原発と人権問題という最悪の組み合わせ

関西電力の問題は思わぬところに飛び火したなと思う。まず人権問題に飛び火し、つぎに政界に飛び火した。稲田朋美元防衛大臣の地元が福井県ということがあり献金を受けていたというのだ。実際の献金額は36万円とたいした額ではないが返金を検討中だという。




こうして関連する問題が増えると群がる人も増えてくる。与党支持者にも野党支持者にもアイデンティティの一部を問題に固着させている人がいるからだ。

原発反対派は何が何でも原子力発電所の後ろ暗いところを見つけたい。反核運動は護憲派左派野党の最後の砦の一つである。また「稲田朋美」という名前が出てきたからには安倍政権を攻撃したい人たちもこの問題に熱心に取り組むだろう。

一方、保守の人たちも「野党は人権団体とつながりがあるからこの問題を一部隠して報じているのだ」とするに違いない。彼らはマイノリティ利権という言葉に敏感でありそうした特権が「善良で普通の人たち」から何かを盗んでいると信じている。

世界情勢の変化について行けなかった日本人は現実の安全保障問題を解決できなくなっている。だからこの話はタブーになりかけている。北朝鮮のミサイルをアメリカが黙認しているという事実について尋ねると政治に関心がありそうな人たちほど沈黙する。中には「まず憲法改正だ」などという人がいるが、日本の憲法を変えてもトランプ大統領の頭の中は変わらないだろうし、朝鮮民主主義人民共和国が開発したミサイルが消えてなくなるわけでもない。現実に対応できないからこそ、ありもしない問題の方が重要になってしまう。かといってそんなさなかに軍隊を全く持たないという選択肢もおそらくはもうない。アメリカの軍隊に期待できないからだ。

この話は皮肉な入れ子展開になっている。おそらく本土日本人は心の中で沖縄を捨て石にしていると思うのだが、アメリカは日本を捨て石にしている。朝鮮民主主義人民共和国のミサイルが日本に届いて日本が攻撃されれば日本に被害が出る。しかしアメリカはそれを口実に朝鮮民主主義人民共和国を攻撃できる。そうすればアメリカは無傷で助かるのである。実際にロシアが沖縄に対してそれを仄めかし琉球新報が伝えている。つまりロシアもわかっていて情報戦を仕掛けているわけだ。

この問題はまだ現実になっておらず従って明確な敵がいない。すると不安は広がるが現実の脅威に対抗して一つになるべきだというような動きも起きない。不安に耐えられなくなった人たちはいろいろな問題を見つけては「議論」したがる。しかし、現実の問題ではないので解決策はなく従って泥仕合いになる。巻き込まれる人は増えてゆくが誰も幸せにはなれないだろう。

すでに<M氏>が持っている資料を洗いざらい世間に公表すべきだなどと言い出す人が出てきているのだが、これは遺族を巻き込むことになる。皆忘れているようだが彼ら家族は「人権問題」の当事者である。すでに家族の一人が検事であるというような情報も出てきている。

私たちはこうした扱いが難しい問題に蓋をしてなかったことにしてきた。人権問題の当事者の中にはひっそりと事実を隠して生きていた人たちもいるだろうし、アウトサイダーとして既存のモラルや社会規範の外側で生きざるをえなかった人たちもいた。これを我々は世間一般の常識ではかることはおそらくはできない。前回見たナイジェリア人のハンスト餓死者もそうだった。同じような人たちはまだたくさんいてそれを閉じ込めている。

入管庁によると、退去強制令書を出され、6月末時点で入管施設に収容されている外国人1147人のうち、約75%に当たる858人が送還を拒否している。858人中366人が薬物事犯や殺人、性犯罪などで有罪判決を受け、うち84人が仮放免中の犯罪だった。ハンストは6月1日~9月25日、198人が行い、うち36人が9月25日時点で続けている。

収容外国人ハンストで死亡 入管施設で初、報告書公表

大村では食料がきちんと供給されている施設での餓死という明らかに異常な事態が起きて問題が表面化したのだが、扱うマスコミはおそらくほぼないだろう。これを突き詰めてゆくと外国人集団の問題に突き当たり、外国人集団の問題は外国人の待遇の問題に突き当たる。疲弊した地方がそれを抱えることができるのかという問題を考えなければならなくなってしまうのである。この問題の裾野はそれほど広い。

こうして不都合な事実は隠蔽される。私たちが「枠外に人を置く」ということはやがて管理不能な何かを生み出すということである。今回の高浜町の話も原発誘致の時には「管理ができる」と思っていたのだろうが、結局どうにもならなくなり表沙汰になってしまった。と、同時に高浜町が抱えていた長年の闇も表に出てきてしまった。経済的な繁栄が隠蔽してきた問題が衰退期に蒸し返されたと言えるのかもしれない。

関西電力の問題はおそらくは通常の企業の不正問題として分析されるべきで、そこから問題を取りだそうなどと考えないほうがいいだろうが、多分誰かがそれを掘り出そうとするに違いない。掘り出そうとする人は自分たちが何を扱おうとしているのかをきちんと考えて目の前の変化と衰退という問題を正面から捉えたほうがいいだろう。

特に人権問題という観点で高浜や大村の問題を扱いたい人たちはそれ相当の覚悟を持つべきである。善い人に見られたいという理由で語れる問題では恐らくなくなっているように思えるからだ。

M氏と呼ばれた男はなぜ関電幹部を巻き込んだのか

関西電力の問題がヒートアップしている。本来は私企業と私企業の間の話なので贈収賄などは成立しないはずなのだが、関西電力側が説明を躊躇したせいで問題が大きくなった。ここでわからないなと思うのは、なぜ森山栄治さんが関電幹部を巻き込んだのかということである。もともとは合法的なお金なのだから好きに使っても良かったはずなのだ。




この問題が「贈収賄にならないのでは?」とされていた時には、あまり世間の注目を集めなかったが、お菓子の下に金貨が敷いてあったという強力な前近代性のある話が出てきて一気に盛り上がりを見せはじめた。だが、いろいろ調べて行くうちに「小判だけが前近代的なのではないんだな」ということがわかった。そろそろ週刊誌にも後追い報道が出るようだ。

最初に注目したのはこの森山栄治という人が90歳の高齢だったという点である。1928年の生まれなのだそうだ。そこで「戦後の混乱期を知っているからお金以外のものは信頼できなかったのだろう」と思った。そこで人物を調べてみたのだがWikipediaに生涯がまとまっていた。この文章に「人権」という文字がある。関西に近い北陸圏で人権といえばもうそれは「あの人権」しかない。ああ、これは新聞やテレビはできないだろうなあと思った。

