破綻する日本のサービス産業

Twitterに渦巻く不満の1/10でも生産性のある方向に向ければ日本はすごいことになるんじゃないかということを考える第2回目。本当はもう少し概念的なことを考えようと思ったのだが、ちょっと卑近な例を見つけたので、そちらを先に通すことにする。

家のものが携帯電話を変えたいと言い出したので、調べてみることにした。なぜ調べることにしたかとういうとNTT DoCoMoで電池パックを買うのに5時間待ちというのを経験していたからだ。知らないでうかうか携帯電話ショップにゆくと大変なことになる。ちなみに家のもののキャリアはauである。

日曜日にカタログをもらいに行ったのだが「カタログください」と店員に話しかけるのに1時間以上かかりそうだった。機種変については今日は受け付けられないかもしれませんという紙が張ってある。店の人に強引に話を聞いたら「午前中は機能の客を捌いていた」のだという。なんだか泣きそうである。ショップは明らかに疲弊していた。

人が足りないのは、auが代理店に渡す金をケチっており人件費が捻出できないからだと思うのだが、理由はそれだけではなさそうだ。携帯電話の機種の値段がどこにも書いていない。それにも理由がある。各種「インセンティブ」と抱き合わせになるので機種の値段がいくらになるか「買ってみないと分からない」のだ。

まあ、こうなる理由もわかっている。つまり、顧客に価格を明示してしまうと「じゃあ、余計なものいらないから安いほうで」となるに決まっている。言ってみればデフレが悪いのだ。こういう無駄なものにほいほい飛びつくのは若者と相場が決まっているのだが、今の若者には無駄なものにお金を使う余裕がない。新しいサービスが生まれないので企業は永遠の消耗戦を強いられることになる。その結果疲弊してゆくのは現場なのである。

そこで、ウェブに回ろうとした。auで機種変の見積もりを出そうと思ったら、IDとパスワードを申請してログインした上で各種割引を理解しなければならないようだ。IDはauの携帯電話で申請するそうだ。面倒なのでやめた。だから店頭に客が殺到するのだろうと思った。これに携帯電話に疎い高齢者という要素が加わる行列はもっと長くなる。携帯電話のキャリアはどこも客が捌ききれなくなっており、事実上破綻しているといってよい。

自然成長率という概念がある。産業を続けてゆくと資本と知的資本が集積するので放置しておいても経済は発展するとされているのだそうだ。これがかつては日本の場合4%程度と見込まれていたのだが、実際の成長率は3%程度だったそうだ。現在は人口が縮小しているので成長率は鈍化するのだが、それでも0にはならないはずだと考えられている。にもかかわらず日本の成長率はとても低い。どこかでロスがおきているはずなのだが「それが何なのかとてもいえない」というのが経済学者の合意するところらしい。

しかしミクロのレベルで見ると、壮大な無駄が起こっているのは明らかだ。料金体系をシンプルにしさえすれば代理店の待ちはかなり減るはずである。そうしないことで現場は混乱し、客も待たされる。つまり客の生産性すら奪われているということになる。だが、それを止めることはできない。

永遠の消耗が起こるの理由は明らかだ。誰も経済が成長するとは考えておらず、いわばバブル崩壊期の続きを生きているからだ。

ポイントはいくつかあると思うのだが、経済成長を誰も信用していないと言う点が大きいだろう。政府は間接的に信用を作ることはできるが、直接市場に働きかけることはできない。日本には信用があるとされているので通貨発行を増やしても価値が毀損することはなかった。だが、足元の国民がそれを信じていないのである。実際に「政府の金融政策についてどう思うか」と聞いてみると「私たちには関係がないし良く分からない」と言う人が多いはずだ。日本は臣民型政治ではなく「他人事政治」なのだ。

今回は携帯電話という卑近な例で「信用」を見ている。自分たちの生活が豊かになる確信がもてないから、誰も新しいサービスに飛びつかない。そこで価格競争を防ぐために料金体系を複雑にしたところ、生産性が打撃を受けるということになっている。すると携帯電話がほしかったと言う人まで排除されてしまう。まさに悪循環だ。

もちろん「信用」だけが原因ではないのだろう。同じようなことは運輸の現場や小売の現場でも起きている。みんなが忙しくなり深夜まで労働するようになると、それを支えるサービス産業の生産性が落ちてゆく。もっと単純な体系にすれば休める人たちは大勢いるし、もう少し生産的な活動にリソースを振り向けることができるようになるだろう。こうした産業には共通点が多い。

第一の特徴が寡占状態である。大手が生き残り顧客の奪い合いをやっている。全国的なインフラ網があり他社参入が難しいと言う側面を持っている。いきなり大手のようなサービスは作れない。次に、複雑な代理店方式をとっているのも特徴だ。最大のサービス産業は全国政党なのだが、これも代理店方式を採用している。日本の産業が行き着く最終的な形態なのだろう。代理店は忠誠心をお金と暖簾代(いわゆるブランド)だけで支えている点が特徴だ。

代理店方式は情報の流通と倫理に弊害がある。これを防止しようとして発展したのが終身雇用制なのだがバブル後にこれを放棄したことで、サービス産業の生産性が大きく損なわれているのではないだろうか。

日本のサービス産業は発展の最終形態に達している。多分このことが生産性の低下に結びついていることは間違いがないだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です