起こした。モリスはフリーランスのデザイナを起用したことでも知られているとのことである。

モリスは晩年には社会主義運動に傾倒する。しかし、実務の人らしく、マルクスの理論には関心を示さなかったようだ。しかし、デザインは限られたエリートたちだけのものではなく、幅広く大衆に受け入れられるべきだと考えていた。この主張はコンランと共通する。(ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動 – 146枚の図版によるデザインの原典決定版 ウィリアム・モリス)

20世紀は一般に科学と消費の世紀だと考えられている。社会主義運動が起こり、一部の国では地主階級やエリート層が解体かされた。エリートのものだったデザインもこうした人たちの努力によりまた大衆化され、消費の対象になった。

近頃話題になったスティーブ・ジョブスはデザイン教育を受けたが自身はデザイナーではなかった。結果的に優れたデザインを数多く送り出した実業家として位置づけられることになった。評論家たちが主張するのは、ヒッピー文化との関連だ。これが、コンピュータの大衆化という主張に発展し、紆余曲折を経て携帯型の端末が作られた。

コンランやモリスは自身がデザイナーであり、かつ経営者としても成功した。このようにデザイナーはただ、デザインをするだけではないことを知るのは大切だし、経営やコンセプトメーキングとデザインは必ずしも無縁のものではない。人によっては政治的なムーブメントとのつながりさえ感じられる。世の中のトレンドを読むというレベルではなく、根源的な欲求を実現するための手段としてプロダクトのデザインを位置づけている。

一方、デザインをまったく無視した起業家もいる。例えばヘンリー・フォードは自動車の製造工程からデザインをまったく排除することで、量産化を図った。おかげで自動車は大衆に広まるのだが、やがてフォードTモデルは飽きられてしまうのだが、それでも無機質で「デザインのない」ものが無意味だとは言えない。その証拠にTモデルは、ある時代を表現するアイコンとして頻繁に用いられる。

このようにデザイナはただ単にできあがったものの見栄えを「ちょちょっと」良くするための職人ではないし、広告の色付け屋でもない。製品の価値そのものを決定する力を持っている。しかし、だからといって自動的にそういった地位が得られるというものでもない。先人たちの努力の上で社会的役割を自覚しなければ、便利な職人で終ってしまうかもしれない

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