森友事件は民進党没落の駄目押しになるのではないか

ここのところ、ページビューが落ち込んでいる。豊洲からはじまり森友事件に至るまで「政治がけしからん」というニュースが多かったのだが、それが落ち着いたからだろう。一連のニュースについて書いていてわかったのは、人を主語にして貶めるようなヘッドラインにすると、それを目当てに多くの人が集まるといういうことだ。特にTwitterからの流入が劇的に増えるのだが、わざわざ検索してくる人も多い。つまり「何を言った」ではなく「誰が言った」ということに関心があり、肯定的な情報より否定的なニュースを求めている。

感想としては「わかった」という人も多かった。わかれば行動ができるはずなのだが、いっこうに行動には結びつく気配がない。どうやら社会に不愉快さを感じていて、その原因が役人や官僚、そして安倍首相にあることがわかったと感じているようだ。つまり、自分はまともなのに他人はバカばかりということが「わかった」ということになる。

こうしたことから、読み手が積極的な自己肯定感を持つことができず、相手を否定することだけが肯定感をえる材料になっていることがうかがえる。

こうした一連の観測から森友事件は民進党没落の駄目押しになるのではないかと思った。「え、自民党ではないのか」と思っていただければありがたい。

防衛省や森友事件でわかったのは、安倍官邸が官僚をコントロールできておらず、また官僚も本気で何かを隠蔽するような必死さを持っていないということだ。そのため嘘はすぐにバレてしまうのだが、官僚はもうそんなことはどうでもいいようだ。「国民をナメている」とも捉えられるが、あるいは無気力さの裏返しかもしれない。

千葉県知事選挙も盛り上がらなかった。30%程度が投票したようだが、それでも多いなという印象だ。東京都のように明確な失敗や悪者がいなかったせいだろう。現職の森田健作知事は加計学園や日本会議との関係が噂されており、今回の流れでは悪者になりかねなかった。が、多くに県民は気にしなかった。つまり構造ではなく人に興味があるのだ。

こうした中で革新系は大した争点が見つけられなかった。ある革新系候補が訴えていたのは「ブラック企業をなくす」などの国政に関する話題ばかりだったが13万票の得票で終わった。現職は109万票で再任されている。

これには安倍政権が作り出した空気が大きく関係している。社会に不具合が露呈すると人々は自分を変えて状況に適応するかやり方を変える必要がある。だが、物語が与えられると「自分は変わらなくてもいいんだ」という安心感が得られる。それを与えてくれたのが安倍首相だ。

それは単なる麻薬にしかすぎないので一部が騒ぎ出した。そこで安倍政権が繰り出した新しい発明は「騒いでいるのは一部の人たちであって、普通の人たちは安倍政権を支持している」という嘘だ。原子量発電が嫌いな人、沖縄で基地が嫌な人などは確かに「一部の人」だったのだが、最近では「保育園が見つけられない人」「将来に展望が持てない人」「教育勅語を信じている人」まで一部の人扱いにしてしまったため、どんどん「一部の人」が増えている。が、それぞれは小さな塊なのでまとまることは難しい。

すると共通目的は作れないけれども敵の存在だけは明確という大きな群れができあがる。彼らができることは、誰かを指差して「世の中の不調は誰か他の人のせいだ」と声高に叫ぶことである。そう言っている時だけ一体感を感じることができる。このような現象をポインティングフィンガーシンドロームと呼んでいる。つまりこれも一種の麻薬なのだ。

だが、このような状態が長く続いたために、革新勢力側は求心力を作る必要がなくなった。求心力がなくてもとりあえずはまとまっていられるからだ。

だから、ポインティングフィンガーの対象がない千葉県知事選挙ではまとまれなかった。ある革新系の人たちに話を聞くと「すみたにさんの陣営から事前に挨拶がなかった」から表立って応援しないという。それでも彼らは安倍首相を糾弾するのに夢中になっており、足元の政治に大した魅力を感じていない。加えて、いわゆる一般庶民が、自分たちの運動に全く興味を持っていないというのも知っており「どうせ何を訴えてもダメだろう」という気分に陥っているようだ。さらに、もともと人のアラが気になって仕方がない人たちなので「あれもダメ、これもダメ」となってしまうのだろう。

