いじめ問題 – 千葉市教育委員会の回答

千葉市の教育委員会にいじめ問題について問い合わせたところ回答をもらった。回答は文末にそのまま載せた。なお問い合わせは1月24日に行ったのだが、回答までに2週間を要した。担当者曰く部門間での調整が必要だったそうだ。皮肉なことにこれが一番の問題点だ。

いじめがあったときにどう対処するかというのは細かいマニュアルにまとめられている。一読してみたが素人がとても読みきれるものではない。いろいろなことを想定しているからだというと聞こえはいいのだが、責任者を置いて意思決定を分担させたほうがいい。これをやらないのは、誰も責任を取りたくないからだろう。そこで事前にあれこれと決めておくのだ。官僚的なリスク回避のために生徒児童が犠牲になっているのである。

このため「管理責任がどうだった」という文脈ばかりが重要視され、実態が掴みにくくなっている。

回答のポイントは以下のとおり。

  • 生徒・児童が訴えを起こすことができるルートは複数あり、制度は充実している。学校を通さないことも可能だ。つまり、制度には問題はなさそうだ。
  • (千葉の場合)市長は再調査を命じることはできるが、判断そのものを操作することはできない。横浜にこのような制度がないならぜひ作るべきだろう。
  • 制度上、教育委員会は裁定や判断には責任を追わないことになっている。これは法律上決められている。ただし「自主的な辞任」はあり得る。
  • 認定は教育委員会が行うことになっている。横浜の教育長は「第三者機関がいじめの事実はなかったと言っているから認定できない」と言っていたのだが、これは必ずしも正しくないのだろう。ただし、調査を依頼しておいてそれを全く無視した裁定も出せないかもしれない。このあたりの責任分担が実はあいまいになっているのだ。
  • 教育委員会や第三者委員会は「善意の第三者」ということになっており、組織的な隠ぺいに関わるかもしれないというような可能性は(少なくとも法律上では)考慮されていない。これは制度上は教育委員会と学校は別系統だからだ。

千葉市の教育委員会の担当者は(あくまでも話の中での個人の感想であり、他市の事情に口は挟めないのだが……)「教育委員会は最終裁定を出す前だった」のではないかと言っていた。つまり、運用にはある程度の「柔軟さ」がありこれが曖昧さを生んでいるようだ。

また、以前の繰り返しになるが学校側の管理責任を教育委員会が隠蔽するなどということは法律上は想定されていないので、教育委員の人選は極めて大切だ。横浜市民は「150万円のおごり」がいじめに該当すると思うのであれば、林市長には投票してはいけないと思う。人事と予算は市長の大切な仕事なのだからこれをお座なりにするような市長は不適格だからだ。

一方で、保護者の中には、いじめがあったということを学校にはわかって欲しいが世間的には騒いでほしくない(学校を変わっても特定されることがあり得る)と考える当事者もいるということだ。結局「自殺の意味づけ」の問題になってしまうのだが、自殺だと認定されたとしても、児童生徒が戻ってくるわけではない。しかも、学校がそれを認めてしまうと「管理責任」という文脈が生まれてしまうということになる。大人が右往左往しているうちに隙間が生まれて、次から次へと同じような問題が生じることになる。

もちろん、「みんな仲良く」が前提になっている学校教育の場に「被害者・加害者」という概念を持ち込むのは辛いことだろう。しかし、いじめで自殺を選ぶ子供がいることも事実だ。1月末には松戸市で中学生が自殺したが、市教育委員会はいじめを否定している。須賀川では数日前にいじめ自殺があり、市教育委員会が深々と頭を下げたのだが、子供が生き返るわけでもない。去年の11月になくなった生徒に親に加害生徒が謝罪したという報道もあった。

