ネトウヨにキレられる

先日来ネトウヨにキレられた。今回はその話を書こうと思う。なぜキレられたのかはなんとなく理解した。ネトウヨにあまり興味がないことが原因なのだと思う。ただこの経験はとても面白かった。日本人がなぜ大局観が持てないのかを説明できそうなのだ。




最初にキレられたのは桜井誠さんについて書いたことだった。「右翼側の悪口を言うのに左翼の悪口を言わないのはおかしい」という物言いがついた。いわゆる保守と言われる人たちの間に二つの行動原理があることがわかった。正統性への渇望と外部化欲求である。

「いい悪い」について論じているつもりは一切なかったので一瞬なんのことだかわからなかったのだが、彼らが問題にしているのは「いいか悪いか」ということであり「いい扱い」をするなら礼賛的な書き方をしなければならなかったのだ。

これについて美濃部革新都政に触れ「宇都宮健児さんなどかわいいもんです」と返信したのでレスポンスがなかった。おそらくなんのことだかわからなかったのだろう。右翼について共感的な書き方をしていないのだから当然左翼支持だと思われたはずである。自分たちを礼賛しない人は敵だと思っているという事は、必ずしも自分たちがよく思われていないという事は知っていることになる。

次に習近平国家主席の訪日延期要請について書いた。こちらは自民党の現実派の人たちと行動する保守の人たちの間の軋轢である。これについても物言いがついた。外国人の名前だったが流暢な日本語である。Quoraは実名登録なので匿名の代わりに外国人の名前を使う人がいるのだ。匿名で相手を攻撃すると有効な投稿と見なされないので、回答0、質問0、シェア0という不思議な履歴になっていた。

この人は共同通信のいう議論紛糾というのはフェイクニュースでありそんなフェイクニュースだけを紹介するのは良心がない証拠だという。青山繁晴議員のブログが添付してあり「共同通信の記者が議論を捏造している」というようなことが書いてあった。主張は青山さんのトレースなので、もしかしたらご本人なのかもと思ったくらいである。

試しに小野田紀美議員のTwitterを見てみたら同じようなことが書いてあった。つまり紛糾などしておらず一部の議員(二階派のこと)が反抗しているだけというような主張なのだ。この陣営によると「自民党の正義はこちらにあり、二階派という異端が吠えているだけ」という歴史観になっているようだ。

実際にはこのニュースは岸田政調会長が党内をまとめきれず二階さんと岸田さんの間に亀裂が走ったという記事になった。おそらく記者たちの関心事も中国にはなく自民党の次の総裁が誰にあるかという点にあるのだろう。日本人は実はさほど中国には興味がない。

こちらは構造を見ているだけなのだが、どうやら人はそう思わないらしい。ある党派性があってその議論に誘導しようとしていると見られるようだ。必ずしもそうでない場合には党派性への引きずり込みまで起こる。

森の思考・砂漠の思考(鈴木秀夫)という古い論考を思い出した。おそらく読んでいないと思うので気が向いたら読んでみたい。欧米で政治を分析するのは行動指針を得るためだ。だから高いところに登って問題を分析しようとする。だが日本人は森の中で言い争うために政治議論を使う。当然大局観は得られないがおそらく一生を森で過ごす日本人に大局観はいらないのだろう。

この二つの投稿を見て「いわゆる行動する保守」も自分たちは社会の正当なメンバーであって決して偏った考え方を持っている人間ではないと見なされたいのだろうと感じた。逆に個人の意見を持たない日本人にとっては周りと違っているというのは一種の刑罰であり責め苦なのだろう。

日本のネトウヨには「外部に対する攻撃性」と「正統性への渇望」があるのは間違いがなさそうだが、正統性に対するこだわりというのは我々が外側から想像する以上に強いもののようである。これがネトウヨの急進化を防いでいるのだろうなあということがわかる。あるは彼らがこの檻を脱出するのは不可能なのかもしれない。実はこれが防波堤になっていてネトウヨの攻撃性が先鋭化するのを防いでいるのである。

ただ、攻撃性がそのまま正統性を帯びるとどうなるのだろうというのが次世代自民党の実験なのだろう。岸田政調会長や中山外交部会長はおそらく政権政党の正式なメンバー様である排外思想を持った議員の扱いに困るはずだ。今後、これがどういう動きを見せるのか(あるいは沈静化してしまうのか)というのは興味のあるところだ。

これについて書いているうちに外部に対する攻撃性・損の外部化などは実は同じものなんだろうなと考えるようになった。問題やネガティブなことは相手に押し付けてしまい「自分たちには問題はない」と考えたいということなのだろう。こうした考え方は何もネトウヨに限ったものではなく多くの日本人が共通して持っている。思いつくままにあげてみる。

日本が停滞したのは官僚のせいだ・郵政民営化が進まないのは守旧派議員がいるからだ・東京都が買われないのは自民党都連の古びた体質のせいだ・新型コロナは夜の街の病気である・放射性物質に侵されたのは福島の問題であって福島から人がこなければいい・米軍基地は沖縄の問題だ・韓国の反日が目障りだ・全ては安倍のせいだ・日本がこうなったのは教育(日教組。英語教育などなど)が悪いからだなどなど外に問題を向ける人は多い。これをすべて裏返すと「自分たちは何も悪くないのだから何も変わる必要はない」ということになる。

森の中で大局観を持たないというのはなんだか怖いことのように思えるのだが、実際には閉じこもっていた方が安心感が得られると感じている人の方が多いのではないかと思う。不都合なものは森の外に捨てればいいし森に侵入してきたら差別して追い出せばいいと考えるのが日本人なのである。

いずれにせよ、他者への不満が先鋭的な暴力に変わることはほとんどない。森の外に出た日本人はおとなしい。実社会・実名ではこういう発言はしないだろう。

ネトウヨが今後先鋭化するだろうという当初の予測はおそらく外れることになりそうだが、自民党の中に芽生えた動きは興味を引く。おそらく日本の新しい政治リーダーは政策の良し悪しではなく人間関係や好き嫌いの中から生まれるはずである。新しいリーダーもまた森の中で決まるのだ。

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