松本清張ならこれで一冊の推理小説が書けるだろう。戦後の混乱期になぜか故郷を離れて京都府庁に就職した若者がいた。やがて財政が逼迫しているからという理由で請われて故郷に戻ってくる。裏には「地域の<事情>」に詳しいという理由もあったのかもしれない。なぜか彼は強権的に振舞い出すが誰も口出しができない。バックに大企業と町がついているからである。彼はそうやって地位を確かなものにしてゆき誰にも止められなくなる。関西電力もおそらくはこのことを知っていたに違いない。「人権教育」ということで「先生」と呼んでいたからである。そして事情を知っている役場は彼をMと呼び続けた。

関西電力には言えないことがいくつかある。多分、電源開発する過程で反対派の抑え込みをしているはずで、その経緯を関西電力は知っているはずだ。これをバラされると困るという事情があるのだろう。ダイヤモンドオンラインにそれを指摘するコラムを見つけた。窪田順生さんはこれを「ヤクザも真っ青」と言っているが、その詳しい中身は書けないだろう。検索すればそれを指摘する記事も見つけられるのだが、リンクするのははばかられる。

アンタッチャブルには「手をつけてはいけない」という意味があるのだが、それ以外にも意味がある。彼はいろいろな意味でアンタッチャブルな存在になった。そして関電はそんな彼を利用して「自分たちだけはきれいな」ままでいようとした。おそらく財政に逼迫していた町も知っていてそれを容認したのだろう。

この話はネットメディアでも取り扱っているところがあり、週刊文春や週刊新潮も後追い記事を出すようだ。おそらくこうした運動体を危険視する内容になるのではないかと思う。最初の差別があり、それを自分たちの営利に利用し、亡くなってから都合が悪くなるとまた切り捨てて化物呼ばわりする。まさに昭和の闇が令和になって蘇った風情がある。

ここからMと呼ばれ続けた人がなぜ関電幹部を巻き込んだのかもわかってくる。なんとなく戦中戦後の混乱を経験した人が「お金や金(きん)しか」信頼できなかったということはわかる。彼らはこれを身分保障のようなものと考えており、それに連座する人を増やしたかったのだろう。だが、既存のシステムに期待することができない「守られていない人たち」にとってはこの行為はそれ以上の意味を持っていたのかもしれない。つまり、自分たちに危険なことを押し付けて自分たちはきれいなままでいるのかという気持ちである。

日本は危険な原発を地方に「押し付ける」過程でかなり無理をしてきた。その原資になっているのは一人ひとりの電力使用料金だ。その意味では我々もこの厄介な問題に加担していることになる。差別とは恐ろしいものだと思う。

ナイジェリア人男性が日本の入管施設で餓死するまで

ナイジェリア人の男性が6月に入管施設で亡くなった。これを受けて入管側が「自分たちの措置に問題はなかった」とする報告書を出した。このニュースに反応する人たちがいて「国際問題になる前に」人権状況を改善するべきだと言っている。




このニュースに反応している人たちは「餓死するとはかわいそうだ」という印象を持っているのだと思う。ところが調べて行くとこのナイジェリア人が単にかわいそうな人でなかったこともわかる。とはいえ人間が意志の力で餓死するというのはやはり大変なことだ。それほど強い「帰れない」という気持ちがあったか、閉じ込められているうちに他のことが考えられなくなっているのだろう。人権問題として取材するなら背景情報を掘り下げたほうが良いだろうと思える。

薬物の常習性を隠して伝えた朝日新聞

まずわかる点から整理していこう。この男性は2000年にナイジェリアから日本に来た。それが難民申請だったのかそうでないのかは不明である。日本にもナイジェリアコミュニティがあり合法的に入ってくる人たちはいる。また入管施設とあるように大村の施設は収容所ではない。出国が前提になっているがそれを拒んでいるといる人を「日本国内に戻さないようにする」ための施設である。ハフィントンポストは彼の犯罪歴として「窃盗」しか書いていないが発表によると薬物事案でも捕まっていたようであり、少なくとも当局側は常習性(薬物の常習性なのか犯罪の常習性なのかはわからないが)があったと言っている。つまり朝日新聞は情報を隠していることになる。

朝日新聞が情報をマスクしたのは「薬物事案」となると「人権問題としての餓死」という側面が議論されなくなるからなのだとは思う。しかしこうした一連の配慮が朝日新聞を信頼できない新聞にしているのも確かなことだろう。情報を隠蔽していると取られかねないからだ。

ナイジェリア

ナイジェリアはアフリカでは最大の約1億9000万人の人口を抱える国である。2006年から2014年ごろまでには6-8%程度の高い経済成長を実現していたがこのところは成長が鈍化していた。JETROが2018年の状況をまとめているが石油価格によって国の経済が大きく左右されるという事情がある。一方で、確かに輸出の90%を石油に依存しているが内需はそれなりに伸びているというレポートもある。またECOという新通貨を作って西アフリカに3億8500万人の統一市場を作ろうという動きもあり人口が多いナイジェリアはその中の主要国になるだろうことが予想される。ナイジェリアは一言では語れない国だ。

国内にはハウサ人・ヨルバ人・イボ人という異なる三つの民族集団がいる。しかし、人種が地域間対立の原因になり内戦まで起きている。このため人口調査ができないようだ。さらに話される言語が500語あり、キリスト教とイスラム教という対立もある。一つのアイデンティティでまとまるということはできそうにない。日本の常識では語れない国なのである。

このため北部を中心に治安が悪化している。有名なのはボコハラムである。グローバル化へのイスラム抵抗運動だがかなり非人道的な行為が横行しているようだ。人身売買や虐待も常態化しているようで、最近も「拷問の家」から人々が救い出されたというようなニュースもあった。さらに女性を拉致してきて子供を産ませて労働力として売り払うということも起きている。レイプもひどい話なのだが国内に奴隷市場があるということがほのめかされた記事だと思う。この「赤ちゃん工場」は首都近くの話なので北部だけでなく全土で統治がうまくいっていないことがわかる。

ハフィントンポストの2017年の記事はビジネスセクターには優秀な人たちが揃っていると書いている。アメリカに留学した人が多いためだそうだ。ただ官には人材がいないという。石油さえあれば経済が回ってゆくという国で官僚に意欲がなくなるのは当然のことである。政府の規範意識は民政化によって崩壊し汚職が蔓延しているそうだ。石油を売れば金が入ってくるわけだから富国強兵に務めるより手っ取り早く石油の上がりを掠め取ったほうがよいのだろう。

今回の問題を朝日新聞のように「かわいそうな収容者が餓死した」と括りたくなる気持ちはわかるのだが、実際にはそんな生やさしい話ではない。政府が全く信頼できない国からやってきた人たちすべてが日本人と同じような遵法意識を持っているとは思えない。仲間を頼って生存競争を勝ち抜かなければならない。