このようにして、大きすぎる無力感と明確な敵の存在で革新系の弱体化は着実に進行している。ということで、誰が党首になったとしても民進党が潰れるのは時間の問題ではないかと思う。

もし、革新系勢力の弱体化に力を貸したいなら、今まで通りポインティングフィンガーを続けるべきだろう。これは安倍政権の延命に役に立つ。これは革新系勢力の望んでいることではないかもしれないが、いつまでもTwitterの前で不満をつぶやいていられる。金がからない娯楽なので、まあそれも選択肢の一つかもしれない。が、社会は確実に弱体化するだろう。

道徳の文部科学省検定の何が問題か

道徳が教科になるということで教科書検定が厳しくなったようだ。パン屋が和菓子屋に改められたというのが反発を呼んでいる。そこでハフィントンポストの記事を読んでみたのだが、問題はそれだけではないようだ。ただ、いろいろ考えた結果、道徳って我々が思っているより暮らしに密着しているんじゃないかと思った。イデオロギー対立の道具に使って<議論>しちゃっていいのかというのが最終的に訴えたいことになってしまった。

ハフィントンポストによると「指導要領の内容を網羅するため」ということで、消防団に参加するパン屋のおじさんがおじいさんに改められたりしているという。国粋主義が強まっているという疑念はそれなりにあるのだが、それ以前に気になるのはフォーマリズムだ。

道徳の目的は、円滑な社会生活を送るために必要な姿勢を作り出すことだ。だから、子供の内部に社会や個人に対する肯定感を育てる必要がある。つまり、道徳教育でで語られることは「例示」にすぎず、多くの例示のなかから内部に「価値観」を作ってゆき、実践することが大切ということになる。

ところが、文部科学省の人たちは、内在的な規範の大切さがわからないようだ。外形的なことを暗記さえすればよいと考えるから「網羅」を目指すのだろう。記事によると教科書を作った人たちはこの点に大いに戸惑ったようだ。心でなく形ばかりが重要視されているというのだ。

同じような教科が英語だ。日本の英語教育は「教科書に書いてあることを覚えさえすればそれでよい」ということになっていて、それを英語が話せない先生が教える。だから英語が話したければ、学校教育をすべて忘れて英語を学び直すことになる。そうしないと実践的な英語が学べないからである。具体的にはアカデミックイングリッシュとかビジネスイングリッシュなどの語彙を覚えないと実践的な英語は話せない。そしてこれは受験英語とはかなり異なっている。

さて、ここまで書いてちょっと寝かせておいた。その間にバイト敬語を耳にする機会があり、道徳というのは思っているより言語性が強いのかもしれないと思い直した。

敬語は待遇表現なので、動詞とか形容詞の変格を勉強しただけでは身につかない。学校の敬語教育が型どおりのものでも構わないのは、我々が学校の外で待遇表現について学ぶからだ。主な通路は家庭と会社なのだが、家庭で基礎的な待遇に関する知識を学べないと敬語が身につかない。すると就職活動で不利になり最終的には経済格差につながる。

我々がそれに気がつかないのは実はかなり恵まれた家庭環境にいるからなのだが、バイト敬語の人たちは待遇表現の基礎を家庭で学ぶことができなかったはずだ。すなわち親も敬語が使えない可能性が高い。つまり社会格差は親から子に引き継がれてしまうということになる。社会的格差の誕生だ。

