トランプ大統領が生み出した不安が世界に拡大している

日本のニュースは当然ながら台風19号の被害一色になっているのだが、アメリカのABCニュースは時間を割いてシリアの事情について扱っていた。




アメリカはクルド人を支援してきたのだがトランプ大統領が軍隊を一部撤収してしまった。バランスが崩れ虐殺や爆撃が起きているという。トルコはシリアを助けテロリストを殲滅するために侵攻したことになっていたはずなのだが、シリア政府はクルド人を支援し始めた。建前が完全に消滅しているが国際社会は非難はするが結局は何もしない。しないというよりそんな余裕がないのかもしれない。

民間人が犠牲になったという報道があり、例によって犠牲になった子供の映像なども流されてる。トランプ大統領のために子供が死んでいるという図式である。そのあとにトランプ大統領が身勝手なTweetを繰り返すという反発を生みやすい状態になっている。

そのあとに流されるのが弾劾プロセスの話である。ウクライナへの軍事支援をディールとして利用して選挙に有利になるような取り計らいをしてもらったという疑惑だ。やはりこの二つを結びつけてしまうので、シリア撤退も経済絡みなのだろうと結論付ける人も多いだろう。結局は内政の対立に利用されてしまうのである。

対立や宣伝が激化するのはトランプ大統領の支持率はそれほど下がっていないからだ。この辺りは安倍政権の岩盤支持がなくならないのに似ている。アメリカでは支持しない人のほうが多数派なのだが、岩盤支持層が40%以上もいてそこから下がらない。こうした岩盤支持層が何を望んでいるのかはわからない。外国への支援が「自分たちの取り分が取られている」という被害者意識になっているのかもしれない。

トランプ大統領は原因ではなくこうした気分の結果である可能性が高い。共産主義が消えてしまった今、アメリカは世界の警察官であるべき理由を見つけられなくなっている。かといって撤退してしまうと世界各地に混乱を引き起こしかねない。また軍事産業が巨大化しており戦争がやめられない。確かにアメリカは世界情勢に必要以上にコミットしており、実際には撤退したほうが良いのではないかと思える。問題なのは撤退ではなく中途半端な関与なのだろう。

生の情報に接する限り、我々がアメリカに依存するリスクは増えていてる。

第一のリスクはアメリカ撤退することによって一夜にして安全保障環境が変わることである。トランプ大統領のその日の機嫌によって政策は変わるだろう。記者とのやりとりに腹を立てて夜中に決めたことが日本に大問題を起こす可能性があり事前2予想できない。本土が脅かされることはないのかもしれないが、沖縄・北海道などの周辺地域には極度に不安定化するだろう。すでに朝鮮民主主義人民共和国籍と見られる漁船が日本海に進出してきている。アメリカの動向を見ないと対北朝鮮政策が決められないので日本は黙って大和堆を明渡すしかない。日本海は安全保証問題の最前線になっている。

保守を自称する人たちの中には「憲法第9条を改正して北朝鮮を攻撃すべきだ」と夢想する人もいる。護憲派をやっつける想像は気持ちがいいかもしれないが、それ以上の意味合いはない。当たり前のことだが武力で気に入らない政権を制圧することなどできないからだ。

次に逆にトランプ大統領のディールに付き合わされてしまう可能性もある。日米貿易協定がどうなったのか結局よくわからないのだが、中国とは一部妥協したとも伝えられている。つまりトランプ大統領の気まぐれに付き合わされている。経済だけではなく安全保障面でも気まぐれに付き合わされるか、逆に気まぐれに付き合わないように遠巻きになり何も決められないという状態が最悪あと5年も続くことになるだろう。

新興国情勢は自由貿易に依存する日本の経済に影響を与えるだろう。その原因は新興国ではなくアメリカの利上げなのだが一度危機が起これば元々の原因など誰も気にしなくなるだろう。トルコの経済はそもそも不安定になっており、その不安を背景にエルドアン大統領がシリア攻撃に踏み切った可能性も高い。しかし、そのシリア攻撃が経済制裁につながりトルコ経済を破壊する。ロイターはエルドアン大統領の軍事行動によってトルコ経済の軟着陸が難しくなったと伝えている。つまりトルコ経済はどのみちなんらかの形で不況入りする可能性が高くハードランディングの可能性も高まっている。新興国で危機が起きると資金の引き上げが起こりそれが周辺経済に波及する。軍事的な第三次世界大戦は起こらないかもしれないのだが、代わりに連鎖不況が起こる。

最後にトランプ大統領はアメリカ以外の武器使用国を見つけようと懸命になっているという問題がある。アメリカ政府は軍事費を削減しメキシコへの壁の建設に充てたい。すると武器業界が困るのでトランプ大統領は別の国に武器をセールスすることになる。必要かどうかは関係ない。とにかく買えというわけだ。消費税が上がっていることもあり「あの武器を買わなければあれができたのに」と指摘する記事も増えるだろう。これは日本の納税者に直接関わってくる問題である。

そんな中、日本は高齢者が多くなり「とにかく今動いているものはもう変えないでほしい」という気分になっている。このため日米同盟にしがみつかざるをえない。不安なものは見たくないので日本ではアメリカの国内ニュースが一切流れなくなった。世界の動向に注目しなくなった日本人は今後「想定外」の不安にさらされ続けることになるだろう。変えないツケを支払うのは多分将来世代だ。

与党は自分たちの対米追従政策を正当化し続け、野党も「与党の失策」ばかりを追求する。そんな中基本的な政策を見直すべきなのではないかという声は不安にかき消されてしまうのである。

台風19号の不安と止められない社会

台風19号が過ぎ去って被害状況が見えてきた。長野県から関東地方を挟んで岩手県あたりまで大規模河川の決壊と浸水が相次いだようだ。教科書で習ったような大河川が軒並み被害を受けた。21の河川が氾濫したという。そんな台風だった。




しかしよく聞いてみると「最近は氾濫したことがない」だけで実際には氾濫の履歴はあったようだ。つまり日本の治水というのは被害の先延ばしになっているということがわかる。大きな堤防を作れば数十年間被害を食い止めることができるが、その分一度被害が出るとその影響は甚大なものになる。そもそも川の土砂が作った土地(沖積平野)の上に住んでいるのだから当然のことなのだ。かつての日本人は沖積平野沿いの谷筋に家を持っていた。古い集落は今でも高台に建っているはずである。

