減価償却はサンクコストです、が……

減価償却はサンクコストというのは嘘だという書き込みを見つけた。で、これにレスをつけようと思ったのだが、なんかややこしい話になりそうなのでまとめる。

確認したわけではないけれど、多分、池田信夫さんのこの文章が元になっているものと思われる。

まず減価償却は初期投資の変形だ。つまり、過去に支払いが終わった費用を分割して計上しているだけなので、すでに投資は終わっている。ゆえに減価償却はサンクコスト(埋没費用ともいう)だ。このあたりは検索してみるといろいろと出てくる。

ただ、この一連の発言のもとになった小池さんの発言の意味がわからないので、議論自体あまり意味がないんじゃないかと思う。サンクコストを「取り返しがつかない何か」と言っているように思える。実際には「すでに発生した出費」はすべてサンクコストなので人間が恣意的にサンクコストを作ることはできないからだ。

小池さんは「サンクコストにならないためにどうすべきか客観的、現実的に考えていくべきだ」といいましたが、(池田さんの文章から引用しました)

ということで投資の最大化ということを捉えると、池田さんの言っていることが正しいように感じられる。豊洲はこのままで安全なのか(つまり追加投資コストはかからないのか)という議論が出てくるのだが、多分それがわかっているので不自然な位置で「飲み水じゃないから大丈夫」という話が出てくる。これは多分予防線になっているのではないか。

そもそも初期投資が終わっているとはいっても、支払いはすんでいないらしい。出費はあったのだろうが、どこかから借りているのではないだろうか。プロジェクトの提言をみるとその費用をどう議会に説明するかという問題が起きているように見える。文章によると提言は次のようになっているという。以下引用。

それによると、市場の豊洲移転が案として成り立つためには、お金の問題を解決しなければいけないとして、(1)豊洲の赤字を防ぐため、他の10市場も含めて使用料を2倍に上げる、(2)11市場を順次売却して、その収益を市場会計に繰り入れて赤字を補う「たこ足生活」で対応する、(3)減価償却分(大規模修繕・改修などの設備費用)約3050億円と豊洲建設費の不足分、市場の赤字は、すべて税金で賄う―の3点を挙げている。

普通プロジェクトの投資計画を建てる時には、便益と費用を並べて現在価値を出した上で投資の正当化するはずだから、豊洲建設が決まった時点で費用のアプルーバルは出ているはずだ。お金を使ってしまって建物が建っているのに今更「プロジェクト自体が成り立たないかもしれない」などと言い出すのはおかしな話なのだが、それがまかり通っているのが都議会なのかもしれない。

この文章の一番大きな問題は何だろうか。それは政治的な説明責任と経営上の投資の最大化という問題がごっちゃに語られていることなのではないかと思う。

政治責任は過去に起こったことに対して問われるのだから、埋没費用だろうがなんだろうが関係がない。税金を無駄遣いしたのなら正されなければならないし、運営体制がいい加減ならそれも精査されるべきだろう。また、過去にいい加減なお金の使い方をした人は将来にわたってもそういうお金の使い方をする確率が高いからである。さらにモニタリングすらまともにできていなかったわけだから「追加費用がかからない」という言葉の信頼度もわからない。つまり、説明責任に対するクレディビリティの問題だ。これも信用問題で、平田座長は「安心は政治マターだ」みたいなことを言っている。

つまり、政治問題はプロジェクト運営能力と発言の信頼性に分解できそうだ。

一方、商人の世界では持っているお金を最大化しなければならないわけだから、過去にとらわれるのはよくない。サンクコストが問題になるのは長々と投資をしていると成果が上がらなくても「なんとなく後ろ髪引かれる」気分になるからだ。今まで使った金をドブに捨てるのかという気分になる。これが問題になるわけである。このつぶやきの前段には「損きりの言い訳に使われる怪しげな用語」というようなニュアンスがあるのだが、これはある意味では正しい。

さらに、文章の後段は主観やリスクの話をしているので、さらに話がややこしくなっているのだが、この文章は「無理を承知でめちゃくちゃな出費をしたとしても既成事実を作ってしまえば問題はなかったことにできる」と言っているように聞こえる。問題を放置した責任までなかったことにできるんですかと言われれば「それは通らないですよね」としか言いようがない。

同じような論法は原子力発電でも見られると思う。原発事故は起こってしまったので除染に一兆円かかろうが二兆円かかろうがそれはサンクコストだ。ゆえに原発は一番安い電力なのだと言われれば「それは将来同じような災害が起こったらその費用も度外視するつもりなんですよね」としか言えない。だが、実際にはその類の議論がまかり通っている。