例えば、ナイジェリア系日本人のボビー・オロゴンさんは現地で経済系の大学を卒業しているようだ。現地で言えば10%のエリートなのである。今では日本語で投資哲学について講演したりしている。このように教育を受けていたり留学経験があるナイジェリア人もいれば現地で生き抜くのに精一杯というナイジェリア人もいるのだろう。こうした人たちを一緒くたにして語ることはできない。そして現実問題としていろいろな国からいろいろなバックグラウンドの人が入ってくる。今後外国から人を受け入れればもっと状況は複雑になるはずだ。

どうしても白黒はっきりつけたがる日本人

この記事はもちろん「移民問題など面倒だから入管に押し込めておこう」というのが問題の根源になっている。現地に戻ることも難しく定着教育にも多額の費用と人的リソースが必要になるだろう。周囲のサポートが必要だが日本は社会システムが複雑化しすぎていて余所者が入り込める隙間がない。すると日本人は判断停止に陥り問題をなかったことにしてしまう。この場合長崎県大村という場所にそうした人たちを閉じ込めているわけである。

入管施設は事実上の収容所と化している。日本の学校教育ですら自殺者がでているのだから、管理されて先が読めない施設で外国人たちの精神状態が極めて近視眼的になってしまうのは無理がない話である。食事があり医療施設もある空間でみんなに知られながらいきたいという本能に争ってお腹を空かせて死んでゆくというのは極めて異常な精神状態だ。

一方で「収容者=かわいそうな人たちだ」といって騒ぐのもまた反対側の思考停止である。朝日新聞が「薬事事案で逮捕歴がある」ことを報道できなかったのは、彼らもまた「薬事事案=けしからん人たちだ」という偏見を持っていたからだろう。しかし、それが報道できなかった気持ちもわかる。入管の人権問題を探っているうちに例えば六本木のナイジェリア人支配の話を取材しはじめると多分議論の質は全く違ったものになってしまうだろう。どうしても白黒はっきりした話を好む日本人に向けて「味付け」がなされてしまうわけである。

つまりよく考えてみるとどちらも思い込みで思考停止しているだけだ。そして白黒はっきりしないと考えること自体をやめてしまうのだ。しかし日本人が考えるのをやめても問題そのものはそこに存在し続ける。もし再発防止や人権問題についてきちんと分析したいならこのナイジェリア人の男性がどこから来てどんな人生を送ったのかということを正確に伝える必要があるのだろう。

成田市議会エコボトルといじめの構造

成田市議会でマイボトルが禁止された。特定の人を狙い撃ちした陰湿なイジメだなあと思った。日本の閉鎖的な村落的構造がよく表れている。日本人は話し合いができないばかりか議論の空間をいじめに利用してしまうことがある。古い日本人にとっては問題解決より体面の方が重要だからだ。




発端はアエラの記事だった。記事は「市民からの苦情」でペットボトルはみっともないということになったと伝えている。ところが、結果的にペットボトルの飲み物で統一されてしまった。これは一貫性のないおかしな議論だ。途中でマイボトルの話も出てきているが「色や形が統一できない」という理由で却下されている。

この記事は中空がぽっかりと空いている。新聞は事実しか書けないので証明できないことは書けないということなのだろう。日本ではこれを「炎上」が埋める。中空が明確であるほど炎上が起きやすくなる。今回の「炎上」は「これって明らかにいじめですよね」ということだ。

まずこの議員さんは緑の党というところに所属している。マイボトル・エコボトルはこの議員にとって中核的なテーマだ。他の議員は利益誘導に興味があるのだろうからおそらく市民団体系の人とは話が合わないだろう。さらに、この議員さんはコンパニオンを呼んでお酒を注がせることを何回も注意してきたらしい。個人ブログで見るとそれがよくわかる。これが男性中心の議会の気持ちを逆なでしたんだろうなあと思う。

成田市議会の構成を見ると女性が3人しかいない。一人は与党・一人は共産党・そしてもう一人は緑の党である。共産党は仕方がないが古い男性社会で女性ができることは二つある。一つは男性のマスコットになる道で、もう一つは男性以上に男性らしく振舞って許しを請い続けることだ。つまり女性であるということはそれだけで「いけないこと」なのであり、それを払拭するためには男性以上に尽くさなければならない。

「この市民団体上がりの女性」議員が浮いていたんだろうなあということが予想できる。

こういう人に「ガツンという」にはどうしたらいいか。みんなでルールを作ってその人の大切なものを奪ってしまえばいいわけである。俺たちは認めないぞという意思を示すのだ。そして、異議を申し立ててきたらそれを無視しつづける。男性社会を賞賛する女性以外は必要ないということを見せ続けなければ大変なことになるし、相手の苦痛を見るのも楽しい。

こうした「聞こえません・異議は認めません」攻撃も政治課題と称した少数者いじめではよくあることだ。Twitterでは韓国人をいじめたり、アイヌ語などないといって批判者をあぶり出して狩るという行為が常態化している。こういうのは理不尽であればあるほどよい。

古い男性社会も「コンパニオン」のような問題に正面から反論するのは難しいということはわかっている。だからこそ政治的正しさを押し付けてくる面白くない人に対する意趣返しにいじめを利用する。ここでできる最大の防御は感情的に反論しないことだろう。

誰が考えたのかは知らないがそのプロセスは念入りだ。意思決定はできない古い日本人にとって何も決めないといういじめは得意分野である。市議たちが「あの女はけしからん」「なんだあのいけ好かないボトルは」という話になったのかもしれないのだが、そうは言えないので「市民から苦情があったということにして」「みんなで決めたことにしよう」となったのかもしれない。ルールを決めて動かさないことにしてしまえばいいのである。

こうしてどんどん何もできなくなってゆくが、それは市議たちにとってはどうでもいいことなのだろう。自分たちは選ばれた議員様なのであって、市民の問題など市が自己責任で考えればいい。この成田市議会はおそらく「女性の働き方や育児」のような問題も「環境問題」も扱えないだろう。

何も決めない議会ではわけのわからないルールだけ増えてゆく。「市が用意したペットボトルから紙コップで飲む」というルールだ。こうしたわけのわからないルールはやがて一人歩きして修正が効かなくなる。ところが我々はこうしたルールに慣れてしまう。そして自分で何かを考えようとするのをやめてしまうのである。

つまりこの成田市議会のデメリットは新しい価値観に対応できなくなり自分で考えようという気持ちを奪うという点である。そしてその結果被害を被るのはリーダーたちではなくおそらく一人ひとりの市民だろう。彼らは体面を守るために市民を犠牲にしている。

さらに議題ではなく人に注目するというのが閉鎖されて時代に取り残されつつある人たちの特徴だということもわかる。閉鎖空間に居続けたおかげで周りの価値観が受け入れられなくなり自分たちの短期的な体面の問題しか考えられなくなっている。おそらく様々な政治議論と称されるいじめが個人攻撃なのはそのせいだ。

