貴乃花親方が崩壊させる日本相撲協会

日馬富士暴行問題が面白い展開を見せているなと思う。面白さの理由は二つある。

ほとんど材料が出ない中でワイドショーは番組を進展させなければならない。そこで新しい情報を出せと関係者に圧力をかけている。ワイドショーが執着するのはこの見世物が視聴率を稼ぐからだろう。視聴者がみたがっているのは村落の中の権力闘争だ。昨今のワイドショーの関心の対象を見ていると日本人は人間関係にしか興味がないと考えてよい。しかし、マスコミはこの問題の本質については知っているのに伝えることができない。本質的にはこれは利権をめぐる権力争いである。つまり人間関係は余興として楽しめるが、利権争いは問題の本質であり「相撲協会を本気で怒らせるリスクがある」と感じているのだろう。つまり、ワイドショーを見ていると、日本人が何に反応し、何のために動いているのかということがとてもよくわかるのだ。

この二重構造を見ているとワイドショーがとてもエキサイティングな職人芸に見えてくる。弁護士は、この目的が貴乃花親方の排除だということがわかっているが、なぜ排除されるかを伝えられないために綱渡りのような解説をしている。しかしどうやらこのやりとりを楽しんでいるらしい。貴乃花親方はホイッスルブローアーであり理事選から排除するのは不利益処分だという主張に変えていた。一方で相撲ジャーナリストと呼ばれるインサイダーたちはこうした法律的な問題には疎く、従って何も言えなくなってしまっている。彼らは単に相撲に詳しいだけなのだが、相撲はもはや誰も見向きもしない退屈な余興にすぎない。この間を埋めるのが中間的なジャーナリストと呼ばれる人たちだ。「(抜け穴だらけの)相撲協会のガバナンスについて改めて勉強」している人もいれば、昔から法律的なことなどどうでもよいような運営をしてきたじゃないかなどと言いながらニヤニヤと眺めている人もいる。彼らも相撲のインサイダーではないので状況がわかっているのだろう。

もう一つの問題は理事長選挙に対する過剰な期待である。貴乃花親方が理事長になるべきだとか、錣山親方が理事の椅子を狙っているなどと言われているようである。何が面白いのかというと「理事や理事長になれば組織が変えられる」という幻想が素直に信じられているように見えるからだ。

実際には日本の組織にはガバナンスの仕組みなどない。あるのは利益分配機能だけであり、組織の損得を計算に入れたプレイヤーたちがその場限りの意思決定をするというのが日本の組織のあり方である。つまり、日本人は自分の損得勘定についてのみ合理的に判断できる。そしてこの「自分」というのは必ずしも個人のこととは限らない。これは相撲の世界だけの話ではなく、実は政治の世界でも同じような構造がある。相撲部屋を派閥に相撲協会を自民党に置き換えてみるとわかりやすいのではないかと思われる。

「利権」というと悪く聞こえるかもしれないが、日本人が理解できるには利権構造だけである。これが問題になるのは、利権を分配できなくなった時である。つまり、誰かが生存できなくなるほど追い詰められると、人は誰かを「利己主義的だ」といって非難し始める。日本人にとっては利己主義こそが合理性であって、それ以外の主義は存在しえない。

ところが、最近日本には「日本人は組織がガバナンスできるのではないか」という勘違いが広まっているようだ。例えば、派閥をなくして官邸が全てを決めるようにしましょうというのはその流れである。同じように、人々は相撲協会という実態のないものに期待をし始めているようだ。そこにあるのは相撲ジャーナリズムの発展と不祥事の表面化である。

今回調べてわかったのだが、相撲界は部屋の連合体という側面と日本相撲協会の二重構造になっている。部屋は単独で成立しているのではなく一門という派閥を形成しているというのが村落的である。個人が存在しないように独立した部屋というものはなく、部屋の連合体としての一門が形成されているのである。派閥は相撲茶屋を通じて升席の販売権という利権を持っている。あり方としてはプロレスにいろいろな団体があり、独自の販売窓口を持ち、いくつかの会場で同じルールとしきたりを使って他流試合を行っているというような構造だ。

wikipediaによると当時の摂政の宮であった昭和天皇から賜ったお金でトロフィーを作った。ところが、公益性のない相撲に菊の紋章の入ったトロフィーを送るわけには行かないというような話になり、慌てて相撲協会が作られた。つまり、相撲協会は単なる権威付けのための団体であり、その内情は部屋と一門がとり仕切る興行でしかなかった。つまり実態は興行なのだが、徐々に公益があるようなポーズを取り始めたのだ。

単に天皇杯の受け先としてしか機能していなかった相撲協会だが、1957年に社会党の辻原議員が「相撲協会の公益性には疑問がある」として予算委員会で質問したことで話がややこしくなった。質問の狙いは力士の待遇改善だったようだ。つまり左翼主義者が相撲という興行に「手を突っ込んだ」のである。

このため相撲協会は、力士に給料を渡したり、茶屋制度を廃止して升席を解放したりという改革案を作らざるをえなくなった。緩やかな部屋の連合体でしかなかった相撲界が「天皇杯」という権威を持ってしまったために、力士の福利厚生や教育などという近代化にさらされてしまうのである。