豊洲・築地の問題は、利権の絡んだ面倒な政治問題だ。加えて感情的な議論を起こしてページビューを稼ぎたい人たちがたくさんいて、袋叩きすら商売になっている。なので、あまりテクニカルなところには立ち入りたくはない。だが、議論の顛末を見ていると、つくづく党派性のない試算とモニタリング結果が見たいなあと思ってしまう。

長々と1900文字も書いてしまったが、豊洲の問題は「政治的問題(プロジェクト運営能力)」・「政治問題(信頼性)」・「経営(将来の収入と追加投資)」「リスク」の問題がごっちゃになっていることが問題だと思う。中にはわかっててわざとごちゃごちゃに書いている人もいるので、なかなか始末に負えない。

 

石原慎太郎氏をバカにすることは脳梗塞の方々をバカするということだという言説について思うこと

石原慎太郎氏が証人喚問された。冒頭に「脳梗塞を患っているから過去の記憶が曖昧である」というようなことをおっしゃった。その時「海馬が不調なので」というような説明をしていた。とても胸が痛んだ。

胸が痛んだのは海馬の働きを知っていたからだ。人は何かを体験すると情報が海馬にゆき、必要な情報を洗い出したあと、大脳新皮質でファイリングする。海馬は入力装置と記憶装置をつなぐ場所にある。だから海馬が壊れてしまうと新しいことが覚えられなくなるが、古い記憶は残る。ハードディスクは残っているので情報そのものは残っているからだ。なお、情報が残っているということと取り出せるかということは違うのだが、情報を取り出すのは海馬ではない。

ここから理屈ではなく即座に分かることは、石原さんが「知っている人が聞けばすぐに嘘と分かることを言っている」ということである。多分、自分の症状を医者から聞いてよく理解できていないのではないだろうか。字が書けないというのは本当かもしれない。すると、ファイルそのものが壊れているか、ファイルを取り出すところが壊れている可能性はある。しかしそれは「海馬」ではない。

ここからさらに、この人は自分にとって重要である症状についてさえ、科学的知識を理解しておらず、専門家(つまり医者)が言っていることもわからないということになる。従って豊洲問題についても核心部分については理解していないであろうという見込みが立つ。つまり専門家や市場長などが専門的なことを伝えても「右から左に聞き流して」いたんだろうなあということがわかってしまうのだ。彼にとって重要なのは土地の移動が子飼いの部下や協力者に何をもたらすかということだけなのだろう。

さらに胸が痛んだのは、かつては一世を風靡した作家が、その一番大切であるはずの言葉を歪めてまでいろいろなことを隠蔽しなければならなかったという点である。政治家でいるというのはそういうことなのかもしれないが、であったとしてもそれは隠し通して欲しかった。

確かに発語のしにくさはあるようで声が嗄れていた。歩き方が不自然だったという感想を持った方もいらっしゃったようだ。だから、石原さんが全く健康体と主張するつもりはない。ある程度の配慮が必要なことはいうまでもないだろう。そもそも先のエントリーで観察したように尋問する側も「グル」のようなので、尋問が儀式に終わることも容易に想像できてしまう。

石原さんはペラペラと過去の自分の業績を開陳していたのだが「自分に都合が良いことはよく覚えており」「都合の悪いことを合理的に判断して隠す」ほどの知性を維持していることは明らかだった。仮に記憶の一部が欠落してたとしても、記憶が選択的であるということを意味している。パリの街で誰と食事をしたかとか隅田川を誰と歩いたとか記憶はかなりのディテールを持っているようだ。つまり記憶の取り出し機能が障害しているというのもかなり疑わしいように思える。

つまり、質疑が進むにつれて「病気を利用したんだ」ということが明らかになってゆく。これは同じ症状に苦しむ方にとってはとても不誠実な態度と言えるのだが、そんなことにかまってはいられないほどの事情を抱えているのだろうということがうかがえる。

さらに小池百合子都知事を糾弾するためにいろいろな勉強をされたのだろう。これは新規記憶だから海馬に影響があるなら難しい作業だが、難なくこなしていた。

唯一「障害」を感じさせるのは、自分と意見の異なる相手の言っていることは全く理解できていないという様子を見せたところだ。複雑な文節は理解不能のようだ。だが、これは脳梗塞の影響ではなく、そもそも自分と異なる相手のいうことを聞けないのではないだろうか。相手の意見を聞いてこなかった人が老年になって相手を理解できなくなることは珍しくない。こういう人たちには特徴がある。相手から話を聞いたあとワンポーズあって、表情に「?マーク」が浮かび、自説を騰々と述べるということだ。つまり、人の話を聞いてこなかったので、相手の会話を理解する能力を失っているのか、そもそも相手を理解する共感能力を持ち合わせずそれを隠蔽する能力を失っているのだ。

