ジャニーズはYouTube戦略を成功させるために何に取り組むべきなのか

最近ジャニーズの新しいYouTubeチャンネルを見つけた。SixTONESという名前のグループを滝沢秀明がプロデュースするようだ。SixTONESと書いてストーンズと読むようだが、これは英語圏では通用しないように思う。6人を宝石の原石に見立てて「磨けば光る」としたいのだろう。ジャニーズはオンライン戦略では遅れをとっているが、成功して日本のプレゼンスを高めてほしいと思う。

今回はこの滝沢プロデュースの新しいグループを観察しながら多様性について考える。例えば多様性を大切にする立憲民主党とこれまでの正解を守ろうとする国民民主党のどちらが未来に近いかというようなことがわかるだろう。

ジャニーズが遅まきながらオンライン戦略に取り組み始めた背景にはいろいろなきっかけがあるのだろう。第一にSMAPの分裂騒動をきっかけにしてオンラインで出遅れていることを発見したのではないかと思う。元SMAPの片割れの3人がオンラインに進出しそれなりの成功を収めていることからわかるように、ジャニーズはテレビ・ラジオは支配できてもオンラインでのプレゼンスがない。逆にいえばこの分野では伸びしろがあるということである。草彅剛のチャンネルの登録者は80万人を超えたそうだ。

今のジャニーズのマネジメントチームは高齢化しておりYouTubeの仕組みなどを理解するのは難しいだろう。滝沢秀明はまだ若いのでこの分野について学ぶことができる、また、YouTubeにも日本でのプレゼンスを増したいと考えがありジャニーズと組むのは悪い話ではないと考えているようだ。SixTONESは日本初のプロモーションキャラクタとして選定されたようだ。

SixTONEの曲調はK-POPを意識した作りになっており、ジャポニカスタイルというように日本風を唄っているところからK-POPの成功も意識しているものと思われる。海外進出に取り組んだところまでは評価できるのだが、「日本を輸出する」という点においては完全に読み違いをしている。彼らはK-POPが正解だと思っているのだろうがそれは単に表面上の問題に過ぎないのである。

日本のアーティストは「この壁」が超えられない。政府との結びつきが強すぎる秋元康はすでに右翼扱いされており海外には出られないだろう。これは秋元が政府の考える正解を正確に再現してしまったためであると考えられる。またEXILEも政府系イベントで通り一遍の日本らしさを演出するに止まっており先行きは難しいものと思われる。新潮45や産経新聞社のように、人権と民主主義に理解のない今の体制を擁護する側に回ってしまうとその他のマーケットを全て失ってしまう。「外見的な正解」は人を無能にしてしまうのである。

多分、彼らは「自分たちが何者であるのか」ということを考えたことがないまま日本を輸出しようとしているのではないかと思う。ゆえに改めて日本を演出しようとすると、ハリウッドが勘違いして誇張した日本コスプレのようなものを自ら演じることになってしまう。自民党の憲法草案の序文の薄っぺらさからも日本人が対して自分たちの国をよく理解していないことがわかる。

今回のMVを見るとわかるのだが、着物、富士山のような形の照明、日本風のセットなどがあり「俺たちはジャポニカスタイルでユニークだ」というような歌詞が歌われる。だが、いったい何がユニークなのかということが全く語られない。わびさび、華麗、儚さと唄っているのだが、多分歌詞を書いた人たちも、いったい何が日本風の価値観なのかということは説明できないだろう。彼らは「これが正解でしょ」と一生懸命なのだが、それが何一つ伝わらない。

日本のアニメが海外で成功したのは高度経済成長期からポストバブル期にかけて「なんとなく違和感があるがそれがはっきりとしない」という価値観を海外と共有したからではないかと思う。実写では表現できないから「絵に逃げた」とも言えるし、日本人は大人になってもアニメを見る習慣が抜けないので子供向けではないアニメ市場があったからとも考えられる。大人になってもアニメを見ている人たちは外向きでは立派な社会人を演じながらもどこか「そうでない選択肢もあったのになあ」と感じていたのではないかと思う。日本のアニメの担い手は正解の外にいたので海外に広がることができたと言える。