最後にこの話題はすっかり騒ぎが落ち着いてしまった。他罰的な感情で興味を持っている人が多いことがわかる。つまり騒げるならなんでもいいと考えている人も多いのだろう。

市教育委員会の回答内容は下記の通り。リンク太字はこちら側で加えた。なお途中当該児童生徒という言葉が出てくるがこれは「被害者」を指すそうである。

1)本市のいじめに関しての第三者的相談窓口としては、以下の機関等が主なものとなります。いずれも、児童生徒や保護者が直接相談できます。

  1. 24時間子供SOSダイヤル
  2. 千葉市教育相談ダイヤル
  3. 子どもの人権110番
  4. 千葉市児童相談所
  5. 青少年サポートセンター
  6. 千葉市教育センター
  7. 千葉市教育委員会学校教育部指導課
  8. 県警少年センター

なお、いじめによる重大事態における調査依頼窓口は、学校を経由しない場合は千葉市教育委員会学校教育部指導課となります。

2)「千葉市いじめ防止基本方針」で規定されており、いじめによる重大事態が発生した場合、教育委員会は市長に報告することになっています。また、重大事態についての調査が行われた場合、その結果の報告を教育委員会は市長に行うことになっています。さらに、その報告を受けて市長が、必要があると認めた場合は、市長の附属機関である第三者委員会が再調査を行います。

なお、「千葉市いじめ防止基本方針」は千葉市教育委員会指導課のホームページに掲載していますので御参照ください。

3)「千葉市いじめ防止基本方針」に規定されており、教育委員が自ら調査を行うことはありません。重大事態の調査主体は「学校」「教育委員会事務局」「教育委員会の附属機関である第三者委員会」のいずれかとなり、その決定は教育委員会が行います。

4)議事過程は原則非公開となっていますが、調査結果(第三者委員会の答申)は原則公表となります。ただし、調査結果について当該児童生徒や保護者が公表に反対の意思を示したときは、この限りではありません。

また、いじめの認定は、調査結果を基に教育委員会が行うことを原則としています。

5)校長や教諭等の教職員の処分については、千葉市教育委員会が定めている「懲戒処分の指針」に則って行います。なお、処分はどのような非違行為があったか等により判断するものであるため、いじめの認定だけをもって校長・教諭等を処分することはありません。

6)改正後の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」においては、教育委員及び教育長は、特別職にあたるため処分されることはありません。ただし、同法律の経過措置として、改正法の施行前から継続して在職する教育長については、処分されることは、制度上はありえます。その場合、対象となる事案がどのようなものかによって、処分されるか否か、処分の程度は異なってきます。

教育委員及び教育長の辞任については、制度上は可能です。

 7)教育委員会の附属機関の答申として出される調査結果については、教育委員会及び市長が修正等を行うことはありません。また、学校、教育委員会事務局の調査については、市長の意向とは別に行うものです。

保護者が調査結果に不服がある場合については、「千葉市いじめ防止基本方針」において、「(調査組織による調査結果の) 説明結果を踏まえていじめを受けた児童生徒又はその保護者が希望する場合には、いじめを受けた児童生徒又その保護者等の所見をまとめた文書の提供を受け、調査結果の報告に添えて市長に提出する。」という規定があります。また、2)でお答えしたとおり、教育委員会からの報告を受けて、市長の判断で再調査を行うことがありえます。

いじめられる側にも問題がある

NHKの「あさイチ」という番組でいじめ後遺症の特集をやっていた。いじめられた人がその後うつやフラッシュバックに苦しむというような内容だ。ここで、柳澤秀夫という解説委員の人がちょこまかと意見を言っていたのだが、はっきり言って有害なのでいじめ関連の話のときには外した方がいいと思った。

いじめ被害者は社会常識から祝福されていない

柳澤さんが有害な理由はいくつかある。まず、いじめ被害者が加害者の罪状に判決を下すことを有害だと決めつけていた。いじめられたことがなく、いじめについて真剣に考えたことがないのだろう。次に親が親身になってくれないことを不思議がっていた。これもとても有害な態度だ。共通するのは「社会常識」だ。

よく「いじめられる側にも問題がある」と言われるが、これはその通りだと思う。いじめられる側は「虐待してください」というシグナルを出している場合が多い。「違っている」ことが問題になるのだが、それだけではいじめは起きない。いじめ被害者はターゲットになりやすい。