ついには精神科医まで動員され「傲慢症候群」という診断さえ下されてしまった。

「自分の言いたいことだけを言いたい。都合の悪いことには答えたくない。批判は受けたくない。特権意識が強く、自分勝手です。石原さんは、イギリスの政治家で神経科医のデービッド・オーエン氏が『傲慢症候群』と名づけた典型のように見えます。権力の座に長くいるとなる人格障害の一種です」

ここからわかるのはかつて一世を風靡した作家が、ちやほやされた挙句に相手への共感能力を失い、身内においしい思いをさせるために無茶をした結果、世間から叩かれているという構図だ。確かに石原さんは自分たちの仲間のためにとても一生懸命に働いたのかもしれないのだが、その結果は都政に様々な混乱をもたらしている。

石原さんは右派のスターだったので擁護したい気持ちはわかるのだが、彼の「愛国」が実は単なる身びいきに過ぎなかったということを認めるべきだろう。さらに、時々自分と違う意見を聞いて理解する訓練をしないと、最終的には石原さんのようになってしまうということも記憶しておくべきかもしれない。

石原証人喚問という猿芝居を見た後の虚しさ

石原元都知事への証人喚問が終わった。「よくわからなかった」という感想が多いみたいだ。最初は細かい経緯をあまり知らずに聞いたのだが、あとで調べてみて「ああこれはひどいな」と思った。で、さらに別の話を聞いてかなり打ちのめされた。この感じはなかなか説明できそうにない。ちょっと長くなるが順を追ってまとめてみたい。

最初の感想

まずは経緯を知らないでNHKの中継を聞いた。感想は「まあこんなもんだろう」というものだった。

第一に石原さんは「海馬異常で記憶が曖昧」と言っていたので「豊洲移転について都合の悪いことがあるが言えない」と告白しているんだと思った。石原さんが海馬に異常を持っているのなら、過去の実績も忘れてしまっていたはずだ。選択的な記憶の分別は海馬にはできないからだ。しかし、自分が何を成し遂げたかということについてはよく覚えており、小池都知事を糾弾するネタも仕込んできたらしかった。

海馬は新しい記憶を収集する役割があり一度獲得した記憶には関係がない。嘘はつけないので記憶にございませんと言うのがお約束なのだが、知っている人が聞いたらすぐに露見するような科学知識のぞんざいな扱いに呆れだ。

自民党の質問は豊洲移転の正当化なので特にコメントする必要はないと思うが、公明党も選挙用に「自分たちは石原さんと対決している」ということを印象付けたいだけという感じだった。面白いのは民進党の質問だ。東京ガスの元社長と会っていたことについては記憶にないという答弁を引き出していた。つまり会っていたので言えなかったのだろう。このことから、東京ガスとの個人的なつながりを勘ぐられることは都合が悪いということも石原さんは理解していたことになる。だが、なぜか追求はそこ止まりだった。

音喜多都議の一連の質問が誘導しているのは、東京ガスが土地汚染に関して免責になることを東京ガスと浜渦さんが知っており、なおかつ都の関係者が知らなかったということだ。つまり「都議会は騙された」と言いたいのだろうということがわかる。

それでも、石原さん怪しいという印象がつけばあとは有権者が判断するだろうから、まあこんなもんでいいんじゃないのかと思った。つまり「豊洲移転は石原さんとお友達がおいしい思いをするために東京ガスと密約し重要な情報を都民に知らせなかった」という印象さえ残ればそれでいいだろうと考えたのだ。

実は民進党も含めて猿芝居だったらしい

さて、ここでちょっとしたバックアップのつもりで過去の経緯について調べてみた。石原さんが繰り返し言っていた「浜渦に任せていた」という浜渦さんだが、民主党(当時)の議員に「やらせ」の質問をさせたことを糾弾されて辞任しているそうだ。当時の浜渦副都知事を追い落としてたのは自民党の内田茂さんだと噂されているという。じゃあどうして浜渦さんと内田さんが対立したのかということはよくわからなかった・