英語にも同じ側面がある。言葉が話せても裏にある個人主義文化が学べないと面接に対応できない。英語の面接では「御社のためになんでも頑張ります」などと言っても落とされてしまう。自分のスキルを例示して、だから御社に貢献できると言わなければならない。これはチームプレイに対する考え方が異なっているからなのである。つまり、言語には社会性があり、それによって選択肢が変わってきてしまうのである。

同じことがが倫理にも言える。文章を書いているような人間が「学校の道徳教育なんてくだらない」などと言えるのは、実は家庭で基礎的な道徳を学んでおり、その結果として就職活動にも困らなかったからだ。ところが中には親に倫理観念があまりなく、従って面接などでも「どう振舞っていいかわからない」子供もいるはずだ。敬語と同じでよい規範を持っている人は他人と信頼関係が結べるのでよく処遇される可能性が高い。すなわち、どのような倫理規範を内在的化したかというのは経済問題に直結してしまうのである。

学校で型どおりに道徳を学ぶということは、ほぼインスタントラーメンだけを食べさせられているというのに等しく栄養が得られない。普通の家庭に育った人はそれでも構わないわけだが、そうでない人は大きな影響を受ける。

例えば敬語が使えなかったり道徳的でない人が偉くなることがあるだろうという反論もありそうだが、どう振る舞えるかということが重要で、どう振舞っているかということはあまり関係がない。バイト敬語の人たちは使いたくても正しい敬語が使えない。マニュアル通りの対応はできるだろうが、それではマネージャークラスの面接には受からない。これを国際的に展開すると国粋主義的な道徳観を身につけた人は複雑さを扱う多国籍企業には採用してもらえないだろう。嘘だと思うなら、金日成絶対主義の教育を受けた人が北朝鮮の人が一人で東京で働くことを想像してみるとよいだろう。

つまり、道徳には極めて実務的で排他的な側面がある。だから、道徳の議論をするときにイデオロギー的な側面だけを考えるのは実は有害なのではないかと思う。

 

森友事件に忖度などなかったのではないだろうか

さて、先日面白いTwitterのまとめをみた。森友学園事件で籠池理事長が外国人特派員協会に招かれた。そこで忖度という言葉が訳せず、そのままSONTAKUと訳されて報じられたというような筋だ。最初に書こうと思ったのは「日本は集団主義で主語が曖昧だから忖度のような独自概念が生まれる」というような内容だったのだが、ちょっと頭の中で転がしていて「そもそも忖度なんてなかったのでは」と思い始めた。

忖度とはある人が別の人の気持ちを汲み取って行動することを意味するので、直訳するとReading between the lineということになる。こうした表現は英語にもあり、実際に外資系では忖度が行われることもある。マネージャーが部下を雇うのでマネージャーに嫌われるとクビになってしまう可能性があり、日本よりもシビアな忖度が行われる。普通のアメリカは個人主義文化なのでボスはなんらかの手段で基本的なルールを示しているはずだが、イタリアマフィアのように集団主義が進むとこれが薄まるので、普通のアメリカ人はsontaku is yakuza’s ruleのように捉えるはずである。

日本で忖度が行われるのは周りの人々が同じ空気を共有しているからだ。つまり忖度の裏側には、長年非言語的に蓄積された経験とか共有された人間関係の認識などがある。超能力者でもない限り人の心は読めないわけで、暗黙知の共有度合いが高いほど「類推があたる」可能性が高くなるわけだ。つまり忖度は暗黙知的なコミュニケションが円滑に行われているということを意味する。

あるいは安倍首相は日本会議からの支持を期待して日本会議の主張を具現化するような教育に肩入れしていた可能性もある。これは、expectationとdealであり、その場合は官僚になんらかのプレッシャーをかけていた可能性がある。これは忖度ではなく不当な指示であり英訳には困らないし、忖度のような非言語的な一体感で不可解さを説明する必要はない。