今回はペットボトルについて扱っているように見えるが、おそらく市議たちの関心はこの「けしからん女性議員」にあるはずで、おそらくプラスチックや環境をまともな政治問題とは捉えていないだろう。彼らが気にしているのは国の補助金をどう支持者に配るということと自分たちの威厳だ。村で生きて行く以上それ以上に大切な政治問題は彼らにはない。議会という村が居心地がよいものであるならば、外の世界で何が起きているかなどどうでも良いことなのだろう。

今回は成田市の問題を見たがおそらく日本にはこうした村がいくつもある。閉鎖的な村の病は人々に取り付いて意欲や活気を奪うのだ。

日本人は正義を語ってはいけない – トロッコ問題

毎日新聞の記事で面白い話を見つけた。ある小中学校で「トロッコ問題」が大問題になったというのである。倫理学をいい加減に扱う日本人は正義を語ってはいけないなと思った。




トロッコ問題というのは、マイケル・サンデルのこれから「正義」の話をしようでも有名になった倫理学を学ぶための問題である。多分知っている人が多いはずだ。功利主義という「得をする人が多いのが一番いい選択肢である」という考え方がある。しかし、その考え方を取ると犠牲者がでる場合がある。多数派のために少数派が犠牲になればいいという議論になるからだ。トロッコ問題はそれを考えるために出される問題なのだが、最近の「民主主義=多数決」という偏った議論を考え直すためには良いツールになる。

ところが日本人はこの問題を「面倒で厄介な問題」と考える。そこで集団で圧力をかけて「考えないように」してしまうのである。これは「悪いことを考えるとそれが起こる」のでそれが起こらないように考えないようにするという言霊信仰である。「ご迷惑をおかけしました」という呪文を唱えると問題がなかったことになる。

今回は学校の校長たちが保護者に「不安を与えて申し訳なかった」と謝罪して終わりになっており、新聞もそれについては論評していない。日本人はトロッッコ問題が扱えず、したがって多数決で出る犠牲者の問題を考えることはできない。だから日本人に正義を語らせるのはやめたほうがいい。そもそも概念的な問題を扱えないからだ。

ところがよく見て行くとこの記事にはもっと恐ろしい問題が隠れている。このスクールカウンセラーはそもそもこのトロッコ問題を「よくわからない問題」と丸めているのだ。それを不安に思ったらカウンセラーに相談して欲しいという意味で使ったと言っている。これは恐ろしい告白だ。

もともと「意思決定をめぐる難しい問題を突き詰めて考えましょう」という問題をこのカウンセラーも取り扱ってみたのだろう。だがよくわからなかった。ただ心情的に「悩んだら誰かに相談しよう」ということは理解できる。ところがこの二つが結びつくと「自分で責任が取れそうになかったら誰かに相談して責任や罪悪感を分散しましょうね」と仄めかすことになる。集団主義へ生徒を誘導しているのだが、多分スクールカウンセラーはそのことに気がついていないだろう。

例えば原子力発電所の問題は一人が決めたら独裁だが、周りの人にいろいろ相談してやったから誰も責任を取らないでもかまわないということになっている。福島の漁師は犠牲になっているがこれは東京というもっと大きな消費地を助けるために仕方がなかったことであるというのが功利主義的な考え方であり、集団主義なので誰も責任は取らない。日本は犠牲者が出たら「運が悪かった・仕方がなかった」で済ませる国だが「本当にそれでいいんですか?」という議論はしないで「みんなで考えたから仕方がなかった」と置いてしまう。実はカウンセラーがやっているのはそういうことなのだ。

カウンセラーはおそらく「よく知られている問題」だから権威があるのだろうと考えていてその理解が中途半端なまま自説「自分たちに相談してください」に結びつけている。権威を利用しようとしているわけである。

ではこのカウンセラーが知的に劣っているのかと言う疑問が出てくる。実はそうでもないのではないかと思う。例えば教育勅語は「天皇はすごいんだから従うべきだ」と言う主張を補強するために四書五経の徳目を集めてきて「天皇は父親だからなんでもいうことを聞かないとね」と結びつけている。わかっていなくても、最後の「天皇に従えだけ」がわかっていればよいわけで、それが悪用されると「片道切符で敵の戦艦に飛び込んでね」ということになってしまう。戦争はみんなで決めたことで誰かが責任を取るものでもない。でも俺たちは助かりたい。だから仕方がないからお前が犠牲になってくれということである。

最初にこの話を聞いた時「トロッコ問題」を概念的に扱えないから日本人は正義について語れないのだと思った。ところが毎日新聞の記事にはトロッコ問題に関連する議論がリンクされていた。

ところがこの問題実は「自動運転」の議論に結びついてしまっている。つまり日本人はこの問題を「概念」ではなく「具象」に注目してしまうようなのだ。つまり実際に自分がハンドルを握るという想像をしてみないとこの問題が考えられない。そしてそれを行っているのが、かなりいろいろなことを知っているはずの新聞記者たちによって行われているところに病理があると言える。経験に強くとらわれる傾向を長年教育によって刷り込まれてきた日本人はトロッコ問題を原発ではなく自動運転に結びつけて考えてしまうのである。

日本人は正義について考えることができない。ここで考えただけで三つも理由が出てきた。おそらくここから脱出することは不可能だから諦めたほうがいい。

  • 具体論に落として自分の経験の範囲でしか考えられないという、具象と経験の誤謬。
  • よく語られるとかよく知られているとか、みんなが言っているという権威に頼ってしまう、権威の誤謬。
  • 不安なことを考えるとそれが起こってしまうと考える、因果関係の誤謬。

本来この話はここから功利主義批判になりコミュニティ論になるはずだ。それが政治哲学者の考える「予定」である。4つの政治哲学で今後の働き方をひもとくという記事にはそのことが書かれている。最終的にはコミュニティや共通善という話になり、日本国憲法の「公益」に関しての議論になるはずである。the common goodは憲法第12条の原文にも書かれている概念だからだ。

もちろん「功利主義などは西洋の考え方が基礎になっているから我が国は我が国独自の哲学体系で考えるべきだ」という主張は可能だし、憲法が真面目にコミュニタリアンの考え方に沿っているのかというのは検討しても良い疑問だとは思う。

だが日本人が「独自に考えよう」とすると具象化の罠に陥ってしまい概念化に失敗することが多いように思える。経験が同じような人たちが集まっているので概念化しなくてもなんとかなってしまうという事情がある。

だから日本人は本質的に憲法批判も再構築もできない。自分たちの思想を体系化して落とし込むことができないからだ。経験則に体系はないのでこれは当然のことである。

ゆえに正義が語れない日本人は憲法を自分たちの手で作ることはできないだろう。日本人にできるのはわかっている部分を経験から得られた心情に結びつけることだけで、この先混乱と形骸化が進むはずである。一部教育の問題(これは十分改善できる)が含まれているわけだから、惜しいといえば惜しい話である。

