なぜ党首討論は止めたほうがいいのか

今日は「なぜ党首討論はやめたほうがいいのか」について考える。討論は2つの選択肢を示してどちらがよいのかを決めてもらうために行われる。国政では、現在2つの選択肢が提示されている。

  • アメリカの戦略にフリーライドする(TPP/防衛)か、中国人の金持ちを捕まえてきて日本に金を落としてもらう「成長」戦略
  • 国債を発行して子供や未来に投資することで数十年かけて活力を取り戻す戦略

どちらかの戦略をとれば別の作戦は成り立たない場合議論が成立する。だが、双方に問題があるので議論にならなかった。

安倍首相側の問題

安倍首相側には決定的な問題がある。それは「そもそも安倍さんが誰か」という話である。安倍首相はあるときは行政府の長であるといい、あるときは政党の代表者として振舞う。カジノ法案が安倍首相の強力な意思のもとで決められつつあるのは間違いがないが、あくまでも議員立法の体裁をとっている。つまり、議論の一方の当事者がプレゼンを拒否している。これは安倍さんが国民を説得する自信がないからだろう。安倍首相にはリーダーシップが欠如している。

次の問題は安倍首相が「どちらもやらないとは言っていない」ことだ。実際には惨めなほどの投資しかしていないが、子供に金を使わないとは言っていない。働き方改革も女性の地位向上も同じような感じである。取捨選択がないので、プレゼンをする必要がない。これも意思決定をして優先順位をつけないという意味でリーダーシップの欠如と言える。

最後の問題はリスクについて語らないという点だ。決めなければならないのはいいこともあれば悪いこともあるからだ。悪いことなんか想定しないといういことであれば、別に話し合うことなどないのである。リスクはあるがともにがんばってゆこうと国民を説得するのもリーダーシップだが、安部さんにはそれがない。そういう経験をしてこなかったのだろう。

蓮舫代表の問題

もちろん蓮舫代表にも問題がある。最初の問題は選択肢を示していないという点だ。本来なら「自民党の提案はこういうものだが、こういう問題があるので、別のアプローチを取る必要がある」としなければならないのだが、それがいえない。なぜかといえば「決めることを恐れているから」である。自民党も民進党も官僚のアイディアをもらっているだけなので本質的な違いが出せないという事情があるものと思われる。

しかし、蓮舫代表には価値観を決めて、とにかく自民党に反対するというアプローチをとることができる。いわば共産党方式である。共産党は「平和の党」なので、第九条の精神に反することについて延々と反対していればよいのだ。だが、これもできない。党内にさまざまな価値観を抱えているからだ。蓮舫さんは決められない人だ。決めてしまえば党が分裂してしまうからである。

与野党ともに「決められない」人が代表を勤めている。これは個人の資質の問題ではないのだろう。そもそも日本人は「決める人」が権限を握ることを嫌うのである。

最後の問題は蓮舫代表のせいとばかりはいいきれない。アメリカの場合、自治体ごとに違いが出せるので地方の成功例を国政に持ち込むことができる。だが日本には地方に与野党対立がない上に、独自政策が打ち出せない。そこで野党は建設的な実験が行えない。決めることもできないし、成果も出せないのだから、野党は本質的に与党の誹謗中傷しかできないということになる。

国民の問題

今日になって党首討論の評論が出てきているが「安倍首相はうそつき」とか「蓮舫代表は二重国籍問題はどうしたのだ」程度のものしか出てこない。国民は政策選択などありえないし、物事は裏で決まるのだろうと考えているので、そもそも党首討論には期待していない。代わりに少年ジャンプのような「対決もの」を読みたがっていることがわかる。

そもそも日本人はリスクを嫌うので、選択には興味がない。何も支払わないで利益だけを得たいと考え、そうでなければ何もしないのが日本人である。

そもそも受け手がプレゼンテーションを受けるつもりがないのだから、政策選択は成り立たない。いくつかの要素が絡み合い、議論の土台を崩している。要素をまとめると次のようになる。

  • リーダーシップをとりたくない。決めると責任を取らなければならなくなる。
  • そもそも足元がバラバラで決められる立場にない。
  • 選択に興味がない。おいしいところだけつまみたい。

党首討論にこれ以外の理由があるとしたら「イギリスでやっていてかっこいいから」という意味づけができるわけだが、そもそも、議論そのものがかっこよくない(子供のけんかのようにしか見えなかった)のでこれも成り立たない。