だが、森友事件の場合、籠池理事長との関係が露呈すると安倍首相はその関係を切り捨ててしまった。また森友夫妻も「神風が吹いた」とか「素人がわからないまま政治に関与すべきではない」というようなことを言っており「よくわからないけど官僚の態度が変わったので、だれか有力な先生がなにかしてくれたんだろう」という感触を持っていたことがうかがえる

少なくとも安倍首相にはそれほどの思い入れがなかったことが想像できるので、官僚は(暴走する昭恵夫人や安倍首相との関係を騙る籠池理事長のせいで)勝手に誤解していたこととなる。もし官僚がちゃんと忖度できていたとしたら、このような危険な(少なくとも財政上は破綻する可能性が高かった)ディールには肩入れしないように安倍首相と夫人に報告できていたはずだ。

安倍首相は人事権を握り官僚を恫喝しているので、官僚との間にコミュニケーション上のディスコネクションができていたことが想像できる。するとこれは忖度ではなくディスコネクションの問題ということになり、これも英訳可能である。小池晃議員は「指示もないのに勝手にやったってことになるんですか」と質問しているのだが「そうだった」ということになる。

背景がわからない外人に説明しようとすると説明不能な箇所がいくつもでてきてしまうのは、我々が実はこの問題がわかっているつもりになっているが、本当はなにが起きたのかよくわかっていないということを意味する。すると不協和が発生するので「官邸と官僚が阿吽の呼吸でなにかしたにちがいない」というブラックボックスをおいて、不協和を解消しているだけということになってしまう。それが忖度なのだ。

それを助長しているのは実は情報を秘匿している官邸サイドなのだが、多分彼らはそれに気がついていないだろうし、気がついていても引き返せないほど騒ぎが大きくなってしまっている。

つまり、外人に向かって「日本人にはお前たちがわからない複雑なコミュニケーション様式があるんだよ」などと考えてしまうと、却ってことの本質がわからなくなる。官邸と官僚組織の間には、お互いのことがよくわかっていて忖度できる関係ができていたわけではなく、Because of Abe’s poor communication skill, beaurocrats misunderstood his will and lost their mindあたりが正しいのではないだろうか。つまり、忖度などなかったのだ。

背景には安倍首相の一貫しない指示があるのではないかと思う。民主主義を尊重して中国に対抗すると言ってみたり、日本を戦前の価値観に戻すと言ったりしている。すると周りにいる人々は安倍首相の意思を合理的には読み込めなくなるので、籠池さんのような気違いじみた教育理念を持った人が近づいてきても「あるいはそういう人に肩入れしているかもしれないなあ」などと考えて、不当な土地の値引きなどをやってしまうのかもしれない。考えてみれば国民に人権があるのはおかしいといい、国会で私人を吊るしあげようというきちがいじみた人が国会議員をやっているのだから、そう考えてもなんら不思議はない。彼ら日本会議系の国会議員は普段から官僚を恫喝しているのだろう。

つまり野党が心配すべきなのは忖度できるほどの濃密な関係ではなく、寸断されたコミュニケーションなのではないだろうか。つまり、安倍首相は官僚機構をコントロールできなくなっている可能性が高いのだ。つまり「忖度がなかった」ということを証明するのは安倍首相を支持するものではなく、逆に総理としての資格がないということを証明することになるのだ。

できるだけ手間をかけずに趣味の写真をまとめる

Webサイトを使ってコレクションの写真をまとめて発表したい。でも、できたらシステムのメンテナンスではなくコレクションそのものに集中したいですよね。そこで写真の管理を極力簡単にするようなワークフローを考えてみました。準備するのはPHPが動くウェブサーバーとMacintoshです。globは4.3以上で動くそうですがもうPHP5じゃないシステムは残っていないと思います。最新のバージョンではWeb共有はなくなってしまいましたが、ローカルでAppacheを走らせることは可能だそうです。