アメリカに蔓延する政治家不信とクリントン元国務長官のメールサーバー事件

トランプ大統領の弾劾問題について観察しているうちに「そもそものきっかけは何だったのだろうか」と思った。それはヒラリー・クリントン元国務長官(のちに民主党の大統領候補)のメール漏洩問題である。では、なぜあのときメール問題で大騒ぎしたのかと思い返してみたのだがよく覚えていない。記憶とは曖昧なものだなと思った。




結局たどり着いたのは前嶋和弘さんの文章なのだが、要するに自宅にメールサーバーを置いていたのが怪しいというだけの話だったようである。「自宅にメールサーバーを置くとは何か隠し事をしているのでは?」ということがヒラリー・クリントン凋落の主要因になったようだ。そして、私的に管理されていたメールサーバーの脆弱性が外国に狙われた。

つまり、もともと「国家文章はちゃんと扱わねばならない」という常識があり、その常識を守らなかったクリントン元国務長官がけしからんという話になった。背景にあるのは既存のエリート政治家に対するうっすらとした不信感である。クリントン元国務長官の夫は大統領であり「ヒラリー・クリントンを選んだ民主党はもう庶民のことを相手のことを真剣に考えてくれないのではないか」という不信感があった。これがトランプ大統領を活気づけたばかりか、今でも民主党に暗い影を落としている。

現在の民主党の筆頭候補はジョー・バイデン元副大統領だが、彼にも疑惑がある。前のウクライナ政権(現ゼレンスキー政権から見ると敵に当たる)と組んでいたのではないかという話である。BBCはやや否定的に伝えているが、こういう話を持ち出すだけで人々は勝手に語りだす。つまりこの話はバイデン候補にとっても不利に働く可能性がある。今もそうなのだが、彼が最終的に民主党候補になればロシア対ウクライナという泥沼の選挙戦になるだろう。

もともとは共和党は金持ち・大企業優遇の政権という批判があった。だが「親しみやすく」「政治とは無縁の」トランプ大統領が出てきたことでその疑問は払拭されてしまった。面白いことに支持者たちはトランプ大統領も金持ちの実業家だという事実には目をつぶっている。人はみたいものしかみないのだ。

民主党にも金持ちのための政権になってしまったのではないかという疑惑があるのだが、共和党ほどめちゃくちゃにはなれない。だから民主党には支持が集まらない。だから、バイデン候補にこうした疑惑があると騒ぎ立てるだけで民主党支持者を動揺させることができるのだ。

ペロシ下院議長が始めたこの戦争をもちろんトランプ大統領の人格否定につなげることはできるのだが、同時にバイデン候補を傷つけかねない。つまり、泥沼の中傷合戦になる可能性が高いのである。背景にあるのは職業政治家への根強い不信感とポピュリズムだ。

面白いことにアメリカのポピュリズムは中南米のポピュリズムとは違っている。中南米では「みんな平等に分かちあおう」というのがポピュリズムの源泉になっているのだが、アメリカは個人競争社会なので「あなたが個人として勝てるために公平な競争環境を作ってあげよう」というのがポピュリズムの源泉になっている。ポピュリズムとは社会にある道徳を基に有権者の支持を得ようという行動だ。

いずれにせよ、このクリントンメール問題そのものは忘れ去られており、今の焦点はトランプ大統領の新しい弾劾調査を始めるべきなのかという点に移っている。CBSが調査したところ55%/45%という僅差の結果になったようだがCNNは多数のアメリカ人が調査を進めるべきだと言っているいう伝え方をしている。

アメリカが大きく分断されているのがわかるのだが、そのきっかけになったのは、職業政治家への不信感に根ざしたクリントン元国務長官のプライベートメール問題だったのである。

ニューキャラクター : ゼレンスキー大統領

トランプ大統領の電話の内容が公開された。形のうえではウクライナの新しい大統領ゼレンスキーさんへのお祝いということになっている。大統領就任ではなく議会選挙で勝ったお祝いだったのだそうだ。このゼレンスキーさんについて調べてみて「新しいキャラが登場したなあ」と思った。民主主義が世界各地で音を立てて崩れている感じである。




トランプ大統領はすでに議会から承認されている支援を止めた上で、形ばかりのお祝いを言い、ドイツは何もしてくれないよね仄めかした。その上でお礼をしてくれと言うつもりはないがと切り出す。これだけを見ると「トランプ大統領はとんだゲス野郎だ」などと思える。

そこでゼレンスキー大統領はドイツは何もしてくれないと同意した上で、ミサイルも買いますからと応じた。

ここでトランプ大統領は民主党の情報漏洩問題に関連しているウクライナの会社について話し出し、ウクライナの検察当局者の名前などをあげながら込み入った話を始めた。

さらにゼレンスキー大統領は自分の友人がトランプ大統領と懇意にしていると持ち出して会話を終了した。

会話にはロバート・マラーという名前が出てくるがこれはロシア疑惑を操作したモラー特別捜査官のことだろう。ジュリアーニ氏は現在トランプ大統領の顧問弁護士をしている。ポール・マナフォート氏はトランプ大統領の選対本部長だった人だが、その後選挙キャンペーンの捜査に協力した。だが偽証が多くその後禁固3年11ヶ月の有罪判決を受けている。こうした多くの人名がスラスラ出てきて話が通っている。実はそのこと自体が極めて違和感を感じさせる。トランプ大統領はゼレンスキーさんと会ったことがないようなのだ。

ゼレンスキー大統領

ゼレンスキー大統領は元々俳優コメディアンでプロの政治家ではなかったそうだ。またウクライナ語があまり得意ではなくロシア語の方が得意なためロシアとの親しい関係を望む一般有権者から支持されたという。背景には前大統領のウクライナ主義がある。

ウクライナにはポロシェンコ前大統領が私腹を肥やしているのではという疑念があった。そこで、政治素人で実績のないゼレンスキー大統領が地滑り的に勝利したという記事を朝日新聞で見つけた。ただ、このゼレンスキー大統領には後ろ盾がいるようだ。ポロシェンコ前大統領にに敵視されていたお金持ちのコロモイスキー氏との関係がありそうだというのだ。

また朝日新聞の記事にはEUの大使たちが大統領のあまりの政治知識のなさに呆れたという話も出てくる。全く政治知識のないはずの人がトランプ大統領と彼の人脈については事細かに知っている。

ポロシェンコ前大統領はヨーロッパに接近しロシアと離れることで政治勢力を保とうとした。それを追い落としたい勢力は当然別の勢力と結びつけばいい。となると彼らの関心事は一体何なんだろうかということになる。