いわゆる大人向けのOVA作品と子供向けのアニメやヒーローものとは違うのではないかという人もいるだろうが、日本のアニメの作り手たちは単に子供向けのお話を作っておもちゃが売れればいいとは考えていなかった。商業主義的な限界はありつつもそこになんとか彼らが持っている違和感を入れ込もうとした。これは当時正解だった純文学に彼らの居場所がなかったからだ。彼らはのちに正解になることを求めてSF文壇のようなものを作ったがこちらは長続きしなかった。

アメリカ人は防弾少年団を見て「自分たちと同じような音楽を肌感覚で理解し」なおかつ「多様な世界での自己の受容」という基本的な価値観を共有しているということを感じたのだろう。同時に文化的な差異を「発見」してそこにエキゾチズムを見出す。つまり出発点は内心になっており、そのあとで外見に目をつけるという順番になっている。これは日本のアニメが受容されたのと同じ道筋だ。

ところが均質な世界に住んでおり周りに合わせたがる日本人はこうした意味での内心を持つ必要がない。共通点となる内心そのものがないので、今の欧米では共感を得るのは難しい。しかし、たまたま防弾少年団がそうだったのではないかと思う人もいるかもしれないので、別の例をあげたい。

日本のオンラインで成功している人に渡辺直美がいる。渡辺直美のインスタグラムは840万人のフォロワーを擁しているそうだ。彼女の提供している基本的な価値観は「太っているが自分らしく輝いている女性」という従来のファッションアイコンとは違ったキャラクターである。グッチのキャラクターにも「ただ可愛いだけじゃないモデル」として選定され、そのバッシングの過程もニュース(ITメディア)になるという具合だ。ただ、彼女は母親が台湾人のバイリンガルであり、その意味では「普通の日本人」とは違ったアイデンティティを持っている。これがいったん海外で受けて、その評判が日本でのファンを増やすという構造になっている。

実は日本のインスタグラムのフォロワー数の上位3名はいずれもマルチカルチャーなのである。2位はバングラディシュ人の父親を持つローラで、3位は在日韓国人の母とアメリカ人の父を持ち日本語環境で育った水原希子なのだそうだ。つまり、日本でもこうした多様性を持った人たちが受け入れられ始めているということがわかる。海外の評判がダイレクトに日本市場に伝わってくる土壌ができつつあるのだろう。

ここからわかるのはいわゆる内心が生まれるためにはアイデンティティの複雑さが必要ということである。「普通の」日本人はこうしたアイデンティティの揺らぎを感じないまま日本の公教育を受ける。集団と一体化してしまうのでアイデンティティクライシスを感じることはない。ここから除外されたと感じても「自分たちが正解である」と主張する。Twitterで行われているのはこの争いである。彼らは正解などない世界で正解を求めて闘っているのだ。

日本人が正解を求めて戦う一方で多様性の当事者たちは自分たちが多様性を代表しているなどとは言わない。一人ひとり違った成り立ちがありそれを受け入れてほしいと感じているだけである。だから「多様性」などとひとくくりにしてそれを正解と祭り上げているうちは多様性が理解できない。

バイリンガルはわかりやすいアイデンティティの揺れである。しかし、この他にも例えばフレディー・マーキュリーのように「普通とは違ったジェンダー意識」を持っている人たちもアイデンティティの揺れを感じやすい。したがって内心を育むチャンスに恵まれるということになる。

日本のアニメが受け入れられていた時代と比べると世界はより複雑化している。だから、こうした揺れと揺れに伴う価値観の提示がトレンドになりつつあるのだろう。

一方で均質な社会出身の人たちは別の工夫をしている。

以前JYPの国際戦略として、わざと外国人を混ぜるという戦略を観察した。チーム内にアイデンティの揺れを作ることで国際社会への展開の足がかりを作ろうとしているのである。ある7人組のチームにはタイ系アメリカ人と韓国系アメリカ人がおり、これを移民として渡った別のメンバーが橋渡しをするというような構成になっている。このようにアイデンティティの揺れは人工的にも作り出せる。韓国も比較的均質な国であり、海外移民を加えて揺れを出さないと国内組だけで固まってしまう可能性があるということを意味しているのだろう。