これまでの経緯をおさらいする。かなり観測と類推が混じるすっきりしないストーリーだが一応つじつまの合うお話が作れる。

銀行も頓挫させていた石原都知事は新都心開発が巨額の赤字をなんとかする必要に迫られており(事実)、これを築地の土地売却などで穴埋めしようとしていた(類推)。しかし、めぼしい移転先がなく、多摩地域に移転させるというアイディア(本人証言)も周囲から一蹴される。唯一残っていた土地が東京ガスの工場跡地だった。しかし、東京ガスはここに市場を持ってくることが現実的でないことを知っており、売るのをためらっていた(関係者証言)。そこで「豪腕」浜渦さんが「土地の処理は東京都で行う」という密約を交わした(音喜多質問より類推)。都知事は「なんとしてでもあの土地を買いたかったが東京ガスは売りたくなかったので、豪腕浜渦氏を起用した」と証言している(本人証言)。

一方で、民主党は豊洲移転に反対していた(事実)。こちらの対策は内田茂さんに頼った(「いわゆる事情通」の観測)。内田さんは民主党議員をひとりづつ切り崩して行ったとされている。民主党議員がどうして転向したのかということがわかる資料はない。

土地の処理に東京都の費用が入るのは問題にならなかった。むしろ多ければ多いほどよいとされたのかもしれない。なぜならば石原都知事の関係者が土地処理に関連していたとされているからだ(事情通の類推)。これが「豊洲利権」と呼ばれるようになったようだ。築地を売ることは利権にならないが、土地浄化事業が利権になったということになる。

石原さんのこの完璧な計画には二つの誤算があったようだ。一つは浜渦さんと内田さんが対立してしまったこと。旧東京都庁(大手町)の処理で二人が対立したことが原因だと噂されているようだ。結局、石原さんはこの対立を安定させることができず、子飼いだった浜渦さんを退任させている。もう一つはこれだけの巨費を投じたものの土壌処理がうまくできなかったということである。赤字にまみれた東京都を救おうとして始めた事業なのかもしれないが、結局関係者の食い物にされてしまったのである。

すると共産党と生活者ネット(もしかしたら音喜多さんたちも)以外はこの問題に連座していたことになり、都議会はとても石原さんを追求することはできないだろうことが予想される。石原さんが逆ギレして「お前らもおいしい思いをしただろう」といえば大変な騒ぎになる。だから石原さんは笑っていられたのだなと思った。結局は猿芝居だったようだ。

私たちは何を売り渡してしまったのか

当然、マスコミもこのことを知っていたはずで、お笑いタレントなどに「いやあ真実がわかりませんでしたねえ」と言わせていたことになる。つまりはみんながグルになって、何の意味もないショーを見せられたのかもしれない。だが、まあ世の中ってそういうものだよねと思った。

そこまで考えたところ、Twitterに建築エコノミストの森山さん書いた記事が流れてきた。この対談を読んでまた気持ちが揺れた。日本の魚河岸文化と築地の継承についてストレートに論じている(リンク先はPDF)のだが、猿芝居を見た後では眩しすぎて正視できない感じだった。バブルの失敗を隠蔽するために自民党も民主党も魂を売った上に生活(議席)のために敵味方に分かれて猿芝居を演じているのだが、それが売り渡そうとしたものの正体は我々のおじいさんやおばあさんたちが真面目に積み上げてきた暮らしやなりわいの集積だったということになる。

石原元都知事の薄っぺらい愛国を責めることもできるのだろうけど、あまり意味はないように思えた。表面上の対決を面白がって見ていた自分を含めて、もう本当に大切なものをかなぐり捨ててしまったんだなと思えたからだ。本当に貧乏って辛くて惨めなものだなと思った。

石原さんは周りにいる人たちを抱き込むために巨大なプロジェクトを必要としていたのだろう。このあとオリンピックを言い出して、国を巻き込んだ騒動に発展している。大企業が利権に群がるために、これも巨額の赤字が予想されている。オリンピックは戦後復興を成し遂げた日本人の誇りだったオリンピックだが、今回は「日本人はもう国を挙げて大きなプロジェクトを成し遂げられないほど衰退してしまったんだ」ということを直視する大会になるだろう。でも、お腹が空いた関係者に食べさせるためには、もう「誇り」とか「伝統文化」などは捨ててもいいような取るに足らない存在だったのだ。

