消費税議論から見る、議事録を隠蔽してはいけない理由

今回は前回の議論を踏まえて、なぜ議事録の隠蔽や改竄をしてはいけないのかということを考える。これは間接的に安倍政権がこれ以上政権にい続けてはいけないということを意味するだろう。

前回、消費税議論がどう扱われてきたのかということを勉強した。もともと国債の穴埋めに使うつもりだった消費税の使用目的を「福祉のため」といいかえたのが源流になっている。このため今でも消費税議論は錯綜をつづけ、その度に政治的リソースが消尽される。さらに野党もこれに共犯者として加担しているので有効な対抗策が打ち出せないでいる。つまり、嘘は意思決定を麻痺させるのである。

「政府が身を切る改革をしてから増税する」という約束は度々裏切られてきた。このため無力感を感じた有権者は懲罰的・報復的に政権政党への投票を控えるという投票行動をとるようになった。これが今でも続いているので、自民党・公明党はあの手の手で有権者への懐柔策を模索する。そしてそれが裏目に出てますます議論が混乱するのである。

本来なら、財政再建に果たして今回の消費税増税が寄与するのかという議論を行わなければならないのだが、実際には外食の境目はどこかというテレビショーが面白おかしく取り上げられるだけになっている。ポイント還元に至っては、わざわざカードで買い物をして2%くらいポイントで返ってきても旨みがないとか、商品券は転売されて暇な人が税金を食い物にして儲けるだけになると冷笑される始末である。

今回はこの議論の「本当の」源流を探そうと試みたわけだが、途中までしか遡れなかった。財務省の記録によると、ある日突然政治の側から「消費税をあげましょう」という議論が始まったことになっていて、まるで他人事のように書かれている。

大平内閣(昭和 53 年-昭和 55 年)の「一般消費税」構想や、中曽根内閣(昭和 57 年-昭和 62 年)の「売上税」構想の挫折を経て、竹下内閣(昭和 62 年-平成元年)は、消費税の導入を政 権最大の課題とした。昭和 63 年 12 月、「消費税法」(昭和 63 年法律第 108号)が「税制改革 6 法」の 1 つとして成立し、平成元年 4 月に、税率を 3%とする消費税が導入された。消費税は、ほとんど全ての国内取引(商品とサービス)と外国貨物に課税される。消費に対して広く薄く負担を求めることで、所得課税中心の戦後税体系を見直す端緒が開かれた。 消費税の導入にあたっては、所得税、法人税等の大幅な減税が実施されたため、ネット では 2.6 兆円の減税となった。しかし、食料品などの生活必需品を含めて一律に課税され る点や低所得者層の負担が重い「逆進性」への反発は大きかった。 事業者の納税事務負担を軽減するための諸制度(帳簿方式、事業者免税点制度、簡易課税制 度、限界控除制度)は、新税の円滑な導入に役立った。しかし、零細・中小事業者への手厚い 措置は、消費税の一部が事業者の手元に残るとされる「益税」への批判を招いた。

しかし、政治が単独でこんなことを言い出すはずはない。多分源流は大蔵省にあり、大蔵省の意見を聞いてくれるような識者を集めて議論をしたはずである。だが、大蔵省・財務省はこのねじれ切ってしまった議論の矢面に立ちたくないので源流の議論を隠蔽している。実際には世代が変わっているので忘却されているはずだ。

百歩譲って、嘘を管理できるなら、政府が嘘をついてもも構わないとしよう。本来の民主主義ではあってはならないことだが、国民にも主権者意識はないのでこれも致し方がないことだ。しかし、大蔵省の議論は隠蔽されてしまっているために当初の意思がよくわからない。だから、そこから同変質してしまったのかということがわからないのだ。例えば、当初は何パーセントくらいを想定していたのかもわからないし、特定の財源として使うつもりだったのか、あるいはそういう意図はなかったのかもわからない。

意思はわからないものの当事者世代の人たちは多分嘘を含めたストーリーを共有していたはずである。もともと、大蔵省と政治家の間には交流があり彼らは一つの塊(つまり村だ)を作っていたからである。

