反論の技術

ブログを書いていると時々反論がくることがある。だが、反論の中身を読んでみてもよくわからないことが多い。最初のうちは少し忖度して「こういう意味ですか」などとやっていたのだが、これはあまりよいやり方ではないようだ。たいていの場合相手は怒っているので、さらに「お前はわかっていない」とやられてしまう。だが、これはまだ良い方で本当に何を言っているのかわからない人も多い。

このような経験を積み重ねるうちに反論する技術がないと相手に反論していることすら伝わらず、単に不毛な言葉のやりとりになってしまうのだなと思うようになった。

そこで改めて反論の技術について考えてみたい。いろいろと書いているのだが、読んでもらえなさそうなので、短くまとめた。


  • 一晩置く
  • パーソナルに取らない
  • Twitterは使わず、適切なメディアを使う
  • 構成を考える

リアクティブな反応は一晩置く

第一の技術は「技術」というほど大げさなものではない。自分の考えと違ったものを見ると即座に反論したくなるのだが、それはまとまりを欠く場合が多い。つまり、一晩置いてよく考えた方がよいと思う。もちろん、ニュースのコメンテータのように瞬発力で生きている人もいる。同じように即座に反論を書いてもそれなりに通用する文章が作れる人もいるのだろうが、こうした才能に恵まれていない人や経験の乏しい人が真似するのは難しいと思う。少なくとも僕にはできそうにない。

さらに、いったん反論を書いたら相手の論を見直してみるのも重要かもしれない。意外と「あれ、本当はそんなこと言ってないな」というものも多い。

もちろん、すべてのテーマについて冷静で居られるわけではないのだろうが、本当に大切で伝えたいと思うならできるだけ冷静になった方が良い。

パーソナルに取らない

次のコツは個人的に取らないということである。これには日本人独特の難しさがあり、別にエントリーを立てて今回の事例とともに考えたいと思う。個人的に取ってしまうと「否定されたらどうしよう」と思ってしまい、なかなか思い切った文章が書けない。練習するなら、あまり自分とは関係がないトピックについて意見を書く練習をすればよいと思う。

中には個人攻撃を仕掛けてくる人もいるが、少なくとも学術的には反則行為だし、そもそも合意するつもりもないのだろうから放置しても構わないと思う。「反論がないということは負けを認めるということなんだ」なと言いたがる人もいるが、そもそも勝ち負けではない。

議論の対象になるのは、例えば「日本は核武装するべきか」とか「アイヌ人は存在するか」というトピックであって、その議論を行っている人の品評会ではないということは覚えておくべきだろう。

Twitterは使わない

Twitterは便利なメディアだが討論に向かない要素がいくつかある。試しに今回の人はTwitterで書いてきたが途中でまとまりがなくなり、論が最初に戻ってしまった。どうやら、論の途中はあまり主張とは関係がなかったようである。

このことから、できればTwitter意外の効果的なツールを使った方が良いのではないかと思う。ここであらためてTwitterの不便な点をまとめてみよう。

  • 文章が細切れになる → まとめて書くことができるツールを使う
  • 書き直しができない → 自分に編集権限があり推敲できるツールを使う
  • リアクションが追いにくい → コメント欄、ピンバック、いいね、リツイート数を使ってリアクションが追えるようにしておく

Twitterはレスポンスがすぐに戻ってくるのでサウンディングのツールとしては使いやすいと思う。情報収集には向いたツールだ。実際に、政治家の中にはサウンディングのツールとして利用している人もいる。少し無茶なことをつぶやいてみて反応を見ているのだ。

オンラインには無料で使えるツールがいくつもある。Wordpressも無料版があるし、Tumblrも利用できる。オウンドメディアであっても月々ワンコイン程度で利用できるものは多い。特に社会運動的な要素のあるものなら同じ興味関心を持った人たちを集めて情報発信すべきだろう。

なお、このブログについているDisqusもミニブログのように使える。単にコメント欄だと思われていることが多いようなのだが、実際には作者ごとの発言が追跡できるし、もちろん気に入らなければ書き直しもできる。つまりオウンドメディア(自前のメディア)がなくても自分の意見が書けるようになっている。ただし、Disqusは他人のブログを使っているので、掲載権はブログの持ち主にある。まとまった意見があるなら自分のメディアを持つべきではないだろうか。