だが、高度経済成長期にそのことを忘れてしまった日本人は、Twitterで民主党の政策が悪かったなどと言い合っている。かつての治水の歴史を日本人は忘れてしまったのだろう。どこから来たのかということに興味を持たず他者への罵倒に走る人たちが保守を自認している。

またコミュニティも大きく損なわれていることがわかった。マスメディアや国と一人ひとりの間を取り持つ存在が消失しかけている。

現在の保守・中道政権は過疎地域対策に興味はあっても都市コミュニティの構築にはほとんど興味がない。彼らは古いものも守れないし新しいものが作れない。こうしてできたのが砂つぶのような社会である。

概念的なことはさておき、予算制約は深刻な問題を引き起こしている。千葉県ではヘリコプターを持っておらず千葉県の自治体にもヘリコプターを持っているところがほとんどないということだ。千葉市は二機持っていて、一機は市内の様子を把握するのに使われ、一機は福島県に貸し出したそうである。

また香取市の氾濫対策に千葉市が入るという話もあったそうだ。のちに自衛隊が入ることになり収まったようだが地域によってはかなり人手不足が顕在化しているところがあるようだ。

国は権限と予算を手放したがらず、したがって地方自治体も広域連携や災害対策は国の仕事だろうと思ってしまう。間がすっぽりと抜けてしまっているのだ。

江戸川区では「区内全域が避難対象になった」そうだがどこに逃げていいかわからないという人もいたようだ。それについて呟いた人が逆に「なぜ普段から準備していないのだ」などと叱られているTweetが流れていた。日本人は不安を共有できない。不安を共有すると弱者とみなされ逆に「準備が足りない」とか「意識が低い」などと叱責されかねない。コミュニティはすぐには作れないし、いったん壊れてしまうとこのようなことが起こる。助けを求めた人に将来助けが必要になるかもしれない人が「マウンティング」をかけてしまうのである。これがリーダーや統治者のいない社会の実情である。

調整は効かないがなんとなく動いている社会では「目の前の問題は無視しろ」という圧力の他に「とにかく今動いているものを止めるな」という圧力がかかる。そしてその圧力を受けるのは人が足りなくなっている現場である。運送・配送の現場でもかなり悲惨なことが起きているようだ。

JRは電車を止めて無理に通勤者が出てこないようにした。前回台風15号の時には一部が止まったために「行けるところまで行こう」とした人たちが津田沼駅で何キロにも及ぶ列を作ったりしたからだろう。今回、確かに鉄道では混乱は起きなかった。

ただ「自己責任」にすると必死で職場に到達しようという人がたちが出てくる。自分たちの手で自分たちのオペレーションが止められないのである。

Twitterでは「帰りの電車が見つからないなら働いた後に適当に泊るところを探せ」というような配送現場がでているというような話が出ていた。真偽はわからないがありそうな話ではある。

お店に品物がないことにも耐えられなくなっている。コンビニではずぶ濡れで品物を運んで物流を支えた人たちもいたようだし、トラックドライバーを休ませるなという話もあったそうだ。こうした話がちらほらとTwitterで流れてくる。どうにかならないものかと思う。

全体として「止まったら死んでしまう」というような強迫観念にとらわれているという印象を持った。日本は補給が十分でないインパール作戦を戦っているのだが、一体何と戦っているのか、誰の指示で戦っているのかがわかららない。だからとにかく戦い続ける。多分疲弊した人たちから徐々に消えてゆくだろう。政治はそこにあるがすでに不在になっているのだろう。そしてそのことに誰も憤らなくなってしまっている。

今回も日本には自然災害が多く「何かあったらオペレーションを止めざるをえないほどの被害が出る」ということを学んだ。だから何かあったらオペレーションを止めて「復興に全力をあげましょう」といリーダーか統治者が必要なのである。日本人はこれまでもそうしてきたし、これからもそうせざるをえない。

だが、どこから来たのかどこへ行くのかを全く気にしない「自称保守とやら」からはそんな話は聞こえてこなかった。これが我々を不安にさせている。

不安を言い出せない社会と拡散するデマ

先日スーパーでパンがなくなったという話を書いた。不安な人が多いんだろうなあと思ったのだがQuoraやTwitterでは未曾有の台風なのだから備えて当然だというコメントをいくつか頂いた。もちろん備えるのは悪いことではない。




しかし、別の店にはまだパンがあった。多分テレビで情報を見て心配になり、買いに行ったら実際に品薄になっていた。そこで心配になり余剰の購買につながったのだろう。つまり今回強調したいのは備えることの是非ではなく、その行動が合理的かどうかである。合理的でないとしたらなぜそうなるのかということだ。

台風19号に備えてパンがなくなったスーパー

まずなぜそうなるのかという点から考える。今回は「身近に危険が迫っている」というメッセージがあった。さらに過去に南房総の住人がひどい目にあっているという情報も流れてきた。ところがソリューションを提供する人がおらず(マスコミは情報を流すだけなので地域コミュニティがなんとかすべきだった)解決策が見つからない状況になっていた。すると人々は過剰反応覚悟で備えるしかなくなる。

単純に言えば「地域コミュニティの不在」が招いた事態といえる。マスコミは情報を伝えてはくれるがコミュニティまでは作ってくれない。そんな中で砂つぶのようになった人々が情報を受け取るとこうなるのだ。

砂の粘度が現れているのがコミュニケーションの不在である。

今回見ていて「だれも何も言わない」ことがとても気になった。高齢者が棚をぐるぐると回っている。歩いてもパンは見つからない。とはいえ騒ぐ人もいない。なぜならば災害はまだ起きていないからである。つまり「未然の状態」なのだ。

高齢者が何も言わないのは彼らが戦後の混乱期という自己責任社会に育ち、今まただれも頼れないという時代を生きているからだろうと思う。加えて未然の状態であり目の前に明白な危機がない。漠然とした不安を抱えると人は合理的でない行動を取る。