森山さんからこのようなツイートをもらったのだが「はいそうですね」などという返事は簡単にできなかった。何かとても情けない気持ちでいっぱいになってしまうのだ。

豊洲の青酸マグロ

前衆議院議員の川内博史さんという人が「豊洲には青酸マグロの可能性がある」みたいなことを訴えていた。

民進党のことは信じていないので、テレビに乗りたくてウケ狙いで危ないこと言ってるんだろうなど考えて、軽〜くツイートしたらご本人から返信が来た。答弁を調べろという。ちゃんとURLつけてくれればいいのにとブツブツいいながら調べたら答弁が出てきた。リンク先はPDFだ。拙い理解なのだが要点は次の通り。

  • 環境省の基準は飲み水についてのもので、揮発したものがどういう影響を及ぼすかということは考慮に入れられていない。
  • 実際に対策を取るのは東京都と農水省なので環境省としては豊洲の危険性についてコメントする立場にない。
  • モニタリングもちゃんとやるから危険があればちゃんとわかるはず。

まあ、豊洲について日頃からウォッチしている頭のいい文化人のみなさんはちゃんとこのあたりを読みながら議論しているんだろうけど、暖かい春の陽気でぼーっとなっている上に森友学園の面白いおっさんに夢中になっており、豊洲で何が起きているのかということはきちんとフォローしていない。ずいぶん前に環境基準は飲み物についてのもので魚市場などのための基準ではないみたいな話を昔聞いたことがあり、最近は「飲み水は水道だから大丈夫」というような説明を聞いた気がする。小池さんもコンクリで固めてあるから平気なんだけど消費者の理解が得られないみたいなことを言っていたような気がする。

答弁を読む限りは「シアン化合物が飛散してマグロについたら青酸マグロになる可能性があり、その可能性はゼロではないけど、わし(環境省)は知らない」であり、シアンが出たらか即青酸マグロになるというわけではなさそうだ。そういう意味では川内さんは言い過ぎである。だから、シアン化合物が検出されたとしたら、マスコミは下記のことを調べるべきなんだろうなと思った。

  • これがある程度永続性があることなのか、地下水モニタリングシステムの稼働に伴う一時的なものなのかを調べること。
  • 付着するんだとしたら、食べたら死ぬのか、お腹を壊すくらいなのかということをきっちり説明してもらうこと。

そこで新聞を調べてみた。日経新聞はシアン化合物は猛毒なんだけどコンクリートで覆われているから大丈夫みたいなことを言っている。漏れた時の想定がないのでちょっと怖いなあ〜と思う。NHKもシアン化合物がどのように危険なのかは書いてない。笑ったのは時事通信で

会議後の記者会見で平田座長は「地上は大気の実測値を見ても安全。地下も対策をすれば(有害物質を)コントロールできると思う」と述べる

思うってなんだよという感想を持った。多分平田さんはなんかあっても責任とらないですよね。

まあ、よく考えたらわざわざ毒がある土地を買い取って市場なんか作らなきゃいい話で「何やってんだ」くらいの感想にしかならない。浜渦さんは「難しい交渉をまとめて褒められてもいいくらいだ」などと言っていた。何言ってんのかわかってんのか。なんかロシアンルーレットみたいだけど、青酸というと「毒入り危険食べたら死ぬで」だ。

驚いたのはこれが民主党政権下での質問だということで(別に民主党の監督が不行き届きだったということを言いたいわけではないのだが)同じところをぐるぐる回っているんだなあと思った。日本の土木技術というのはそれなりに優れていて、なおかつ世界に輸出しようというくらいなのだと理解をしていたのだが、魚市場も満足に作れないわけで、それほどでもないものなのかもしれない。

小池都知事はいろいろ言っても「もうトップが変わったのだから、これからはきっちりマネジメントします」みたいなことをいうのかなあと考えていた。しかし「青酸マグロ」が出てくる可能性があるとしたら、もうアウトなのではないかと思う。実際に被害が出たらシャレにならないし、ここまでいろいろなことがわかって許可したら、もうこれは間違いなく小池さんの責任になってしまうからだ。

だが、みんななんとなく他人事に見える。マスコミも「小池さんがなんとか決めてくれるだろう」という姿勢らしい。でも自分の口に入る可能性のある食べ物については自分で判断したくないですかと言いたい。新聞はそのために必要な情報を提供すべきだろう。それともみんな魚なんか食べないんだろうか。

豊洲移転問題の識者達は全員大学からやり直せ!