ジャニーズの取り組みは最初の一歩であり、道を間違えなければここから発展する可能性はあるのではないかと思う。

旧来のジャニーズはテレビでファンを開拓しそれを強度に組織化することで成功してきた。音楽レーベルに対してチャートの上位に常に入る「売り上げの見込みが立ちやすい」アーティストが効率的に供給できていた。ところがこれが今では裏目に出ている。最新のチャートを見ると上位に1組くらいはジャニーズのアーティストが入るが後が続かない。代わりにYouTubeで大量露出された韓国人アーティストが韓国語のままで複数チャートインするという状態になっている。

旧来のファンが組織化したまま高齢化していってしまうことから見ると、いったん出来上がってしまった組織に後から新規のファンが入るのは難しいのだろう。ここに捕まってしまうとそこから抜け出せなくなるという未来が容易に想像できる。滝沢の場合は国際戦略に合わせると「これは今までのジャニーズではない」と言われるだろう。

実はアンチというのは違和感の結果であり、今後成功できるかどうかの指標になっているのである。単に炎上を目的にアンチを生み出すのではなく、存在そのものに違和感を感じさせるようでなければ未来はないのだ。これは実はエンターティンメントだけではなく、政治にも言えることなのではないかとおもう。

防弾少年団のミュージックステーション出演見送りの意味


防弾少年団がミュージックステーションへの参加の見送りを表明した。(スポーツ報知)一部でスポンサーへの抗議電話運動などが始まりつつあり、テレビ局側が巻き込まれるのを恐れたのではないかと思う。これを見て「日本のエンターティンメントはかなり特殊な状態に置かれている」と思った。と同時に日本では政治的課題が「かなり面倒なもの」と捉えられていることがわかる。日本人は政治的話題に踏み込むことをほぼ無意識に避けていると思う。そして苦手意識を持てば持つほど政治議論が「荒れ」て一般の人が遠ざかる。保守派は大満足かもしれないが、このことで却って日本の立場が世界に伝わりにくくなってしまうのである。

このエントリーでは「政治」をかなり乱雑に捉えている。アーティストにとって個人の価値体系を語ることは大切だがこれは政治課題とは地続きだ。個人の価値体系から政治的課題だけを取り出してそれを「語らない」ということは本質的にはできないはずなのである。一方、アイドルは受け手が「聞きたい」と思っていることをあたかも自分の発想のように演じられる人だ。これも今回は重要なテーマになっている。日本ではアイドルがより複雑な自己を演じなければならないような状況が生まれつつあると思う。

まず防弾少年団についておさらいしておく。2013年にデビューした7人組のボーイバンド(英語では楽器を演奏しなくてもアイドルグループというような意味で使われる)である。所属はBigHitエンターティンメントという中小の事務所だ。グループの動向はKSytleなどで知ることができる。最近、英語圏での活躍が目立っておりビルボードチャートで一位を獲得したり国連で演説したことなどが話題になった。国連演説では多様性のアイコンとして扱われた。自分らしくという言葉が出てくるのだが日本とは使われ方が異なっている。一方で防弾少年団と日本との関係はあまり良くない。日本に進出しようとして秋元康とのコラボを計画したが韓国のファンの反対で中止になったこともある。そして、今回メンバーのジミンが「原爆を肯定するかのようなデザインのTシャツ」を着用していたことが問題になり特定の人たちから反発されることとなり、テレビ出演がキャンセルされた。

この問題についてバンドや個人が下手に謝ってしまうと「日本に屈した」ということになってしまうだろうし、謝らないと「原爆という絶対悪」を肯定したことになってしまう。とても議論の別れる問題である。日本の識者の中に素直に謝ればいいのにと言っている人がいたが、日本人の自国中心主義の傲慢さがよく表れている。海外のメディアではABCとBBCが伝えるのを読んだが、日韓の関係性が悪化してゆく文脈の一部として捉えている様子がうかがえる。細かいことはわからないが「あの二国は仲が悪い」という理解なのだろう。

ボーイバンドが議論の別れることについて発言することに慣れていない日本のファンは「知らずにやってしまったのでは」と思いたくなるのだが、実はBTSはもともと議論の別れる問題について関わるのを厭わないグループであり、その意味では純粋なアイドルとはいえない。