彼らは「迷惑をかければコミュニティから排除されて捨てられる」という社会を生きてきた。だからよく「迷惑はかけられない」という。中には電車に乗って席を譲られると逆に怒り出す人がいる。彼らにとって迷惑をかける人というのはすなわち社会の厄介者であり無価値な存在だということになるのだろう。助けが必要な人ほど引きこもってしまうのだが、普段はそれが目に見えない。

と同時にそれは彼らが「役に立たない存在」向けてきた刃でもある。今でも、電車に乳母車と一緒に乗ってくる人たちに向けられる「迷惑だから家にいればいいのに」という暗黙の視線である。これは、現在の少子化につながっている。個人が自己責任の殻に引きこもっているが故に協力して全体最適を目指すということができないのだ。

ところが黙っているのは彼らだけではなかった。お店の人たちも何も言わない。話題を振ってみたが凍りついた笑顔で対応されただけだった。こちらは別の理由が考えられる。彼らはパートで発注権限がない。このために物資がなくても何もできない。多分そういう気持ちがあって目の前の問題を見てみぬふりをしてきたのだろう。この地域は一週間電気が止まっており恒常的に品薄が続いていた。そのときも何もしなかったしできなかったのだろう。現場からの声がなければ発注側は異常に気がつかない。

今回の台風被害ではあらかじめ想定されていた風害と停電に対しての初動は早かった。役所がフォーメーションを組んでおけるからだ。しかし今後予期せぬ洪水に対してどう対処したかが検証されることになるだろう。今の役所には権限がない。このため事前に決めておいた通りにしか動けない。日本社会の雇用環境が硬直化しておりリーダーが権限を握りしめているために柔軟に動けない。

高齢者は声を上げず現場もなにもできない。こうなると、全体が沈黙を守ることだけがパニックを防いでいるという状態になる。不安は封じ込めるしかない。すると当事者たちは自己防衛的な気分を強めてゆく。今回は局地的な品薄という問題だった。多分貯蓄を抱え込んで使わないというのも同じ気分に由来するのではないかと思われる。だが、社会がない以上そうするしかないのだ。我々が見ているのはかつて我々が作ってきた社会の廃墟であってその中身は多分かなり荒れ果てている。

沈黙が問題を解決しないのは明らかである。問題が解決しないのだから不安はいつまでもなくならずさらに全体的にみると合理的でない行動が繰り返される。多分、必要なのは「パンがなくて大変ですねえ」と笑ってみせることだ。だがそれをやろうという人は誰もいなかった。

この裏返しとして台風19号は未曾有の大きさの台風であり地球最大のカテゴリー6クラスであるというデマまで飛んだ。江戸川区が浸水して1週間は帰れないだろうと断言する人たちもいた。解消できない不安は匿名の情報空間に反動的な情報を拡散させる。実際に台風19号は広い範囲で浸水被害を起こしている。だから、Twitterには信頼できる情報だけを流すべきだ。それでも、不安の中で人はありもしない情報を拡散させ、またそれを信じてしまう人が出てくるのである。

世間から浮遊する国会と漠然とした不安を抱える高齢者

国会論戦を見ていたのだがついに音を切ってしまった。フォローするニュースが多すぎるからである。台風19号も接近している。そんな中、野党は「政権のあれが気に入らない、これが嫌だ」といい続けている。




アメリカはもう無茶苦茶になっていて、ついにはトランプ大統領のTwitterのつぶやきがトルコで死者を生んだ。背景にあるのは大統領弾劾でその背景にあるのは大統領選挙である。イギリスの曖昧な約束は民主主義を知らない香港で騒乱を引き起こした。さらに北アイルランドを中心に来月どうなっているかわからないという事態になっているそうだ。元はと言えば保守党が労働党や第三勢力から票を奪おうとしたのがきっかけになっている。

こうした問題は「ある一点」に突き当る。誰が最終的に国の方向性を決めて責任を取るかという問題である。民主主義が徹底している国であっても「主権者としての国民」などという核はない。まとまりがなくなると民主主義は機能しなくなる。特に勢力が拮抗した場合は危険である。政権を取った側が報復しまた報復の報復が起こる。韓国がそうだしアメリカものそのような状態になりつつある。二大政党制を議会にとどめておくというのは実はこうした争いを防ぐ効果があるのかもしれないと思う。

一方で、主権を曖昧にしている国(イギリスなど)は隙間で問題が発生する。Brexitの問題も誰が最終的に責任をとるのかが曖昧になったことから起きている。意思決定したのは国民だが国民は嘘の情報に踊らされた上に最終的な主権者ではない。とはいえイギリス女王が離脱を決めたわけでないし、主権者の一部である議会は意見がまとまらない。

イギリス型の問題は戦前の日本にもあった。日本は議会がまとまらないままで軍隊が天皇の意思を「勝手に代理」しはじめて暴走した末に止まった。イギリスは単にそれが戦争ではないだけだ。歴史的に磨かれた装置でも起きる時には問題が起きるし、イギリスがこれをどう解決するかはわからない。

では最初から主権などという欠陥だらけのものをおかなければいいのではないかという気になってくる。中国がそうなっている。中国は少数者が「みんなに良かれと思った」ことを「やってあげる」という国だ。だから「みんなから外れた少数者は容赦なく迫害される。さらに国民は主権について考えないので「結果が悪い」とだけいうだろう。多分、中華人民共和国や香港は経済が成長しなくなった段階で治安が維持できなくなる。つまり「みんな」が消えた時点で政治が成立しなくなるのが中国のやり方なのだ。

実際には国会でも国際状況の変化の議論は行われている。前原誠司議員が安倍首相に保守とはなんぞやとお説教をしたりしているのを見た。だが、前原さんは足元の野党側さえまとめ切れていないので単なる残念な人になっている。彼に人望があれば野党はまとまっていたはずである。

一方で、日本の有権者はこうした枠組みの問題には興味がなさそうである。国にはお金があり毎月2兆円ずつ入ってくるそうだが、政府にはお金がなく消費者にもお金が回らない。