トランプ大統領の電話記録を読んでもすべての人間関係を即座に把握することは難しい。トランプ大統領はロシア疑惑を「ヒラリーのでっち上げ」にしたいという話があり、それとは別にバイデン候補のことも頼んでくれないかと依頼しているようだ。ヨーロッパの大使から「政治については素人」と評されたゼレンスキー大統領なのだが、とにかくトランプ大統領の件についてはツーカーなのである。

壊れゆく共和制民主主義

いわゆる共和制民主主義の国は国内を一つにまとめることが難しくなっているようだ。アメリカはもうそうなっていてトランプ大統領はありとあらゆる手段を使って民主党の選挙を妨害しようとした。まずロシアを味方につけ今やウクライナもて名付けようとしている。ところがウクライナにも国家権力を掌握したい人とそれでは困る人がいる。そこでアメリカと結びついて権力を奪取したということになる。

実は韓国も同じことになっている。軍・検察・保守・財閥という結びつきがあり、それに弾圧された側が政権についた。そこで政権は民意を背景にして検察改革を行おうとしている。この時に保守側が結びついていたのとは違う国に接近するのは定石である。だから朝鮮民族主義が出てきたり中国が出てきたりする。

問題なのはこうした国内の分断が海外と結びつき始めているという点である。ある種国家主権を脅かす病気のようなものだがそれが伝染するように各地に広がっているようなのだ。

こうしてその時の内政によって国同士のアライアンスも流動的に動くというのが現在の国際政治のようだ。決して先行きが読めないのである。場合によっては極端から極端に揺れ動くことになるのだろう。

日本は立憲君主制の決められない国だ。実質的には主権者不在の状態であり、誰も何も決められないし決めたくないからである。そのため関係を構築して固定しようとする傾向がある。おそらく独裁国家や君主制の国とはそれでうまくゆくはずである。しかし共和制の国は次から次へと手を打っていないと相手に食われてしまうという状態になっている。日本人が外交について潜在的な不安を抱えているのは多分そのためなのだろう。先行きが読めなくなったと思っているのだろうが、実はもはやその先行きそのものがないのかもしれない。

アメリカ大統領の弾劾プロセスにはどのような法的根拠が必要なのか

アメリカで大統領弾劾のプロセスが始まった。これについて日本ではあまり報道されていないのだが、アメリカでは連日政治ショーが繰り広げられている。これについてQuoraでは「どういう規定で弾劾が行われるのか」というかなり鋭い質問があった。実はそんな話は読んだことがなかったのだ。




アメリカではトランプ大統領が選挙のために自分の権力を使おうとしたと問題視されている。具体的にはウクライナへの支援を止めた上で「バイデン民主党大統領候補とその息子が何かやってないか調べてくれ」と頼んだのではないかという疑惑が持たれているのである。この件についてはなぜかBBCがよくまとまっている。

もともと内部告発から始まったこの話だが、やりとりがあったことはすでにわかっていて、トランプ大統領も認めており、結果的に電話の内容も公開された。

ただその前に隠蔽が起きたようだということもわかっている。日本でも加計学園問題でたびたび問題になった記録隠しだが同じようなことがアメリカでも起きていたことになる。

電話協議から数日後、複数のホワイトハウス高官は政府関係者による電話記録へのアクセスを大幅に制限する措置を施した。ホワイトハウスの法律顧問は文書を広く閲覧できる電子システムから米ウクライナ首脳の電話記録を削除するよう関係者に指示した。電話記録は機密性が非常に高い文書を扱うはずの別の電子システムに移された。

米ホワイトハウス高官、電話記録を隠蔽か 内部告発状

日本では曖昧に終わってしまった公的記録の問題だが、アメリカには「国に忠実な」高官がいて内部告発者になった。ここが大きな違いである。元当局者たち300名も捜査に協力すると言っている。アメリカは元当局者が新しく仕事を見つけることができるので自由な立場で愛国心を発揮することができるということなんだろうなあと思った。コミュニティの狭い日本で愛国心を発揮すればその人は裏切り者として集団から罰せられてしまうだろう。だから日本からは全体の利益に奉仕する愛国者は出てこない。

外国の介入をアメリカ人が嫌っていることはわかる。ただ、どの記事を読んでも「民主党が何をもってして」これを弾劾相当であると見なしているのかという答えがない。アメリカ人は外国の干渉を嫌っており、民主党はバイデン候補が狙い撃ちにされたことを怒っていることしかわからないのだ。

まず、議会は上院であっても下院であっても弾劾プロセスを始めることができる。BBCは要するにきっかけはなんでもいいという言い方をしている。

違法かつ(または)非倫理的な行為を犯した大統領に対して憲法が定める対応は、下院の多数による弾劾と、上院の3分の2以上による有罪認定と罷免だ。

米憲法は弾劾の理由を「反逆罪、収賄罪またはその他の重犯罪や微罪」と規定している。詰まるところ、下院がそうだと言えば、何であろうと「弾劾相当の違反」となる。

【解説】 トランプ氏とウクライナの電話に何が? ウクライナ疑惑とは

議会の権限の強力さと大統領との対決というのが立憲君主制の国と決定的に違っているところである。韓国にも同じような構図がある。共和制民主主義の国は主権者と国家権力を調停する人(君主)がいないので「ガチンコ対決」になる。

同時に、弾劾は権力闘争に使われる可能性をはらんでいる。元当局者たちが「どちらかの政党に肩入れするものではない」と言っていることからもわかるように、党派同士の争いだという印象がついてしまうと弾劾劇は失敗に終わるだろう。

また、憲法には、大統領などの地位にある人が勝手に議会の承認なしに外国から栄典を受けたり報酬をもらったり便宜供与を受けてはいけないという規定もある。ここからもアメリカが外国からの介入を極端に嫌う国であるということがわかる。外国生まれで帰化した人が大統領になれないのもその一つの表れなのかもしれない。そこはやはり植民地が独立した国なのである。

弾劾を始めるのは簡単なのだが、それを証明するのは簡単ではない。ニクソン大統領が弾劾裁判を受けかけたがその前に止めているという。なの弾劾が完了したという先例はないようだ。また上院が大統領弾劾に賛成する見込みは今のところそれほど高くない。

さらに民主党の中にも大統領の弾劾まで行くのはやりすぎなのではないかと考える人がいるようだ。つまり民主党の中にも「民主党が権力闘争をはじめた」と見られることを恐れている人たちがいるのだ。

民主党のディベートを見ていると急進的な社会主義者と穏健な民主党の人たちの間に溝ができておりお互いに内部分裂しているというような印象がある。外に敵を作って選挙を有利に進めたいという思惑は垣間見えるので、この下院の動きが国民の支持を得られるかどうかはまだわからない。