韓国の芸能人ももともとあまり政治的に議論の別れる問題に関わらない。地上波放送にはまだ検閲も残っているようで、ケーブルテレビに視聴者が流れる一因にもなっているようだ。国営のKBSでは日本語の歌詞を含んだとされる曲が放送不適格になったこともあった。このため政治的発言に関する慎重さは日本より強いかもしれない。さらに炎上も多く「反韓感情があるとされるビートたけし」との関係を仄めかして炎上したアイドルもいる。(Kstyle)このため、アーティストよりアイドルの需要の高い国と言えるだろう。アイドルはソウルの言葉で話すことになっているというお約束もある。日本の芸能人がテレビでは訛りを出さないのと同じ感覚だろう。

しかしBigHitエンターティンメントのような中小事務所はアイドル候補生をみつけて自前でじっくり育ててからテレビに露出するという方針が取れない。そこで、アンダーグラウンド出身の人たちも視野に入れてバンドを組むことになったようだ。KStyleによるとアングラでは「即戦力」としての芸能人が発掘できるという。リーダーのRM(当初はラップモンスターと言っていた)は「大南朝鮮ヒップホップ協同組合」といういかにもアンダーグラウンド的な名前のグループで活動していた時代があるそうだ。朝鮮半島を韓半島と言い換える韓国ではかなり刺激的な名前である。そして政治的に議論が別れるLGBTQの問題についても発言していたようである。さらに、ソウル出身者はいないので普段から方言で話している。事務所はアイドルらしく売ろうとしたが彼らは言葉を直すのを嫌がったのである。つまり、彼らはもともとちょっと反体制の匂いのするグループで、東方神起やTWICEのようなアイドルグループとは違っている。

ローリングストーンのこの記事によるとこれが英語圏で支持される理由になっているものと思われる。意見を表明したことで自分の言葉で価値観が語れるという評価を得たのだろう。ローリングストーンの記事にはLGBTQへの抑圧が激しい韓国であえて問題提起をするのは勇気のいることであっただろうというようなことも書かれている。

英語圏で重要なのは自分の言葉で価値観を語れることである。だからアイドルが政治的課題について語るのは重要かと質問すると焦点の合わない答えが返ってくる。政治的ポジションを表明するかしないかは個人の自由に任されているというのだ。だが、個人の信条を理解してもらおうという態度は支持されるうえにアーティスト活動の本質であるともいえる。英語圏では個人の価値観と政治が地続きになっている。

一方日本人は政治的課題を語るのを避ける傾向がある。言い換えれば、日本人は議論が別れる問題を自力で解決したがらない。代わりに日本人は正解を知りたがる。そして自分たちがその正解の中にいることを確認したいと望むのである。群れで生きる日本人は群れから外れることを嫌がるのだとも言えるだろう。

今回、防弾少年団の問題でファンたちは「自分たちが日本でのアイドルの正解に当てはまらないグループ」を支持しているということを知ったはずだ。わかっていて防弾少年団が好きだった人たちもいるだろうし、そうではない人たちもいるだろう。今後防弾少年団が日本でどうなるのかというのは観察テーマとしては面白い。

だが、もっと重要なことがある。議論が別れる問題を避けるということは意見の違いを調整できないということを意味している。それどころかそこに議論が別れる問題があると認識することすら世界の破滅を意味するようだ。この怖れが何を意味するのかについて考えてみたい。

政治的な課題を扱っているはずの「朝生」ですら、右と左という枠組みができており、そこからはみ出す人はいない。移民に反対するはずの右の人たちですら表立っては安倍政権批判ができないし、改憲すべきだという人権主義者もそれが言えない。ある意味二極化という調和構造ができており、そこで「争ってみせる」のが日本の政治議論なのだ。それをちょっと「壊してみせる」のが田原総一郎の役割だ。

日本人が抱えるこの恐怖はミュージックステーションの公式サイトの文言からも見て取れる。今回の問題に間接的にしか言及していない上に、原爆とは書けないので「Tシャツのデザイン」としている。あれは単にデザインではなくメッセージである。政治的に議論が別れることに触ることに強い恐怖心を感じるのだろう。

