実は問題が大きい橋本聖子JOC副会長の「五輪の神様」発言

橋本聖子JOC副会長がオリンピックについて「ガバナンス、コンプライアンスで悩んでいる場合じゃない」といったことが物議を醸している。これはとても問題が大きいと思う。桜田大臣の「五輪憲章を読んでいない」よりも問題が大きい。




これについてQuoraで聞いたところ「超法規的措置を望んているのでは」という指摘があった。問題の本質を一番ついている発言だと思った。つまり、オリンピックは特別神聖なものであり、ガバナンスやコンプライアンスなどの細かなことに煩わされてはならないと考えているのだろう。JOCは現代の関東軍になったのだ。

戦前の関東軍は単独で無謀な戦争に独断で突入してゆくのだが、必ずしも日本をめちゃくちゃにしてやろうとは思っていなかったはずだ。むしろ、彼らは一貫して自分たちの行動は日本を守るための聖なる戦いだと感じていたはずである。戦前の二大政党制の元で議会は機能せず経済復興のための具体的なアイディアが出せなかった。そこで国民とマスコミは具体的な成果を出していた陸軍を支持し、軍も議会を無視し内閣を恫喝し続けた。

軍が崇高な目的を持っていたことも、具体的な成果を挙げたことも否定はできない。しかし、最終的に日本国民を巻き込んだ破滅の道を突き進み、国民をコマとしてしか認識できなくなってしまう。今、オリンピックで同じようなことが起きていることは、桜田大臣が「スター選手が病気になったらオリンピックが盛り上がらずに困る」と発言してしまうことも明らかである。裏ではもっと露骨な利権確保の動きがあるのだろう。蓮舫議員の一連のTweetを見るとオリピック予算の適正化を要求しても全く反応が返ってこないらしい。オリンピック利権に絡んでいる放送は一貫してこの問題を無視し続けている。

ガバナンスやコンプライアンスなどという「些細なことに囚われていては成果が挙げられない」という橋本副会長の止むに止まれぬ気持ちは本物だろう。だが、それはとても危険な暴走が始まっているという証拠にしかならない。彼らはすでに正気を失いつつあるのだ。

こうした歪んだ信仰心は自民党が政権を失い国家神道と結びついた時に生まれたものだろう。「自分たちの特権が失われた」と信じている国家神道の信奉者たちは「日本という特別な国」は国際的なルールや個人のわがままに過ぎない民主主義に拘泥されるべきではないと考えている。

失われたという怒りが人々から合理性を奪ってゆくという例は何も日本にのみ見られる現象ではないだろう。例えばトランプ大統領はメキシコからの移民がアメリカを滅ぼすと信じて国家非常事態宣言を出した。壁さえ作ってしまえば軍事費や麻薬対策費が必要なくなるという考えから対策予算を壁に振り向けようとしているようだ。これも「彼なりの正義感」の表れなのだろう。しかし、壁を作って国境を塞いだとしてもアメリカの諸問題がたちどころに解決することにはならない。トランプ大統領と支持者たちは正気を失いつつあるが、アメリカの民主主義にはセーフティーネットがいくつかあり法廷闘争へと持ち込まれようとしている。

ベネズエラの経済も大混乱に陥っている。このニュースを聞いた人は「マドゥロ大統領がさぞかし贅沢な暮らしをしてベネズエラを搾取しているのだろう」と思うかもしれない。しかし、ベネズエラの経済がめちゃくちゃになってしまったきっかけはむしろ正義感なのだ。金持ちに搾取されていた石油の儲けを国民に還元するというチャベス大統領の政策が後継のマドゥロ大統領に引き継がれたころから話がおかしくなったようだ。彼らも資本主義の面倒な仕組みを理解しようとしなかったことで、最悪の結果をもたらしつつある。

プロジェクトが大きくて難しいほど携わる人たちは「自分たちは良かれと思って崇高なことをやっている」と感じる。「崇高な闘争」に突入する過程で「神の崇高さ」のようなものを感じることがあり、それが全体を巻き込んだ破滅に至る場合もあるということである。人間の闘争本能は時に暴走するのである。

日本的ポピュリズムがそれほど過激に燃焼しないのは、左派的ポピュリズムに傾倒しそうなパヨクと呼ばれる人たちと失われた怒りを持っているネトウヨと呼ばれる人たちが別のセグメントを形成しているからだろう。神を持ち出してくるのはネトウヨ側だけだ。

現在の自民党政治の大元にあるのは被害者意識である。自民党の憲法草案はすでに「自分たちを政権から追い落とした天賦人権は憎い」というところまで来ている。これは安倍首相の言う悪夢の民主党時代に作られた。結局この一連の流れは「なぜ自民党政治が行き詰ったのか」ということを反省せず自らは自己憐憫に浸ったところから始まっていることになる。現在、国家プロジェクトは超法規的に行われるべきだと主張するところまで来た。次に来るのは神に選ばれた自分たちは選挙の洗礼を受けず国家を指導すべきだという狂った政治観だろう。そのためには統計を歪めて嘘をついても良い。なぜならばそれは正義の闘争を勝ち抜く正義の嘘だからである。

いずれにせよ次から次へと聞こえてくるオリンピック関連のデタラメな発言は、彼らが世間と決定的にずれ始めていることを意味していると思う。まともにオリンピックをやりたいなら外部から社会を知ったまともな人たちを連れてくるべきであろうし、それができないならオリンピックはやめるべきだ。だが、被害者意識から視野狭窄に陥っている人たちにこの声は届かないようにも思える。

ポピュリズムとアルゼンチン型の没落

前回「トランプ大統領のアメリカがラテンアメリカ的なポピュリズムに陥っているのでは?」と書こうとしてやめた。アルゼンチンについてよく知らなかったからである。アルゼンチンの政治はポピュリズモとして知られており、一度これについて書いたことがあるのだが、おさらいのつもりでもう一度アルゼンチンの戦後の歴史について軽く調べてみた。途中で消費税批判が出てくる。今のままで消費税増税はしないほうがいいと、アルゼンチンの歴史を見て思った。




アルゼンチンは南米にある人口4000万人くらいの中進国である。南米ではブラジルについで豊かな国なのだそうだ。第二次世界世界大戦までは世界的にも豊かなことで知られていた。第二次世界大戦にほとんど参加せず、アメリカなどに肉を輸出しており富の蓄積ができたからだと言われているそうだ。