ここには大きな矛盾があったので、耐えかねた出羽海親方は割腹自殺を図る。国会で追求されたことが恥であったという意見もあれば、出羽海一門が独占していた茶屋制度の崩壊の責任を取ったのではないかという説もあるそうだ。理事長の自殺未遂事件についてまとめてある文章が見つかった。この文章を読む限り出羽海親方は切腹を図ることで相撲茶屋という利権を守ったように見える。

Wikipediaの相撲茶屋の項目を読むと、それぞれの茶屋の割り当ては決まっており、今でも力士関係者が独占しているという。この既得権を守るために部屋の連合体が作っているのが一門であり、急進的な改革が起こらないように睨み合っているのが現在の相撲協会の理事たちである。一門制度を見ると、八角理事長の立ち位置がわかってくる。大きな派閥は出羽海・二所ノ関・時津風であり、これらが三つ巴の主導権争いをすると仲裁が効かなくなってしまうのだろう。そこで、小さな派閥である高砂一門を仲裁役として立てているように見える。日本の緩やかな村落共同体は「中央に空白を置く」ことで相手の干渉を避けて利権を守る。その意味ではこのあり方は極めて日本的である。

しかしながら、相撲協会は「国技」という嘘をついてしまったために、徐々に公益性という毒にさらされてゆく。もし相撲がプロレスのようであったなら、暴行事件は単に刑事事件としてのみ扱われ、それ以上の問題にはならなかったであろう。

相撲協会がガバナンスに興味がないのは明白である。相撲茶屋の利権は頑なに守られているが、一方では反社会的な行為が蔓延している。まずは新弟子を暴行で死なせてしまった事件(2007年)が起こった。さらに外国から力士を入れたところで大麻事件(2008年)が起こる。これは外国人だけでなく日本人にも広がったようである。さらに力士が野球賭博(2010年)を行っていたことも問題になった。さらに2011年には長年語られていた八百長が現実に行われていたことも発覚した。だが、相撲は興行でありスポーツではないのだから、面白ければ八百長があっても構わない。これが問題になるのは国技であるという嘘のせいであり、その原因は天皇杯にある。

にもかかわらず税制上の優遇措置を受けるために公益法人化したことでさらに事態が悪化する。つまり、実態は単なる相撲部屋のにらみ合いのための組織である相撲協会に「ガバナンス」という役割が押し付けられてゆく。

もちろん、相撲協会がガバナンスを行うことは可能である。期待されているガバナンスを行うためには相撲協会は親方から権限を移譲されなければならないのだが、それを決めているのが既得権を持っている側の親方衆なので何も決められないだけなのである。実際には相撲の利権は各部屋が握っており、情報を持っているのも相撲部屋である。従って相撲協会にはガバナンスを効かせる能力はないし、その意欲もなさそうだ。

今回の日馬富士暴行事件で唯一新しいのは、相撲協会でも部屋でもないところにモンゴル人閥という新しい集団ができてしまったということである。この問題を協会と部屋で取り合っているのがこの暴行問題の正体である。貴乃花親方側は不利益処分を恐れておりなおかつ八角理事長体制では問題が解決できないと言いたいのだし、八角理事長側はもはや異物と化した貴乃花親方の勢力を排除したい。

貴乃花親方の立ち位置はとても不明確だ。彼は理事会が調査権限を持つことを嫌っており部屋の独立性を維持したい。しかし、理事会を掌握して相撲協会を抜本的に解決したいとも思っている。これは大局的にみれば矛盾でしかないが、日本人はそもそも文脈によって物事の判断を変えてしまうので、これも極めて日本的には正しい態度だと言えるだろう。しかし、原理原則がないので、貴乃花親方が理事長になったとしても、単に少数派閥による利権の独占が起こるのではないだろうか。

しかしながら、貴乃花親方のこれまでの言動を見ていると、国体である相撲の伝統を守るために救世主である貴乃花親方が立ち上がらなければならないと思いつめている様子がうかがえる。これは権威化のために相撲協会がまとっている嘘を本質だと考えてしまったということだ。利権が得られず伝統から切り離されていることで、却って原理主義的な使命感が醸成されたのかもしれない。

自民党も大相撲協会と同じような構造を持っている。部屋に当たるのが派閥なのだが、実際にはこの派閥が自民党の実体だった。つまり自民党は民主主義の衣服をまとった利権構造体である。民主主義は利権獲得のために便利な方便であり本質ではない。安倍首相は権限を官邸に集約することにより「より強い自民党」を作ったのだが、結果的には政治的な問題を解決することも捕捉することもできなくなった。さらに議員たちは利権を守るために真剣になるということもなくなり、長期的な視野と意欲を失ってゆく。さらに安倍首相はその視野の狭さから強引な利益誘導と情報の隠蔽を行うようになった。

 

大相撲も公益性という嘘をついてしまったために、その嘘を本当の姿だと勘違いするモンスターが生まれてしまったことになる。伝統から切り離された人が嘘を本質だと思うのは、それが怪しいまでに一貫しているからである。日本相撲協会はこの嘘に振り回され続けるか、それとも天皇杯を返上して単なる部屋の一群による村落的な興行団体に戻るかという二つの選択肢しかないのではないか。いずれにせよ、貴乃花親方が現在の相撲協会を破壊してしまうのは間違いがないように思われる。

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