まずコレクションの写真を撮影したら作品ごとにフォルダーを作ります。Macintoshはフォルダーに写真を貼り付けられるのでフォルダーのサムネイルを写真にすると整理が楽です。Windowsの人はどうやって写真を管理しているのだろう。

  1. フォルダーを作る。
  2. コマンド+iで情報を表示しフォルダーアイコンを選択。
  3. 好きな写真をコピーして、貼り付けます。

前回作ったシステムに導入してゆくのですが、今回はあらかじめディレクトリとタイトル情報を配列化しておきました。こうするとデータベースを作らなくて済むので楽です。管理画面を作る必要もないし、phpMyAdminを毎回叩く必要もありません。で、コアになるコードはこれだけ。ファイルはアルファベット順に読まれるので時系列順に名前をつけておいたほうがいいです。これでファイルを追加するたびにデータベースを書き換えたりHTMLを書き換えたりする必要はなくなります。

foreach (glob($dir,GLOB_BRACE) as $imagefiles){
echo <<<EOF

<div class=”item”><a href=”$imagefiles” rel=”lightbox[images]”><img class=”centerimage” src=”$imagefiles” alt=”image”></a></div>
EOF;
}

<script src=”masonry.pkgd.min.js”></script>を使うと自動でグリッド上に並びます。Masonryなどは別途ダウンロードしてください。スマホでの表示を考えると横幅280ピクセル位がよさそうです。帯域が狭いときはサムネイルとなどを作ったほうがいいのかもしれませんが、面倒なので今回はやりません。回線が早いと読み込みにさほど時間もかからないので便利な時代になりました。サムネイル作りはPHPで自動できると思います。

<script src=”lightbox2/src/js/lightbox.js”></script>をライトボックス化のために導入します。面倒なので自分でプログラミングはしません。ライトボックスを使うとこのように大きな画像が表示できます。スマホで試したら自動で表示変更してくれました。ただスワイプじゃないのでちょっと気分が出ません。スワイプで使えるプラグインも探せばあるかも。 Masonryは最初の読み込みで不具合がでることがあるので、イメージがロードされた時に並べかえが必要です。そのためにもプラグインを導入します。<script src=”imagesloaded.pkgd.min.js”></script>です。イメージがロードされたらこれを読み込むと画像が整列するという仕組みです。

$(function() {
var $container = $(‘#container’); $(‘#container’).imagesLoaded( function() {
$container.masonry({ itemSelector: ‘.item’, isFitWidth: true, isAnimated: true
});
});
});

で、グリッドが自動なので縦と横の写真が混在していても大丈夫です。スマホでもなんとか表示できます。

DISQUSを使えばコメント欄もつけられます。Twitterでシェアなどもできますが、その場合にはmetaタグなんかを整備しておいたほうがいいです。これで、写真を軸にしたSNSも簡単に作れるわけです。今回の例は植物なので時系列で並べてますが、ジャンル別にディレクトリを分けてもいいと思います。

5分でイメージライブラリを作る

ウェブサイトを作る時に写真だけ並べたいことがある。普通だとすべてイメージタグを手書きで書いたり、データベースにあらかじめ登録したりという作戦を考えるわけだが、最近では随分と楽になっているようだ。作ってみて大変驚いたので記録を残しておく。PHPとjQueryを前提にしている。

第一にディレクトリの一覧を取得する。いろいろなやり方があるのだが、foreach(glob,$name_of_directory,GLOB_BLACE) as $filename {処理}の1分で済んでしまう。directoryを開けたり閉めたりする必要はなくなっているようだ。$name_of_directoryはpath_to_dictory/{*.jpg}としておくと拡張子を限ってファイル一覧を表示することができる。

次にjqueryを読み込んだ上で、masonryを読み込む。グリッドレイアウトを簡単に実現ができるjQueryのプラグインである。

この時にイメージの幅や高さなど揃えたいものに合わせてイメージそのものを編集していたのだが、cssで一辺を指定しておけば揃えることが可能だという(簡単なことなのだが)に気がついた。

jQueryはイメージがロードされたということがわからないので初期表示に不具合が出ることがあるのだが、これもimageLoadedというプラグインがあるので、それを導入すると表示の不具合が解消される。