アルゼンチンは後進国ではないのだが、今では貧困率が32%にまで上昇している。必要以下の食料と日用品しか得られないという人たちが3人に1人もいる。これが没落型国家の問題点である。つまり社会的インフラは整っているが、内部に貧困を抱え込んでしまい政治がそれを解決できないのである。また、過去に数回債務不履行(デフォルト)を起こしており通貨には信頼がない。

アルゼンチンをここまでひどい状態に陥れた政治の正体が「ポピュリズム」である。ペロンという軍人出身の大統領が貧困層に手厚い福祉対策を行った結果、第二次世界大戦で蓄積した外貨を使い果たしてしまったのだ。アルゼンチンにとって地球の裏側で起きている戦争は金儲けの絶好の機会だった。日本が朝鮮戦争特需で経済成長したのと同じような図式だ。それを国内の産業育成に回せなかったのである。

第二次世界大戦が終わってもアルゼンチンは構造改革に着手せず、福祉に力を入れる。経済の構造転換の意欲がないままで手厚い福祉政策を手放せなかったことで、結果的に「貧困者が極端に多い」社会ができてしまった。その後軍事政権が民主化弾圧を行い、再民主化した後でインフレに見舞われた。コトバンク掲載ののブリタニカ辞典によると1989年には累積債務が国家予算の1/2になり6000%のインフレとなったそうである。

Newsweekは次のような分析を紹介している。構造改革を嫌い見かけ上のリーダーシップを好んだという点が日本と似ている。日本はサービス産業化に失敗し自民党主導の政治改革ができず、その後の民主党政権も大失敗したという歴史がある。その後生まれたのが見かけ上のリーダーシップを喧伝する安倍政権なので、この経緯がとても似ているのである。

結局のところアルゼンチンが何度も経済危機を繰り返すのは、財政規律が守られず、国民が変化を拒否していることが最大の原因である。

ちなみに前政権は自らに都合が良くなるよう経済統計の恣意的な解釈などを行っていた。こうした誤魔化しは長続きしないと思われがちだが、意外とそうでもない。結果的に自国が貧しくなっても、政治家による見かけ上の強いリーダーシップを望む国民は多いというのが偽らざる現実だ。

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2018/05/post-49_3.php

ペロン大統領そのものはそれほどひどい弾圧は行わず「バラマキ」に徹したようだが、そのあとの軍事政権は激しく民主化を弾圧したそうである。これを汚い戦争と呼ぶらしい。しかし内部に敵を作りそれを弾圧する手法も民主化運動を抑制できず、イギリスを敵にしたフォークランド紛争を起こしてそれが失敗したことで軍事政権は終了した。その後またバラマキ政治に戻りハイパーインフレを起こし、最終的に国の1/3が貧困層になるほど経済が疲弊した。つまり、バラマキができなくなると敵を作って不満を解消するという手法が取られるのだ。

もう一つ重要だと思うのは、アルゼンチンが自らが経済の中心にならず周縁として機能していたという点だろう。食料の供給地ではあったが、自らが大きな消費市場になることはなかった。このため中央の経済(この場合アメリカ)の動向に左右されやすいという特性がある。

日本は自動車や家電などの部品の供給国なのだが、自らも人口一億人以上の消費地であり、実はそれほど外需依存の経済周縁国ではない。これを支えていたのが豊かな中間層だ。しかしながら、安倍政権は消費税を増税し古い構造を持った企業を温存することにより豊かな中間層を破壊しようとしている。これは結果的に経済の周縁化を生み出すだろう。内需を捨てて外需を追求しようとしているからだ。消費税依存を支持しているのは「年金財政を崩壊させたくない」という構造改革して欲しくない人たちなので、アルゼンチンほどではないにせよ「緩やかなバラマキが経済の再活性化と構造改革を拒んでいる」ということになる。

人口と富の蓄積がアルゼンチンより多いので経済の崩壊には時間がかかるだろうが、このまま思い切った構造転換ができないと日本経済も数世代先にはアルゼンチン化することになるだろう。通貨は信頼されず、国内に貧困が蔓延するという世界が数世代後にやってくるのである。

トランプ大統領の非常事態宣言

人を操るためにはいろいろなやり方がある。手っ取り早いのは危機を煽り立てて合理的な思考力を奪うことである。トランプ大統領はついにこの手法に手を染めたようだ。




非常事態を宣言してメキシコから押し寄せてくる移民を防ごうと言い出したのである。民主党などの議会はこれに反発しており法廷闘争も辞さないと言っているのだが、もし民主党が邪魔をすれば今度は民主党を指差して「この人たちが邪魔している」というつもりなのではないだろうか。こうしたやり方をポピュリズムと呼ぶ。これがもっと強くなり全体を通じて他者を抑圧し始めると全体主義などと呼ばれる。オバマ大統領の改革幻想からの揺り戻しでアメリカの民主主義はかなり危険な状態にある。

先日は、時代から遅れた人たちが支配権を維持するために政権に擦り寄って行き、政権の権限が増してゆくという仕組みについて見た。日本は明確なリーダーを作らず集団思考的に極限状態に追い込まれてゆくという特徴があるようだ。現在の状態を第二次世界大戦前に例える人たちがいるがこれは被害妄想ではない。第二次世界大戦当時の日本は集団思考的に解決策を持っていそうな軍部に頼り、そして破綻した。このように社会の中枢からなんとなくおかしくなってゆくのが日本型である。構造が単純なので「ウィルス」が浸透しやすいのだろう。

ところが欧米はリーダーが主導的に極限状態を作り出してゆくという特徴がある。では、この「危機を煽るリーダー」は誰にメッセージを送っているのだろうか。トランプ大統領の支持者の特徴についての心理学的研究では5つの要素を抜き出している。

  • 権威主義的性格
  • ソーシャル・ドミナンス・オリエンテーション
  • 偏見
  • インターグループコンタクト
  • 相対的剥奪

馴染みのない言葉がたくさん出てくる。まずソーシャルドミナンスオリエンテーションは「社会が階層的であることを好む」というような意味であり、権威主義とは異なっているが「関係がある」そうである。インターグループコンタクトは偏見と関係している。国境沿いの町に住んでいたり移民が多い地域に住んでいる人たちよりも内陸にいて移民と接触したことがない人の方が人種偏見を持ちやすいのだという。ここまでは前回見た「複雑性を扱えないし知らない保守」と同じような傾向である。ただ、一点大きな違いがある。それが喪失感だ。