早速、ウクライナの大統領がトランプ大統領に機嫌を取ろうとしてお世辞を言ったという話も出てきている。トランプ大統領側は疑惑を晴らそうとして「この程度のことは大丈夫だろう」というつもりで会話を出しているのだろが、あまりにもあけすけであからさまなので呆れてしまう。そしてこれにへつらうようなウクライナの大統領も政治的に厄介な問題を抱えることになってしまった。

これを見て余計なことだが「安倍さんもたくさん武器を買っているから聞かれたくない話はたくさんあるだろうなあ」などと考えてしまった。トランプ大統領と関わることにはリスクしかないということをもう多くの人が気づいているのではないだろうか。

権限がないのに責任だけ取らされる日本人と誰も責任を取らないイギリス – 主権者と立憲主義

BBCによるとイギリスで大変なことが起きているそうである。歴史上曖昧にしてきた主権者は誰かという問題を議論せざるをえなくなっているというのだ。




ボリス・ジョンソン首相は何が何でもEUから離脱したかった。ところが議会は反対している。そこで議会を停止して既成事実を作ろうとした。そこで女王に「議会を停止しないといけません」と報告して議会を閉じてもらった。ところが議会は首相には勝手に交渉する権限はないと議決し、さらに裁判に訴えて議会停止の判断を無効にしてしまった。伝えられたところでは「虚偽の報告を女王にした」というような言い方になっていて女王をきゅうだんするかたちにはなっていない。

ところが、議会停止の判断自体は英国女王が行っている。つまり、結果的に女王が国民が大切な問題を決める権利を奪ったことになってしまった。そして、臣下の分際である裁判所が女王の判断を覆したという事態になった。歴史上君主が糾弾されたり処刑されたりしたことはあるがあまり居心地のいい状態ではないだろう。だが、裁判所にそんな権限があるのかということを考えると結果的に「誰が権限を持ち、誰が責任を取るの?」という問題になる。政治の世界ではこれを「主権者」という。イギリスは主権国家だがその主権がどこの誰に存在するのかというのは意外とふわふわしている。

そもそも君臨はするが統治はしないというのがあいまいな約束事になっており、イギリスの主権者は議会における王(女王)ということになっているそうである。成文憲法を持たないイギリスは主権者の問題を語りたくない。だから「最終的に誰が責任を持って決めるのか」ということがあいまいになってしまう。首相は代理人に過ぎないので従って逃げられる。とはいえ国民も主権者ではないから最終的な判断は下さない。その責任はないし権限もない。

主権者があいまいながらなんとかやってきたのがイギリスなのだが、ボリス・ジョンソン首相はそれをぶち壊しにしてしまった。だからBBCは戸惑いつつ怒っているのである。

では日本にとってそれは他人事なのだろうか、ということになる。実は日本人も同じ問題を抱えていることに気づく。

日本の首相が日米貿易協定を決めてきた。アメリカに譲歩したのではないかと言われている。有権者は主権者としては当然それをチェックしなければならない。なぜならば最終的に責任を取るのは主権者だからである。平たい言葉で言えば「何かあっても誰にも文句が言えない」のが主権者だ。だが、内閣が説明するこのあとの審議プロセスは恐ろしく曖昧で、ついでにマスコミもほとんどそれを問題にしなかった。

安倍晋三首相とトランプ米大統領は25日午後(日本時間26日未明)米ニューヨークで会談して貿易協定締結で最終合意し、合意文書に署名した。米国産の牛、豚肉は環太平洋連携協定(TPP)水準まで一気に関税を引き下げる。コメはTPPで設定した無関税枠を認めず死守するが、日本の自動車や関連部品への関税撤廃は見送られるなど米国への譲歩が目立つ内容となる見込み。協定文書の法的審査完了は署名より遅れるが、国会の承認を経て早ければ年内にも発効する。

日米、貿易協定で最終合意

さらっと恐ろしいことが書いてある。協定文書に署名するがその時までに法的審査が間に合わないというのである。そして国会審議はすると書いてある。「よくあること」なのかもしれないのだが、署名するということは国会を通すことが前提なのだろうから、すなわち「国会は法的な審査を見ない」可能性がある。国会審議は儀式にすぎないということを誰も(つまり野党も含めて)が本音で了解しているからこそこういうことになる。

多分野党は「反発すること」は決めていてあとは「どこを反発するか」が見たいのだと思う。だから細かい条項が開示されるのを待っているのだろう。Twitterは野党のコピペなのでそれまでは反応しない。野党にも主権者意識はない。彼らが意識しているのは党派だけである。

少なくとも、議会が最終的な責任を負うべきなのだという期待は日本にないことだけはわかる。日本人は自分たちを主権者だとは思っていない。厳密に言うと責任を取らされるとは思っていない。だから主権者の代表が法的チェックがちゃんとできるのかということを気にしないで契約を「はいそうですか」と言って黙認してしまう。日本人が気にしているのは勝ち負けである。野党が勝ったか与党が勝ったか、あるいはアメリカが勝ったか日本が勝ったかを協定の中身から見たいのだ。

なぜこれが好ましくないのか。その答えは憲法に書いてある。憲法第12条の英文原文はthe peopleとthe part of the peopleという言葉が出てくる。日本にはthe peopleがおらず、たくさんのthe part of the peopleがいる。

The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people and involve an obligation on the part of the people to prevent their abuse and to employ them always for the common good.

日本国憲法第12条

一部の人々の国家権力濫用を防ぐためにthe peopleが積極的に関与して監視してくださいねと書いてある。そうしないと権力は濫用されるし、結果責任を問われるのは主権者であるあなたたちですからねと言われているのだ。

そしてそれは一人ひとりではなく総体としての日本人なのである。the peopleというのは集合的な人々なのだが実体がない。実際には野党支持者や与党支持者、あるいは権力を濫用したい人たちというthe part of the peopleがいるだけで、the peopleがいない。つまり日本もイギリスと同じように最終責任者がいない状態になっている。

内閣が憲法の規定を守らないことに「なぜ懲罰がないのか」という人がいる。、これは当然である。主権者の代表だから自発的に憲法を守るべきだし守らなければ有権者全体の判断(the people)で変えられるからだ。アメリカでは今トランプ大統領の弾劾プロセスが進行しているが、アメリカの弾劾も懲罰はなく単に職を追放されるだけなのだそうだ。そして弾劾を決めるのは議会である。

あるいは選挙を通さないならばデモをして反対するという手もあるだろうが、その場合にはデモが国民を代表しているという合意がなければならない。今のデモは野党がやらせているんだろうという了解ができているので国全体にひろがってゆかない。

日本人が主権者意識を持てないのは、なんとなく天皇というものがあり、誰が元首なのかということをあいまいにしてきたからだろう。ただし、これを議論しだしたら多分いつまでも国論がまとまることはなさそうだ。それぞれの「一部の人たち」が我田引水の議論を始めるに決まっているからである。