これは誰かにそう仕込まれているからである。あサイチでは「自尊心のなさ」が大きなテーマになっているのだが、被害者は誰かに自尊心を奪われているのである。奪っているのはたいてい最初に接触した大人だ。すると結論としては「最初のいじめ加害者は親」ということになる。良識があるNHKにはとても受け入れられないだろう。

いい親もいれば悪い親もいる

よく「しつけの為にしかる」という人がいる。確かにそういうこともあるのだろうが、そうでない場合も多い。公共の場で騒いでいる子供をヒステリックに罵倒している親を見かけることがある。「静かにしない」ことに憤っているのだろうが、感情的にがなりたてて周りを不快にしているのは親そのものだ。自分が(所有物である)子供をコントロールできないことにかんしゃくを起こしており、周りが全く見えなくなっているのだ。「愛情」や「愛着」ではなく「支配・被支配」という関係があるのだろうし、客観的な状況判断ができなくなっていることがわかる。

家族という収奪者

人から物を盗むのは犯罪だが、弱いものから感情や自尊心を奪うのは犯罪とはみなされない。その「手口」にはいくつかある。

一つは最初から「奪って当然」と思っているようなタイプである。この人たちは相手の所有物には興味がなく自分のことしか考えていない。だから、奪っていること自体に気がつかない。いつも自分の問題に頭がいっぱいで相手が見えていない。そのくせ奪った相手が異議申し立てをすると「私は正しい」と主張しはじめる。つまりいつも何かと闘っているのだ。個人的にはこういう人を「トランプさん」と名付けている。毎日が選挙キャンペーンなのだが、一体何の為に戦っているのかわからないような人だ。

もう一つ経路は共依存である。自分に価値が感じられず、誰か「お世話をする人」を探している。お世話をする人はつねに自分より弱くてかわいそうでなければならない。ということで子供に「かわいそうで何もできない人」という自己認識を刷り込むのだ。最悪の場合には「トランプさん」に犠牲車を差し出すことも厭わない。さもなければ自分が闘争の相手になってしまうからだ。親が共依存の相手を探しているなどありえないことのように思えるが「母が重い娘」というのは珍しくなくない。

言語化できない苛立ちを弱いものにぶつける人もいる。いつもは普通に話しているがなんらかのスィッチが入り、子供のおもちゃを力任せに破壊したりテレビを壊したりする。しかしいじめらられる方は思い当たる節はないのでいつもビクビクと怯えていることになる。この怯えは対人恐怖となり学校でもなんとなく挙動不審になったりする。それがまた新しいいじめを生むのだ。

まずは第三者の存在が重要

個人的に幸いだったのは、いじめられていた時に先生が「いじめられる側にも問題がある」とはっきり言ってくれたことだった。先生の中にはシスターが大勢いたのでサラリーマン化した公立学校の先生よりも人生の苦難を多く見てきているのだ。ノン・クリスチャンの担任は成績で子どもを選別するような人が多かったが、クラスの他に課外授業のようなもののがあり「最悪の事態を防ぐ」仕組みがあったのも(後から考えるとだが)よかった。

よく「信じれば不幸はたちどころに消える」とか「災難が降りかかるのは信心が足りないからだ」などといって脅す宗教があるが、本物の宗教はそんなことはしない。それは宗教者たちが普段から理不尽な出来事に接しているからだ。信心があろうがなかろうが苦難は起こりうる。優しくしていればいつかわかってくれる人が現れますよというようにごまかしたりもしない。

こうした個人的な経験から「いじめられる側にもそれなりの理由がある」と思う。知らず知らずの間に犠牲者としての役割を演じているからだ。自分でそれに気がつくのはとても難しいので、第三者の目が欠かせないのだ。コントロールできるのは自分だけなのだから、自分を変えてゆくしかないのだ。

収奪されるものは繰り返し奪われる

被害者としての低い自尊心を根底から覆すのは並大抵のことではない。その時に助けになるのが心理学を勉強した第三者の存在だ。逆に邪魔になるのが柳澤秀夫解説委員に代表される「何も考えたことがないのに社会的な常識」を振りかざす悪意のない大人だ。何も考えたことがないのに当然何かが言えると思い込んでいるからだ。