最後の「相対的剥奪」は「自分たちがかつて得られていたものが得られなくなっている」ということから生じる怒りなのだそうである。つまり、彼らは失われたという感覚を持っているということである。

ここが日本と異なっている。日本人は既得権を抱えながら(あるいは抱えているがゆえに)時代について行けなくなった人たちが集団で政権や軍部といった大きなものにしがみつくことで、特定の核を作らないまま機能停止に陥ってゆく。彼らの動機は怒りではなく「このままの状態で村を保とう」という同一性保持の傾向だ。一方、アメリカではエリートたちは時代とシンクロできているが、ここから取り残された人たちが扇動者によって動かされてゆくという特徴があるようだ。均質性の高い日本と、多様性があるがゆえに格差が生まれやすいアメリカの違いと言えるだろう。

トランプ大統領が煽っているのはありもしない移民戦争なのだが、まだそのシステムには幾つかの防御壁が残っている。議会が独立して機能しているので民主党は法廷闘争をやりたいようだ。また各州が独立して動いておりここからも提訴の動きが出ているという。これが、単純な階層しかない日本と違っている。多様性がある程度アメリカを救う可能性がある。ウィルスが浸透しにくいのだろう。

一方、その陰で北朝鮮などの現実の危機は単にディールの材料とされ忘れられてゆく。トランプ大統領はどうやら文在寅と安倍晋三の区別がついていないらしい。「安倍首相が自分をノーベル平和賞に推薦した」としており、これが文在寅である可能性があるそうだ。安倍首相とトランプ大統領との強固な個人的信頼というのは、その程度のものなのかもしれない。もはやアメリカと一体的に動くことはリスク要因なのである。

日米ともに政府に権限が増すのと同時に現実の把握能力が失われて行く。その過程で起こるのが「議会と話し合いの軽視」である。民主主義はこういう状態にはとても脆い。どちらも背景にあるのは、複雑さに対応できる人たちとできない人たちの間にできる「格差」である。民主主義は共通の基盤とある程度の見通しを必要とするので分断した状態には耐えられないのだろうということがよくわかる。そして、一旦分断が表面化してしまえば我々一人ひとりにできることはとても少ない。

首相のコラ画像が逮捕案件になるまで – 集団思考で独裁化が進む

著作権法が変わるそうだ。朝日新聞によると文化審議会で答申がでてこれから国会審議が始まる。これについて「そのうち首相のコラ画像を作ったら別件逮捕されてしまうかも」とつぶやいたら反応があったので、考えるところを書いてみたい。




まず、津田大介の一連のつぶやきからご紹介する。例外から始まって厳罰化が進む過程がよくまとまっている。

津田によると、もともとは音楽・映画の要請から始まったようである。実はこの業界は著作権の管理が一番進んでいる業界だ。特に音楽はJASRACが著作権をほぼ独占的に管理してきた。インターネットが出る前は、レコード会社にきっちりと報告をしてもらい、流しっぱなしの放送と一括契約を結び、あとはカラオケ店や結婚式場を見回って「著作権警察」をしていれば音楽の著作権料などが管理ができた。だから音楽業界はインターネットが出てきたときにはそれを否定し、自分たちが時代から取り残されているぞと気がついた時、それを規制したいと願ったのである。配信業者が規制できないということがわかったので、今度はユーザーを罰したいと言っている。

元々が自己否認から始まっているので実効性がなく、そのためにどんどん厳罰化だけが進んで行くのである。

AKB48ができたのが2005年だそうだ。CDが売れないという時代があり、音楽の楽しみ方が配信とイベントになってきていたという時代である。AKB48は投票権というイベント参加券がメインでCDがサブになったというエポックメイキングな出来事だった。パッケージからイベントへ、つまりモノからコトへという流れは今でも続いている。日本も確実にサービス産業が先導する経済に変わりつつあるのである。

CDが売れないなどと言われているが、音楽の楽しみ方は多様化している。日経スタイルによると実は東方神起は年間で128万人もの人たちを動員している。不況だと言われているのだが、実は2000万人以上がコンサートを楽しんでいるそうだ。モノからコトへの移行が進んでいることがわかる。

セールスとは対照的に成長を続けるコンサート市場。18年上半期の動員数は約2084万人と、前年同期と比べて約5%の伸びを見せている(コンサートプロモーターズ協会調べ)。日経エンタテインメント!では、既に18年に行われたコンサートと、年末までのスケジュールが発表済みのもの(10月上旬時点)の会場収容人数を合計し、各アーティストの「年間コンサート動員力」を算出、ランキングにした(詳しい調査基準は文末の囲みを参照)。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38332660Z21C18A1000000?channel=DF010320183446

インターネットの爆発的な普及によって、モノはコトへの導入としての役割を持つようになった。さらに、モノに依存しないで売り上げを伸ばすことも可能になりつつある。YouTubeで無料配信し知名度の普及を図ったK-POPは大成功し、日本のチャートにも韓国語の歌がそのまま流れるまでになっている。彼らは日本のみならず海外にでかけてゆき大規模なイベントを行う。そして、事務所単位で興行を行いイベントと物販で資金を回収するのである。

ネットで遅れていたジャニーズでさえも滝沢秀明を筆頭にネットとイベントを中心とした新しいビジネスを始めるようだ。新しい会社であるジャニーズアイランドは、ジャニーズがイベントを行う時のブランド名のようだ。ジュニア名義のYouTubeチャンネルも更新が盛んになっている。ジャニー喜多川は今までのビジネスを旧世代に任せ、新しい時代に適応できる若い後継者を選んで新規ビジネスに参入している。

日本人は「自分たちのものは自分たちで囲い込みたい」という意識がとても強いのだが、新しい世代に経営を任せれば十分に克服は可能だ。問題なのは古い世代の人たちがいつまでも昔のビジネス形態を懐かしんでいるという点である。彼らはネットを憎んでいる。テレビは買い占めらるが、ネットは買い占められないからである。そして、自分たちができないことをやろと政府に泣きつくのだ。

こうした違いを「オープン戦略」と「クローズ戦略」という。全てを囲い込むのがクローズ戦略だ。かつてはいかに囲い込むかが重要だ他のだが、最近の日本はこれで軒並み失敗している。一方でオープン化で成功しているのが中国や韓国だ。先日見たように中国家電はスマホと連携することで「コストの切り捨て」を図っているのだし、韓国は宣伝をインターネットのファンたちにアウトソースしていると言える。コントロールできないなら協力すればいいのだ。