あとは、ファイルをディレクトリに入れて適切な鍵をかけて(一般公開されたくない場合は)Webサーバーにロードするだけだ。

以前のバージョンのライトボックスはprototype.jsを使っていたのだが、最新バージョンはjQueryになっているのでリンクタグをつけてrel=lightox[xxx]とするだけでライトボックス化もできる。

今回はディレクトリごとにスキンを作ったのだが、配列に入れ込めば一枚で済むんだなあと思った。

安倍首相と籠池理事長に学ぶ危機管理

両陣営に別れた議論はいろいろあると思うので、できるだけニュートラルな立場から、国会での籠池理事長の吊るし上げと安倍首相の危機管理能力について考えたい。この件で、安倍官邸はいくつかの明確な間違いを犯しているからだ。反安倍人たちは安倍政権のグダグダぶりについて再確認できるが、安倍首相を支持される方も、組織の危機管理についての洞察が得られる。

もともとこの話は土地の不正取得の件が問題になっている。しかし、籠池さんとの関係を保ったまま「関係はあるが違法行為はない」といえば終わっていた程度の問題だった。だが、安倍首相のちょっとした行動の間違いから大炎上してしまった。この意味では安倍支持派の言っていることは正しい。忖度は犯罪ではないし、忖度を問題にしている限りは野党は何もできなかったはずだ。ちなみに蓮舫さんの認識はこの程度だった。

第一に、安倍昭恵さんがセキュリティホールになっていたことは明確だ。安倍首相は夫人をコンロールできていない可能性がある。夫人は私人か公人か曖昧な上に政府の情報にアクセスしている。だが、安倍昭恵さんは安倍晋三さんと暮らしているので「黙らせる」ことができる。まずかったのは野党の追及を恐れてつい「私人である」と閣議決定してしまった点だろう。すると私人が国家公務員を私物化して調査させているという議論が成り立ってしまうのだ。正直が一番の策であるという点も忘れられている。これは倫理的な問題ではなく自由度が増すからだ。文脈をコントロールできないのにストーリーを作ると選択肢が限られてゆく。

それでもいったん秘密にしたのだから、なんとしてでも隠し通す必要があった。

そもそも安倍首相は籠池一家を嫌いだったようだ。だから関係そのものを隠そうとしたのだろう。安倍首相が健全な支持者に囲まれていたならこうような胡散臭い危険な人と付き合う必要はなかったといえ、安倍首相と夫人は大変危険なゲームを行っていたといえるだろう。夫妻はどちらも良家の子女であって、こうした人たちと対抗するような喧嘩のスキルはなかったはずである。なぜ、表沙汰になると困るような人たちと付き合っていたのだろう。

安倍首相は朝日新聞の報道を受けて騒ぎが始まってから籠池理事長とのコミュニケーションラインを「こんな人は知らない」と言って一方的に断ち切ってしまった。もともとあまり親密でなかった関係を断ち切ってしまったことで、その後籠池理事長は疑心暗鬼になり、もともとセキュリティーホールであるうかつな安倍昭恵さん経由でつながっているにすぎず、安倍側から籠池理事長がどのような行動に出るかがわからなくなった。

加えて安倍首相は「関係や介入があれば首相をやめる」とまで言い切ってしまった。ここで野党は「籠池さんの関係を証明さえすれば、安倍さんは辞めてくれるんだ」と受け取ってしまった。しかも、部下である議員たちは安倍首相や昭恵夫人から詳細な情報を取れなくなった。詳細に話が聞けたなら、もう少し具体的な反論ができたはずだが「ない」という前提のために詳細な話が聞けなかったのだろう。西田議員は「夫人から直接話を聞いた」と言っているようだが、長い時間をかけても籠池さんの人格否定と「ここで嘘をつくと偽証罪になるんだぞ」という恫喝だけしかできなかった。これは不遜な印象を与えるだけでなく、攻撃材料がない(つまり具体的なことを聴取できていない)ということを露呈してしまっている。

