情報を鵜呑みにする人々の漠然とした不安

先日、Twitterで加計学園問題について言及したところ絡まれた。かなりムッとしてサディスティックな気持ちがよぎったのだが、ネガティブな感情は自分にはねかえってくる可能性が高いので、事情を聞いてみることにした。なぜ絡んでくるのだろうか。

そもそもの問題は何に怒っているのかがわからないということだった。これがこの手の人たちの特徴になっている。概して言葉足らずで特攻してくるのである。

こういうのは「私の話を聞け」という叫びなので、まずは整理する必要がある。どうやら、加計学園の問題について、加戸前県知事の言いぶんが取り上げられなかったのが悔しかったということらしい。一部、マスコミが取り上げてくれなかったという言説が飛び交っており、それを鵜呑みにしたのだろう。

問題はこの人がなぜ加計学園問題で安倍首相を応援しなければならないほど、心理的にアタッチしてしまったかということなのだが、いずれにせよ止むに止まれぬ気持ちがあるのは間違いないだろう。

加計学園を安倍首相が呼び込んで戦略特区にねじ込んだと思っている人も多いのだろうが、それは違っている。今治市が随分古くから獣医学部を誘致しようとしていたことは広く知られており、そこに応じたのは加計学園だけだった。だから、安倍首相がお友達を連れてきて今治市に「よろしく」といったわけではない。

しかし、だからといって安倍無罪ということにはならない。多分、加計学園には獣医学部を作るような実力はなかったし、そもそも永続的に学校を経営しようとしていた意欲があったかも怪しい。様々な無理を重ねる中で安倍首相が関与したことは間違いがないだろう。このことが様々な歪みを生じさせている。

さらに特区構想にも問題がある。諮問機関が自ら提案したプロジェクトを審査するというのも珍しくないようだ。その審査には関係する省庁の大臣が関与できない仕組みになっている。民主党政権時代の制度を悪用したのかと思っていたのだが、どうやらこれは安倍政権独自の仕組みのようである。首相がほぼ独断で利権を囲い込めるようなっているのだ。

いずれにせよ、野党の追求の見込みも正しくないし、かといって自民党の説明も正しくない。しかし、両陣営ともそれぞれのストーリーを持っている。反自民の人たちは安倍首相がすべてを指揮していたというシナリオにしたいようで、朝日新聞などはそのストーリーにとって夾雑物になる加戸前知事の発言を削除してニュースを伝えたという。一方、自民党の側も岩盤規制を突破しようとしただけだという無理筋のストーリーを押し通そうとしている。そのために、岩盤規制になんども跳ね返されてきたかわいそうな老人というストーリーを作ったのだろう。

実際には、いろいろな情報が出回っているので、その気になればそれを集めてきて自分で判断することは十分に可能だ。例えば銚子の事例から加計学園の実績を調べることもできるし、加計学園が安倍首相に近い政治家たちを支援してきたこともわかる。今治市の土地開発が行き詰まっていて、高速道路網から取り残された結果として地盤沈下が起こっていると訴えている人たちもいる。多分一時間もあれば、与野党のストーリーに無理があることはわかるのだ。

話を聞いてみると、絡んできた人は、どうやら「地方が衰退しているのに都市だけが優遇されている」ということに怒っているらしかった。つまり、自分が主張したいことがあり、それを主張するためにストーリーに乗っかろうとしている。しかし、今治の住人というわけでもなく、瀬戸内海の土地開発の事情や高速道路の状態などについては全く知識がなく、興味もないようだった。

そのことを指摘すると一転して「正解を教えて欲しい」と言い出した。考えてみるとこれは不思議なことだ。まずフォローもしていないのに検索ワードだけを頼りに「こいつは加戸前県知事の話を知らないに違いない」と思い込みいきなり突っかかってきて、話を聞いてもらっただけで「この人は正解を知っているに違いない」と思い込んでしまったのだ。

普段ないがしろにされている人はちょっと話を聞いてもらっただけで簡単に相手を信頼してしまうのかもしれない。だからこそ、ニュースで飛び交っているストーリーにいとも簡単に乗せられてしまうのだろう。

この背景には、自分が何に苛立っているかということが言語化できず、したがって相手にもそれを伝えることができないという事情がありそうだ。そうした状態で党派対立を見てしまうと、どちらかの陣営に簡単にアタッチされてしまうのだろう。あとは、パソコンかスマホの前に張り付いて、それとは違う発言をする人を叩いて、それを政治的議論だと思い込んでしまうのだ。

いずれにせよ、こうした人たちは簡単に騙されてしまう。多分、地方の衰退に苛立ちを感じていて「なんでも都市に持って行かれてしまう」と思い込んでいるこの人は、実は地方の窮状に漬け込んで補助金などを獲得しようとする人を応援するというような皮肉なことが起こるのだ。

自分で判断できないと悪意を持った人たちに先導されやすいのではないかと思うが、そもそも原因は、自分の欲求を言語化できないことにあるように思える。言語化できないとそれを分離して行動に変えられないので、集団の扇動に乗ってしまうのだろう。

背景には学校教育の問題があるのかもしれない。正解を次から次へと詰め込んで行くので、何にでもオーソライズされた正解があると思い込んでしまうのだ。例えば高校程度の授業で「先生の言うことや教科書に書いてあることは正しくないかもしれない」と疑うような授業はない。

日本人は今正解のない時間を生きていて、自らで何が正解なのかを考えなければならない。多分、与党も野党の正解は知らないのだが、他人のストーリーを振りかざしているだけでは、なんとなく不安な気持ちを抱えたままになってしまうのではないかと思う。

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