出演者変更について
11月2日に予告しましたBTSの11月9日放送回でのご出演を今回は見送らせて頂くことになりました。以前にメンバーが着用されていたTシャツのデザインが波紋を呼んでいると一部で報道されており、番組としてその着用の意図をお尋ねするなど、所属レコード会社と協議を進めてまいりましたが、当社として総合的に判断した結果、残念ながら今回はご出演を見送ることとなりました。ご出演を楽しみにされていた視聴者の皆様に深くお詫び申し上げます。

この原爆Tシャツの問題が正面から日本のテレビで取り上げられることはなかった。日本では8月になると「原爆の犠牲者を悼みましょう」というような通り一遍の報道しかないが、アメリカでは原爆が「戦争を一発で終わらせたクールな技術」と捉えられることがあり、韓国では解放と結びつけられることもある。今回は韓国人デザイナーの「大した意味はなかった」という釈明が紹介されているのだが、ファッションの一部としてくらいの認識しかされていないということ(Wow Korea)も実は問題である。これを変えるためには日本は圧力ではなく説明を通じて理解者を増やして行かなければならないはずだ。そもそも原爆に対する認識が日本と世界で違っているということすら知らない日本人がそれ以上の行動を取ることはないだろう。前回ご協力いただいたアンケートで「日本側が説明すべき」とした回答は30名強いの参加があったうちのたった2つだった。

今回は津田大介が本島等元長崎市長の論考を取り上げている。実は当事者は「何も説明しなければ、問題の本質は伝わらない」と考えていて、実は日本人と当事者たちの感覚にもズレがある。

韓国の歌謡番組は今でも恋愛に関する歌を歌ってランキングを発表して終わりになってしまう。ゆえにアイドルが個人の価値観について語る必要はあまりない。一方、日本人はこの形式のショーに飽き始めており、アーティストに個人の意見を述べさせている。しかし、そこから政治課題をあたかも最初からなかったかのように除外する。日本人は正解しか語れないのだ。

Twitterでは毎日のように政治的分断を目にする。実は内心まで踏み込めば政治的意見に違いがあるのは当たり前のことだ。それでも、テレビの歌番組では調和が演出されている。これを念頭に今回のミュージックステーションをみると「アーティスト風味の歌い手たち」がどこかディズニーランドのキャラクターに見えてくる。

これは、実は日本人アーティストが海外に出て行く上での障壁にもなる。政治について考えた上で語らないならそれは選択肢として認められるだろうが、面倒なので考えたことがないとなるとまた話は別だろう。ディズニー映画のお姫様ですら自立性が要求されるアメリカでは単なるお人形にはアーティストとしての魅力はない。そもそもアンテナに引っかからないからだ。

だが、それよりも日本人が日本のポジションを海外に説明できるようにならないということの方が重要なのではないかと思う。

このため日本を世界に発信しようと考えると必ず富士山を入れてみたり日の丸をモチーフにしたような通り一遍でよそ行きのものになってしまう。ただありきたりの違いを示しただけで、根本の共通点は見せられないから共感は得られない。一遍の演出だけでは相手の心を掴むことはできないのだ。一方、文化や状況は違いながらも多様性を尊重するというイメージのついた防弾少年団は韓国語のままで英語圏の一位を獲得できる。

芸術の世界では自分の声で語れないとソフトパワーという面で負けてしまうのである。

芸術の世界では自分の声で語れないとソフトパワーという面で負けてしまうのである。

防弾少年団(BTS)ジミンと原爆Tシャツ

日本公演に合わせてBTSの事務所が日本公演に合わせて2018年11月13日に謝罪文を出した。原爆についての謝罪は十分とは言えないが、関係諸団体と連絡を取るとしている。この際に原爆被害者への理解を深めるべきだろうが、いずれにせよ当事者間の問題であり、周りが代弁者になってバッシングすべきではないだろう。





防弾少年団(BTS)のジミンが原爆Tシャツを着て日本を挑発したとして話題になっている。韓国人歌手の「反日活動」は珍しくないのかもしれないが、紅白歌合戦の歌手として選ばれるのではという観測があり、国連で演説をしたグループ(Courrier Japon)としても知られているので、よりやっかみも強まるのだろう。