以上の理由から選択は成り立たず、議論は時間の無駄なのだ。

国会討論も議論も全て時間の無駄なのはなぜか

議論の体裁をなしていなかった党首討論

党首討論会というのをやっているのを見て、日本人には議論が向かないのだなあと思った。そもそも討論には形式があるのだが、全く守られていない。それでも誰も腹を立てたりしないのは、日本人が表向きの議論というものを全く信頼していないからなのだろう。

そもそも議論を信頼しない日本人

多くの人がうすうす感じているように、日本人の議論は分配で決まる。分配は利益と不利益に分けられるのだが、それは水面下の交渉であらかじめ決まっている。だから議決は形式的なものになる。形式が全く無意味ということはなく、権威付けという重要な機能がある。権威付けのもっとも顕著な例が天皇制だ。アメリカ人がどのような意味合いで国家統合の象徴という言葉を使ったのかはわからない(原文ではthe symbol of the State and of the unity of the peopleというそうだ)が、日本人はこれを正しく理解したと思う。

日本で議会制民主主義が根付かないのはこのためだ。政府の方針が決まると新聞が「〜法案成立へ」と書く。「まだ決まってしないじゃん」と憤る人は誰もいない。それは水面下の議論で全て決まっているからである。議論でつめきれていない点を検証しようという風潮もないのだが、特にそれが問題にはならない。なぜならば、国会で決めるのは諸外国がやっていることばかりだからである。成功事例しか持ち込まないので、間違いようがないわけだ。

水面下での利害調整は「根回し」と呼ばれる。これは日本の組織が下部組織と上部組織が台頭だから起こることだ。日本人は強いリーダーシップを嫌う。日本人が考える組織は利害関係者の共同体のようなものだ。大きな会社は看板を担い、実際の業務は各フランチャイジーが担うというよくある構図もこの形式に従っている。

今日の別のエントリーでDeNAについて観察したが、DeNAの運営がガタガタになったのは、下部組織を「契約ライター」として切り離してしまったからだ。つまり根回しを通じた上部構造と下部構造のコミュニケーションの分断が起こると、いとも簡単に組織のモラル体系が崩壊してしまうのである。上部構造は収益を上げるという目的に特化し、下部組織はたくさん記事を書くことに特化する。企業の持続性を問題にしていたのは、会長と社長の二人だけだったわけである。

利益が分配できなくなるといとも簡単に崩壊する

利益の分配はサイエンスではなくアートである。つまり理屈ではない。これが成り立たなくなりつつあるのは利害関係者の全てに利益が分配できないからだろう。これが簒奪の動機になっている。東京都では利益分配に混ぜてもらえなかった小池都知事側が対立構造を演出するような図式ができつつある。国政では自民党とあまり違いがない民進党が「アウトサイダー化」したことで対立構造が生まれた。民進党のキャラクターを一言で表せば「自民党に入れてもらえなかった」人たちだ。だが、これはロジカルな対立ではなく、利害関係に関する対立なので、表向きの議論が成立しなえない。TPPなど立場によって賛否が変わるのはそのためだ。TPPの議論を一生懸命にしていたが、あれは全て無効である。なぜなら状況が変わることで生じる利権にアクセスできるかできないかが問題だからである。

マインドセットを変えない限り国会議論は時間の無駄

この主題と関係性の倒錯があることで日本人は政治的リソースをかなり無駄遣いしている。そもそも議論は儀式なのでこれにエネルギーを注ぐべきではない。もし、解決策探査型に変える必要があるとしたら、討論を徹底させるべきだろう。

普通の民主主義国では、政党選択も国会議論にも選択肢提示という意味合いがある。選択肢(主題)が2つあり、どちらが良いかを選ぶのが議論である。3つあっても良いのだが2つに収斂するのが二大政党制なのだろう。

ところが日本人はこれを利害関係という関係性で捉える。利益ソースは国家予算なのでそもそも議論が起こりえない。主題はその利益ソースをどう分配するかということの道具立に過ぎない。オリンピックがやりたいわけではない。オリンピックを言い訳にして道路や建物が作りたいのである。政治家は建物を作りたいわけでもない。その調整がしたいのだ。

だから、国会議論はそもそも決定を権威づけるという意味合いしかない。それを壊す人が出てきた瞬間に儀式としての意味合いは消えてしまうわけで、全ての国会議論はそもそも意味がないということになってしまうわけである。国民の声を反映する機関など最初からなかったのだ。

