なぜ電通は犯罪者集団になってしまったのか

慶応大学の広告研究サークルでレイプ事件が起きたらしい。その影響で有名なミスコンが中止になりちょっとした騒ぎになった。同じころ電通では女性新入社員の自殺事件の裁判の結果が出た。過労が原因であったと認定され、労働局と労働基準監督署が強制捜査に入る騒ぎになった。

この2つは女性搾取と隠蔽という共通する要素がある。広告研究サークルは「性行為はあったが合意の上だった」と言っていたようだ。だが、実際には無理やりであり、女性はひどいトラウマを抱えて学校に行けなくなってしまったらしい。電通でも当初は、クリスマスに自殺したのだから失恋で死んだに決まっていると言っていたそうである。女が死ぬのは色恋沙汰に決まっている。単なる補助労働力なのだから仕事で死ぬはずはないだろうという気持ちがあるのだろう。

どちらも、組織防衛のために他人の人権を著しく軽視している。

この2つの事件を無理やり重ね合わせて「だから広告というのは胡散臭いのだ」という非難の記事を書きたくなったが、あまりにも無理やりなので一度は思いとどまった。

しかし、やはり広告業界にはこういう「業」がありそうだ。広告はもともとなんでもないものに社会的な価値をつける機能を持っている。うまく活用すれば、需要を生み出して、技術革新のドライバーになるかもしれない。と、同時にそれはある種の扇動行為でもある。あるラベルを作って感情を喚起する。例えば「中国は怖い国だ」というメッセージを繰り返し与えれば、それが真実になる。

真実は作れるという認識は「自由意志」に対する感覚をゆがめるだろう。人間は情報操作できる存在であり、自由意志などありえないという感覚だ。私たちはテレビを見て新聞を読んだだけで「だまされて」生活している。

だが、他人の感情を操作しつつ自分たちだけはそこから超越するということはできないらしい。しかも最終的には弱い立場の人たちを搾取し組織で隠蔽するという卑怯な行為に結びついてしまう。内部でモラル崩壊すると、それを自立的に立て直す方法がないことがわかる。人間の規範意識はとても脆い。

もちろん、それぞれの組織を突き動かしてきた動機は異なっている。慶応大学のサークルは性欲だったが、電通は営利を追及しようとした。個人でいる分にはおとなしくしている人たちが、集団で欲望をむき出しにした。普段押さえつけている分、一度暴走すると歯止めが利かなくなってしまうのだろう。

例えば、慶応大学に入り、ミスコンイベントを主催するようになった瞬間に「俺はもてるようになった」と感じた学生もいただろうし、電通で管理職として子会社を使っているうちに「自分はとてつもなく偉いのだ」と考えるようになっても不思議ではない。トランプ候補も「テレビに出るようになってから女はやらせてくれるようになった」と語ったそうである。

どちらむ犠牲になった人やその家族がおり、とても痛ましい事件だ。しかし、それをどう防げばよいのか、よい策が浮かばない。広告業だけ規制を厳しくするわけにもいかないし、免許制にすれば表現の自由を侵害することになる。自主規制しかないわけだが、彼らに高い規範意識は期待できない。

すると残る選択肢は一つだけだ。広告は賎業であるという認識を社会が共有すればよいのだ。女性が広告代理店に就職したいと言えば親族で泣いて止め、嫁に行きたいといえば「その結婚はろくなものにならない」といって縁を切るという具合だ。これはかつて日本の芸能界が持たれていたイメージに近い。

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