東京スポーツWebを見て、おじさんわかっちゃったよ!と思った。次の瞬間これまでウンウン悩んだのはどうしてなのかと思い、そして腹が立った。どいつもこいつも大学からやり直すべきだとすら思った。

と、意気込んで書いたのだが、その後数時間経って「過去の調査費用が高すぎる」とか、専門家委員会がちゃんと検査したかどうか評価し直すという話が流れてきた。科学が理解できていないというだけでなく計測すらまともにできない人たちだったみたいである。

「豊洲の土地が汚染されている」といったとき、我々素人が考えるのは「きれいな土地と汚い土地」があって、その検査値はいつも変わらないという世界だ。きれいな土地からは有毒物質は出ないし、汚い土地からは有毒物質が出る。ゆえに、検査値がまちまちということは「誰かが隠蔽していた」か「検査方法が間違っていた」ということになる。

ところが、実際には地下水処理の仕組みが働いている。つまり、豊洲は動的に動いていることになる。もちろんそれ以外にも雨が降ったなどという環境の変化もあるだろう。これまでの調査ではこの処理システムがどう動いていたか、どれくらいの影響があったのかということは全く問題にされていない。が、よく考えてみると「条件が同じでないのなら結果がちがっていて当たり前」である。

小池都知事はこのことがわかっていない可能性がある。検査機関を複数にしてやり直すと言っているからだ。これは検査機関が「エラー」を起こす可能性は排除していないが、環境が変わること想定していないということになる。もし観測対象が動的に変化している可能性がわかっていれば、複数の人から話しを聞いていたはずだ。環境が違うのだから安全数値がでても、過去の測定が間違っていた証明にはならないのだ。

これがどれくらい馬鹿げているかということを簡単な例で説明しよう。昨日と今日で外の温度が変わっているが、それは温度計が壊れているか誰かが嘘をついているのではないかと疑っているような状態だ。実際には雲とか地球の傾きなどが複雑なふるまいをした結果温度が変わっているだけなのだ。つまり、昨日20度あったからといって、今日が9度しかないということを否定することはできない。

しかし「温度が10度以下だとお外に出てはいけませんよ」と言っているので、気温が10度を下回ると「本当は10.1度あったのではないか」とか「外に出てはいけない基準は半ズボンのときだから長ズボンを履いてはどうか」などと言い争っていることになる。別の人は「みんな10度ルールを守っているのだから、それが違うなどと言い出すのは人の道に反する」と叫んでいる。

じゃあ、安全に管理できるなら豊洲に移転してもいいんじゃないかという声が出てきそうだが、そうではあるまい。リスクがある土地に移転した場合、そのリスクを管理し続ける必要がある。だが、都のリスク管理能力はほぼゼロに近く、モニタリングすらまともにできない。

多分モニタリングするチームと地下水処理のシステムを動かすところなどが別のセクションにありお互いに調整しないままに事業が進んでいるのではないだろうか。都はプロジェクト管理能力がないのだから、豊洲移転などもってのほかだということになるだろう。

なぜ都が当事者能力を持っていないのかはわからない。日本の大学教育がぶっ壊れているか、集団になるととたんに無能化するのだろう。

 

日本人は合理的に事実が扱えない

なんだか、たくさん読んでいただいているようで恐縮なのですが「そうだ!」という意見があまりにも多いので、ちょっと怖くなってきました。「いや、そんなはずはないのでは」という幾分批判的な視点でお読みいただいた上で、できればこれを乗り越える方法などを考えていただけると幸いです。(2017/1/22)


築地・豊洲問題が新しい展開を見せている。会社を変えて調査をやり直したところ有毒物質の計測値が跳ね上がってしまったのだ。これを見ていて日本人には合理的に事実が扱えないんだなあと思った。

残念なことに、事実が扱えない原因には幾つかのレイヤーがあり普通の日本人がこれを乗り越えることは不可能だろう。それは非合理的な判断基準、プロセスへの無理解、文脈(党派性など)への依存である。

穢れと安心安全

最初のレイヤーは穢れに関するものだ。食卓の上に雑巾と靴をおいて食事をしてみるとよい。例え完全に消毒していても「その汚さ」に耐えられないはずだ。これは普通の日本人が外を穢れとして扱うからである。こうした文化を持っているのは日本人だけではないそうだが(インドやイランでも見られるそうである)極めて珍しい特性だと考えられている。これは最近「安心・安全」として語られることが多くなった。

東京ガスが「穢れさせた」土地には有毒物質があり、それを完全に遮蔽できたからといって日本人には耐えられないだろう。石原元都知事は「保守だ」「愛国者だ」などと言っていたが、日本人が持っている非合理性には全く理解がない人だったということになる。普通の日本人は東京ガスの跡地では食べ物を安心して扱えないと考えるのだ。それは靴を滅菌消毒しても「汚い下ばきだ」と考えるようなものだ。