大企業だけが逃げているわけではなく中小企業も6割しか税金を払っていないそうだ。税金を払うのが惜しいからといって子供や奥さんを従業員にして家族に給料を払うという「節税」もまかり通っているそうだ。法人税は下がり続け消費税に転化されてゆく。消費税は節税対策ができないので「取りやすい」という事情もあるのだろうし、与野党ともに支持者に税金を負担してくれとは言えないのだろう。

表面的には誰も政治に文句は言わない。だがやはり不安を感じているのだなあと思う出来事があった。

台風19号がくるというので昼間にスーパーに行ったらパンがなくなっていた。ホームセンターでは養生テープやポリタンクなどもなくなっていたそうだ。いざとなったら備えをしなければならない。一見あたりまえに思える。

だが数分歩いてコンビニに行くと品物はたくさんあった。スーパーで品薄になっているのを見て危機感を感じた人たちが買い占めたのだろう。ホームセンターでも「ない」となると不安になり別のホームセンターにわざわざ買いにゆく人が出てくる。「誰も助けてくれない」上に「誰も教えてくれない」という不安があることになる。

棚の周りをくるくると回っている高齢者はいた。だが誰も「何も問題はない」というような表情をしていた。目の前に起きているのは異常な事態なのだが動揺しているとは悟られたくないのだ。自分が出遅れて慌てているところを見られたら「先を見越した賢い」人に笑われる。そうした思いがあるのかもしれない。つまり、誰も助けてくれない氏教えてくれないのではない。何も言い出せない人が多いことになる。お互いに不安を募らせるが日本人は協力ができない。

近所で話を聞くと昨日もパンは午後に売り切れていたそうだ。確かに、未曾有の台風が来るからという警告は出ているので備えたい気持ちはわかる。だが、コンビニにはまだ食料があるのだから「それほど慌てなくても大丈夫だ」ということはわかるはずだ。

背景にあるのは台風15号の接近で困窮する人たちを行政が助けてくれなかったというニュースだ。これを見ていて不安になった人は多いのだろう。実際に千葉県・千葉市の書道も遅かったし、今回も電話したら現場レベルでは「必要になったら考える」それほどの危機感は持っていないようだった。行政はあてにできない。

特に高齢世代は戦後政府が機能していなかった時代を知っているのでいざという時に政府は何もしてくれないということを知っている。だから声も上げないが実際には過剰な預貯金などもしているに違いない。それは個人だけでなく中小企業の経営者も同じ気持ちなのだろう。

いざという時には誰も助けてくれないという確固たる気持ちがあるのだから、お金もモノも回らない。危機感が強まれば停滞も強まるが誰も何も言わない。黙ってパニックになる。この静かなパニックが徐々に進行したのが平成期の日本だったのかもしれない。

国際情勢にも対応できず、かといって国民の潜在的な不安も理解できない。野党はそんな中、誰かが振り向いてくれるのを待ちながら政府の不始末を追求し続ける。だから「そんな話は聞かなくてもいいや」と思ってしまうのだ。

Twitter越しの戦争

トランプ大統領がシリアからの撤退を決めた。アメリカはシリアでクルド人を支援していた。これが無駄だというのがトランプ大統領の見込みだったのだろう。第二次世界大戦でアメリカを助けてくれなかったと無茶苦茶な説明をしたそうだ。




共和党は撤退に強硬に反対した人たちが多かったがトランプ大統領は耳を貸さなかった。そして、対策としてTwitterで脅しをかけた。トルコに「シリアに手を出したら経済が大変なことになるぞ」と脅したのだ。口先介入である。

慌てた米軍関係者はコメントを出した。

トランプ氏による突然のシリア撤退発表を受け、米国防総省や米国務省高官も、トルコによる軍事作戦を承認しないと表明した。国防総省のジョナサン・ホフマン報道官は声明で、「国防総省は、トルコに対しはっきり申し上げる。我々は大統領が発表した、シリア北部へのトルコによる軍事行動を支持しない」と述べた。

シリア北東部から撤退表明のトランプ氏、トルコをけん制 経済を「破壊する」と

もちろんTwitterによる脅しが効果的なはずはない。アメリカが割れていることをTwitter越しで知ったエルドアン大統領はTwitter越しに「シリアへの攻撃を命令した」というメッセージを出した。トルコ語なのだがGoogle翻訳すると攻撃を宣言している。Twitterによる戦争の布告とさえ見える。

もちろん、他国への侵略は許可されていないのだが、エルドアン大統領は国連で決議済みの内乱鎮圧をしているだけだと言っている。ただしエルドアン大統領が言っているテロ組織とはISではなくトルコ国内でも独立を狙っているクルド人のことである。

トランプ大統領の口先の説明とは異なり、国際社会はトランプ大統領はクルド人を見捨てたと考えているようだ。戦費を削減して浮いたお金をメキシコ国境への壁に使えれば選挙ではいい顔ができる。ただ、その裏では多くの犠牲者が出るだろうことは誰でも予想できた。

我々が考えているTwitter戦争というのはせいぜい単なる罵り合いだがここでは違っていた。早速地上戦の結果、民間人を含む15名の死者が出たそうだ。これからも出続けるかもしれない。Twitterのつぶやきで死者が出たのである。

アメリカではこの話は内政と結びつけられている。BBCは「上院共和党を味方につけておかないと」と言っているがこれは大統領弾劾を踏まえた感想だろう。大統領が周囲が止めるのを聞かずに死者が出たとなれば共和党は大統領をかばえなくなる。米軍関係者の死者が出ればおそらく単なる非難では済まなくなるだろう。

アメリカの有権者(特にトランプ大統領の支持者たち)は国内問題に夢中になっていて国際情勢や米軍の果たす役割について全く考慮していない。これは大変恐ろしく間違ったことなのだが、現実的にはそうなっている。アメリカに防衛を依存する日本もそろそろこの問題について真剣に考えたほうがいい。

トランプ大統領は同盟国はアメリカに付け込んでいると考えているようである。同盟国という意味では日本も例外ではあるまい。そもそも日本はかつてアメリカを助けるどころか敵国だったのである。

