パソコンは高くない

軍事アナリストの小川和久さんは日本の競争力について心配しているようだ。若者のパソコン離れが進行しつつあり、これが貧困スパイラルに拍車をかけているという。これについて氏のアンチの方が「そもそも貧乏だからパソコンが買えない。因果関係が反対だ」とかみついた。日本の貧困については、議論すべきことがたくさんあるというのは確かだろう。しかし、このやり取りが不毛だということだけは言える。パソコンは別に高くないからである。

パソコンの価格は10,000円台から

試しにAmazonでスティックPCという商品を検索すると、5,000円台からパソコンが買えることが分かる。ただしこれはアンドロイドPCだ。小川氏の支持者たちのコメントを読むと、パソコンとはWindowsパソコンのことらしい。Windowsのパソコンで最安値は「ドスパラ」という会社が出している製品で、現在10,000円を切った価格で売られているらしい。キーボードがついているセットで13,000円程度だ。しかし、Amazonには取り扱いがない。もっと有名なメーカーの商品が欲しいということであれば、Intel(このパソコンのCPUを作っている、いわばお家元のような会社だ)製品をはじめ、いくつかの商品を選択することができる。価格はおおよそ15,000円程度。地方だから都会のように家電専門店がないという苦情も当たらない。Amazonでスマホから注文すればいいからだ。

なんで、パソコンがそんな値段で買えるのか、と疑問に思う方がいるかもしれない。どうせ、おもちゃのようなパソコンなんだろうというわけである。半分当たっている。パソコンはおもちゃみたいな価格で売られているコモディティなのだが、それでもテレビにフルサイズの動画を映しても楽しめる程度の能力を備えている。確かに記憶容量は低い。それでも32Gバイトあり、miniSDカードを足せば倍くらいまでにはなる。キーボードとモニター(モニターはテレビを使う)が付属していないのも安い理由だろう。

「テレビを占有されるからパソコンが使えない」と嘆く人は確かにでてくるのかもしれない。人並みにノートパソコンがいいという人もいるだろう。Amazon調べでは25,000円程度から手に入る。

WordやExcelは無料で使える

別の支持者のコメントの中に「パートでもWordやExcelなどの操作方法は求められる」というコメントがあった。確かにスティックPCや格安ノートPCにはOfficeは搭載されていないが、ネットにつなぐと「無料版」のOfficeが使える。機能限定版らしいのだが、関数などは普通に使えるという。家庭での利用には十分な内容だし「覚えたい」という人にはぴったりだろう。もちろん、お金を出せばOfficeを買い足すこともできる。

通信料金は月々4,000円弱から

一番のネックは通信環境かもしれない。これは月々支払わなければならないからだ。固定の光回線を使うと月々6,000円程度(別途工事費)がかかる。いくつか割引を使えばもう少し安くすむかもしれない。一方、無線通信分野の値引き競争は過熱気味だ。WiMax2という規格の商品がいくつかでている。本来、月々4500円程度の料金が必要らしいのだが、2年間は割引を適用して月々3,500円程度で利用できるのだという。別途通信用のルーターが必要なのだが、太っ腹なことに無料で使わせてくれるらしい。一度顧客を獲得するとよっぽど儲かるのかもしれない。

もちろん、食べるのにかつかつで、金銭的な余裕が1円もないという人もいるかもしれない。こういった人たちには適切な援助が必要だろう。しかし、日本のスマホ普及率を見る限り、多数の人たちは「全く余裕がない」というわけでもないのだろう。

知識の分断が招く不毛な議論

少し深刻かもしれないと思うのは知識の分断である。パソコンが安く買えて高速通信環境も手頃な値段で手に入るという知識はコモン・ナレッジだが、こうした知識にアクセスできない層というのが一定数いるのだろう。今回の場合「スティックPC」とか「wimax」などという言葉を知らないと検索できない。

そういえば、最近パソコンのコマーシャルをテレビで見なくなった。テレビで受動的に情報を取っている層はこうした情報を知ることはないだろう。「パソコン習熟が日本の競争力を左右する」と信じるなら学校教育などで教えるのも良いだろう。一方、「知識人」と呼ばれる人たちも「パソコンは最先端技術で高いはずだ」と思い込んでいるのかもしれない。つまり、知っているからこそ知らないのだ。

こうした知識的な分断があるせいで、議論が不毛なものになりやすいのだとしたら、それは単に不幸なことだ。

パソコンとモバイル機器は融合しつつある

さて、パソコン操作ができないと貧困になるという議論にはいくつか考えるべき点がある。

確かにスマホには欠点がある。画面が小さく、文字入力がしにくい。出先で読む人が多い事も考え合わせると、多分長い文章を読むのは苦手だろう。さらに、文章入力の手間を省く為に予測変換機能がついているので、あまり考えなくても自動的に作文できるようになっている。コミュニケーションが単純化しやすく、思考が高まらない。LINEやメールが随時入ってくるので、気が散りやすくなる。このため集中力が削がれやすいという研究の結果もでている。こうした特性から議論が感情的になりやすいのだ。人間の思考力はマルチタスクには向いていないようである。

では、やはりパソコンの方が優れているのだろうか。そもそもこの問いは意味をなくしつつある。パソコンのオペレーティングシステムとスマートフォンのオペレーティングシステムは融合しつつある。どちらかというとパソコン側がスマホに合わせているというのが実情かもしれない。ノートパソコンとキーボード付きのタブレットにはほとんど違いがない。パソコンを知っている人かお店の人に聞いてみると良い。違いが分からないという人も多いだろう。画面を分割してタブレットとして使えるノートパソコンもある。マイクロソフトのタブレットSurfaceにはOfficeが付いていて、キーボードを取り付けることができる。40,000円程度から手に入るようである。

日本の競争力とパソコン

最後の問題は少し難解だ。アメリカのIT産業の競争力が高いのは、IT分野でデファクトスタンダードを握っているからだ。その担い手は中国やインドから来た移民なのである。一方、日本人は中国から来た移民を「一時的な格安労働力」として扱ってきた。このために、優秀な人は集らず、少し働いただけで雇い主の基から逃亡するというケースが相次いでいる。日本の競争力を気にする「愛国的」な人たちは、移民の導入には否定的だろうし、それが中国人だということになれば猛烈に反対するだろう。国の競争力を高めるためには優秀な移民を招き入れた方がよいことは自明だが、この議論が日本で受け入れられないのも、また確かなことなのだ。

一方、パソコンが操作できるとしても、期待されている仕事は事務労働のパート程度のものなのかもしれない。特に、サービス分野の労働生産性は低く、パート労働者の労働時間も限られている。パソコンを知らなくてもできる最低賃金の仕事と、パソコンができてできる最低賃金の仕事にどういう違いがあるのだろうか。コンビニ業界のように非正労働者に依存する業界はパソコンに期待してない。スマホと同じように操作できるタブレットで仕事ができるようになっている。賃金が低く抑えられ、出世の見込みのない非正規の労働者がパソコンのオペレーションをしているというケースも珍しくない。コンピュータを使える人の能力が労働生産性に結びついていないのである。

つまり「パソコンができるかどうか」ということと、国に競争力があるかということの間には実はあまり関係がないのだと言える。貧困に結びつく要素があるとしたら、それはその家庭が持っている人的なネットワークの違いだろう。コンピュータやネットワークに関する智識を得られないというのは、そうした機器を使っている知り合いがいないということを意味しているに過ぎない。それを「若者のXXばなれ」という要素で括ってしまうと、議論が錯綜するばかりで本当に解決すべき問題が却って見えにくくなるのではないかと思う。

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