党首討論でそのことを一番体現していたのは片山虎之助共同代表だった。自分の持ち時間の全てを議論という名前の演説に使った。総理からの答えには期待していなかっただろうし、そもそも聞くつもりもなかったのだろう。時間が来ても一方的に自説を述べ、司会者に制止されるまでそれは続いた。「そもそも議論など無意味だ」ということを、この人はよく知っていたものと思われる。

維新の党はその意味では大変プラクティカルな政党である。自民・維新は議論が無意味だということがわかっているので「良くここまで来たなあ」という感想を聞いたり、般若心経を朗読したそうだ。「はよゼニの話をしましょうや」という意気込みが感じられる。

だから、蓮舫代表も同じようなことをすればよかったのだ。

DeNA – パクリサイトより怖いのは何か

DeNAがパクリサイト疑惑でまとめサイトを閉鎖して謝罪会見を開いたらしい。ネットではいろいろ話題になったようだが(ネットの人たちがDeNAの経営陣について詳しい情報を持っているのにはちょっと感心した)、改めて調べてみようという気にはならなかった。

メディアが存続するためには信頼を維持しなければならない。しかしDeNAをはじめとしたネットメディアには信頼維持のための仕組みがなかったようだ。その場で儲けることができればそれでよいと考えているからだろう。

パクリが悪いかどうかは議論が分かれるところだ。最近は「引用」という体裁でコンテンツを持ってくることが横行している。これが許されてしまうのは引用がトラフィックを作る可能性があるからだ。例えば、Pinterestは全てが「パクリ」なのだが画像の引用元にトラフィックを返す仕組みがある。こうした行為はキュレーションと呼ばれる。

DeNAが炎上したのは、トラフィックを返す仕組みがなく、かつ信頼性も担保されていなかったからだろう。なかには勝手に情報を改ざんされた上に引用元としてクレジットされていた人もいるそうだ。情報を盗まれた上に信用まで傷つけられ、それを改善する仕組みもなかった。だから炎上迄止まらなかったのである。

ということで、炎上しなければ同じようなことが続いていたことになる。ネット企業で怖いのはビッグデータだ。ビッグデータは統計的データなのだが、一つひとつはプライバシーの塊といえる。プライバシーを保護しつつ、新しい知見の創出につなげるのがビッグデータのよいところだ。

新しい知見が必要なのは、暮らしをよりよくしたいという意欲があるからだろう。もし、それがないとしたら「今稼げればよい」ということになってしまう。一番手っ取り早いのがビッグデータに加工しないでリストを売り払うことだ。個人情報保護法ができて以降、リストの取得は難しくなっている。例えばベネッセは長期凋落傾向にある。ベネッセは住民票からのデータで成功した会社だが役所が情報をださなくなった結果新一年生にリーチできなくなってしまった。こうした会社はリストを欲しがっている。「リスト開拓にネットがつかえないか」とか「ただでリストをもらえないか」などとかなり真顔で考えている。

DeNAは今日が儲かれば良い会社だということがわかった。多分、ばれなければ個人情報を売り渡すことでもなんでもするだろう。バレれば企業の信頼は崩れるかもしれないのだが、日銭が稼げる。上が「やれ」といえば下はやるだろうし、実際に手を下すのは社員ではなく、契約アナリストのような人だろう。

今回はライターが社員でなかったことも問題を悪化させた。契約ライターなので、会社がなくなっても別に困らないからだ。持続可能性には関心がない。謝罪会見では次のように語られた。仕組みがあっても利用する人がいなかったのは会社を維持可能にしなければならないという動機を持った人がいなかったからだろう。

「今回、キュレーションメディア事業のみが取りざたされているが、他の事業部において不適切な運営や業務があったら是正される仕組みは整えている。それなのに今回なぜ、外部からの指摘やお叱りを受けるまで是正できなかったのか、その点は改善しなくてはいけない」(南場会長)

この件の怖いところは、一般(NHKくらいしか見ない人)レベルには全く露出がなかったという点だろう。「ネットはうさんくさい」ということにしかならないのだ。第三者機関を作ると言っているがこの結果も大きくは報じられないだろう。