本が売れない、音楽が売れないとなった時、「自分たちが時代についてこれていない」とか「高齢化している日本市場にだけ頼るのは限界があるのでは」と考えるのは難しい。それよりも「無断でスクリーンショットを撮影する人が悪い」と逆恨みしたほうがラクなのである。そして、時代について行けていない人ほど政府に頼って「国の力でなんとかしてほしい」などというものなのだ。書籍・出版・新聞・テレビ・レコード会社という旧体制の人たちが新しく飛躍しようとしている人たちの足を引っ張り「自分たちを置いて行くなら罰してやる」と言っているのが今の日本である。

多分、違法ダウンロードを禁止したりスクリーンショットを規制しても、本やパッケージソフトが売れるようにはならないだろうし、新聞の購読者も戻ってこないだろう。だが、彼らはそれを認めないし認めたくない。

さらに日本の著作権管理はかなりいい加減であり文書ではなく口頭で著作権のやりとりをしているケースが多くある。樹木希林さんはマネージャーがおらず、権利処理が面倒なので「二次使用もファンの撮影も好きにして」と留守電に吹き込んでいたというのは有名な話だ。こうした口約束の世界を非親告罪化してしまうと、そもそも権利処理が確認できないというケースが続発するはずである。音楽の世界の常識がテレビで通じないということがあり、さらにこれに漫画やフィギュアの二次創作(宣伝のために著作者が黙認したりしている)などの「さらにいい加減(あるいは柔軟)な」人たちが入ると、話はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。

こうして国に厳罰化を頼む人が増えるほど、お互いを縛りあうようになり、さらに萎縮が進む。有料配信の新聞記事は読まれなくなり無料のものが引用されるだろう。テレビの歌番組がなくなりつつありYouTubeに音楽コンテンツが溢れる今となっては、日本の歌そのものが忘れられてしまうかもしれない。

もちろん厳罰化を要求された政府が初めから人々を支配したがっているとは思えない。だが、自分たちの失敗を隠蔽するために独裁傾向を強めることはありそうだ。

最近、菅官房長官が東京新聞の望月衣塑子記者を念頭に「あんな質問をさせるな」と記者クラブにねじ込んで問題になった。確かに望月さんにも問題はあるのだろうが、国会でこれを質されて半ばキレ気味に自分の主張を述べていたのをみて「こんな気の小さいおじさんが官房長官なんだ」と思った。調整できないから政府でなんとかしてほしいと言い続けて、政府に強すぎる権限を移譲しても、実際に対応するのは交渉もろくにできない首相と気の小さい官房長官である。日本人は全体的に調整ができなくなり国になんとかしてくれと求めるわけだが、国は国で現業が何をしているのかわからないのでこのようなことが起こるのだろう。

安倍首相は菅官房長官を弁護するつもりなのか「内閣の一員がわざわざマスコミ対応してやっている」と言っていたが、そもそも権力者が記者たちに「情報を教えてあげる」という意識そのものが危険なのであり、コミュニケーションのプロである広報官を立てる方が理にかなっている。だが、そんなことを安倍首相に言っても彼は全く理解できないだろう。

恒例の経営者たちが経済から取り残されてしまうとジリ貧になった人たちが権力になきつき、それが結果的に独裁を生んでしまうかもしれないというのはなんだか情けない図式である。が、リーダーが責任を取りたがらない日本ではこうした集団思考による情けない形で独裁が進行するのかもしれない。気がついたら何もものが言えなくなっていたという時代になっている可能性があるということになる。

意外と侮れない中国家電

今回はAmazonのアフィリエイトつき。つまり、宣伝込みである。内容は中国家電は侮れなくなっており、必ずしも安かろう悪かろうではなくなっているというものである。




HOMIEE 体重計 体組成計 体脂肪計 スマートスケールBluetooth アプリで健康管理 赤ちゃんの体重測定可能というのを買った。中国製品って意外と侮れないなと思った。

きっかけは何かのモノブログかTwitterの宣伝アカウントだった。タイムセールで安くなっているという。ダイエットをしているので体重計を探していたのだが、なかなかいいのが見つからない。

今持っているのはタニタの体脂肪計なのだが、体脂肪だけしか測れずスマホとも連携しない。家電量販店に見に行ったりしたのだが、やはり3000円を切る物は売られていないし、低い価格帯のものはスマホ連携ができない。それが2300円で手に入るというわけで、思い切って買ってみることにした。

だが、問題もあった。中国製なのだ。なんとなく中国製というとすぐ壊れるし低品質というような印象がある。Amazonのちょっと変な日本語も不安を感じさせる。Amazonでの評判も悪くないがやらせもあるのではなどと疑った。

セール品のせいなのかすぐに発送され翌日には受け取ることができたのだが、まだ疑っていて「何か絶対に不具合があるはずである」と考えた。なにせ、がっかりしたくないので「たかが2300円だから捨てたと思えばいい」などと思っていた。

アプリをダウンロードし、ブルートゥースでつなぎ、体重計に乗って連携させた。なにも問題はなかったのであれ?と思った。おかしい、中国製のくせに問題がない。スマホのアプリにもあまり問題がなく(強いて言えばちょっとローカライズに変なところがある)、Appleのヘルスケアという体の情報を集約するアプリに情報を引き渡すこともできる。タニタの今までのやつとあまり数値が違わないので、体重と体脂肪は正確に測れているようだ。その他にもいろいろと数値があるがこれが正確かどうかはよくわからない。

と、ここで足りないことに気がついた。この体重計にはスイッチがない。つまり体重しか表示されない。だからスマホがないと情報がなにもわからないのである。ということで、体重を測るときにいつでもスマホを横に置いておかなければならないというのが難点なのである。

が、裏返しにすると「スマホを持っている人にはいらない機能」が多かったという意味になる。この辺りを割り切ったのが中国企業の強みなんだろうと思う。日本製品はここが切れないのだ。