みんなとは誰か – 香港騒乱と憲法改正問題

香港の騒乱について議論をした。当初、香港は中国に返還された。香港には中国人が多いのだから当然主権は香港人のものになったのだろうと考えた。ところが、これが違っているという指摘があった。香港の基本法によると香港には主権はないというのだ。だが、後から香港は中国に代表を送っているともいう。訳がわからないと思った。




その鍵は中国の憲法にある。「中国国家制度の枠組み」という文章によると、中国は人民独裁国家という仕組みをとっているそうだ。主権・民主主義という概念が特殊なのである。

この文章によると人民が政治権力を独占するという人民独裁制という体制をとっているという。中国は無産階級独裁を目指したが民族資本家を取り込む必要があり無参加階級である。この体制に異議を申し立てる人は人民から排除されても構わないということになっているのだという。つまり人民はPEOPLEの訳語ではない。要するにみんなに逆らう人はみんなからはじかれるということになっている。

この考え方は極めて東洋的である。西洋人ならば権力者という個人が他の個人から人権を奪うと捉える。だが、中国には集団的な人民という階級がいて彼らが内輪で話し合って何が受け入れられるかを決めるのだということになる。

香港が中華人民共和国に復帰する時、中国の体制に親和的な無産階級であれば「我々の手に戻った」と喜んでもよかったことになる。ところがこれを強調しすぎると香港から資産家階級が逃げ出してしまうので(実際に今回そういう動きが起きているそうである)この辺りを曖昧にして復帰したのだろう。「主権」という言葉の揺れが社会インフラの破壊にまでつながったという意味では恐ろしいことだなと思うが、資産家はいずれは国をでなければならなかった。

このような話を書くと「ああ、やはり中国は恐ろしい国だ」と思ってしまう。ところが実際にはそうではない。この「みんながいいと思っていることがいいことなのだ」という考え方は日本でも割とよく見られる。

公明党が「中道政治とは何か」という文章を出している。中道とはみんなが常識として持っている価値体系だそうだ。

そのどちらの側にも偏らず、この二者の立場や対立にとらわれることなく、理の通った議論を通じて、国民の常識に適った結論(正解)をさがし、創り出すことを基本とする考え方である。あえて、つづめて言えば、中道政治とは、「国民の常識に適った政治の決定」を行うことを基本とする考え方であると言っても良い。

中道政治とは何か(上)

この背後に宗教団体がいることを知っているので違和感を感じるが「自分は常識的な人間で偏りがない」ということ自体は日本ではよく聞かれる意見だ。このため朝日新聞は偏っているとか産経新聞は偏っているという人がおり「自分は偏りがない中道な意見が読みたい」という人さえいる。ところが、その中道は何かと聞かれると「みんなの常識なのだ」というような言い方になり答えがない。

日本人は多分「この考え方は中国共産党的だ」というと怒ると思うのだが、実際には「みんなの正義が社会の正義であるがそれが何かは説明できない」というのは日本でもよく見られる議論である。最終的にはそれはみんなの正義だから個人では逆らえないなどという話になって終わる。

自民党の憲法草案も「みんなが選んだ議員が決めることが正しいのだから自分たちが何が公共かを決めることができる」という考え方で作られている。批判をする人は「みんなには入らない少数者はどうするのだ」というのだがその答えはない。自分は中道でみんなの意見と合致するのだから、当然何が間違っているかを判断する目を持っていると考えるのである。

この「みんなが正しい」という表現は東洋的な政治議論を読み解くカギになる。公明党のみんなというのは多分支持母体である創価学会の信奉する理念のことを意味するのだろうし、自民党のみんなというのは彼らの支持母体の一つである日本会議の価値観を含んでいるのだろう。これは中国のみんなが実質的に人民代表大会とそこで選出された代表者を意味するのに似ている。そのサークルに入っていると感じている人は安心感を覚え、そこに入っていないと感じる人たちからは猛烈に反対される。

日本の憲法改正議論が進まないのは小選挙区制を導入してしまったからだろう。当然二大政党に向かうのだが、日本の場合は政権交代が起きないので排除され続ける比較的大きなみんなに入れない人が存在し続けることになる。議会ですらみんなが作れないのだから国民が包摂できるはずはない。

案の定、安倍首相のいうみんなは「オトモダチ」と呼ばれるようになった。経済停滞期に入り「みんなを納得させるだけのアメ」が配れないのだ。外で見ているだけの人たちは当然それを攻撃するだろう。最近ではテコンドーの金原会長が「理事のみんなは賛成している」といって選手出身の理事と副会長と対立している。理事の一人は話が全く通じないので過呼吸を起こして倒れてしまったそうだ。テコンドーの協会は選手や国からお金を取ることしか頭になくオリンピックを目指す選手たちと利害が対立しているのであろう。

いずれにせよ衰退期の日本は「みんな」が作れない。経済的にみんなを抱き込めないからだ。

一方、人工的に「みんな」を作ってしまった中国は別の問題を抱える。つまり「みんなでない」と感じる人たちが出てくると彼らを理論上統治できなくなる。結局は経済的に満足感を与えておかなければならない。香港の場合はいずれ中国の一部になる。この時に香港のみんなが中国共産党を信任しないという状況になれば、彼らの統治の正当性が破壊されてしまう。

新疆で何が起こっているのかはわからないが、漢族支配の共産党を信じないウィグル人が大勢いるとしたらそれは不都合な存在として隠蔽されるだろう。ウィグル人のみんなが共産党を支持しているという図式が崩れてしまうからだ。チベットにも同じことが言える。中国がこれを隠せるのはチベットや新疆が奥まった地域にあるからだ。ところが香港は資本主義社会への窓口として西側に開かれておりそうした隠蔽はできない。

そうなると中国は香港人の不安(例えば住宅の不足など)を解消することでデモ勢力から「みんな」を引き剥がすることになるだろう。結局気持ちをつなぎ止めておけるのは経済的な成功だけでそれが止まれば中国は今の体制では多分維持ができなくなる。意思決定の失敗を受けとめるという意味での主権者がいないからである。

トランプ大統領終わりの始まり

トランプ大統領の弾劾の可能性が少しづつではあるが高まっている。これまで弾劾された大統領はいないのだが、最初から規格外の大統領だったため終わりも規格外になるかもしれない。




