アイヌ先住権訴訟をめぐって我々は何を話し合っているのか

2020年8月17日にラポロアイヌネイションがアイヌのサケ漁を認めるように国を提訴した。どうやら国に許可を得ずにサケを捕獲する権利を認めて欲しいのだという。NHKも同じニュースを伝えている。これに先立って儀式に使うサケを「勝手に取った」紋別アイヌ協会の畠山敏会長が書類送検の上不起訴処分になっていたそうだ。

これら二つのニュースを読んで「儀式に使うサケと生計を立てるサケではかなり量が違うなあ」と思った。これをどう調整するのかというのは、おそらく裁判ではなく政治が調整すべき課題だと感じる。だがいずれにせよこれは北海道の当事者問題である。当事者とは北海道の水産業者とアイヌの人たちだ。アイヌの人たちもみんなが同じ意見を持っているとは限らない。




そもそもなぜサケを勝手に取った人が書類送検されてしまったのか。背景にあるのは日本政府の作った中途半端なアイヌ新法だ。もともと日本には差別的な北海道旧土人保護法という法律があった。アイヌを単に未開な土人と見なして日本社会に受け入れてあげようという趣旨の法律だ。Nippon.comに東村岳史さんが書いている文章を元に流れを確認してみる。

まず1984年から北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)が中心となって新しいアイヌの法律を作ろうというがあった。1997年にアイヌ文化振興法ができたが文化振興を謳うだけで先住民としての認定はされなかった。2007年に国連で「先住民族の権利宣言」が採択されてからやっと先住民認定が行われた。2019年のことである。先住民族と認められたのは良かった。だが中身はすっかり公共事業と観光の推進法に変わっていた。

このようにアイヌをめぐる諸権利はなぜかちょっとずつしか認めてもらえない。

もともと漁業権の問題だったのだが「国民の無関心」というレイヤーが加わる。これが産業のない北海道で政治的に利用されて公共工事誘致のための法律が作られてしまった。だが、この中に一部のアイヌの人たちが組み込まれているのも事実である。つまりアイヌの中にもおそらく自立路線と協調路線の二つがあることになる。

ところがここにさらに複雑なレイヤーが挟まる。未だにアイヌ人などいないとか、アイヌ料理などないというような発言がある。古谷経衡 さんは「アイヌ新法の何が画期的なのか?~「アイヌ否定」歴史修正主義の終えん。平成の最後にアイヌ復権への第一歩」という文章の中ではアイヌ新法を肯定的に捉えている。だが、これは実はアイヌの問題というよりは安倍政権下で生まれたネトウヨ・ウヨク対立の文脈で書かれている。古谷さんはネトウヨを「歴史修正主義者」と言っている。

低成長・自己責任社会で限られたリソースしか与えられなかった人たちの中には「他人への権利を認めたら自分たちが飢えてしまう」という危機意識を持っている人がいる。このためとにかく他人が権利主張をすると攻撃する傾向がある。例えば女性の権利を認めなかったり国内外の人権問題について「そんなものは最初から存在しない」といいたがるのだ。最近は白人でもない人が「白人の権利は大切である」とBLMに抗議するという奇妙な現象も生まれている。

さらにこれに反発する人もいてなぜか外野で大勢の人が取っ組み合いの喧嘩をしている。政治的対立課題の少ないはずの日本でなぜかこうした「政治議論」が盛んに行われているのである。

このような問題に過敏に反応するのは社会の底辺にいる人たちであろう。一般的にネトウヨと呼ばれている。社会の上澄にいる人たちは自分たちで新しい機会を開拓できる。だが、ネトウヨはマニュアル労働を強いられている。持ち場を離れて自分たちで好き勝手に機会を開拓できない上に過剰な競争にさらされている。彼らは環境に毒されアレルギー反応を起こしているのである。

この「新しいアイヌ差別」問題は実は当初の問題とは全く関係のない話である。このように合成された一つの問題がスクリーンに映し出されているのが今の政治議論である。

  • そもそも先住民族には何も興味がなく単に公共事業と観光誘致のために問題を利用したい人たちの問題。
  • 自分たちの置かれた閉塞的な状況を重ね合わせて「他人が権利を主張するのが許せない人たち」と「他人が権利を主張するのが許せない人たちを許せない人たち」の対立。
  • 地元水産業とアイヌの利権対立。
  • アイヌ同士の路線の違い。

自分たちの置かれた閉塞的な状況を重ね合わせて「他人が権利を主張するのが許せない人たち」と「他人が権利を主張するのが許せない人たちを許せない人たち」の対立に議論の価値はないと思うのだが、自立を目指すべきか同化を目指すべきなのかというのは立派な政治議論であろう。これをどう考えればいいのか。

アメリカの西部には地下資源が豊富なエリアがある。ここにはもともとホピ族が暮らしており、そこに遅れてナバホ族がやってきた。最も遅れてやってきた白人たちは地下資源を狙いホピ族を遠く離れた寄宿舎に移動させた。ナバホ族もロングウォークという18日間500kmの過酷な強制収容所への旅を経験する。ナバホがロングウォークから解放されて帰ってきたらナバホ族の土地の中にホピ族が住んでいた。Quoraによるとホピ族は固まって定住生活を送るがナバホは区切られた土地の中で移動を繰り返すのだそうだ。

このような同化政策の反動もあるのだろう。ホピ・ナバホの人たちは独立意識が高い。アメリカンネイティブの中にはカジノ利権をもらった人たちもいるが、ホピは自給自足型の農業で暮らしておりナバホも観光で食べて行けていた。

この自立的な生活が新型コロナの影響を受けて揺らいでいる。

自律型産業でやってゆくかそれともマジョリティとうまく手を組んでやって行くのかという問題には正解がなく地道に話し合って行くしかない。おそらくアイヌの人たちが直面している問題もこれと似ている。古老の人たちは自立生活を望んでいても若い世代がそう思っているかどうかはわからないという問題もあるだろう。

関心がなく知識がない我々はせめてこうした当事者間の議論を邪魔しないようにしなければならない。

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