例えばパナソニックはパナソニック 体重・体組成計 スマホ対応 ブラック EW-FA43-Kという製品を出している。Amazonでは6,000円ちょっとで売られているのだが、自前で体重計とデータを管理する仕組みを作り、アンドロイドにも対応させたという製品だ。日本人は全て自前で作りたがるところがあり、他の会社の仕組みには乗りたがらない。そのため当然アプリ対応が追加機能になりその分コストがかさむ。しかもアンドロイドにしか対応していない。多分、自前でiOSアプリの開発者を探せなかったのだろう。

日本人は車輪から全部車を作りたがるが、中国人は車輪の再発明はしない。だから結果的に安くできる。加えてスマホが使えないお年寄りからクレームがきますよなどということは考えない。パナソニックのようなナショナルブランドには「誰かを切り捨てるような」商品は作れないだろう。

最近「海外からの労働者に頼らなければ日本の工場はやって行けない」というような問題を取り上げたことがある。日本人は全部自分たちでコントロールしたがるのだが、いったんコントロール下に入ったら囲い込んで「賃金をあまり与えない」傾向がある。結局、これが首を絞めている。

中国企業は「今あるものをわざわざ自分たちで作り直す必要はない」と考えて、それを知っているエンジニアを雇うのだろう。2004年の記事では「世界第三位の高い給料をもらっていた」という日本のエンジニアの給与は2018年には中国に抜かれているそうだ。

その他にも新しい企業は店舗を持たないとか宣伝をしないとかいろいろな合理化策が取れる。日本はこれまでの何かを削って合理化をしなければならない。例えばパナソニックの新製品が「宣伝をしない」とか「Amazonでしか売らない」などと言えばきっと落ち目だと言われるだろう。中国の新興企業は最初からそういうものを持たなければ良いので思い切ったコスト設定ができるのだ。皮肉なことに過去の成功が今を縛っているということになる。

多様なものに囲まれると居心地の悪さを感じる「頭の悪い」人たち

最近、多様性について考えた。「社会は多様性を受け入れるべきである」というと賛成する人は多いと思うのだが、果たしてそれが実践できるのかという問題である。これについて考えていて「保守派の人は頭が悪い」という結論にたどり着いた。




だが、この保守は頭が悪いというフレーズをコピペしてRetweetする前に以下の文章を読んでいただきたい。もし、これがわからなければあなたも保守脳の持ち主である。

ここでは、多様性の受容とは「すなわち自分が理解できない他者をそのまま受け入れる」ということを意味するとする。ここに危機意識を感じる人がいるのではないかと思った。

例えば、全く理解できない外国語を話している人たちが大挙して隣の席に座った時「この人たちが襲ってくるのではないか」と考えることがある。外国語の中には和やかに聞こえないものもある上に、そもそも理解できない言葉には警戒心を持つのは当たり前のことだ。外国人が安全に思えるのは言葉の意味そのものが理解できないにせよ、ああこれは韓国語なのだとか、中国人が声をはりあげるのは普通のことなのだという予備知識があるからである。わかると警戒心は薄まる。わからないと心の中のアラームは鳴り続ける。

外国語は複雑さの例だが、実際にはいろいろな複雑さがある。例えば同性婚もそうだし、外資系企業の企業文化もそうかもしれない。複雑さが認知できないと、恐れが憎しみに変わるのではと考えたのである。

そこで調べてみたところ非常に短い文章が見つかった。多様性を許容するリベラルな人は他人への理解度が高く、保守の人ほど恐怖に関する領域が強く働いているという傾向が見られるというのだ。つまり、複雑さが理解できるというパラメータと恐怖心を持つというパラメータは別だということだ。ここでは保守とリベラルという二つの傾向を抽出しているのだが、実際には4つの異なる人たちがいる可能性があるということになるのかもしれない。

脳の特性で「決めつける」ような研究には一定の危険性があると思う。「これまで、一定の心理的特性でその人の政治的志向を予測できることは知られていた。政治的志向を脳活動と関連付けた研究はあったが、脳の構造と結びつけた研究は今回が初めて」とも書かれているので、心理性をそのまま脳の特性と決めつけるのはよくないが、今回はそうした傾向が見られたということになる。

これとは別に、リベラル脳は複雑性への対応能力が進化の結果であるという研究結果もある。こちらでははっきりと「あたまがいい」人が「複雑な状況に対応した結果」がリベラルさだと言っている。

つまり、保守的な人というのは「複雑さに対応できない頭が悪い人だ」ということになる。頭が悪いので複雑な状況の処理ができないというわけだ。そこで情報を刈り込んで陰謀論に近いようなストーリーを組み立てたり、物事を白黒で判断したがるのではないかと思いたくなる。

ただ政治的指向性と知能を関連づける研究には批判も多いようだ。このリンクではIQテストとカナザワ氏が考える「頭の良さ」は必ずしも相関性がないのではないかという批判が紹介されている。

この二つの論文の紹介からわかるのは、どうやら複雑さの理解ができないことが保守的な傾向に関係していることは確かなようだが、それがなにに由来するのかということはよくわかっていないということになる。そして「複雑さに対処できない」ことを「頭が悪い」と規定すれば、保守派は頭が悪いということになるのだが、必ずしも入試で良い点を取れないというような意味ではないということにもなる。

いずれにせよ、保守と呼ばれる人たちの単純な思考の組み立てを見ていると、複雑さの処理に困難を覚えている人や自分のもっている概念を更新することに著しい困難さを覚える人が多いということはよくわかる。安倍首相の政治概念への理解度の低さや対人能力の低さなどを見ると、彼が複雑さに対応できていないことは明白だ。彼は民主主義の仕組みについてもよくわかっていないし、米・中・露・韓・朝鮮の変化にもついて行けていない。

だが、彼は同時に複雑さが見えないので、物事を単純化する能力を持っているともいえる。複雑さに対応できる人は複雑さをそのまま扱うので情報を刈り込むことなく他者に伝える。いわゆるリベラル勢力の主張が広がって行かないのはこのためだろう。彼の言っていることの方がよくわかると感じる人が多いのだ。

「民主党政権時代は悪夢の時代」というのは言論の自由という人が首相をしている国

国会審議を見ていてもあまり面白いことはなさそうなので出かけようかと考えていたのだが、冒頭から耳を疑った。




安倍首相の「民主党政権時代は悪夢だった」発言の撤回を迫った岡田克也に対して、安倍さんが「それは言論の自由」と言い放ったのだ。「あんた本当に謝らない人だね」と呆れてしまった。それどころか品格を保たなければならない国会の場で民主党時代をさらに罵倒し始めたのだ。ついに壊れたかとすら思った。