第三者委員会の調査はパクリ問題に矮小化されるのだろうが、実際には儲かりそうな事業に投資して、社の成長にコミットしない契約業者に事業を実施させるという構造自体に問題がある。会社が成長したら分配する仕組みがないと事業は衰退するのである。それが分析できないと改善もできないわけで、同じような問題は再発するだろう。ただこれはDeNAの儲けの仕組みに関わっており、直ちに改善するのは難しそうだ。

DeNAはショッピングデータや医療データ(遺伝子情報)などを扱っているようだ。だから、こういった企業には近づかないに限る。

 

 

金持ちほどSNSを使うという事実

sns_income
グラフ下の数字が間違っている。実際には-75(年収75,000ドル以上)と30-(年収30,000ドル以下)だ。右の方が所得が低い。

昨日、Twitter経由でリクエストをもらったので調べ物をした。「見栄を張るのに画像系SNSを使う」というのが確かなら、画像系SNSをは所得の関係はどうなっているのかという疑問だった。調査結果はこちら

実際にはSNSによってばらつきがあった。所得が高いほどSNSを使う率が高いというのは確かだが、その傾向はバラバラだった。例えばインスタグラムは所得が低い人の方が多く使っているという傾向があるのだそうだ。

ここから言えそうなのは弱い紐帯を持っている人ほど収入が高そうだということだ。弱い紐帯というのは聞きなれない言葉だが、もともと「転職―ネットワークとキャリアの研究 (MINERVA社会学叢書)」という研究に出てくる用語だ。転職に成功した人はあまり強くないつながりを多数持っているということがわかったという内容である。

この傾向は現在でも生きているらしい。つまり、経済的に成功する人は、単に弱いつながりを多数持っているだけではなく、それを絶えずメンテナンスしているということになる。ここでいうSNSというのは、単に政治的な発言を一方的に主張し合う「破綻したカラオケ」や「セレブを一方的にフォローする」というものではなく「承認し承認される」という相互的なつながりである。

実際に高い階層にあればあるほど「パブリシティ」を意識して暮らしているのではないだろうか。パブリシティというと広告費を支払わない広告というような印象があるが、実際には自己のブランド化である。例えばヘルス企業であれば「人々の健康増進に貢献する」という印象を与えるために努力するのがパブリシティだ。高い階層の人は自分が承認されるためには他人も承認すべきだということを理解しているから、ネットワークは「破綻したカラオケ」にはならない。自己のブランド化というといやらしい響きがあるが、実際にはコミュニティの中でどう自分を位置付けるかという作業だ。

日本ではLINEとFacebookの間に違いが見られる。LINEは閉じたネットワークであり承認をめぐる争いが起こりやすい。無視されたから排除したなどというような「LINEいじめ」が頻繁に起こる。これはLINE参加者の社会的な地位が低く、閉じることによってしか環境をコントロールできないからだ。

一方、Facebookは外資系企業に勤めていた人たちや留学生を通じて広まったために「Facebookいじめ」のようなことは起こらなかった。Facebook参加者は「コミュニティに影響力を与える」ためにはどうすればいいのかを知っているのだ。つまりリテラシが高いのである。このためリテラシの低い人が間違って参加して起こる「Facebook疲れ」が起きている。身の丈に合わない生活を維持しなければならず疲れてしまうのだろう。

ただし、世界的に見ると(冒頭のグラフ)Facebookは所得が高いほど多く使われているということはないらしい。

さて、ここまで見てくると「よりよい暮らしをしたいならミューチュアルな関係性構築の方法を身に付けよ」という結論が出せる。これは最近荒れてきたといわれるTwitterでも見られる。一方的に他人を罵倒するようなつぶやきもあるし、コントリビューション(そもそもコントリビューションということすら理解できない人もいるだろう)なしにRTする人もいる。が、情報の交換を心がけている人もいて、一概に荒れているとはいえない。情報交換はコミュニティに対する貢献で、そのコミュニティは「通りすがり」程度の弱いものかもしれないのである。

唯一心配なのが欧米で起こっている動きである。成功した人の中にはより多くのサイコパスが含まれているという研究が幾つか出ているらしい。こうした人たちにとってはSNSはよい狩り場のように映るだろう。他人が自分の生活や価値観を晒しているので、利用できるからだ。逆に共感が必要な仕事は収入が低く抑えられるという傾向もある。つまり、コミュニティへの共感がいつも収入に結びつくとはいえないのだ。

 

 