プロセスに全く関心がない日本人

次の問題はプロセスに対する理解の不足である。都はこれまで、たいへん甘い計測をしてきたらしいのだが、今回違った計測値が出たことで「何かの間違いではないか」と言い出す人が出てきた。本来なら、過去の計測方法と今回の計測方法を比較して批判すべきなのだろうが、政治家もマスコミもそのようなことを言い出す人はおらず、単に計測結果を見て慌てている。学校で「アウトプットの正確さはプロセスに依存する」ということを習ってこなかったからだろう。

この無理解を「理系文系」で分けて考える人がいるかもしれないのだが、例えばMBAの授業では統計の取り方を最初に教わる。これはアメリカの企業経営では当たり前の考え方なのだが、日本人は統計を気にしない。もともと事実が意思決定にはあまり寄与しないからなのだろう。

加えて日本人はジャーナリストになるのにジャーナリズムを専攻しない。このため社会に必要な知識を学ばないまま専門家になってしまうのだ。

もっとも小池政治塾では統計の読み方を最初にテストしたようである。これは教育の問題なので、西洋式の教育さえ受ければ克服可能だろう。

文脈への依存・誰が言っているかが重要

にもかかわらず日本人は党派性を強く意識する。橋下徹弁護士は随分早くから「安全性はいずれ証明される」と予言してきたが、実は何の根拠もなかったことがわかった。だが、維新の党の人たちはこれに追随してきた。そこでポジションができてしまい、今では「今度の統計は何かの間違いでは」と騒いでいる。よく考えれば彼らは部外者であり、この件にはなんのかかわりもない。彼らが関心を持っているのは小池都知事の人気と橋下さんへの忠誠心だ。

だが、こうした早急さは新聞記者にも見られる。彼らも調査はリチュアル(儀式)だと考えており、数値の発表の前に小池都知事の「決断」を聞きたがった。新聞記者たちはジャーナリストでございますなどという顔をしているが、単にジャーナリストの衣服をきたピエロのような人たちで、事実は文脈によって決まり、その文脈は俺たちが決めると考えているのである。ジャーナリストは小池さんに直接何かを聞ける立場にいるので、それにどう色をつけたら文脈を操れるのだろうかということばかりを考えている。

文脈への依存・世論の動向

もう一つ文脈が大きな役割を果たしている現象がある。実は豊洲移転には明確なOKの基準がない。安心(穢れが全くない状態)を基準にするのか安全(リスクが管理されている状態)を基準にするのかがわからないのだ。代わりに「騒ぎになっていること」が移転判断の基準になってしまっている。リスク管理(安全)を基準にするならできるだけ詳細なデータを取っていたはずだ。リスクがわかれば管理できるからである。しかし、甘い調査をしていた点をみると「瑕疵がない」ことを証明することが調査の目的になっていたようである。これは、安全にも安心にも関係がない。石毛亭が正しかったという証明である。しかし、彼らの思惑ではシアンを無毒化することはできなかったのである。最初からシアンがあることがわかっていれば、それを封じ込めて「リスク管理ができるから安全ですよ」と言えていたかもしれない。

豊洲移転は不可能になった

いずれにしても豊洲への移転は不可能になったと考えてよいだろう。例え次の調査でこれまで通りの低い数値が出たとしても「隠蔽している」と信じたい人は今回の数値を引き合いに出して反対運動を続けるだろうし、消費者たちはなんとなく疑念を持ち続けることになるはずだ。さらに外国人はもう日本の魚を買わなくなるに違いない。これは日本人が事実を扱えず、従って適切にリスク管理ができていなことが原因なのである。政治的には豊洲移転は可能だが、これは日本の伝統に対する信頼を大きく毀損することになるだろう。

 

朝日新聞の「東京ガスは悪くない」論

豊洲移転問題についていろいろ書いているのだが、正直何が起こっているのかよく分からない。当初は「東京ガスが有毒な土地を都に売りつけて、政治家の一部にキックバックがあった」というようなシナリオを勝手に描いていたのだが、それは違っていたみたいだ。週刊誌2誌と女性週刊誌1誌を読んでみたが「東京ガスは土地の譲渡を渋っていた」と書いている。なぜ渋っていたのかはよく分からない。