言論の自由は民主主義と人権を擁護するためにある。理想の生き方を追求するためには、内心を他人に制限されることなく自由に話し合う必要があるからだ。だから言論の自由とは何を言ってもいいという意味ではない。加えて首相はリーダーだから難しい問題を解決するためにお互いに協力を呼びかける場面が出てくるはずである。つまり、品格を保つというのは「いざという時にお互いが協力できるような尊重し合う関係をメンテナンスする」という重要な意味がある。

だが、ネトウヨの人たちはこれを「何を言っても許されるはずだ」という理解で使う場合が多い。何かを発言すると誰かを傷つけてしまう可能性もあるわけだが「そんなのは構わない」というニュアンスで表現の自由を使う。例えば「在日朝鮮人は国に帰るべきだ」とか「アイヌ人などいないと学実的に証明された」とか「レイプされた女にも落ち度がある」という発言も言論の自由になってしまう。そもそも人権の一部である信条発露の自由のためにある言葉が、多数派が少数派を抑圧するために使われる。そして、その頂点にいるのが安倍首相なのである。

一方で、この民主党否定発言は安倍首相が切れるカードが少なくなってきているということを意味している。それは、外交、消費税増税延期、憲法改正議論、景気回復という実績である。

安倍首相はいろいろなペットプロジェクトを持っているが、これは自民党の政策を担う人たちからは白眼視され始めているようだ。いろいろ言っているが地方には金が回ってこない。夢みたいなことばかり言っていないで地方の支持者に金を回せというのだ。補助金で直接配るか公共工事のような馴染みのやりかたで地方に金を回せと言っている。諦めている都市の「無党派層」と違って地方の自民党支援者たちは上から目線で自民党に指示を送る。

この一環として消費税増税議論がある。つまり財源がさらに必要になるからさっさと国民を説得してあげてしまえというわけである。野党の一部には「ギリギリまであげると言っておいて選挙の時にあげないというのではないか」という懐疑論があるようだが、これは難しいのではないかと思う。すると選挙では大勝はできなくなるので、憲法改正議論も難しくなるだろう。憲法も自民党支持者にとっては首相のペットプロジェクトに過ぎない。憲法で飯は食えないのだ。

外交でも行き詰まりつつある。ロシアでは何も成果が得られなかった。プーチン大統領には二島をただで返すつもりはなく、安倍首相にも秘策はなかった。前回見たように、トランプ大統領は金正恩との親密な関係を演出しつつ、内政を優先して北朝鮮問題で大幅な譲歩をするかもしれない。北朝鮮から拉致問題で妥協を引き出すのは難しくなるだろう。迷走外交を繰り広げる日本は東アジアで取り残されつつある。

こんな中、安倍首相が頼れるのはもはや「民主党よりはマシ」という幻想だけなのである。安倍首相が民主党時代を思い出せと言っているのは、言い換えればもはやそれ以外に語れることがなくなってしまったということを意味している。国政は実はここまで停滞している。

一方で、旧民主党系の人たちにも「風が止まった」という実感があるようだ。ある地方の議員か候補者の人の「風が止まった」というTweetをみて、国民の間には「よくわからないがとりあえず今は動いているからあまり触りたくない」という気分があるのではないかと思った。国政は停滞しているが、とにかく動いている。これが民主党時代よりましだと思っている人が多いのではないだろうか。

スムーズに動いている車をみれば、誰でも車についてあれこれ言いたくなる。だが、ちょっと何かのボタンを押すと止まってしまい兼ねない車はできるだけ触らないようにしないと命に関わると思えてしまうのではないかと思う。

ただ、エンジンの中からは今までに聞いたことがない音がしており、なんらかまずいことが起こっているように思える。もう勇気を出して中を覗いてみるところにまで差し掛かっているのではないかと思える。

崩壊に向かう日米同盟と憲法第9条改憲のシナリオ

北朝鮮が核兵器保有国になるかもしれない。トランプ大統領が国内政治を優先して北朝鮮に妥協してしまう可能性があるからだ。




この一連の流れはかなり劇的に動いており一瞬先も見えない。原因になっているのはアメリカ・韓国・朝鮮の指導者の交代である。日本は全くこの動きについて来ておらず、憲法第9条の改正議論自体が全く無効になってしまう可能性が高い。憲法第9条の改正議論は東アジア唯一の自由主義社会のスターの日本がアメリカの威光を背にしてアジアに君臨するという前提で組み立てられているからだ。日本の憲法改正議論は、東アジアのヒーローになりたいというあまりにも非現実的な願望と、ありもしない戦争に引きずり込まれる被害者意識を軸に動いている。

先日、トランプ大統領はこうツイートした。私は仕事をよくやっていると言いたいらしい。彼の大統領人生はすなわち永遠の選挙キャンペーンであり、これは国内有権者に向けたアピールだろう。北朝鮮はこの中に組み入れられている。安倍首相が民主党政権はめちゃくちゃだったといって自分の政治の不具合を隠そうとするのと同じようなことが行われており、そのメニューの中に北朝鮮も入っている。メキシコの壁が移民を防げるように、金正恩と取引することで戦争の脅威がなくなると吹聴しているのだ。

現に、私が大統領になった時国はめちゃくちゃだった。予算が足りなくなった軍隊、終わらない戦争、北朝鮮との戦争の可能性、退役軍人(V.A.)問題、高い税金、多すぎる規制、国境、移民、健康保険の問題、などなど。私は長い時間働かざるをえなかった。つまり、オバマ大統領の元で国はめちゃくちゃになっていたが自分が正しい方向に導いたと言っている。

これについて、日本の従米派の人たちが騒ぎ出している。北朝鮮と中国の脅威を前提にお金儲けしていた人たちはアメリカが北朝鮮と結んでしまうと共産主義脅威論が語れなくなってしまう上に、日本は完全に東アジア情勢から排除されてしまう。対露の恥辱的な敗北は「もともと返ってくる見込みがない」ものが返ってこないというだけの話だったが、こちらは東アジアの安全保障に直結している。国際情勢を読み間違えて日本を孤立に追い込むことになる安倍政権無策ぶりは後世の歴史の中で大きな汚点の一つと考えられるようになるだろう。