例えば「親は愛情があって子供を虐待などするはずがない」という建前はサバイバーを大いに苦しめるし、横浜の例で見たように「福島からきた転校生さえ黙っていれば丸く収まる」ようなことは決して珍しくない。社会は「美しい社会常識をいきる美しい私たち」を守る為ならなんでもする。例えば、あの福島の子さえいなければ「良い子がすくすく育つ横浜市」でいられる。これに加担している人は善意で踏みつける。逆に犠牲者は何回も踏みつけられるし、誰も助けてくれない。弁護人は自分しかいないのだ。

柳澤解説委員が驚いていた「加害者に判決を下す」行為は、いじめられることを客観化することが目的なのだろう。つまり、いじめ加害者が問題なのではなく、その受け止めが問題なのだ。

自殺しても構わないけれど

自殺するのは(よく考えた結果なら)構わないとは思うのだが、たいていの場合、加害者は「いじめるなら誰でもよい」と思っているはずだ。つまりいじめる側は大した理由があっていじめているわけではない。そもそも人の物を取っても何も思わないような人なのだろうし、取ったとすら思っていないかもしれない。人の物を取るのは犯罪だが、自尊心を奪うのは「気軽な娯楽」なのだ。

つまり、死んでもたいして意味がないのである。

だからいじめサバイバーは、どうにかしてこれを越えてゆくしかない。残酷なことに奪われた自尊心は戻ってこない(だからこそ重大な犯罪なのだが)のだが、それに変わるなんらかの技術を身につけるか、感情をオフにする術を身に付けるべきだろう。

正直いじめの当事者がこの文章を読んでくれるとは思わないのだが(それどころじゃないだろうから)それでも周りにいる大人は理解できないのなら黙っているべきだ。なんとか生きようとしてる人の邪魔をしてはいけない。

 

教育委員会を非難する前にできること

Twitterを見ていたら横浜の教育委員の今田氏という人が「いじめは遺伝子の問題だ」と言っているというツイートを見つけた。これが本当なのかはわからないのだが、あらためて横浜市の教育委員の顔ぶれを見て驚いた。行政経験者が2名トップについており、校長経験者とPTAの代表者が1名入っている。一方で子供の代表者はいない。だから子供の気持ちに即した対応などできるはずがないのである。議事録を見ても「いじめの定義がどうした」とか「学校の管理体制の問題」などについて書いてあるばかりだ。横浜市にとっていじめられた児童は処理の対象なのかもしれない。

では千葉市はどうだろうか。教育委員の顔ぶれを見てまた驚いた。千葉市には子供の権利に関係する人が2名入っており、障害者スポーツに関わっていた人も委員になっている。

さいたま市はよく分からない。どうやら名誉職的な会合になっているようであるが、すくなくとも行政経験者が事務処理的に処理しそうな雰囲気はない。

よく考えてみるとこれは市長が教育や福祉をどう考えているかということなのかなと思う。林市長はもともと産業界の人なので、教育や福祉のようなことは儲けに繋がらない福利厚生の一環なのだろう。待機児童問題に取り組んだと言われているが、実際には「まやかしだ」という声が多いようで、ブログなどでさかんに取り上げられている。これもいじめと同様「事務的に処理」しちゃったのだと言われても申し開きできないだろう。

千葉市は市議出身で社会福祉団体や市民団体とのつながりがあるのではないかと考えられる。「子供問題が票になる」ということを知っているのだ。さいたま市市長がどんな人かは知らないが、自民党出身の県議出身だそうだ。利権の調整者としての意味合いが強そうだ。

つまり、誰を教育委員にアポイントするかということを見れば、福祉にどれくらい力を入れてくれそうかということがたちどころにわかるということになる。慌てる前によく調べて投票すべきだろうし、候補者の時点でどのような構成にしたいのかということを聞いてから判断材料とすることもできそうだ。林さんは子供(多分高齢者福祉)には冷淡なようなので、今回の選挙では苦戦するのではないだろうか。