週刊文春が仄めかすのは、石原都政下では外郭団体の含み損が表面化しつつありそれを整理する必要があったというストーリーだ。5000億円の損が累積していたが築地の土地を売れば都には莫大な資金が入るというのだ。しかし、他の媒体はそのような話はでてこない。文春の妄想なのか、独自取材の賜物なのかはよく分からない。さらに、東京都は真剣に一等地を売って儲けようという意思は無さそうだ。

誰も書いていないが、wikipediaを読むと石原氏は単式簿記をやめて複式簿記を採用したと書いてある。土地などの資産が認識されるので良さそうな方法だが、複数機関で借金しあったりしているとひた隠しにしていた問題が浮上することになる。同時期に銀行の貸し倒れが問題になっていて(こちらは普通の銀行が課さない中小企業に気前よく融資していた)その損金をどう処理するかが問題になっていた。

もし、築地を高値で売りたいならいろいろな計画が浮上していてもおかしくはないのだが、跡地はオリンピック巨大な駐車場になることになっている。後には「カジノを誘致したい」などという話ものあるようだが、公園(たいした儲けにはならない)を作ってくれという地元の要望もあるようである。もし都営カジノができれば、オリンピックで作った宿泊施設も含めて巨大なリゾート地が銀座の近くにできるわけだが、具体的な計画はなく、幼稚園児のお絵描きのような稚拙さが滲み出ている。政治家の考える「ビジネス」というのはそういうものかもしれない。

もともと、都が累積損を抱えたのはお台場湾岸エリアの開発に失敗したからだ。失敗したのは都市博で人を呼べば他人の金で開発ができ、お台場の土地が高く売れるぞという目算があったからだろう。今回は都市博がオリンピックに変わっただけなのである。ずさんさというか、商売っ気のなさがある。

その中で異彩を放っていたのは朝日新聞の経緯のまとめだ。これがどうにも怪しい代物だった。最初に書いてあるのは「東京ガスは土地を東京都には売りたくなかった」ことと「誰もあの土地が有毒だとは思わなかった」ということだ。東京ガスが土地を売りたくなかったが浜渦副知事がゴリ押ししたというのは半ばマスコミのコンセンサスになっているようだ。浜渦さんは時々殴り合いの喧嘩をする曰く付きの人物だったとwikipediaには描かれている。

いずれにせよ「読者にわかりやすく書かれた」豊洲市場移転問題のまとめ記事では誰も有毒物質のことは知らなかったが、あとで調査をした結果土地の汚染が判明したというストーリーが描かれている。これを素直に読むと「誰も悪くなかったが運が悪かったね」ということになる。日本人の「優しさ」によるものだが、これが集団思考的な問題を作り出しているということには気がついていないようだ。都政担当は記者クラブの中でインサイダー化しているのだろう。

朝日新聞の記事を読んで一瞬「ああ、そうか」などと思ったわけだが、その交渉過程は黒塗りだったという記事がTwitter経由で飛び込んできた。新しい情報が得られるというのはTwitterの良いところだなあと思う。この記事によるとどうやら「あの土地には何か有毒物質があるらしい」ということは知られていたようだ。土地を売る上では不安材料になるだろう。もともとエンジニアたちはあの工場が何を生産していて、副産物として何が産出されていたかは知っていたはずである。東京ガスが全く知らなかったということはありえない。

朝日新聞の記者も東京ガスと都の交渉記録が黒塗りだったことは知っているはずだ。これは「のり弁」資料と呼ばれ問題になっているからである。であるならば、朝日新聞の記者が書いた記事の目的は明らかだ。都当局は炎上中なのでもう抑えられないが、東京ガスに避難の矛先が向くのを抑える「防波堤」の役割があるということになる。東京ガスはマスコミにとっては巨大スポンサーなので非難が向くのは避けたいのかもしれない。

いずれにせよ油断ならない話である。どの媒体も信じることができず、各雑誌・新聞を読み比べた上でネットの読み物まで読んで総合的に判断するしかないということになってしまう。いずれにせよ黒塗り資料が表沙汰になってしまえば、誰が嘘をついていたかが明らかになってしまう。すると大型防波堤でせき止めていた洪水が一挙に街を押し流すようなことになってしまうのではないかと思う。

多分、現在豊洲問題が炎上しているのは、マスコミが「優しさ」故に問題を直視してこなかったからである。にもかかわらず一旦炎上するとそれを商売にしようとする業を持っている。よく倫理の教科書で問題になる「近視眼的な視点が長期的な問題を生み出す」という実例になっているように思える。