その先に考えられる最悪のシナリオは韓国と北朝鮮が一体化して核保有国になってしまうというものだ。そんなことはありそうにないがKOREXITと呼ばれており一部では可能性が議論されているという。こうなってしまえば、自由主義対社会主義独裁という図式は全く崩れてしまう。だが、日本はそれに対応できるだけの準備を全くしてきていない。

韓国と北朝鮮が一体化し核保有国になると、日本は核保有国に囲まれることになる。加えてアメリカの支援はあまり期待できなくなるだろう。アメリカは統一朝鮮がアメリカにミサイルを飛ばさないという確約さえ取れれば東アジアの安全保障にお金を出さなくなるはずだ。

加えてトランプ大統領は安倍首相とではなく金正恩と「親密な関係」を築きつつあるようだ。日米同盟が首脳同士の個人的な信頼関係で成り立っているというのは安倍首相の願望でしかないのは誰の目にも明らかなのである。

金正恩のリーダーシップのもとで北朝鮮は力強い「経済発電所」になるだろう。彼に驚く人もいるだろうが、彼の才能を完全に知る機会があった私は驚かない。北朝鮮は経済という違うロケットになるだろう!

こうなってくると今の憲法改正議論は全く意味を失う。日本の政権は自衛隊を軍隊に格上げする意思はあるがアメリカの同盟から出る意思は全くない。さらに、アメリカが日本に基地を置いているのは韓国保護と共産主義の拡散予告のためなので、経済関係が良好になれば設置の根拠が失われてしまう。形式的な同盟関係は残るかもしれないが同盟関係の根拠は失われるだろう。基地を置いておくのは構わない。お金は日本が出してくれるからだ。沖縄は兵士のリゾートであり米国本土ではできない危険な訓練の演習地として使えばいい。しかし戦争は別である。大統領の個人的な信頼など紙切れほどの重みしかない。アメリカ議会は自国の利益にならない戦争にお金は出さないからだ。

こうした想定外の状況に対応するためには、左右ともに一丸となって解決策を考える必要があるのだが、多分そうしたことにはならないのではないかと思われる。日本人はその他の政治問題と同じようにこれまでの正解にしがみつき続けるだろう。

例えば今地方は衰退に向かっている。少子化対策をせず排他的な雰囲気を変えなかったことが原因だが、当事者たちは考えていないようだ。予算審議の最初に岸田さんが安倍政権につきつけた要求リストを見ると「地方にもっと援助をするためにこれからも消費税を増税せよ」という宣言から始まりおねだりリストが延々と続いていた。税収が滞っているのは「そちら(官邸)の事情」なので、それはそっちでどうにかして今まで通り仕送りをしろというのである。これが今の日本の有権者の本音なのだろう。彼らは安倍首相の夢物語である「なんとか5.0」など信じていない。彼らが信じられるのは補助金とコンクリートだけである。

同じように、日本の保守はアメリカのソリッドな同盟が首脳同士の緊密な連携によって維持されているという嘘を信じているフリをして、何かが起こるまできっと何もしないだろう。安倍首相の嘘を信じてリベラルをいじめていれば彼らはなんとなく自分たちが立派だったと思い続けることができる。これもまた嘘の政治の代償の一つなのである。

正解学習型の学校教育が消費税増税論議を暴走させる

軽い気持ちで実質賃金も下がっているらしいので消費税増税はしない方がいいのでは?と聞いた。当然、延期すべきという答えがたくさんかえってくると思っていた。




回答は4つしかなかった。延期が3で延期しなくてもいいが1だった。世間の評価というのはその程度のものなのだと思った。つまり、それほど大きな消費税反対のうねりはないのである。

それよりも驚いたのは知識の断片化だ。反対派の意見は野党のコピペであり短いものだった。唯一の容認派は「外税方式にしたら増税になるが内税にすると物価上昇だ」と言っていた。SNSからの知識は恐ろしく断片化している上に、与党も野党も情報が欠落しているので(隠していたり、自分たちがわかっていなかったりといろいろだが)おそらく情報の受け手は自分なりの見方が再構成できないのだろうと思った。

消費税に対する意見を固定するのは案外難しい。財政健全化、地方有権者への分配、市場の安定という3つの要素のある方程式を解かなければならない。パラメータは膨大なので自分なりの仮説を作ってモデル化した上で膨大なニュースを処理しなければならない。つまり、問題を自分で作らなければならないのだ。学校に入ってから「先生が出す問題」ばかりを解答し続けてきた日本人にはこれができないのではないだろうかと思った。

学校では数学ができなくても「誰か難しい問題を理解している人がいるんだな」と思えばいい。だから消費税の問題も「まあ、難しいことは誰かが考えてくれているんだろう」と思えれば、それはそれで良いのかもしれない。

仮に消費税増税を延期してしまうと、今度はもっと大変なことが起こるのではないかという恐怖心もある。無駄を省けば消費税を上げなくて良いと言っていた野田政権も結局諸費税増税を回避できなかったし、安倍政権も一回延期したが今回はやる気のようだ。少なくとも政府にはシナリオがあってその通りに進んでいるはずであると思えばそれから先は考えなくても済む。

だが、本当にそうだろうか。実は軽減税率の還元を巡って不安なニュースがある。時事通信社が伝えている。

今回の増税では食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率も導入される予定。複雑な仕組みに反対していた業界側も渋々、顧客対応などの準備を急いでいる。そんな中でポイント還元という新たな負担要因が突如現れ、反感を増幅させた。
 「この政策、ちょっとおかしいよ。なぜ現場の声を聞かずに強行するんだ」。業界筋は憤りを隠さない。詳細な制度設計はこれからだが、強引に事を進めれば混乱と不満の拡大は必至。夏の参院選もにらみ拙速に実施を決めた政府・与党の責任も問われそうだ。

https://www.jiji.com/jc/article?g=eco&k=2019020300279

これは2018年のニュースではない。2019年の2月になってもまだ設計さえ始まっていない。クレジットカードの中の仕組みがどうなっているのかはよくわからないが、クレジットカード会社は総額さえわかればそれを銀行に引き当てて小売に渡してやればいい。ラベルは必要なので「何を買いましたよ」という名札はついているが、それをシステム的に「これは食品だ」など識別する仕組みにはなっていない。だからポイント還元の仕組みを作るということはクレジットカードシステム全体を基礎から再編することになるということを意味している。クレジットカード会社が「顧客が何を買ったか」を管理しなければならなくなり、そのためには小売店がいちいちそれをクレジットカード会社に報告しなければならなくなる。