まず今回の弾劾審議ついておさらいする。アメリカでは上院と下院に弾劾審査権限がある。権限は極めて強いのだが証明も極めて難しい。このため今まで実際に弾劾された大統領はいない。今回問題なったのはウクライナ大統領との会話だった。バイデン民主党大統領候補に不利な情報調査を依頼した疑惑が持たれているのである。大統領は電話の内容を一部公表し、実際にそのような会話が行われていたところまではわかっている。だが電話の内容はそれだけではないようだ。さらに電話の内容をシステムから削除したのではないかという疑惑も持たれている。この「隠蔽」はウォーターゲート事件を思わせ、大統領選挙には不利に働くだろう。

ダイヤモンドオンランで見つけた記事によると、下院が検察のような役割を果たし、上院が裁判所になるということのようだ。

米国の憲法には、「反逆罪、収賄罪、その他重大な罪、または軽罪」をおかした大統領を弾劾できる規定がある。下院議員の過半数の賛成で弾劾訴追され、上院で開かれる弾劾裁判で3分の2以上の賛成があれば、大統領は罷免される。

トランプ大統領を辞任に追い込める、意外な「弾劾の抜け道」とは

これまで証言者(英語ではホイッスルブローワーと呼ばれているようだ)が又聞きの一人だったのだが、今回の二人目のホイッスルブローワーは一時証拠を持っているようだとBBCが伝えている。

さらに共和党が多数を占める上院でも「弾劾裁判入りやむなし」という声が出ているそうだ。下院は民主党優位なので弾劾が要求される可能性が高い。ここで上院がそれを差し止めてしまえば社会の非難が上院に向かいかねない。このため上院でも弾劾審議は行われているだろうと言われている。さらにトランプ大統領はシリアからの撤退を決めた。これが問題になっていて共和党の一部の議員がとても怒っている。

ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領がシリア北部の要衝地域からの米軍の撤退を決めたことを受け、トランプ氏を強く擁護してきた議員らを含む共和党の重鎮らが7日、怒りをあらわに大統領を批判し、同盟勢力であるクルド人を見捨てる決定だと警告した。

米共和党、トランプ氏に猛反発 シリア撤退決定で

世論がトランプ大統領に味方しないのは反省する兆候が見られないからである。あろうことか中国もバイデンさんを調査したほうがいいのではないか?と言っている。

国民主権とは恐ろしいものだなと思う。「国民が選んだ」というのが錦の御旗になっていてそれ以上の歯止めがない。拮抗した権力構造が二つできると非難合戦が始まり、行き過ぎると韓国のように司法や検察を巻き込んだ戦いになる。

韓国ではこうした対立が定常化しており、政策論争ではない感情的な争いが続いている。もともと民衆弾圧が抑えられなくなり始まった韓国の民主選挙は軍部の台頭を抑え込むことができるようになったが検察権力が排除できなかった。このため大統領は大抵悲惨な最後を迎える。

革新系の盧泰愚大統領は最終的に自殺に追い込まれている。当時の記事を今読むと側近だった文在寅元民政主席(当時)の恨が感じられる。このまま検察権力が温存されれば文在寅大統領も同じような末路をたどるかもしれないのだが、それでも改革を成し遂げなければならないと考えているようだ。

我々はこれを韓国の失敗だと思っていたのだが、実はありふれた民主主義の失敗なのかもしれない。つまり、アメリカでも共和党側の大統領が弾劾により追放されれば、今度は共和党側が民主党大統領や候補者に司法を使って同じ仕返しをするかもしれないのである。

トランプ大統領はかなり追い込まれているようで、フィンランドの大統領の目の前で記者を罵倒してその場から立ち去ったり安倍首相は39歳だといってゲラゲラ笑ったりしている。

そう考えると二大政党制というのは戦争一歩手前の極めて危険な状況の別名だった可能性がある。物事を曖昧に済ませる傾向があり、それによってトラブルを避けてきた日本人がなぜこのような危ない体制に憧れを持って選挙制度を変えたのかという疑問まで持ってしまった。

いずれにせよ日本人は選挙で選ばれた政治家が全てを変えられるということは信じていない。このため二大政党制の元でもこうした極端な対立が起こらないのだろう。今回の代表質問もどこか生ぬるくやる気のなさが感じられたのだが、アメリカや韓国を見ているとこのダラダラ感にもメリットはあるのかもしれないと思ってしまう。

民主主義にはある種の激しさがある。

価値観を共有する国 – 安倍首相の憲法改正議論はなぜ人々を不安に陥れるのか

一同合掌。今回は安倍首相の会見議論がなぜあなたを不安に陥れるのかを考えます。この一文を見て「私は不安になどならない!」と叫んだあなたのための文章です。また、安倍改憲など絶対に絶対に認められないと思っている人も読んでいってください。では始めます。合掌。




最初に解題してしまうと「価値観を共有する国」というのは西側国家の安倍首相流の言い換えだ。これを価値観外交というそうだが好きな国と嫌いな国を主観で分けたいということである。アメリカの新保守の人たちの理論を我田引水して心情を載せたという意味では伝統的な手法である。

安倍首相にいわせると価値観とは「基本的人権と法治主義」の事だそうだが、例えば現在は民主主義国になったロシアは多分入っていない。さらに韓国をここから取り除くことが多いようだ。気に入らない国があると「あの国はあそこがダメ」と言って除外されてしまう。一方お気に入りの国で不都合なことが起きてもそれは無視される。一見不合理に見えるし嫌われるもとだとおもうのだが、支持している人も多いようだ。古い日本人のノスタルジーを刺激するのだろう。

日本はかつて東洋では唯一の資本主義陣営の国だった。ライバルがいなかったためヨーロッパやアメリカの工場として繁栄することができた。日本の経済成長が止まった時期は中国が経済成長を始める時期と重なっている。中国が市場経済に組み込まれたために特権的地位を失ってしまったのである。「中国に地位を取られた」と考えている人は多いのではないか。つまり日本人は喪失感を持っていることになる。