今回はイギリスと日本という二つの不思議な立憲制の国を見てきた。細かい状況に違いはあるが突きつけられている問題は「誰が最終判断して責任を取るの?」ということである。立憲君主制というのはふわふわしていてつかみどころがない。

他人と適切な距離が取れない人たちとその対処法

最近Quoraで疲れるなあと思うことが増えてきた。コミュニティが小さいのでどうしても普段接触する人が限られてくる。これが疲れるのである。そこで疲れた時の対処法も含めていろいろ考えてみた。




人が自分の意見を押し付けてくるのはその人が多様な価値観を理解できないからだ。押し付けを拒否するためには自分は異なった考えを持っているということをあらかじめあきらかにしておけばいい。

どうやら多くの人は「個人の考えは様々ある」ということはわかっているらしい。つまり完全に意見が合致する人などいないということが頭ではわかっているのである。だが、それが認められない人が結構いる。わかっていてもその前提で行動しないのである。

例えば、世の中はリアリズムであると考えている人がいる。それはよいのだがアジア人や社会主義に対して強力な蔑視感情を持っており、この部分だけコンパスがおかしくなる。つまりバイアスがかかっているのだ。私は白人・ヨーロッパ社会・資本主義経済を盲従して劣等感をかかけている日本人もたくさん知っているので、盲従する人と威張りたがる人がペアに見えてしまう。なので、そこには賛同できないわけである。

交流期間が長くなるに従って彼らは「韓国は民主主義の機能しないおかしな国であり中国共産党は悪の帝国である」という信仰告白を強要してくるようになった。確かに韓国の民主主義には問題があるが、アメリカやイギリスの議会の混乱も相当なものなんだけどなあなどとかわしているうちに相手は苛立ってくるのだ。

ではなぜ苛立つのだろうと考えてみた。第一の理由は私があまり自分の歪みを相手に伝えていないからなのだと思った。日本人はなぜか自分は中立だと考えることが多い。だから、中立そうに見える相手に自分と同じ歪みを強要してしまうのである。

今回この解決が簡単だったのは最初からキャラを作っていたからである。つまり最初から変な人だということがわかっていれば相手も納得しやすい。若年者が高齢者に対して「その考えは古臭い」という理由もわかった。線を引いて村を分けているのだろう。中には最初から「私は不思議ちゃんです」などといってかわしてくる人もいる。

次にこうした歪みは支配感情に基づいていることが多いようである。自分ひとりではおとなしいのに、民族や国家を代表すると急に体制側に立った物言いをする人がいる。支配側に立っていると思われたいのだろう。そしてそれを否定されると「自分の支配者としての資格」を疑われていると感じてしまうのだ。

こういう人はスーパーマーケットで観察できる。一人だとおとなしいおじいちゃんが妻を連れて買い物に来ると途端に乱暴な言葉遣いになるというのをこの前目撃した。支配欲というのはある種の人間にとっては本質的なよりどころなんだなあと思った。もちろん女性も同じような支配欲は持っているだろう。

第一の点は克服可能である。つまり自分で「私は中立ではありませんよ」と宣言して仕舞えばいい。第二の点はどうしようもない。これは問題を引き起こすだろうが関わらずに放置するしかない。

村には価値体系が一つしかないので「みんなと同じことを考えていること」が中立の価値体系である。日本から見ると中国共産党は「異質な悪」なのだから「良かれと思って」あれは悪だと言ってくるわけである。彼らにしてみればお掃除をしている感覚なのだろう。汚れた思想があればそれは取り除かれなければ安心して暮らせない。

ただ、そうでない人も増えている。だからこそ余計に村人気質が浮き上がって見えてくるようになった。

SNSに一定数いる彼らは遊牧・放浪型と言っても良いのではないかと思う。つまり移動を前提としている人たちだ。移動を前提としている人たちは意見の相違は恐れないしそもそも気に留めない。情報交換は旅を続ける中で危険を察知するためには重要だが価値観を全て一つにする必要はない。つまり情報交換に広がりが感じられるがお互いに縛りあいはない。なぜならば自分が移動できるからである。定住型から見ると逃げ場があるということになるが、移動型の人にはそんな感覚はないだろう。

この移動を前提とするかしないかというのは大きな違いを生み出しているようだ。そして私が「日本人はXXだから」と決めつける時、定住型と移動型について語っていることがあるんだなと思った。日本人の日本性というのは突き詰めれば「移動を前提としていない」ということなのかもしれない。島国の狭い居住空間で暮らす人たちの智恵である。

彼らには「私は村には住んでいないし偏った考え方を持っている」と宣言しておけばいい。どうせSNSは村にはならない。彼らは困った時には面倒を見てくれないからだ。日本はもう村ではない。

ここまでは合理的に説明ができるのだが、欲求としての「支配欲」は日本人の古層に残る。日本の村は強力なリーダーによって統制されているわけではなく村人の相互監視によって成り立っている。そのため日本の民主主義はそれぞれの家の長が支配者意識を持って集団を相互監視しているという姿になりやすい。普段はこの縄張り意識が表面上の治安の良さを作っている。みんなで空気を読んで当たり障りのない暮らしを作っているとも言えるわけである。

これがある種の感情的危機にさらされた時に硬直して様々な問題を起こす。例えば反日探しというのは民衆レベルの支配欲が暴走した形である。まとまりたいがまとまりを作れないので身内に敵を探し出し「純化」を試みる。これは日本だけでなくまとまりを作れない国ではよくあることで、アメリカでは日系人・共産主義者・イスラム教徒(非キリスト教の人たちだ)などが槍玉にあげられ純化の対象になってきた。その都度反省しているが決してなくならない。

日本の場合はさらにこれが内向きになる。たまたま読んだ「愛玩子」と「搾取子」は支配欲が家族をどう崩壊させるかについてかについて観察している。息子・娘を支配したい親が好きな子供には報償を与え嫌いな子供には罰を与える。それを通して家の中で支配者として振る舞うというのである。

父親や母親が「なぜ支配欲を持って子供にしがみつくのか」という理由は語られない。つまりメカニズムはわからない。ただ、外から見ると「支配被支配」関係を明確にしておきたいと欲求だけは明確にわかる。おそらくは支配欲を通じて子供にしがみついているのであろう。子供には逃げ場がなく中には精神的に病んでしまう人もいるようだ。

本物の村を知らない日本人はおそらく原型になるエデンの園のような村のイメージを持っているのかもしれない。そしてある人は政治議論にしがみつきまた別の人たちは自分の持ち物である子供にしがみつくことによって理想の村を再現しようとする。だが、それが身を結ぶことはない。理想の村の像はおぼろげで再現することができないからだ。