例えば、顧客が「私は8%の食品を2000円分買ったはずだ」とクレームを入れてくるとする。それを処理するのは、小売店なのかそれともクレジットカード会社なのかという話になる。つまり、要件すら決まっていないのだ。

だが政府はそれを考えずに、産業界側でなんとかしてくれるだろうとして「投げて」しまったのだ。

前回まで何回か北方領土の話を観察した。安倍首相は「私が北方領土を取り戻す」ということを言っていたが専門家たちは「どう考えても無理なのだから何か秘策があるのだろう」と思ったはずだ。つまり、答えがあるから安倍首相はこう言っているのだろうと思った人が多かった。しかし、実際には答えなどなかった。安倍首相は「プーチン大統領が落とし所(答え)を用意して問題を出してくれている」と勝手に思い込んだだけだったのだろう。

日本人はこうして全体的になんとなく「誰かが答えを持っているだろう」と考えてふらふらと漂流を始めた。これまでの正解学習型の学校教育が暴走を始めていることを意味している。そして何かが起きた時我々はまたあの「想定外だった」という馴染みの言葉を聞くことになるだろう。

米国の日本単独占領と北方領土

最近、安倍首相の外交交渉は敗北だったとTwitter上で面白おかしく呟いている。気晴らしとして呟いてはいるのだがこれ実は嘘だ。実は日本は最初から北方領土を請求できないから外交的には敗北のしようがないのだ。なぜ請求できないかというと、日本は交渉の当事者ではなかったからである。




「南クリルは戦争の対価としてソ連に与えられた」というのは有名な話である。陰謀論でもなければ隠された歴史の真実でもない。

ソ連が土壇場になって日本に侵攻した時にその戦果として北海道の北半分を要求したという話がある。大前研一が2012年に書いているのだが、大前は、アメリカはこの時に南クリルを戦利品として与えて「お引取り願った」と書いている。

つまり、北方4島はソ連が侵略したのではなく、アメリカが“戦利品”としてソ連に与えたわけで、日本は4島を失った引き換えに北海道の南北分割を避けられたとも言える。これは当時のアメリカの公文書に残っている明確な事実だ。

https://www.news-postseven.com/archives/20120614_116147.html

最初から戦利品であって契約の当事者はソ連とアメリカである。だから日本には実質的な請求権がない。文句をいうなら(技術的にはヤルタ階段の密約部分の無効性を国際世論に訴えることになるのだろうが)アメリカに言うべきだという話は確か橋下徹さんもTwitterで呟いていたように思う。

ところがまた別の話がある。ソ連はブルガリアとルーマニアにあるウランと日本占領を天秤にかけたというのだ。つまり、戦後の処理をめぐっては終戦後も取引が続いていたということになる。こちらもあまり知られていないようだが、特に秘密と呼べるよなものではないらしい。

この1945年12月のモスクワ外相理事会では、ソ連のルーマニアおよびブルガリア支配を承認するという対価を払って、アメリカは日本の実質上の単独占領の権利を確保する。これは通常われわれ日本人は意識していないことであるが、戦後日本の再出発は東欧諸国のソ連による支配という犠牲の上に成り立っていたといえるのかもしれない

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09060710/?all=1

ソ連は当初日本への参戦を渋っていたが、原爆という最終カードがなかった時点ではアメリカも単独で日本を敗戦にまで持って行く自信がなかったのだろう。ヨーロッパでソ連が勢力を拡大するのを恐れたイギリスは躊躇したようだが、アメリカは勝手にソ連に「日本のどこかを与える」という約束をしてしまう。ソ連が望んだわけではなくアメリカが渡したのだ。そのあと原爆が完成しソ連が日本本土に侵攻することはなかった。タイミングとしてはギリギリのタイミングであり、どっちの犠牲がよかったかと考えることすらはばかられる。戦争というのは本当に恐ろしい。

結果的に国後・択捉・歯舞・色丹を切り捨てることでアメリカの単独占領が実現したことになるし、広島・長崎がなく膠着していればもっと広い範囲がソ連に渡っていたかもしれないということにもなる。それは沖縄が捨て石になったことでも明らかで、軍部が終戦を渋っていたら北海道で沖縄陸戦と同じような悲劇が起きていた可能性があるということになる。

現在の日本の平和と統一的な一億人超の市場はこうした犠牲の上に成り立っている。いずれにせよ、ソ連とアメリカの間の取引によって日本はアメリカの縄張りになった。そのあと、東京上空を占領し、沖縄にも大きな軍事的足がかりを作り、日本全国に自由に基地が作れる「契約」を結び、さらにはアメリカ軍が何をやっても日本が取り締まれないという体制も整えた。日本の政権は「アメリカに刃向かったら東京の西側の空域から何をされてもコントロールできない」と常に銃を突きつけられていることになる。

自民党の政治家はこのことをよく知っているはずである。特に安倍晋三の祖父である岸信介はアメリカの温情によって戦犯指定を解除されそのあとも対米交渉を長くやっていた当事者でありこれを知らなかったはずはない。にもかかわらず、自民党政権は国内向けの説明として「北方領土は固有の領土」と言い続けていた。これは国内向けの嘘である。

国会で安倍首相が「固有の領土」と言えなくなったことから想像すると、ロシアは日本が「北方領土は日本の固有領土だ」という日本の主張を取り下げて、南クリルのロシアの主権を認めれば、2島返還(ロシアが温情で返還する)なり優先的な利用権を与えても良いとほのめかされたのだろう。これは沖縄や小笠原が返還されたのと同じ理屈である。つまり、彼が託されたミッションはロシアの説得ではなく日本国内世論の説得だったのだ。

安倍首相の仕事は日本の世論を説得することなのだが、これが面白くない野党は(知ってかしらずか)「これまでの主張を取り下げることは外交敗北である」というイメージを先に作り上げてしまった。だから「負けを認めたくない」安倍政権は何もできなくなり失敗が確定した。

実際にはこれが「安倍政権の外交敗北」の正体でなのであり、実は国内問題なのだ。安倍首相は国内世論の取りまとめに着手することすらできず敗北が確定してしまったということになる。憲法議論は自民党地方政策立案組の不満と反乱によってほぼ潰されたと考えて良いが、北方領土交渉でも、国内世論をまとめることはおろか説得に着手することすらできずに終わってしまったと考えるのが妥当ではないだろうか。