構成を考える

構成を考えることは重要である。今回は反論なので立場を提示してそれに対してどのような意見を持っているかということを最初に書くべきだろう。そのあとに理由を付け加えて行くと良いのではないかと思う。

反論の場合はわかりやすいのだが、実は賛同に見える方が実は厄介だったりする。賛同しているように見えても勘違いをしているのではないか思える意見に遭遇することがある。重要なのは前提条件である。つまり、ポジションは対象物に対する仮定(たいていの場合事実と呼ばれる)によって成り立つのだから、その仮定も同時に明示してやるべきなのだ。

反論および賛同に必要な要素を挙げてみよう。

  • トピックの提示
  • 相手の意見の再確認
  • 相手の意見に対する自分の意見(立論)
  • 前提条件や理解の提示
  • 立論をサポートする論拠を複数
  • 結果の再確認とまとめ

意外と自分が考えている世界観は相手と共有できていない。自分がどう解釈したのかということを提示したり仮説について再提示するのは意外と重要なのではないかと思う。仮説や価値観が違うなら結論が違っても止むをえないのだから、たとえ答えが違っていてもそれを結論を許容する理由になる。

文章を書き始めた当時には何にでも使える魔法のようなルールがあるのではないかと思っていたのだが、そのようなものはないようである。文章の構成にはいろいろな形があり、それを使い分けることになる。

もちろん、俳句の型のような簡単な構成というものはある。ポジションを提示した上で理由を3つ付けて補強し最後にもう一度自分のポジションを提示するというものだ。

  • 立論とその背景
  • 理由
  • 理由
  • 理由
  • 結論

確かに、このやり方をとると簡単に論をまとめることができるのだが、実際にはこのようにはいかないことも多い。相手の言い分からも学べるところがあったり、討論の対立構造に再考の余地がある場合があるのだ。小池百合子東京都知事が流行らせた「アウフヘーベン」である。実は枠組みが思考を支配しているということが多く、枠組みを変えてみることでもっと自由な思考が得られたりすることもあるということだ。

構成を考えるのに特別なツールはいらない。白い紙を出してきて思いつく要素を並べてゆくのがよい。どうしてもパソコンが使いたい場合にはマインドマップアプリを利用すると良いだろう。その場ではまとまらなくてもしばらく時間が置くと再構成ができていることが多い。いったん形にしてしまうとそのあとでも脳が「裏で計算」してくれているようである。

反論はなぜ重要なのか

以上で反論の技術についての考察は終わりである。ここでまとめに代えて、なぜ反論が重要なのかということについて考えてみたい。理由は三つある。

まず、反論の第一の目的は相手に自分のポジションをわかってもらうことである。閉鎖された村のようにみんなが同じ価値観を持っているのならその必要はないが、価値観が多様化した現在では自分の立場を理解してもらうことは重要である。

加えて、反論には相手に知らない知識を与えるという役割もある。もちろん職業的な言論人の中には生活のためにわざと複雑な事情を無視して単純化している議論を繰り広げている人もいるわけだが、そうでない場合には情報を与えることで意見を変えたり同居ができる程度に折り合いがつく可能性もあるのである。

この二つは相手や社会のための行為なのだが、実は反論は自分のためにも役立つ。ある程度構成のある文章を書こうとすると調べ物をしたり言葉の定義を整えたりする必要が出てくる。すると、自分が考えていたトピックについてさらに詳しく知ることができる。

例えば「憲法第9条を守るべきだ」という文章を書くならば、その前提になる戦争について調べるはずである。自然と「自分が考えている戦争というのは一体何なのか」ということを考えざるをえなくなるはずだ。単に勉強会に参加して他人の意見を鵜呑みにしているだけでは前提に踏み込んで物事を考えることはないだろう。

このように反論にはいくつもの利点がある。何か自分にとって大切な問題があるなら、建設的に反論をする技術を身につけるべきだと思う。

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