「独島」という悲劇

韓国の国会議員が終戦記念日に竹島に上陸した。これを重大な挑発行為だと考える向きもあると思うのだが、今日は終戦記念日だ。すこし違った角度から見てみたい。

日本は民主的な過程で第二次世界大戦に突入した。少なくとも戦争が始まった時点では国民は軍部を支持していた。そしてかなりはっきりとした敗戦を迎えた。国力の差は明確で「うまく行けば勝てるかもしれない」というようなレベルの違いではなかった。日本人は自由意志で戦争に参加し、はっきり「負けたのだ」と考えることができた。

ところが韓国は自らの意思で戦争に参加したわけではなかった。中国はかろうじて戦勝国としての地位を与えられたが、朝鮮人はその列に加わることもできなかった。日本は半島を解放したが、米ソから自治能力がないと見なされ、戦後も植民地扱いを受けた。その後、外国を巻き込んだ内戦が始まり、国土が破壊された。つまり、8月15日は韓国人に何ももたらさなかったのである。

韓国は、列強と見なされないばかりか、主権があるとさえ思われなかった。つまり自由意志がなかったのだ。このことは、韓国人の自意識に大きな傷を残した。

その後も韓国は戦勝国のステータスを求め続け「対馬が欲しい」などと主張して戦勝国側に無視されている。南千島はソ連にとってトロフィーみたいなものだが、韓国も同じようなものを欲しがった。しかし、韓国には与えられなかった。

もともと朝鮮半島は文化的に進んだ地域だったのだが、中華秩序に安住しているうちに社会の進展が妨げられ、明治維新期までに取り返しがつかないほどの差がついていた。同じ東洋圏の日本は世界屈指の列強国となって行くのだが、朝鮮半島は滅びつつある清のそのまた属国という社会的地位に甘んじなければならなかった。

その惨めな韓国が唯一武力で外国から勝ち取ったもの、それが竹島なのだ。イスンマン大統領が一方的に漁業管轄権を主張し、漁民に発砲したりした。つまり、竹島を見せびらかすことで「戦勝国気分」を味わうことができる。逆に言えば、韓国はそれ以外の手段で戦争に勝つことがどんなことなのかが体験できない国なのだ。

終戦の日には他者にたいして寛容でありたいと思う。と、考えると韓国国会議員団の行動がとても哀しい意図を持っていることがわかる。竹島でどんなに力強く太極旗を降ったところで、韓国が日本に占領されていた歴史は変えられない。北朝鮮との間でどんなに経済的に優位に立っても、自分たちの歴史が誇れないのだ。

と、同時に日本にとっての竹島は靖国神社なのだということが分かる。外国が反対すればするほど靖国神社に行くことが「負けていないこと」に思えてくるのだ。しかし、靖国神社に参拝したからといって戦争に勝ったことにはならない。外国から冷めた目で見ると、それは単に自分を騙そうとしているようにしか見えないのではないだろうか。

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