この件について調べてみると、BTSがなぜアメリカで人気のグループになれたのかということがわかってくる。BTSは実は韓国の芸能人が守ってきたあるルールを破ることで人気になっているのである。

まず、この原爆Tシャツ騒ぎが本当にあったのかを調べてみた。Googleによると、原語で지민(ジミン) 원폭(原爆) T 셔츠(シャツ)となるそうだ。ニュースサイト(韓国経済)では次のように説明されている。翻訳はGoogle翻訳を使った。つまり、韓国では原爆は祖国解放のために役立ったものとして位置付けられているということがわかる。対日(對日)となっているのはGoogleの間違いではなく、ハングルに漢字の振りをつけているからだ。

Tシャツの説明では、「国を奪われ、日本の植民地支配を受けた日本植民地時代という長い闇の時間が経って国を取り戻し、明るい光を見つけた日がまさに「光復節」である。1945年7月26日、米英、中は「ポツダム宣言」で対日(對日)の処理方針を明示するとともに、無条件降伏を要求した。日本がこれを無視すると、米国は8月6日、広島では、9日長崎に原子爆弾を投下した長崎原爆投下6日後の8月15日、日本は連合軍に無条件降伏を宣言した。9月2日降伏文書に署名し、正式に太平洋戦争と第二次世界大戦が終わった。韓国の光復をTシャツに表現したルーズな感じの長袖Tシャツだ」という紹介がされていると伝えられた。

もちろんネトウヨ業界では韓国人が紅白歌合戦に出場するのはいけないことに決まっているのだから、BTSは「日本で商売しなくても結構」となるだろう。逆にBTSのファンやリベラル界隈はこのニュースをなかったことにしたいはずである。では、このうち「どちら」が正しい態度なのであろうかということになる。原爆は「議論の別れる問題」だが英語ではこれをcontroversialという。日本語には訳語がなく「物議をかもす」などと訳される。実は英語圏ではBTSはcontroversialな議論に勇気を持って立ち向かうというイメージがあるのだ。Rolling Stoneの記事を見つけた。

BTS, who just became the first K-pop act ever to top the Billboard 200 album sales chart, have become a record-setting success story in part because of their willingness to buck this convention. The seven young men who make up the group have been speaking their minds since their debut, openly discussing LGBTQ rights, mental health and the pressure to succeed – all taboo subjects in South Korea. Their stance is particularly bold given the Korean government’s history of keeping an eye on controversial themes in pop music. By straddling the line between maintaining a respectable image and writing critical lyrics, BTS have offered a refreshing change from what some critics and fans dislike about the K-Pop machine.

デビュー当時から彼らはLGBTの権利やメンタルヘルスについて語ってきたと説明されている。これらは韓国の芸能界ではタブーなのだそうだ。韓国政府は芸能人がこうしたcontroversialなテーマについて触れるのを監視してきたと書かれている。つまり、もともとギリギリのところを「攻略する」グループだったわけである。だからジミンが原爆を扱ったというのも偶然や気の迷いとは言い切れないのである。

原爆は戦争という極端な現実の会社の正解が必ずしも一つではないということを示すよい材料を与えてくれる。日本では原爆というと被害の側面しか強調されないのだが、世界の認識は必ずしもそうではない。例えばアメリカにはもっとひどい認識がある。日本が続けていた戦争を科学技術で「一気に解決」し、戦後のアメリカ主導の国際秩序を作るのに役だった「クールな発明品」という認識がある。科学技術の結びつきから放射能マークや原爆のキノコ雲をかっこいいという人もいる。日本人が感情的に反応すると、とても戸惑いを覚えるようなので、彼らは悪びれずにそう思っているのではないかと思う。

しかし、我々はアメリカを見て反日とは言わない。アメリカは日本より強くて上という意識があるからだろう。だから、オバマ大統領が広島を訪れた時に、反核運動の人たちはこれを過剰にありがたがり、謝罪をしなかったことを無視しようとした。だが、下に見ている韓国人が同じようなことをすると「反日」ということになる。また、日本のファンもBTSは応援できても、原爆に肯定的な見方をする人がいるなどとは思わない。だからもともと韓国を面白く思わなかった人も、BTSを応援していた人も同様に戸惑うことになる。

