ネトウヨは弱さ

ネトウヨというのは何かとイライラさせられる存在なのだが、近すぎて冷静に判断ができない。だが、海外の同種の人を見ていると少し冷静に観察することができる。

Quoraで「日本人には銃の所有を認められているのか」という質問があり、ちょっとした皮肉も含めて刀狩りについて取り上げた。日本では1600年までに民衆の武装解除があったので今では安全な国になっていますよと書いたのだ。書きはしなかったがアメリカは400年遅れていますねという含みがある。

すると反論が来た。めちゃくちゃな反論を見ると少しイラっとするのだが、同時に「ああ、ネタができたな」などと思ってしまう。

この反論はところどころはあっているのだが何かが間違っている。完全な空想によってできた話ではない。事実がパッチワークのように散りばめられているのだが、それが空想というパテによって埋められている。この反論の筋書きは、刀狩りで武器を取り上げられたから日本はファシストの国になり今では自殺大国になったというものだ。

安全な国でないのに武装解除をするとその国は野蛮で抑圧的になる。日本の農民たち激しく怒っており、武器をあきらめたわけではなかった。銃器が禁止されたのは支配していた将軍が危険を感じたからだ。農民は抑圧され個人の自由はなかった。

この圧政は第二次世界大戦まで続き、暴力的なファシスト制度になった。結果的に何百万人もの日本人が殺される大惨事を招いた。

今日では政府とヤクザだけが武装している。組織化された犯罪者が多くの人を殺しているがこれは警察により隠蔽されている。

日本人が抑圧に満足していないのは明白だ。個人の自由がないので創造力が欠如している。さらに、銃を必要としない自殺が蔓延している。

日本が第二次世界大戦に突入したのは日本人が抑圧されていたからではない。仮に戦前の政権がファシスト政権だったとしてもそれは不完全な民主主義制度の結果である。なんとなく、スターウォーズの最初の最初の三部作の世界を想起させるが、これがアメリカ人が考える個人の自由のない国の姿なのだろう。

実はこの反論は「自分たちの国で銃犯罪が蔓延しているのにそれを止められない」という無力さの裏返しになっているのではないかとも考えられる。それを正当化するために「それでも自分たちには自由がある」と思い込みたがっている。だが、それだけで不安が払拭できるわけでもないので、普段見聞きしている断片から「日本は抑圧されていて惨めな国だ」として相手を落とそうとしているのである。

この姿は日本のネトウヨに通じるものがある。ネトウヨが信じたがっている中国人は共産党政権に抑圧されているかわいそうで貧しい人民だろう。最近の中国でこうした画を撮ることは難しいので北朝鮮の画が代わりに使われたりする。

高度経済成長きにも同じような思い込みはあったが、中国や北朝鮮を攻撃するということはなかった。なぜならば、高度経済成長期の日本人は成長だけを見ていたので、ヨーロッパやアメリカの先進性にばかり目が行っており、中国を気にすることなどなかったからである。

いずれにせよ、アメリカ人が日本を貶めたところで(もしそれが真実であったとしても)問題は解決しない。

確かに日本人は人生にあまり満足しておらず、自殺が多いのも確かである。だが、それは我々の問題なので外国人には関係がない。と同時にアメリカに蔓延する銃で大量殺人に苦しんでいるのもアメリカ人の問題なので関係がないといえば関係がない。

一つこちらが間違っていたとすれば、他人の問題に首を突っ込んだことなのかもしれない。

こうした我々とは今後関わることがないであろう人の書き込みを見てもあまり苦痛に感じることはない。さらに日本の歴史について教えるのも時間の無駄にしかならない。そもそも日本には興味がないだろうからだ。

同じことがネトウヨにも言えるので、相手にしないのが一番なのだが、ネトウヨの書き込みをみるとイライラして反論したくなるのだろうか。それは「みんなが同じように感じているのではないか」という焦りを感じるからではないかと思う。例えば、中国が攻めてくるから日本も軍隊を作って先に攻撃しなければならないなどという話を聞くと「みんながそう思ったらどうしよう」などと感じてしまうのである。

だが、実際に問題なのは実はこの人たちではない。普段から政治を見ていて思うのは、実際の敵はこうした人たちではないのではないかということである。むしろ、興味も関心もないから動かないという人たちの方が問題なのではないかと思う。ネトウヨにいくら反論しても無知からくる思い込みを変えることはできない。

例えば「低所得になるのは自己責任だ」という話があるのだが、実際に問題になるのは漠然とこうした話を信じており自分たちの思考の枠組みを変えない人たちである。いくら憲法がすべての人に文化的な生活を保証してもこうした人たちの思い込みを変えないかぎり憲法の精神は生きてこないのだ。

ネトウヨというのは自分たちが解決できない問題を直視する代わりに相手を貶めたいだけなのだということがわかる。こうした「ネトウヨ性」は日本だけのものではなく、アメリカでもヨーロッパでも観測できる。Twitterを見るとこの手の<議論>が蔓延しているので、なんとなく相手にしたくなるが本来の敵はそこにはいないのではないかと思う。

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