本来なら籠池理事長の人格を貶めてしまえば「あの人の話は信頼できない」となって終わったかもしれないが、もともと怪しい人物にもかかわらず証言の一つひとつが妙に具体的なのでひょっとしたら真実が含まれているのではないかというような印象になっている。なぜこんなことが起こるかというと事前に籠池さんの人格を貶める印象操作をやっていたからだ。印象操作が裏切られてしまうと逆に「あれ、話と違う」という疑念が生まれるのである。

自民党側は「お金がないのになぜ学校を建てられたのか」とか「安倍首相の名前を騙って寄付金詐欺をしているのでは」などと攻撃しているのだが、それは公知であり特に驚きはない。「であればどうしてそんな人たちに学校の認可を与えたのか」という反論になる。これはそもそも籠池さんに聞くべき問題ではない。これが最後の問題だ。つまり、自民党の議員にはそもそも質問を組み立てる能力がないのだ。維新の党も質問ができずに籠池さんを恫喝していた。

なぜこんなことが起こったのだろうか。普段は無茶苦茶な官邸のリクエストを官僚が寄ってたかってサポートしているのだろう。しかし今回は官僚が疑われているので籠池さんの追求に加われなかったのではないか。もし追求に加わろうとすれば当事者に話を聞く必要がある。しかし忖度はなかったことになっているので当事者から話が聞けなかったのだ。

今回質問に加わったディフェンダーの国会議員は民主主義の基礎さえ理解していない。これは偶然ではなく関係者(西田、葉梨、下地)は日本会議国会議員懇談会の所属なのだ。つまり、国会議員は官僚のサポートなしにはまともな質問さえできず、民主主義や人権を軽視しているということが露見してしまった。つまり日本会議から脱会した人を日本会議の人が公開で恫喝するという宗教裁判のがあの数時間の正体なのである。

安倍政権には安倍首相のコミュニケーション下手という大きな欠点があるのだが、つまり安倍首相が部下や周辺に規範を示すことができなくなっているということがわかる。私人である夫人が国有地の売却に関与し、官僚は首相の顔色を伺って国有地を不公平に払い下げている。さらに日本会議は国会を使って背教者を晒し者にしている。これらはすべて私物化である。国民は政治には関心がなく、この脆弱性は放置されるだろうから、安倍政権そのものが日本の危機管理上の弱点であるという結論が得られる。

 

フリーランスが協力するということ

不思議な文章を読んだ。ブログで食べている人がいたが、Googleでの検索順位が下がってしまって食べられなくなったという話だ。ブログはGoogleがつくったエコシステムにあるので、収益がGoogleに依存してしまうのだ。つまりブログで食べて行くのはリスクが高い生き方でありお勧めできないという結論になっていた。

確かにブログで文章を書いても大した収入が得られるわけではないし、Googleが作ったプラットフォームに依存していただけでは不安定だ。だから活動を何らかの形でリアルに結びつけることが必要だという結論は容易に得られる。だが、どうもそうはならずに「やっぱりやめておこう」というのは、やめる理由を探すのが得意な日本人らしいなと思った。

リアルに拡張する方法はいくつもある。例えば、ブログ発信のスキルがあれば、オンラインコミュニケーションのプラットフォームが作れるようになる。Wordpressを使う技術やサーバーの管理方法の基礎などが学べるからだ。

また別の何かを紹介するブログも作れる。例えばおもちゃのコレクションが好きな人はそれを成果物にしても良いのではないだろうか。収入が得られたら個人的な趣味の分野の資金に使える。サーバー費用+趣味の費用くらいだったらそれほど無理なハードルにはならないだろう。いきなり「生計を立てよう」とするととてつもなく高いハードルになるが、月にワンコインくらい稼ぐのは「なんとか頑張ればできる」範囲だろう。