ソーシャルメディアと収入の関係

面白い感想を見つけたので軽くまとめてみた。

まず、所得階層とソーシャルメディアの利用率を比べたレポートを見てみる。複数の調査を集めているので母数が調査によって異なるそうだ。

  • 学歴が低いほどソーシャルメディア利用率が下がる。
  • 収入が上がるほどSNSを使う。
  • 都市にいる人の方がSNSを使う。

お金持ちほどソーシャルメディアの利用率が高い理由は幾つか考えられる。いわゆる「弱い結びつき」が多いほど「顔が広く」なり、収入が増えるのではないかというものだ。多様性が収入と結びついているということである。プロフェッショナルほど人脈を作りたがるのだから、Linkedinなどはこうした傾向が強いかもしれない。

sns_income
グラフ下の数字が間違っている。実際には-75(年収75,000ドル以上)と30-(年収30,000ドル以下)だ。右の方が所得が低い。

Facebookももともと大学のネットワークからスタートしているので、ネットワークに偏りがあることが予想されるのだが、2015年の別の調査では違った結論が出た。収入が低い人はFacebookをよく使っているらしい。この調査は世界各国のユーザーをまとめたもののようだ。

インスタグラムについてはこれほどまとまった調査はない。たまたま見つけたものでは全く異なる結果が出た。収入の高さとは逆相関があるという。つまり貧しい人ほどインスタグラムを使っていることになる。これは2015年の調査結果とは異なる。インスタグラムを画像系と定義するなら、顕示性と画像系SNSには相関は見られないという結論が得られそうだ。むしろセレブ達の生活に憧れた人たちがインスタでセレブをフォローしているのかもしれないが、調査結果ごとにやや違った結果が出ているの詳しいことはわからない。インスタグラムは大学生レベルが使っている率が高いという結論も出ている。

日本の場合には労働環境が異なるので人脈作りが収入に結びつくかどうかはわからない。ただ、日このような記事が見つかった。やや古い記事なので外資系のサラリーマンなどを中心にFacebookが浸透したという経緯も考慮に入れるべきなのかもしれない。世界調査とは異なっていたことになる。

同じ画像系でもPinterestは収入が高い人ほどよく使われていることがわかる。ただ漫然と画像を集めただけでは面白くないサービスだし、クリエイティブな人ほど使い勝手が良さそうなサービスだ。Linkedinを合わせて考えると、目的を持ってSNSを使っている人ほど収入が高いのではないかという仮説が得られる。この延長として自己演出の一貫と捉えればよいのかもしれない。

ファッションでも「自分が着たい服」と「人からの視線を意識した服」は違っているはずで、こうした質はSNSの利用率だけでは測ることはできない。さらに「見る専門」の人と「情報発信する人」は異なっているはずだ。こうしたことは調査からはわからないので、有料のレポートを買うか、実感を足して推し量る必要があるのだろう。

今回は30分ほどGoogle検索しただけなので、全体像を掴むことはできない。もし、何かご存知の人がいれば何らかの手段でお知らせいただきたい。

 

カジノがいいなら大麻もね

IR法案が炎上気味だ。どうやら「賭博は犯罪だ」というのがその理由のようだ。

自民党がカジノ法案の成立を急ぐ背景には憲法改正があるらしい。大阪には、中国に負けたエリアで、目立った産業がなくこれからも成長の見込みがない。特に湾岸エリアの開発に失敗し、だれかが政治的責任を取る必要がある。そこで維新の党は万博とカジノを呼び込んで失敗を糊塗しようとしているらしい。自民党はこれを「貸し」として、憲法改正に協力してもらおうということのようである。説としては非常にわかりやすい。

さて、この法案は基本法であって細かなことが決まっていない。だから、明確には反対もしづらい。実際にゴタゴタするのは詳細を決めるときだろう。カジノを狙っている地方自治体は多いが、全ての地域の要望を叶えることはできない。大阪以外のエリアから猛反発されるのではないか。かといって地方にもカジノをばら撒けばかつてのリゾート施設の二の舞になる。今では中国人がゴーストタウンになった各地のリゾートマンションを買いあさっている。

IR法案の一番の問題は賭博そのものが今後も違法とされる点だろう。つまり、法律の成り立ちとしてはどうしても「特区を作って違法行為を黙認する」ということになってしまうのである。