ところが、細川政権とか自社さ政権など政権が変わると政治家の間ではストーリーが共有されなくなり、安倍首相の代(自民党が政権基盤を失いかけた時に政治家になっている)になるころにはこのストーリーが完全に失われてしまった。藤井裕久氏などはもともと大蔵官僚なので「ストーリーを知っている側」の政治家である。だから「まずは行政改革から」と言えるのだが、安倍首相は官僚経験も大臣経験もないので経緯がわからない。しかし、福祉が言い訳になっていることだけは知っているので、突然わけがわからないことを言い出すのである。

日本には公共という概念がなく、ある緊密な結びつきを持った集団がストーリーを共有することで村が周囲の村を従えるという仕組みを持っている。形態としては邪馬台国が周辺の「国」と称される村の代表になっているようなものだ。だからこの支配村が失われてしまうと統治に必要なストーリーも失われてしまうのだ。

すると、誰も何も決められなくなる。決められないのは自民党だけではない。立憲民主党も「とりあえず今は緊縮財政もできないし、消費税もあげられない」と言っている。しかし立憲民主党も財政の立て直し経路が提示できない。ということは彼らは支配政党になるまで消費税増税はできないが、政権を取ったら「時はきた」として消費税増税に踏み切り、また国民の怒りを買うことになるだろう。

なぜいくら必要でということを正直に話していればこんなことにはならなかったはずであり、その大元は大蔵省の限られた役人が「どうせ国民は理解してくれないだろう」と気軽な嘘をついたことが、その大元になっている。

ところが、今の安倍政権にはその反省はない。安倍首相は同じようなことを憲法でやろうとしている。石破茂との議論のなかで憲法は変えたいが自衛隊を軍にしたいと言っても国民の理解が得られるはずはないと呆れ顔で石破を諭していた。これは消費税は必要だがどうせ国民は理解してくれないだろうから福祉税と言い換えたいというのと同じメンタリティである。

これは民主主義の建前という意味では許しがたい暴挙なのではあるが、一万歩くらい譲って「嘘が管理できるならば許容しても良い」と一旦飲み込んでみよう。だが、この嘘が管理できるのは安倍政権当代限りである可能性が高い。では次はどうなるかというと3つの方向が考えられる。

第一に、自衛隊は何でもできる軍隊になるが、何か決めるたびに国民に懲罰的な感情が芽生えることになる。消費税議論は税率をあげるたびに大騒ぎになるが、これと同じような労力を日本の防衛も負担することになる。ご存知のように東アジア情勢はとても緊迫しており、米韓が分裂するかもしれないという可能性さえ見えている。これに乗じた核保有国の北朝鮮が韓国の攻撃に転じれば、韓国はレーダー網という目を持たないままで北朝鮮と軍事衝突することになりそうだ。この時に、消費税増税のような議論が怒っては困る。ゆえに国民には正直に話すべきである。

第二のシナリオは非自民政権が何も決められなくなるというものだ。内閣は自衛隊に戦争をするように指令が出せるような権限を持っているが、それを使ってしまうと政権から転落するということが分かった場合、その政権は何もしないのが最も合理的な選択になる。また過去に反対してきた経緯から賛成に転じられなくなる。これは消費税を上げないといっていたのに上げたというのと同じ効果を生むからだ。つまり、周辺で紛争が起きているのに日本は何もできないということになるのだ。

第三のシナリオはこうした意思決定ができないままで「翼賛的体制」に収束するというものである。国会は関与しないで自衛隊の報告のままに事後承認する。政治が関与すれば責任を問われかねないからだ。そこで自衛隊が動くが作戦が失敗する。それを隠蔽するためにもっと過激な行動にでると、第二次世界大戦型のシナリオができる。これも終局は破綻である。

つまり、記録を残さずに曖昧な意思決定をしてしまうことは却って日本国民を危険にさらしかねない。どれも実際に起こったシナリオなので、将来に全く起こらないとはいえない。

今回の憲法や消費税の議論はおそらく不毛な各論になることが予想される。それはそれでお付き合いして行かなければならないのだが、同時に俯瞰的に状況を見る目を養うべきだろう。我々は何も決めないことで将来に大きな負担を与えているのである。

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