菅野完氏はなぜうさんくさいジャーナリストと呼ばれるのか

立派なジャーナリストの田崎史郎さんがさまざまなワイドショーで菅野さんのことを「あの人の信頼性は……」と揶揄している。田崎さんは安倍さんの寿司トモとして知られており、安倍さんをかばっていることはかなり明白である。だが、報道機関の出身なので立派なジャーナリストとして通る。だが今日は田崎史郎さんのうさんくささではなく、菅野さんのうさんくさについて考えたい。

菅野さんは自分で情報の入手過程などを実況している。普通のジャーナリストは情報の入手過程をつまびらかにすることはなく、あくまでも第三者的な立場で情報の信頼性を確保する。「伝える側」と「伝えられる側」の間に線を引いているのだ。線が引けるのはジャーナリストの生活が確保されているからだろう。ジャーナリストは専業でやってゆけるから、政治のような面倒なことに関わらなくても済む。

菅野さんが自身をどう定義付けているのかはわからないのだが、政権の存続に関わるようになったので自動的にジャーナリストという文脈で語られることになった。しかし、彼は客観的な伝え手ではなく、信条がありアクターという側面も持っている。故に「伝える」役割のジャーナリストの範疇には入らない。これが、伝統的なジャーナリストである田崎さんから見て菅野さんが「うさんくさく」見える原因だ。もちろん、見ている我々も「菅野さんは嘘をついているかもしれない」と思う。それは菅野さんが客観的な語り手ではなく、意図を持っているからである。可能性としては嘘をつく動機がある。

さて、ここで疑問が湧く。田崎さんは報道機関出身という肩書きを持っており「解説」という立場から第三者的なコメントができるキャリアがある。ではなぜ一線を踏み越えて安倍首相のエージェントとして機能しなければならないのかという疑問だ。

なぜこうなってしまったのかと考えるのは興味深い。報道機関の収入源が先細りリタイア後の収入が確保できなくなってしまったのではないかと考えた。同じことは東京新聞内で闘争を繰り広げられる長谷川氏にも言える。自分のポジションを持って組織と対立している。これは組織を忖度する日本社会ではなかなか考えられないことである。

はっきりとはわからないものの、デフレがジャーナリストをアクターにしてしまっているのではないかと考えられる。裏で政権と繋がっていると噂されるマスコミの実力者は多いが、表舞台にしゃしゃり出てくることはなかった。NHKなどは政権との影響が出るのを恐れてか、同じく寿司トモの島田敏男解説委員を日曜討論の政治の回から外しているようだ。

つまり「うさんくさいジャーナリスト」が出てくる裏には、ジャーナリズムの弱体化があると考えてよく、フリーランス化という背景があるのではないかと思えてくる。つまり(たいていの二極化と同じように)これも同じ現象の表と裏なのだ。

だが、こうした動きは他でも起きている。それがYouTuberの台頭だ。もともとブログライターは顔出しせずに記事を書いていたが、最近ではブログライターさえ「タレント化」することが求められているようだ。切り込み隊長のように本当にタレントになった挙句にネタになってしまうこともある。スタティックな文章ではなく動画の方が好まれるのだ。その内容を見てみるとバラエティー番組にもできそうにないような身近なネタが多い。

テレビ局はYouTubeコンテンツをバラエティの出来損ないだと考えるのだろうし、YouTuberたちはタレントになれなかった胡散臭い人たちに思えるかもしれない。しかし、小学生くらいになるとバラエティ番組は退屈で見ていられないと考えるようだ。彼らにとってはスタジオで制作されるのは退屈な作り物で、番組ができるところまでを含めてリアルで見ていたいのだろう。また視聴者のフィードバックが番組に影響を与えることもある。つまり視聴者も制作スタッフ化している。

「既存の番組がくだらなくなったからYouTubeが受けるんだ」という見方もできるわけだが、視聴者の習熟度が上がり、なおかつインタラクティビティが増したからこそ、新しい形態のタレントが生まれ、今までジャーナリストとみなされなかった人が政権に影響を与えるようなことすら起きていると考えることもできる。視聴者が生産技術(安価なビデオカメラや映像編集機材)を持つことで、世代交代が広がっているのである。イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)で書かれたことが現実に起きているわけだが、日本では組織的なイノベーションが起きないという思い込みがある。意外と何が創造的破壊なのかというのはわかりにくいように思える。

つまりうさんくさいのではなく次世代なのである。これは映画から見てテレビがうさんくさかったのとおなじような見え方なのだろう。田崎史郎さんは伝統的なやり方で「大きな組織」を頼ってフリーランス化したのだが、別のやり方でフリーランス化した人もいるということなんだろう。

ただし、菅野さんの存在が無条件に賞賛されるということもないだろう。新しい形態は倫理的な問題を抱えてもブレーキが効かない。YouTubeでは著作権を無視してネットを炎上させたり、おでんに指を突っ込んで訴えられるというような事例が出ている。報道に必要な基本的な知識がないわけだから、これも当然と言える。

常々、日本人は変化を拒んでいると書いているのだが、変化は意外なところで起きているのかもしれない。

このような記事もいかがですか