世界に通用するバンドを応援するということは実はとても大変なことなのだということがわかる。相手がどうしてそのような認識を持っているのかを学び、なおかつそれが許容できないなら真摯に伝えて行かなければならない。もちろん、芸能と政治は分けて欲しいという人もいるだろうが、そもそもBTSはそのようなバンドではない。相手が自分の思っている通りではなかったから嫌いになるという人もいるだろうが、それはそれだけの愛情だったということだ。だからといって、嫌われるのがいやで全てを受け入れるというのもまた愛とは言えない。愛を歌うことの多いK-POPの歌詞にはよく다가와다/다가가다という言葉が出てくる。近づいてゆく/近づいてくるという意味の言葉だが、このしんどさとその裏側にある尊さが試されているとも言えるだろう。

日本人なら誰でも原爆の被害について広く伝えて行きたいと思うはずだ。だからこそ、相手が持っている原爆の認識について受け止め、同時に広島や長崎で何が起きたのかということを伝えなければならないということになる。やはり我々の国は原爆に傷つけられたのだし、その影響は長い間消えなかった。一方で、日本の決断の遅さがあの惨状を招いたのもまた確かである。軍部は失敗を認めるのを嫌がり、インパール作戦で多くの兵士を見殺しにし、沖縄を捨ててもなお間違いを正せなかった。だが、誰の言っていることが正義で誰がそうでないかという線を引くことはおそらく誰にもできない。それが戦争である。

あの犠牲者たちの写真を見せられてもなお「原爆が戦争という矛盾を一気にきれいに解決した」と言える人はそう多くないはずだ。だが、あの写真も実は真実の一面であって、未だに世界では原爆を解放者のシンボルとして捉える人が多いという側面もある。私たちは戦争を起こした当事者ではもないのに、それを丸ごと受け入れなければならない。戦争はとても不当な過去からの贈り物である。

BTSのジミンが情報を得た上で確信犯的に「原爆はかっこいい」と思っているのか、単に被害の写真について見たことがないだけなのかは実はよくわからない。相手が説得できるかはわからないが、事実としての広島や長崎の惨状について粘り強く語ってゆくしかない。過去は変えられないが未来は変えることができるかもしれないからである。もちろんそんな義務を背負う必要は誰にもないが、それが分かり合うということである。

もし、ジミンの態度が変わらなかったとしても、チケットを買ってコンサートに行くような人がチケットを買う自由はあるし、誰かがそれを責めるべきではない。さらにけしからんからテレビ局を囲んで潰してやろうという行動は「相手にわかって欲しい」いうファンの切実な願いを踏みにじることになるだろう。

一方で、態度が変わらなかったのなら、紅白歌合戦には出るべきではないかもしれない。紅白歌合戦はK-POPファンのみならずいろいろな人が見る番組であり「広島や長崎でどんなひどいことが起こったとしてもそれでも原爆を支持する」という人が受け入れらる余地はやはり少ないだろう。亡くなってしまった人の他に、生涯差別を受けた人もいるし、原爆二世というだけで複雑な思いを抱えてきた人たちもいる。こうした人たちも紅白歌合戦を見るだろう。NHKがそれでも彼らを出すのなら、多分問題を整理したうえで全てを受け止める責任がある。

この「知らせた上で相手に選択肢を委ねる」ということはとても大切だと思うのだが、日本ではこうした発想が起こりにくい。個人の主張や選択をあまり信じない日本人は「相手もまた変わらないだろう」と思いがちだ。だが、こうした諦めを持っている限り、原爆や戦争というものが時に取り返しのつかない被害を与えるのかということは伝わらない。

戦争のような劇的な行為が深刻な価値観の分裂を後世に残すのは当たり前のことであり、それを後の人たちが変えることはできない。戦争で助かった人がいることも確かなのだろうが、かといって亡くなった人も帰ってこないからである。

だから、戦争はいけないことだということを再認識するためにも相手の認識を受け入れた上で、自分たちの感覚や感情も率直に語ってゆかなけばならないのではないかと思う。ファンとは辛いものだと思うのだが、日本のファンは組織的で粘り強い。真摯な気持ちを表明した上で相手を説得するという作業をやってできないことはないと思うのだが、いかがだろうか。