個人的にはラスベガスやマカオに行ったことがあるので、賭博が犯罪とまでは思わない。だが、やはり「賭博はいけないことだ」と考えている人は多そうだ。いろいろ想像してみたのだが、大麻を例に出すと実感しやすいことがわかった。

ご存知のように大麻は中毒性がなく、統計的にもゲートウェイドラッグだという説は間違いなのだそうだ。(この件についてはロケットニュース24が継続的に取り上げている)だが、日本ではとにかく大麻はダメということになっている。これを解禁しないままで「総合リゾートの中なら大麻は大丈夫ということにする」と政府が認可したと想像してみよう。

カジノは健康増進によい影響があるという言い方はできる。非現実的な空間に浸って「明日から頑張ろう」という気分になれるからである。普通の人はちょっとスロットマシーンを扱ったからといってすぐさま廃人になってしまうことはない。同じように大麻でまどろむこともそれほどの害はなさない。たいていの場合は「パーティーがちょっと楽しくなる」だけのことである。アメリカの幾つかの州で大麻が解禁されたのも若い頃にポットを経験した人たちが政治の中核にいるからだ。オバマ大統領にとっては大麻はアルコールやタバコと同列なのだ。

この「例外」がもたらすものは何だろうか。それは政府が認可しない場所で大麻を吸っても「別にいいじゃん」となってしまうところだろう。みんなやっているわけだから。同じように賭博の現場も変わることだろう。大阪の湾岸エリアでカジノをするのがよくて、なぜ千葉ではダメなのかという話になる。

大麻の違法性が支持されるのはほとんどの人が大麻を吸ったことがないからである。だが、国が認可した大麻を吸う施設ができれば、大麻経験者は増える。ほとんどがお金持ちだろう。大麻が憧れに変わることだってありえる。同じことはカジノにもいえる。ハイソサイティの人たちがカジノを経験し、カジノを舞台にした映画が作られれば、それに憧れる人たちも出てくるだろう。

そもそも、一般人にとって「善悪が場合によって変わり得る」というのは判りにくい。いいものはいいし、ダメなものはダメということにしておきたいわけだ。それを国家が決めていいのか、つまり国家にそのような線引きをする権限があるのかどうかということが問われることになる。憲法上も一般常識上も政府にそんな権限を委託したという根拠は見出しにくいのではないか。

で、あるならばカジノを解禁するなら、一般解禁にすべきではないかということになる。つまり、野球賭博もパチンコも全面解禁しろということだ。これは一般常識的になかなか受け入れにくいのではあるまいか。賭博はいけないことだと言い聞かされてきたからだ。

 

Grammarly – 英語の宿題が楽になる?

ぼーっとYouTubeを見ていたらいきなり英語のコマーシャルが流れてきた。ちょっと見ていて「これはすごいぞ」と思った。Grammarlyというサービスで、単語の間違いや文法のエラーをチェックしてくれるのだ。

試しに一文書いてみた。英語は苦手な理由は2つある。冠詞が苦手でボキャブラリが貧弱なのだ。英語に文句を言っても仕方がないのだが、英語の冠詞には明確なルールがない。試しに書いた文章では、solutionは a solutionでなければならないのだという。

試しにThis has been a question for a long time. という文章を書いた。これをisに直しても文法が間違っているとは言われない。wasも大丈夫だった。時制もよくわからなくなる。だが本当にすごいのはここからで、isをダブルクリックすると言い換えを準備してくれる。アカデミック英語では必要ないのだが、クリエイティブライティングになるとボキャブラリが豊富だとポイントが高いとされる。この場合はremainなどが良いそうである。文脈も見ているんだなあと思った。疑問だったという代わりに、疑問として残っていると言えというのだ。

YouTubeのコマーシャルでは、履歴書の文法をチェックしたり、ボスにメールを送る前にチェックしてみようという提案になっている。つまり英語圏でも文法の間違いに悩んでいる人は大勢いるということになる。

だが、日本で英語を使う人は少ないので、学生の間で広まるんじゃないかと思う。英語の宿題やレポートをチェックすればボキャブラリが豊富で文法的な間違いがない文章が(本人がわかっているかどうかはともかく)書けてしまう。いわば機械を使ったカンニングだ。英語の先生が間違いを指摘されるようなことっもありそうだ。

GrammarlyはWebブラウザーでWebサービスとして使えるが、Chromeのプラグインとしても動作する。テキスト欄の英語もチェックしてくれるようである。アプリケーションもあるが手元の環境では動かなかった。