た海外の人たちは自分の知識をためておいてレジュメ(職務経歴書)のようにして使っているようだ。日本では弁護士などが専門知識の解説をやっていることがあり、IT技術者が技術文書をまとめておくポータルサイトもある。ただ、日本の会社はジョブディスクリプションがはっきりしないことが多く、専門分野を持っていることが疎んじられたりすることはある。なおかつ会社が知識を持っているという意識が強いので会社が専門的な情報発信を嫌うのかもしれない。これは社員のネットワーキングを阻害し、知識の陳腐化を招く大変危険な行為だがなかなか気がつけないのだろう。

また、アメリカではフリーランスの労働人口が1/2に達するという統計もあり、専門知識を開示するニーズが高いのかもしれない。

ブログを書いている人とプラットフォームを提供しているGoogleやYouTubeはサプライヤーとバイヤーの関係にあるのだから、同じ分野の人たちと協力してより良いニッチを作ることも可能だ。お互いの文章を紹介しあったりするだけでもよいはずである。特に政治的なブログを書いている人たちは専門家を集めてネットワークを作り、お金を出し合ってディレクトリサービスを立ち上げたり、腐敗した政治家の調査を分担してまとまったレポートを書いたりできるはずである。

ところがいくつかの理由でこれは難しい。日本人のフリーランスはコンサルタント商売が多い。企業の下請けとして何でもやるが、自分では何も作れないという人たちだ。おのずからフリーライダー志向が強くなりボランタリーなネットワーキングを私物化したり、客を奪おうと考える人が増える。そこまでの悪意がなくても専門知識(デザインやプログラミングなどが多い)を無料でもらおうとする人も多く見かける。これは自分たちがそのような使われ方をしているからだろう。形にならないものはタダというもっとも悪い文化を継承しているのだ。

次に社会人的スキルがないことがある。いったんフリーとして成功してしまうと「俺は周りに気を使わなくても生きていけるのだ」というような気分になってしまうようだ。さらに成果主義にたいする間違った考え方があるので、アフィリエイト収入を自慢してみたり、企業で真面目に働いている人をバカにするような発言を目にすることも多い。フリーランスの専門職が当たり前のアメリカと違って、やはりフリーでも生きて行けるのは特別すごい人に違いないという思い込みがあるのかもしれない。個人の能力に対する過度な自信があると、確かに協力してニッチを作ろうという気持ちにはなれないかもしれない。

さらにパイが限られているという幻想もある。例えば総放送時間が限られているテレビで俳優がやてゆくためにはテレビ局に気に入られる必要があり、結果的に労働環境が悪化する。そこで組合を作ればよいのだが「非組合員が優先して使われるのではないか」という恐怖心からなかなか協力関係に踏み出せない。ネットには総放送時間の縛りはないはずなのだが、どうしても同じような発想から抜け出せないのかもしれない。

バブル崩壊の過程でITバブルが起きた時、パートナー企業やフリーランスが台頭するのではないかという期待があったが、それはうまく行かなかった。結果的に非正規雇用が発展し、企業は労働者を囲い込みつつ、必要がなくなったら切るというような雇用慣行が横行することになった。結果的には知識が停滞するという現象が起きており、経済自体が縮小を始めた。本来なら普通にやっていても少しづつは成長するはずなのだが(日本人は優秀なので先進国と同じレベルで成長しないはずはない)それが起こらない。そこで現実を見渡すと「疲れているからもうどうでもいいよ」という人たちを多く見かける。

つまり、組織に属さない人たちがどのように協力してゆくかというのは個人の問題だけではなく社会にとても大切なテーマなのだが、意外と見過ごされているのではないだろうか。