日本人は本音では中国や韓国を排除して欧米のにちやほやされていたいい時代を再現したい。だがそうは言えないので「価値観を共有する」などという持って回った言い方をしている。

ノスタルジーを建前で包んだ人たちを説得することはできない。だが、普通に考えるとインド・オーストラリア・アメリカで同盟を組んでも中国を経済市場から締め出すことはできないということはわかる。だから彼らの不安は解消されない。そもそも日本人(の一部)が勝手に考えた価値観は誰にも理解されない。アメリカもインドもオーストラリアも自分たちの興味関心のために動いている。

さらに、そもそも日本はそんなことをする必要はない。日本は債権国でありお金は充分に持っている。日本が閉塞感を感じているとすれば、それはお金が回っていないからである。日本人が解消すべき不安は実はそこにある。

もともとは「価値観は何か」ということから出発した問題なのだが、価値観が印象に起因するので、話がどんどん曖昧になってゆく。彼らが韓国は気に入らないと思えば除外される。そしてこの印象が国家観の基礎になっているので話を聞けば聞くほどわけがわからなくなり不安になってしまう。これが安倍首相が進める憲法改正議論が不安に思える原因だろう。

さらにここに「安倍は戦争をやりたがっている」という曖昧な議論が乗る。この戦争が何なのか誰に聞いてもわからないと思うのだが、わからないがゆえに感情的な反発になる。つまりこちらも「なんか戦争をやりたがっているんじゃないか」という印象論である。私はこう感じた、いやそうじゃないよという人たちがいつまでも言い合いをしているというのが日本の政治議論の根底にはある。喫緊の政治課題も多いということを考えると実に不思議な光景だ。

重要なのは主権者が「どういう体制の国に住みたいのか」ということなのだが、実は日本人には主権者意識はない。なんとなく天皇が元首だと思っていたり、行政府がなんとかしてくれるだろうと考えている。国民が主権者だという意識を持ったとしても、塊になった主権者などどこにもいないし、そもそもTwitterレベルでさえも政治議論はまとまらない。

こうした現状で国会が再開した。安倍首相は憲法改正議論がやりたいようだが、国内の政治状況を見ると小さな不具合が山積しており隠しきれなくなっている。立憲民主党の代表質問を聞いていたのだが統一された筋書きはなく「こういう不祥事があった」ということが繰り返されるのみだった。枝野代表の質問はあたかも遊びに行きたがっている子供に部屋を片付けなさいと叱る母親のようだった。枝野さんにも大局観はなさそうだが、かといって部屋を散らかし放題の「安倍晋三くん」を遊びに行かせたくない気持ちはわかる。

熱狂的な支持があれば憲法改正議論が進むはずだが主権者たちは冷めた視線で政治を眺めており議論が進展する兆しは見えない。抗議もしないが信任して消費を拡大するということもない。それでもなんとなくたいした混乱もなく国が進んで行く。日本は実に不思議な国だ。なんとなく進んではいるのだが、漠然とした不安を抱えている人も多いのではないかと思う。

政治の最前線はパソコンとスマホの中にあった

4月ごろからQuoraで政治系のスペースをやっているのだが、最近やたらと中国関連のポストが多くうんざりしていた。とにかくアジアの蔑視感情を持った人たちが政治ポストを荒らしたがるのだ。だが、考えてみるとこれが最前線なんだなあと思いちょっと見方が変わった。あまり人と交流するのは好きではないがこういうのもやってみると意外な発見があるものだ。




最近もっともうんざりしたのが「ウィグル虐殺などない」というポストである。中国系カナダ人が現地に行って調べてきたが、ウィグル人は平和に暮らしているから何の心配もいらないというのである。英語の元ポストをみたら「大手マスコミは嘘つきだ!」というコメントがたくさん付いていた。すべて中国系のファミリーネームである。わざわざこのように荒れることがわかっているポストする方もセンセーショナルな記事を掲出して露出を増やしたいんだろうなあと思う。

個人攻撃は禁止しているので「お前は嘘つきだ」というポストは付かないのだが、今度は黙って「中国はウィグルでこんなにひどいことをしている」というURLがシェアされた。ここで反応がないと絨毯爆撃的にシェアが増える。

後でわかったことだがこの人たちは承認欲求があるようだ。つまり自分たちが正義だと思っていることを披瀝して誰かに丁重に扱われたいのである。だから慇懃に接すると落ち着き「お前も反省したようだな」などといってくる。政治議論というよりみな「正義」について語りたいのだろう。Twitterにうんざりしている人は「承認欲求」が何か悪いことのように語られる日本社会でほとんど唯一の承認欲求の捌け口がSNSの政治議論になっているということを知っておいて損はないと思う。認めてもらいたい人は多いが人を認めようとする人は少ないという程度の話であるが、人間は誰でも認められたい。

こういうポストに腹がたつのは「政治系のポストは<中立>でないとみんなうんざりして読んでくれなくなる」と思ってしまうからである。イメージとしては池上彰式のドライな事実だけを「お店にきれいに」並べたいという感じである。承認欲求のために店を荒らす不良のお客さんに怒るのと同じ感覚だ。

だが、Twitterをみていてそういう気分が吹き飛んだ。香港に独自政府ができたというTweetが流れてきたからだ。もう「池上式」は無理なんだろうなあと思った。この変化は受け入れる必要がある。

これがどれほど確かなのかはわからないし、どう広がってゆくのか(あるいは行かないのか)もわからない。だが確実に言えるのは民意に影響を与えたいという人たちがいてそれぞれの宣伝活動に励んでいるという点である。

日本と大きく違っているのが彼らが「主権」をかけて宣伝活動をしているという点である。日本は国民主権ということになっているがおそらくそれを信じている人はそれほど多くない。誰かが何とかしてくれるとみんなが思っている。だから政治は承認欲求を満たすための道具にしかならない。だが主権者意識を持っている人たちにとってこの宣伝活動は「ガチ」だ。

我々はかつて東西冷戦というしっかりとした構造を生きていた。だから政府が作ってマスコミが「正しい」と考える情報を受け止めていればある程度のことはわかったのである。お客でも良かったのだ。あとは社会設計通りに生きていればそこそこの暮らしは保障されていた。SNSはまだなく2chなどは「感想を言い合う場所」でしかなかった。

ところが現在は状況が全く違っている。しっかりとした構造はなくなり民主主義が必ずしも絶対的な正義としては語られなくなっている。民主主義はたいていの社会では分断されており問題の解決ができなくなっている。その上で情報の流れが完全に逆になった。民意はまずSNSの上で作られそれが政治に影響を与え、最後にそれをマスコミがまとめるということになっている。

最初「荒れている」と思っていた両者がぶつかり合う世界は実は現在の正常であり何も嘆くことではなかったのだ。我々はただそれに慣れて行かなければならないし、その気になればいろいろなことが発見できるのだろうなあと思った。

ただその荒れ方の中身は見たほうがいいと思う。承認欲求のために荒れている人もいれば主権をかけてガチで争っている人もいるのだが表向きこの二つは同じ混乱にしか見えないからである。

緊急事態条項という香港最大の愚策

香港の行政府が覆面でデモをしていはいけないという条例を決めたそうだ。これを緊急事態条項を使って通したということが話題になっている。最悪だなと思った。




第6回で解説したように、香港返還時に発効したミニ憲法「香港特別行政区基本法(香港基本法)」には、英国統治時代の法体系を維持すると明記されている。英国政府が植民地経営のために香港に備え、かつては共産党勢力を一掃するために振るわれた刃が、今、中国共産党の影響下にある香港政府の手に渡って市民に振り下ろされようとしている。香港のデモ隊は、その順守を求める「一国二制度」で残された、今まで彼ら彼女らを守ってきた英国統治時代の法に裏切られようとしている。皮肉と言わずして何と言うべきか。

被弾高校生を起訴、事実上の戒厳令で覆面禁止法も – 香港2019(9)

この緊急事態条項は、もともとイギリスが植民地統治のために使っていた法律で、最後に使われたのは1967年に共産主義者を排除するためだったそうだ。その後使われなくなったのは香港が経済的に安定したからだろう。

ビジネスインサイダーによると香港の経済的価値は低下しているそうだが、今でも中国市場の中の英米法統治地域という利用価値がある。当然これは本土では代替できない。つまり、英米法に抜け穴がありなんでもできてしまうというのは香港の敗北宣言になる。一方で安心してビジネスができる環境でないということはまた別の意味で香港の利用価値を下げる。ビジネスインサイダーは中国の武力制圧はないだろうと見ているようだが、これも当然の話である。将来の統合を見据えて「住民の信任で統合された」ことにしたいはずだし、今の経済的価値も失いたくないはずだ。

この話はもともと、「中国に身柄を引き渡すことができる」逃亡犯条例を巡って始まったのだがみるみるうちに拡大した。背景には香港の若者が抱える将来不安があるとも言われる。「このまま昔のような繁栄から取り残され中国に飲み込まれてしまうのではないか」という懸念が背景にあるのだろう。これが共産党支配という政治体制の問題にすり替わっている。こうした不安を背景に7月には200万人が参加するデモもおきた。

ところが、ある時点から「デモには犯罪組織(この記事では三合会という名前が出てくる)が絡んでいる」とか「逆に警察側が入っているのでは」という噂が飛び交い始め、誰が敵で誰が味方なのかがわからなくなってゆく。

当局の最大の懸念はリーダーがいない点にあるとされている。おそらく天安門事件を知るTBSの報道特集は香港のデモに肩入れしているようだが「リーダーがいない」という点を強調していた。三合会というのは特定の組織の名前ではなく「暴力団」というようなカテゴリーの名前だと思う。つまりここにも特に組織性はない。ティッピングポイントを越えた政治的混乱に形はなくあとから証言から振り返るしかない。組織性のない運動は取り締まりも現状把握もできない。

軍隊のない香港で最前線に立つのは警察だ。彼らは行政府を代表して鎮圧に当たるのだが士気が低下しているという。日本の「おまわりさん」のように地域を守ることが彼らの誇りだったはずである。その警官の気持ちが今揺れているという。

現役のある警察幹部は、政治的な対立に解決が見えない現実の中で、香港の警察官およそ3万人の間で不安感がさらに高まっていると話す。「私たちは未知の領域に入っている」、「どこに向かっているのかは誰も知らない」と語る。

焦点:香港警察の士気低下、不人気な政府と怒る市民の板ばさみ

今回ご紹介しているのは主に7月の記事だがそのあともデモや暴動は収まらず、失明するほどの怪我をする人がでてきたり、ついに高校生が銃撃されるという事件が起きた。警察が民衆の敵になったということだ。さらにネットでは臨時政府が作られたという話まで出てきた。後追い報道がなく真偽のほどはわからない。

行政府は「緊急事態条項」で一線を越えた。行政府は議会に諮らずともなんでもできてしまうのだから、民主主義など最初からおままごとというか儀式にすぎないと宣言してしまったのである。

たしかに覆面をした人をすべて逮捕することはできるのだが、例えば100万人を逮捕しても収容はできないし、30000人の警察官をすべて動員しても捕まえることはできないだろう。逆に鎮圧ができてしまえば地下化する人たちもでてくるかもしれない。そうなるとますます区別が難しくなる上に行動も過激化するだろう。

いずれにせよ一番大きいのは「民主主義に対する決別宣言」を出してしまったという点だ。もともと統治能力がなかった行政府がパニックになって1922年の法律を取り出してきて拙速な判断をしてしまった。

何かあったときのために緊急事態条項を準備しておきたいという政治家は日本にもいるようだが、パニックの時に使われると後戻りできなくなるということがよくわかった。香港の統治者はもはや住民を常時監視して警察力で対応するしかない。あるいはハイテクな監視装置なども使われるのかもしれない。本土ではすでに銀行などで顔認識の仕組みが稼働しているそうだ。善意を持って警察に入ってきた人たちは離職するだろうし、逃げ出せる人は香港を逃げ出すだろう。

ということで緊急事態条項は越えてははならない一線になる可能性が高く、越えてはならないという認識を持たないもともと統治能力が低い人たちによって利用される可能性が高い。平時の議論や説明などは何の役にも立たないのだ。